第107話 「見くびるなよ」


 服を脱ぐ。


 そして、脱いだ服はきちんとストレージ・リングの中に仕舞った。もちろん靴もな。


「――いや何でだよッ!! 感情バグるわッ!!」


「え?」


 突然、オーウェンが叫んだので俺は振り向いた。


 何なの? 情緒が不安定なのか?


「どうした、いきなり叫んだりして?」


「いや何でアンタが不思議そうな顔してんだ!! どうしたはこっちのセリフだろうがッ!?」


「…………?」


「本気で分かんないって顔してんじゃねぇよッ!? 何でいきなり服脱いで全裸になったのかって聞いてたんだよ!!」


「……ああ、そのことか」


 それならそうと最初から言ってくれれば良いのに、と思いながら俺は答えた。


「いや、さっき結界魔道具の魔石を取って来るって話しただろ? ≪氷晶大樹≫の魔石を使うつもりなんだが、戦いで服が破れたら嫌だからさ……」


「それはっ……いや、でもっ、だとしても全裸になる必要はねぇだろ!?」


 俺の説明にも、オーウェンは納得していないようだ。


 仕方ないので、さらに詳しく説明することにする。


「これは、ちょっと説明が難しいんだが……今からする戦い方だと、どうしても服が破れて全裸になっちまうんだよ。最初から服が破れると分かってるのに、みすみす服をダメにする必要もねぇだろ?」


「何で服が破れることが前提なんだよ……!!」


「それは見てれば分かる」


「……ッ!!」


 すかさず断言する俺に、オーウェンは返す言葉が浮かばないのか歯噛みしながら黙った。


 とりあえず説明もしたし、これで文句はないだろう。オーウェンもちょっと全裸になった程度で狼狽えるなんて、まだまだ若いな……と思っていたところで、唐突に、


「――はんっ、た、大したことねぇな」


 顔を赤くしながらチラチラとこちらを見ているザラが言った。


 その視線は俺の股間の黒耀を捉え、どこかバカにするような笑みを浮かべている。


 ふむ……察するに、移動中、魔物をけしかけたことを根に持って、意趣返しをしようとしている――といったところか。


 だが、ザラの態度からすると、男の裸に免疫はないようだな。たぶん聞き齧った知識で男の股間をバカにすれば、プライドを傷つけられるとでも思っているのだろう。


 浅はかな。


 俺は微塵も動揺することなく、むしろ見せつけるように堂々と仁王立ちしながら受けて立つ。


「見くびるなよ、ザラ」


「つ、強がってんじゃねぇぜ。その程度でよぉ……!!」


 やはり生娘か。それに知識にも乏しいと見える。


 俺は哀れな敗者を見下すように視線をくれながら、教えてやった。


「これは寒さで縮んでるだけだ。普段の俺は……この倍はすげぇぜ?」


「なん、だと……ッ!? それって、寒いと縮むのか……!?」


「やはり知らなかったか。ちなみに戦闘態勢なら、普段のさらに2、3倍になる」


「戦闘、態勢……ッ!? ど、どういうことだ……!? そんなモードが存在するのかよ!? 聞いたことねぇぞッ!?」


「ふっ、俺をからかうつもりなら、もっと知識をつけてから挑むんだったな」


「くっ……!」


 悔しげに俺を睨むザラ。


 お子ちゃまめ、相手が悪かったな。


「いや、何アホなこと言ってんだよアンタ……」


「アホとは失礼な。全部本当のことだぞ」


 言い返すと、オーウェンは雪の上に座ったままぐでんと背筋から力を抜いた。


「嘘と疑ってるわけじゃねぇよ……頭の悪い会話すぎて、力が抜けるだけだ……」


 どうやらだいぶ疲れているらしいな。魔物と戦わせすぎたかもしれん。これは急いで結界を張るために、早く魔石を取って来なければ。


「ま、お前らはそこで休んでろ。すぐに戻ってくるからよ」


 そう言ってオーウェンたちに背を向け、俺は≪氷晶大樹≫に向かって歩き出した。




 ●◯●



≪氷晶大樹≫が外敵を察知して戦闘態勢に入る距離はおおよそ200メートル。


 最初に≪氷精の戦乙女ヴァルキリー・アイスゴーレム≫を巨大な幹の表面から解き放ち、次いで氷雪魔法【ブリザード・ストーム】で自身の防御を固めるというのが、通常の手順だ。


 しかし、外敵が高速で接近してきた場合、この手順は逆になる。


 つまり最初に自身の防御を固め、その後にヴァルキリーたちを解放するのである。


≪氷晶大樹≫の魔法展開速度は早く、防御を固める前に接近するのは【瞬迅】をもってしても不可能だ。さらに奴が展開する【ブリザード・ストーム】は分厚く巨大で、内部には氷の礫が高速で飛んでいる死の領域となる。たとえフロスト・ドラゴンとて、この【ブリザード・ストーム】に巻き込まれれば一瞬で挽き肉と化すだろう。


