第105話 「自然と木剣を握っていた」


さみぃ……」


【神骸迷宮】36層、雪原階層にて。


【封神殿】の転移陣から降り立ったオーウェンは、思わず呟いてコートの襟をもう一度正した。


 今現在は快晴の雪原だが、いつ吹雪き出すか分からない。ここに出現する魔物は奇襲を得意とする厭らしい魔物が多いが、この環境自体も十分に注意が必要だ。


 特異体ノルドの討伐時に歩き回っているとはいえ、気を緩められるほどの慣れはまだまだなかった。


「んじゃまあ、さっさと出発するか」


 そう言ったのはアーロン・ゲイルだ。


 オーウェンたち≪バスタード≫、エリオットたちの≪ホーリーナイツ≫、ザラたちの≪シルフィード≫、総勢17人の探索者たちを前にして、まったくいつも通りの態度で告げる。


「分かってると思うが、雪原の魔物は奇襲してくることが多い。全員、武器は最初から抜いておけよ」


 アーロン自身もそう言って、スラリと鞘から「黒耀」を引き抜いた。


 その緊張感のない態度に物言いたげな顔をしつつ、オーウェンたちも咄嗟に武器を使えるように鞘から引き抜いたり、利き手に持って構えたりする。


 その様子を見て、アーロンは満足げに頷いて言った。


「何も言わなくとも木剣や木製武器で戦おうとするお前たちの気概は素晴らしいな。俺は感動した!! だが、今のお前たちがこの階層でその武器で戦うと、さすがに危ないと思うぞ?」


「――は?」


 オーウェンたちは思わず自分の武器を確認する。手には自然と木剣を握っていた。


「「「――!?」」」


 ここ最近、木剣でしか戦っていなかったから疑問にも思わなかった事実に、オーウェンのみならず多くのメンバーが戦慄する。


 なにこれ、こわい……と。


 そして更に恐ろしいのは――だ。


「お、俺……今日、木剣しか武器を持って来てねぇ……ッ!!」


 自分で自分が信じられない、というように、オーウェンは愕然と呟いた。


 すると周囲からも同じような声が上がり始める。


「俺も、トレントの槍しか持ってない……」

「私なんてトレントの弓だし、鏃の付いてない木製の矢しかないんだけど……」

「私は一応、普通の武器を持って来たよ?」

「俺も、いつもの杖を持って来たけど……」


 どうやら、いつも探索で使っている通常の武器を持参したのは、トレントの杖では戦えない魔法使いたちと、一部、先見の明(?)があった少数のみらしい。


 数えてみると、17人の内、実に半数近くが木製武器持参という有り様だ。


「さすがに、この状態で探索するわけにはいかねぇよ、な……?」


 これはもう、一度武器を取りに帰るしかないか、とオーウェンが声を上げた時、


「――仕方ねぇなぁ。本当はもう少し後で渡すつもりだったんだが……」


 と、アーロンがストレージ・リングの中から、一本の「黒耀」を取り出した。


 それは売り物ではないのか、飾り彫りの一切入っていない、質実剛健な見た目をした「黒耀」だ。


 それをアーロンは「オーウェン、これはお前の分だ」と名指しして手渡す。


「――え? 俺?」


「おう、お前用のやつだからな」


 続けて、アーロンは次々に『エルダートレントの芯木』で作った武器を取り出すと、一人一人名前を呼んで手渡していく。トレント材とは違ってエルダートレントは魔法使いの杖にも向く素材のためか、魔法使いたちにも漆黒の杖が手渡されていった。


 呆然とそれを眺めていたオーウェンだが、ふと気がついて「黒耀」を鞘から引き抜き、軽く振ってみる。


 すぐに分かった。


「これ……俺用・・の剣だ……」


 握りやすい柄の太さや、剣の重心というものは、どうしても個人で微妙に異なるものである。


 多少の違和感は我慢して使うことも武器を支給される兵士ならば珍しくないが、日々死の危険と隣り合わせにある探索者の場合は、そうではない。そういった些細な違和感も偏執的に感じ取り、自分で調整するか、武器屋で調整してもらうのが、少しでも生き残る確率を高めるコツだ。


 だから一人前の探索者は、その武器が自分に合っているのかどうか、すぐに判断することができる。


 オーウェンが手渡された「黒耀」を振ってみたところ、僅かな違和感さえ存在しなかった。柄も重心の位置も何もかも、まるで自分のために誂えたかのように、しっくりとくる。


 ――いや。


 まるでも何も、これは自分のために作られた剣なのだ。


「まさか、全員そうなのか?」


 武器を渡された仲間たちの様子を見るに、全員が調整の必要もなさそうだ。


 つまり、アーロンは17人それぞれに合うように、それぞれの武器をわざわざ作ったということ。


 なぜ、全員分の武器を用意していたのか? それは分からないが……、


(この人は、俺が思ってたよりも、俺たちのことを真剣に考えてくれていたのかも、しれねぇな……)


 ふと、オーウェンはそんなことを思った。


 もちろん、これしきのことで絆されたわけではないが。


(ふ、ふんっ! まだ認めたわけじゃねぇんだからな!)


