第108話 「そんなやり方、間違ってるわ!!」
朝早くからアーロンが≪バスタード≫≪ホーリーナイツ≫≪シルフィード≫の総勢17人を連れて雪原階層へ向かった当日。
クラン≪木剣道≫の面々は、その日もいつも通りに木剣製作を続けていた。
クランの工房に集まり、作業をして、昼食を終えてから再び開始された午後の部にて。
アーロンを抜かせばクランでも随一の腕前を誇るフィオナは、自身も作業をしながら、その合間にクランメンバーたちに指導を行っていた。
「フィオナお姉さま、ここが難しくて上手くいきません~!」
≪白百合乙女団≫のメンバーがしなを作って聞いてくるのに、フィオナは丁寧に教えてあげる。
「ああ、ここは平面を取るのが難しいわよね。まず、木剣を作業台に固定して、削る場所に対して体を真正面に向けるように立って……」
「こうですか~?」
「そう。そしてナイフを持つ手を反対の手で固定しながら、ナイフは少し斜めに当てて、ナイフを持つ手は常に体の正中線から真っ直ぐの場所にあるようにして……」
「ええっと~、こんな感じですか、お姉さま~?」
「うん。良いわね。それから削って行くんだけど、腕は動かさずに、ナイフを当てたまま体ごと横に移動するようにするのよ」
「はい。……わぁ~、上手くできましたぁ~! さすがはお姉さまですぅ~!」
「良かった。じゃあ、私は自分の作業に戻るから……」
と、すぐに自分の作業スペースに戻ろうとするフィオナを、教えを乞うていた乙女団のメンバーは抱きついて止めた。
「わぁ~、待ってください~!」
「えっ? ……まだ、何かあるの?」
フィオナは乙女団のメンバーが苦手だった。
距離感が近いし、なぜか自分のことを「お姉さま」と呼んでくるからだ。何度も自分はあなたの姉じゃないと注意したのだが、呼び方を変える様子が一向にないのは少し恐かった。
一方、抱きついた少女はフィオナの微妙な態度もどこ吹く風とばかりに捲し立てる。
「お姉さまにはお世話になったので~、是非、お礼をさせてください~!」
「……お礼なんて、いいわよ」
「今日は
「……悪いけど、今日は用事があるの」
「え~? 用事ってもしかして、実家に帰ってお義母様からお料理を習うお約束のことですか~? 私も最近、料理を覚えたいと思っていたところなんです~! もし良かったら私も一緒に行っても良いですかぁ~?」
(なっ、何でこの娘はそんなこと知ってるのよッ!?)
フィオナはぞっとした。
ストーカー恐い、と。
「……他に人がいると集中できないから、遠慮してくれる?」
絶対に家の中に入れるわけにはいかないと、恐怖を押し殺して断固拒否した。
少女は途端に残念そうな表情となって、それでもフィオナに迷惑をかける気はないのか、引き下がる。ただし、フィオナに抱きつく腕はそのままだ。
「分かりました~。残念ですけど、お姉さまにご迷惑はかけられませんし~、お義母様にご挨拶するのはまた今度にします~」
そう言って、残念そうな流れから自然な動作で抱きつきを強くし、フィオナの体に顔を押しつけた。
クンカクンカ。
「ほわぁ~! お姉さま良い匂いします~!」
「ちょッ!? 匂い嗅ぐの止めてよ!?」
「もうちょっと、もうちょっとだけ~!」
と、慌てて少女を引き剥がそうとするフィオナと、恍惚の表情を浮かべた少女のもとへ、今度は別のクランメンバーが近づいてきた。
「け、剣舞姫殿! じ、実は拙者も少し分からないところがあって、ぜ、是非ご教授いただきたいのでござるがッ!!」
変態でお馴染みの小太りの魔法使いだった。
それに対し、まずはフィオナに抱きついていた少女が反応する。
「――は? てめぇ変態こら、今は私がお姉さまと話してんだろうが。空気読めよてめぇ……!!」
「ぶ、ぶひぃッ!?」
今さっきまで、きゃっきゃっと媚びるような高くて甘い声を出していた人物とは思えないほど、ドスの効いた低い声音で言う。おまけに顔は汚物を見るような表情をしていた。
そんな容赦のない態度に、変態は少しだけ気持ち良くなってしまう。
「悪いけど……」
と、今度はフィオナが答える。
「気持ち悪いから、近づかないでくれる?」
路傍の石を見るような、何の感情も籠っていない表情。なのに嫌悪よりもなお激しい拒否感を全身で表現しているように思える。
少女も流石であったが、フィオナの反応はさらに一枚上手であった。
変態は……、
「ぶ、ぶひっ、ぶひっ、ぶひぃいいいいいいいいいいいいッ!!?」
その場で仰向けに倒れると、ブリッジした。
「あ、ありがとうごじゃいましゅぅうううううううッ!!」
変態は大変に気持ち良くなってしまった。
そんな変態に、少女とフィオナは思わずといったように眉をしかめて本心を呟く。
「ぅわ、もう本当にキモイなこいつ……」