 だが、≪氷晶大樹≫を覆うほど巨大なブリザードの上空は台風の目のようにがら空きで、上空からならば内部に侵入することができる。


 もちろん、無数のヴァルキリーどもが空を飛んで邪魔して来るから、ブリザードの内部に侵入するにはこれを突破しなければならない。しかし通常の正攻法――≪氷晶大樹≫の魔力切れを待つよりは、遥かに早く勝負を決められるという利点もあり、俺はいつもこちらの方法で討伐していた。


 ――なのだが。


【龍鱗】を覚えたことによって、俺はさらに≪氷晶大樹≫討伐の所要時間を短縮することに成功していた。


 まあ、もう言わずとも分かるだろうが、要は【龍鱗】ならばあの巨大で分厚い【ブリザード・ストーム】を真正面から突破できるというわけだ。


 ただし、【ブリザード・ストーム】を突破した後、≪氷晶大樹≫は当然、ヴァルキリーを出してこちらを排除しようとしてくる。ゆえにブリザードを突破してすぐに攻撃し、かつ一撃で討伐できなければ、結局討伐時間の短縮にはならない。


 奴のブリザードを突破するには【龍鱗】が必要で、それは武器にも纏わせなければ、破壊されてしまう可能性がある。つまり、事前に極技を準備しておくことができない。


 だが、問題はなかった。


 200メートル。


 奴が反応するギリギリの場所に立って、俺は前に倒れ込むように体を前傾させる。そうして完全に倒れる直前、足元を蹴り、集束したオーラを爆発させた。


 我流戦技――【瞬迅】


 まさに撥ね飛ばされるように体が前に押し出される。一瞬で数十メートルの距離を走破する。しかし同時に、俺が不可視の境界線を潜った瞬間、≪氷晶大樹≫は素早く魔法を発動させた。


 氷雪魔法――【ブリザード・ストーム】


 暴風と氷の礫が渦巻く死の領域が瞬く間に展開されていき、それは一瞬ごとに激しさを増していく。


 ――【瞬迅】【瞬迅】【瞬迅】


【瞬迅】の連続発動で彼我の距離を縮める間に、≪氷晶大樹≫は白くけぶる巨大な壁の向こう側へと姿を消してしまった。


 そこへ、俺は最後の【瞬迅】を発動して跳躍する。


 放たれた矢のような速度で空中を飛翔し、そのまま死のブリザードへと突っ込んだ。


 その直前。


 我流戦技――【龍鱗】


 龍の鱗にも似たオーラの鎧を、全身、そして右手に持つ「黒耀」の表面にも纏った。


 技の展開は一瞬だ。何も成長しているのはクランメンバーばかりではない。むしろ常に上位素材を加工し続けている俺の方が、成長の度合いは大きいかもしれない。だいたい作業時間も俺の方が長いしな。


 以前は展開までタイムラグのあった【龍鱗】も、今では瞬間的に展開することができた。


 そうしてブリザードへ突入した俺を、凄まじい暴風と弾丸のごとき無数の氷礫が襲う。


 一瞬で体温を奪い尽くす極寒の暴風も、何もかもを粉砕する氷礫の弾丸も、体表に展開した【龍鱗】によって滑るように受け流されて通りすぎていく。


 大丈夫だと分かっていても腹の底が重たくなるような居心地の悪い空間。


 だが、死の暴風に身を晒していたのはほんの数瞬だった。


 次の瞬間、分厚いブリザードの壁を突き抜けた。


 途端、暴風の内部からほとんど風のない静かな空間へと移動し、その落差が静寂を感じさせる。


 重力に引かれて落下を始める中、前を見ると視界を埋め尽くすほどに巨大な≪氷晶大樹≫の幹があり――その表面に、幾つもの波紋が浮かんでいた。


 結晶質の幹が、まるで液体と化したかのようにその表面へ同心円状の波紋を揺らし、その中心から幾体もの≪氷精の戦乙女ヴァルキリー・アイスゴーレム≫たちが、あたかも水中から飛び出して来るように姿を現しつつあった。


 すでに体の半分以上が外に出ている。こいつらが完全に解放されるまで、あと2秒もかからないだろう。


 以前までの俺ならば、一から極技を準備して放つには、絶対に間に合わない時間だ。


 しかし、何度も言うようだが、成長しているのはクランメンバーたちだけじゃない。日々の木剣製作に加えて、「黒白」による極大オーラを使用する極技【巨重・龍鱗槍】を開発した経験、加えて凄まじく精密なオーラの制御を要求される剣神技【絶死冥牢】を修得したことにより、俺のオーラ制御力は壁を一つ突破していた。