 彼は内心で自分に言い聞かせた。


 オーウェンは少しプレゼントを貰ったくらいで、心変わりするような簡単な男ではないのだ。その頬が多少赤くなっていたとしても、それは雪原階層が寒いからなのである。


 ともかく、アーロンは全員へ武器を渡し終えると、


「今回の探索では、それを使うと良い。特殊効果こそないが、物としては一級品とも遜色ないはずだ」


 と言った。


「それと弓士で、普通の矢を持ってきている奴は、持ってきてない奴に貸してやってくれ。ザラ、お前は大量に持って来てるんだろ?」


「――チッ、仕方ねぇな……後で矢代はきっちり徴集するからな!」


 アーロンの要求に、悪態を吐きつつもザラが了承する。


 ――というのも、実は昨日の時点でザラはストレージ・リングをクランから購入しており、その中に大量の矢を収納してあったのだ。


 悪態を吐いてはいるが、さっそく役に立っているストレージ・リングに満更でもなさそうな顔をしている。


「良し! それじゃあ、今度こそ出発するぞ! 正規ルートは俺が把握してるから、俺がお前らを先導する! ただし、俺は自分を襲う最低限の魔物しか倒さない! 他の魔物は全部お前たちで倒せよ!」


「へっ! 言われるまでもねぇぜ!」


 オーウェンは言い返す。


 自分たちが強くなったかどうかは、戦ってみなければ分からないのだから。それに一人の強者に何もかも頼りきりな迷宮探索など、この場にいる者たちならば、一人の例外もなくプライドが許さないはずだ。


 アーロンは頷き、続けて告げる。


「それと今回の探索で、お前たちが間違いなく強くなっていることを証明する! だから戦う時は、惜しみ無くスキルを使え!」


 だが、この言葉には、思わず反論せずにはいられなかった。


「はあ? お、おいおい! そんなことしたら、40層に辿り着く前に魔力が底をついちまうだろうが!!」


 通常、スキルはできる限り節約するのが探索者の常識だ。そうでなければ、すぐに魔力が枯渇してしまうのだから。


 しかし、アーロンは何でもないように言い返した。


「トレント狩りの時は、スキル使いまくってるだろ?」


「そりゃ、そうしなきゃダメージ与えられねぇからだろうが!」


 確かにトレントを木剣で倒す時には、攻撃する度にスキルを使っている。しかし、それは当然のことだ。そうしなければトレント材の木剣でトレントにダメージを与えられるはずがない。