「視界に入らないで欲しいわね」
「ぶひぃいいいいいいいいいいいッ!!」
変態が叫び、しかしもう一顧だにされることもなく、クランメンバーたちはそれぞれに作業を再開する。
そうして今日もクランの日常は過ぎ去っていき――夕刻、そろそろ今日の活動も終えようかという頃、サブマスターであるイオが全員の前に立ち、パンパンと手を叩いて注目を集めると、言った。
「すまない、皆! 私から少し、話がある!」
全員が片付けの手を止めて、何事かとイオを見る。
イオはぐるりと全員を見回すと、一つ頷いて口を開いた。
「現在、アーロンたちが雪原階層に潜っていることは、皆も知っていることと思う。予定通りならば、明日の深夜……日付が変わる前には地上へ戻って来るはずだ。そこで……」
と、イオは溜めを作り、至極真面目な表情で告げる。
「我々は明朝、同じく雪原階層に潜り、クランマスター殺害計画を実行に移そうと思う!」
途端、一部の者たちから歓声が上がった。
「遂にこの時が来たのでござるな!」
「腕が鳴るぜ!」
「お姉さまをあの男から取り戻すのよ!!」
「――って、イオさん!? 何言ってるんですか!?」
珍しく大声で驚いたのはフィオナだ。
彼女は信じられないという顔でイオを見る。
一部クランメンバーたちの間で「クランマスター殺害計画」が話し合われているのは知っていたが、なぜイオがその音頭を取っているような雰囲気を出しているのか。
突然の宣言に混乱するフィオナへ、「実は……」と、イオが真実を明かした。
「この計画は私が発起人となって話し合われていたのだよ」
「ど、どうして……そんなこと……!?」
愕然と問うフィオナに、イオは激しく感情を爆発させるように答えた。
「奴は……アーロンはこのクランを私物化しようとしている! その果てに待つのはクランメンバー全員が終生木剣職人に従事することになる未来だッ!!」
「それは…………それはっ、そうかもしれないけどッ!」
フィオナは否定しようとした。だが、よく考えた結果、ちょっと否定できなかった。
そんなフィオナの反応に自信を得たのか、イオはさらに語調を強めて叫ぶ。
「――止めねばならないッ!! 私はサブマスターとして、このクランを守らねばならないのだッ!!」
「で、でもっ、だからってそんなやり方、間違ってるわ!!」
イオに考えを翻意させようと必死に言い募るフィオナ。
だが、イオの決意は揺らがなかった。
「すまないがフィオナ嬢、これはもう決まったことなのだよ……」
「そんな……!!」
もう、止められないのか。
そう無力感を覚えるフィオナの耳に、直後、囁くような声が届く。
『安心してくれ。何も本当にアーロンを殺害しようというわけじゃない』
(え? イオさん……?)
思わず自分の右耳を押さえそうになるのを、慌てて止めた。
風魔法――【リモート・ヴォイス】
その魔法を使って、イオはフィオナだけに聞こえるように声を届けているのだった。
『それに私が計画を主導しているのも、その方がクランメンバーたちの暴走を抑えられるからだ。主導する立場に立っておけば、色々と誘導もしやすい』
(まさか……本当の殺害計画を阻止するために……?)
フィオナはすぐに悟った。
誰も制御できないところで計画が持ち上がってしまえば、このクランに所属するクランメンバーの性質上、本気でアーロンを殺害しようと動き出しても不思議ではない。
何しろ大多数のクランメンバーは変態か変人ばかりなのだ。
まともな感性をしている者は、自分を含めてほんの数人しかいない……とフィオナは思っていた。
『フィオナ嬢も知っての通り、クランメンバーたちには現状に不満を溜め込んでいる者も多い』
(それは……確かに)
誰もが望んで木剣を作っているわけでも、全員が木剣職人になりたいわけでもないのだ。
そもそも、アーロンたちが雪原階層へ行っているのも、≪バスタード≫たちの不満を解消するためという話だったはずである。
『ならば、適度にストレスを発散する機会を設けようと思ってね。なに、アーロンならば死ぬようなことはないだろう。むしろこちらがやられないように、気をつけなければいけないほどさ』
(まあ、そうよね……正直、どうしたら死ぬのか分からないようなのがアーロンだし)
一時期は自分で命を絶ちそうな危うさがあったが、今はそんな様子もない。そうなると、単純に戦闘能力という面で誰かに殺される姿が想像できないのが、フィオナの知るアーロンという男である。
――と、最近大量のポーションをアーロンに飲ませたことも忘れて、フィオナは思った。
『ここは私を信じて任せてほしい。良いかね、フィオナ嬢?』
(確かに、クランメンバーのストレス発散は必要だと思うし……イオさんなら、そう悪いことにはならないはずよね……?)