 端的に言えば、「黒耀」で発動できる極技程度ならば、時間をかけずにオーラを集束できるようになった。


 空中、落下の途中で剣を大上段に構え、オーラを込める。


 リィィインっ――と、それは瞬時に澄んだ音色を立て、煌々としたオーラの輝きを放った。



 我流剣技【巨刃】【重刃】【閃刃】――重ねて一つ。



 極技――【絶閃刃】



 落下しながら剣を振り抜いた。


 膨大なオーラが極大の刃と化して閃く。


 斬線が≪氷晶大樹≫の巨大な幹を斜めに通りすぎた。波紋を揺らして飛び出しつつあったヴァルキリーどもが一斉に動きを止める。


 握っていた「黒耀」がオーラに耐えきれず、塵と化して粉々に砕け散った。


 ――着地。


≪氷晶大樹≫の根本に降り立つと、両断された断面に沿って巨大な幹が滑り落ち、同時に魔力還元が始まって空中へ溶けるように、大質量が少しずつ消えていく。


 周囲に展開されていた【ブリザード・ストーム】も、晴れるように消えていった。


 ――伐採完了だ。



 ●◯●



≪バスタード≫≪ホーリーナイツ≫≪シルフィード≫の面々は、その光景を呆然と見つめていた。


 突然、全裸となったアーロン・ゲイルが飛び出して行ったかと思うと、凄まじい速さで距離を詰め、そのまま≪氷晶大樹≫の【ブリザード・ストーム】の中へと突っ込んでしまった。


 あまりにも躊躇のないダイナミック自殺に、その場の誰もが愕然とし、アーロンは死んだと確信した――その直後、僅か数秒後には激しい【ブリザード・ストーム】が不安定に揺らいだかと思うと、けぶる白の巨壁に遮られていた向こう側の光景が見え始める。


 渦巻く氷雪が暴風の余韻に散った頃には、両断され巨大な幹が伐り倒された≪氷晶大樹≫の姿は、すでに魔力還元を始めて薄れ始めていた――。


「すげぇ……!!」


 誰ともなく、思わず、呟く。


 オーウェンたちは特異体ノルドの討伐に参加していた。だからアーロン・ゲイルの飛び抜けた強さを知っているつもりになっていた。


 しかしながら、ノルド討伐において彼らが負った役割は作戦の中心を占めるものではなく、特異体ノルドやその後に現れた偽天使の強さも、正確に把握していたわけではない。


 当然だ。


 彼らはノルドや偽天使と直接刃を交えたわけではなく、【封神四家】の術者たちを護衛していたり、あるいは大勢の一人として、拘束したノルドに攻撃を加えただけだったからだ。


 だからあれらの特異個体が、如何に常識外の強さを誇っていたか、実体験として理解しているわけではない。


 対して、≪氷晶大樹≫はそうではなかった。


 確かに戦った経験はまだ一度もないが、彼らにとって≪氷晶大樹≫は次に挑むべき適正レベルの守護者だ。彼我の戦力差が隔絶していないがために、展開された【ブリザード・ストーム】を目にしただけで、あれがどれほど厄介なものかはほぼ正確に理解できた。


 それを生身一つで突破し、姿の見えなくなったほんの数秒の間に討伐する。


 しかも≪氷晶大樹≫の消えゆく残骸から推測するに、おそらく、アーロンは一撃で倒しているのだ。


「やべぇな……何だよ、ありゃあ……」

「こうして改めてみると、マスターの非常識さが理解できるね……」


 ぶるり、と体を震わせながら、ザラは愕然と呟いた。


 エリオットは力の抜けた苦笑を浮かべるしかない。


「かっけぇよ……」


 そしてオーウェンは、泣きそうな表情で言葉を漏らす。


 まさに英雄と呼ぶに相応しい実力だ。今を生きる自分たちにとって、神代の英雄たち以上の英雄。


 ――≪極剣≫


 憧れるべき最強の代名詞を体現した姿。


「かっけぇよ……!!」


 胸がいっぱいになるような感動を覚えていた。


 クランに参加しようと決めた時のあの高揚感も、あの時の自分の決断も、やはり間違っていなかったのだと確信するほどの。


 憧れを仰いでその強さを目指しながら、共に歩むことにどうしようもない歓喜を覚えるほどの。


 自分にとって、アーロン・ゲイルはそんな英雄なのだと、はっきりと自覚してしまった。


 だから、オーウェンは叫ぶ。それは魂から飛び出したような叫びだ。




「全裸じゃなかったらッ、もっとかっけぇよ……ッ!!」




 結局、全裸になった理由は見ていても分からなかった。



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