 しかし、ここは草原階層ではないし、出現する魔物の強さもトレントの比ではない。とても40層まで魔力が持つとは思えなかった。


「まあ、騙されたと思って言う通りにしてみろ。今のお前らなら、問題ないはずだ」


「…………」


 本当に騙されている可能性も否定できないから困る。


 だが、その時はアーロンの修行法が間違っていたと証明されるだけだ。


「……良いぜ、やってやるよ。皆も、良いよな!?」


「「「おう!!」」」


 オーウェンは承諾し、仲間たちも頷いた。


「じゃ、出発するか」


 そうしてアーロンの緩い号令を合図にして、雪原階層の探索は開始された。



 ●◯●



【神骸迷宮】38層。


 ここまで、実にスムーズに探索は進んでいる。およそ考え得る限り、雪原階層攻略のための最短距離を進んでいると言って良い。


 しかし、それが「正規ルート」かと言えば、疑問を抱かざるを得なかった。


「クソッ! また来たぞ!!」

「全員スキルを出し惜しみすんなッ! 群に呑み込まれるぞ!!」

「倒せッ!! とにかく倒せッ!!」

「あッ! おいドロップが!?」

「馬鹿野郎! ドロップなんざ拾ってる暇ねぇだろ!!」


 切羽詰まった探索者たちの怒号が響き渡る。


 場所は見渡す限りの雪原の真ん中――ではなく、雪の積もった森の中だった。


 草原階層にも森があるように、雪原階層も雪原ばかりが広がっているわけではない。中にはここのような森林地帯も存在した。


 ただし、雪原地帯に比べて森林地帯は数多くの魔物が住み処にしているため、危険度が極めて高く、通常、特定の迷宮資源を目的としない限りは迂回される場所だ。


 ではなぜオーウェンたちがそんな場所で、100頭を超えようかというアイス・ウルフの大群に襲われているのかと言えば、全ては先頭を突き進むアーロンが原因だった。


 実は正規ルートは最短距離ではない。森林地帯やフロスト・ドラゴンの巣など、雪原階層でも有数の危険地帯を横切ることで、ルートを短縮することができるのだ。


 アーロンは最短距離こそが正規ルートだと言わんばかりに、必死に引き止めるオーウェンたちを無視して森林地帯へと突っ込んだのである。


 まだ、ろくに土地勘もないオーウェンたちがアーロンを見失えば、雪原で迷ってしまうことも考えられる。なので仕方なくアーロンの後をついて行ったのだが――38層にして、すでにその選択が誤りだったと全員が悟っていた。


 36層の段階で、アーロンなど無視して、自分たちは本来の正規ルート通りに進むべきだったのだ。それなりに時間もかかるし、知識だけでは迷う可能性もあったが、少なくとも今のこの状況に陥るよりはマシだったはずである。


「おーい、お前ら! さっさと倒せよ! このペースじゃ日が暮れちまうぞ!」


 必死にアイス・ウルフの群をさばいているオーウェンたちへ、頭上からそんな声が降ってくる。


 思わず声の発生源を確認すれば、地上10メートルの辺りで、森の木の幹に剣を突き刺し、その上に立っているアーロンが暢気な顔をして、こちらを観戦していた。


 最初の宣言通り、自分は最低限の魔物しか倒さないつもりらしい。


 しかし、苛立ちが頂点に達しつつあるオーウェンたちにとって、そんなアーロンの態度は神経を逆撫でるものでしかない。


 途端、罵声の嵐が飛び出した。


「ふっざけんなッ!! 誰のせいだと思ってやがるッ!!」

「このクソマスターがぁッ!! てめぇも降りて戦えやッ!!」

「責任取れ! 責任!!」

「死ねッ! もう死ねッ!!」


「…………」


 しかし、彼らは分かっていなかった。


 このアーロン・ゲイルという男、過去には軽くバカにしてきた相手に一瞬の躊躇もなく飛びかかり、酒場で乱闘を繰り返しては出禁になってきた男である。


 多少歳を取ったところで人間の本質など変わるはずもなく、非常に大人げない性格の上、割と沸点も低かった。


「――は?」


 不思議そうな声を発したのはオーウェンだ。


 頭上でアーロンが無造作に手を振ったかと思うと、オーラの弾丸が飛び出して木々の隙間を目にも留まらぬ速さですり抜け、視界の外へと消えていったのである。


 そしてさらに数秒後、森の中にまで響き渡る爆発音が轟いた。


「「「…………」」」


 アイス・ウルフと戦いながら、思わず一瞬、誰もが押し黙ってしまった。


 考えたことは全員が同じだ。


 まさか――と。


 さすがにそこまでするか? という疑問と、いやこいつならやる、という妙な確信。


 彼らの確信が正解だったと証明されるまで、さほど時間はかからなかった。


「や、やりやがった……!! 野郎! やりやがったッ!!」

「魔物が来たぞぉおおおッ!!」


 森の外から現れたのは、フロスト・ジャックにスノー・ワームという新手の魔物――――のみならず。


 バキバキバキィッ!!


 ズドンッ!! ――と。


 森の木々を踏み折りながら、巨大な魔物――フロスト・ドラゴンが上空から森の中に降下してきたのだ。



「グルルルルル……ッ!! グァアアアアオオオオオオウウウッ!!!」



 純白の羽毛に包まれた巨大な竜は、なぜかブチギレ状態だった。


 いやまあ、その理由は、彼、または彼女の額を見れば一目瞭然なのだが。


 美しい純白の羽毛が、一部吹き飛び、鮮血によって赤く染まっていたのだ。


「ばっ、馬鹿野郎ぉおおおおおおッ!!」

「い、いつか殺す! いつか殺すッ!!」

「てめぇに人の心はねぇのかよぉおおおおッ!!」


 探索者たちは感情のままに呪詛を叫び、魔物の大群との第二ラウンドを開始した。



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