そう結論して、フィオナはイオに向かってコクリと頷いた。
だが、フィオナ以外にも強く反対する者たちはいる。
「親方を殺そうとするなんて、聞き捨てならないっすよ!!」
「そうですよ!! 親方はこの世界の宝! それを殺害しようとするなんて、計画するだけで人類への背信です!!」
「考え直してください、サブマス!!」
それは≪バルムンク≫のカラム君、および≪ウッドソード愛好会≫の面々など、巨匠アーロンに心酔する木剣マニアたちであった。
対して、彼らの反対など最初から予想していたことなのだろう、イオは落ち着いた調子ですぐさま言い返す。
「君たちは、あのアーロンが、我々に簡単に敗れてしまうと思っているのかね?」
「え? それは……そうは思わないっすけど……それとこれとは話が別じゃないっすか?」
イオの返しに戸惑ったように問い返すカラム君。
だがそれには答えず、イオはさらに問いを重ねる。
「君たちは、アーロンのことを信じていないのかね?」
「も、もちろん、僕たちは親方のことを信じてますよ!」
「親方こそ最強の木剣職人です!」
愛好会の面々が力強く言い返す。
イオは「そうだろう」と深く頷いた。
「ならば問題あるまい? 君たちが信じるアーロンならば、我々程度に敗れるわけがないのだから」
「いやでも……」
戸惑いつつ否定の声を上げようとする木剣マニアたち。
しかし、その言葉を遮るようにイオは一際大きく発言する。
「それよりもこれは良い機会だ! 計画に賛同する者もしない者も、我らがクランマスターの実力を知るために、皆で雪原階層へ行き、襲撃に参加してみないか!? 殺害計画だ何だと難しく考える必要はない! これは我らクランの結束を強めるためのオリエンテーションだとでも思ってくれ! どうだ!?」
イオが全員を見回した。
殺害計画からかけ離れたオリエンテーションという単語に呆気に取られていたクランメンバーたちだが、基本的にお祭り騒ぎが好きな人種である。すぐに賛同の声が上がり始めた。
「おお! 何か分からねぇが面白そうだな!」
「あのマスターをぶん殴れる機会かもしれねぇってことか! 俺は参加するぜ!」
「ちょうどストレス発散の機会が欲しかったところだ!」
「これだけ人数揃ってりゃ、≪極剣≫相手でも恐くねぇぜ!」
「この良く分かんねぇ修行の成果を試してやる! マスターの体でな!」
やいのやいのと盛り上がる。
木剣マニアたちの反対の声は、すぐに掻き消されてしまった。
それを好機と、再び反対意見が上がる前に、イオは話を纏めにかかる。
「良し! ならば決定だ! クランメンバーは全員、明日早朝、探索の準備を整えた上で【封神殿】へ集合してくれ! それと襲撃のついでに、まだ40層を越えていない者たちも41層の転移陣に登録してしまおう! その方が36層に戻るよりも早く帰れるからな!」
「「「!!」」」
その言葉に、幾人かの「事情」を知るクランメンバーたちは悟った。
これはアーロン殺害計画に偽装した、クランメンバーの階層更新を目的にした探索だと。
一気にクランメンバーたちが迷宮に潜ってしまえば【封神四家】を刺激してしまうが、クランマスター襲撃という嘘のような本当の話を隠れ蓑に、隠された本当の目的を達成しようという目論見なのだ。
急いでメンバーの階層更新を推し進めようとする理由は分からないが、それだけイオはスタンピードの黒幕たちや【封神四家】の動きに危機感を抱いているのだろう……と、彼らは納得した。
一方、自身の思惑通りに事を運べたイオは、満足そうな笑みを浮かべながら頷く。
(ふっ……アーロンめ……! 明日こそはボッコボコにしてやるぞ……!!)
――と。
……完全にストレス発散が目的だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます