第104話 「良い話を持ってきたんだ」


 いつの間にか店内にいたアーロン・ゲイル。


 その存在に気づいてオーウェンたちは驚愕から腰を浮かし、それぞれが臨戦態勢に入っていた。


 直前まで話していた内容が内容であるので、気まずいというのもある。向こうが何を言い出すのかと警戒するのも無理はない。


 しかし、当のアーロンは何食わぬ顔で席を立つと、自分のジョッキを持ったまま、ツカツカとこちらの方へ近づいてきた。


 そうしてオーウェンたちのテーブル席の、空いていた席に勝手に座る。


 この間、オーウェンたちはアーロンを注視するばかりで何の行動も取れなかった。周囲のテーブルで飲んでいたパーティーメンバーたちもオーウェンたちの叫び声でアーロンの存在に気づき、沈黙しつつも視線だけはこちらを向いている。あまりにも突然の登場すぎて、頭が混乱して回らない。


 そんなオーウェンたちにアーロンは、


「まあ、立ったまま話すのも何だし、座ったらどうだ?」


 ニコニコと優しげな笑みを浮かべたままに言う。


 はっきり言ってその態度は気味が悪かったが、オーウェンたちは互いに視線を交わした後、仕方なく、アーロンの言葉に従って席に着いた。


「…………」


 いつでも席を立てるように意識しながらも、アーロンから視線を切らさない。


 背中を嫌な汗が流れていく。


 まったくふざけた人間性をしているとはいえ、目の前の男は迷宮深層の守護者よりも危険な存在だ。この場の仲間全員で襲いかかっても、不思議と勝てるビジョンが浮かばない。そんな男なのだ。


 そして、そんな男が先ほどまで自分たちの話を聞いていたという事実。


 オーウェンのみならず、エリオットとザラも胃が痛くなるような緊張を感じていた。


 対してアーロンは、そんな周囲の反応などどこ吹く風で、にこやかな笑みを浮かべながら口を開く。


「そんなに緊張するなよ。実はな、今日はお前たちに、良い話を持ってきたんだ」


「……良い、話?」


 警戒しながら問い返す。


 これほどに信用ならない言葉があるだろうか、と思いながら。


「ああ」とアーロンは嬉しそうに頷き、話を続ける。


「たまたまなんだが、お前たちの話の内容が聞こえてしまってな」


(そんなたまたまがあるかッ!!)


 良い話を持ってきたとか言っている時点で、アーロンがここにいるのは100パーセント故意だと言うのに、ぬけぬけとそんなことを言う。


「ウチの工房……じゃなかった、ウチのクランにずいぶんと不満があるようじゃないか?」


「それは……」


 本人を目の前にして、本心を言っても良いものか、とオーウェンは悩んだ。


 しかし彼が答えを出すよりも先に、アーロンはさも反省しているとでも言いたげな、神妙な表情を取り繕って続けた。


「お前らに不満があることは分かってる。それは工房長……じゃなかった、クランマスターとしての俺に責任がある。すべて、お前たちに不満を抱かせるようなことをした俺が悪いんだ。すまなかったな……」


「お、親方……」


 弱々しく、自責の念から自然と口をついて出たようなアーロンの謝罪に、思わずオーウェンは言葉を漏らす。


 今までの、クランとしてのふざけた活動を反省してくれているのなら、許しても良いんじゃないか、と。


 これから俺たちのマスターとして、行動を改めてくれればそれで良いじゃないか、と。


 オーウェンがそう思いかけた時。


「――なので、お前らの不満を取り除いてやろうと思ってな」


「え?」


 反省の姿は幻だったかと思うほどあっさりと、再びにこやかな表情に戻って言ったのだ。


「まず、ザラ」


「な、なんだよ……?」


 アーロンの顔がザラを向く。ザラは椅子の上でできるだけ距離を取るように身を引いた。


「お前の言う通り、確かにクランを設立してから今まで、ろくに探索もしていなかったからな。収入が減っているというお前の指摘は、まったくその通りだ。失念していたわけではなかったとはいえ、不安にさせてすまなかった。言い訳に聞こえるかもしれないが、これからはクランとして頻繁に迷宮に潜るつもりではいたんだぞ?」


「……ふんっ、口では何とでも言えらぁ! それに迷宮に潜るって言ってもよぉ、木材集めじゃ何の意味もねぇぜ!」


「もちろん、木材集めを目的に探索するわけじゃない。ちゃんと稼げる階層に潜るつもりだ。≪シルフィード≫が単独で潜るよりも、稼ぎは多くなると保証するぜ。それとな……」


 アーロンはローブの内ポケットから、何かを取り出してテーブルの上に置いた。


 それはリング状の物体だ。


 金目の物が大好きなザラは、一瞬でそれが何か分かった。


「す、ストレージ・リング、か……?」


「そうだ。一番ランクの低い代物ではあるがな」


 ストレージ・リング。


 最上級探索者ともなれば、最下級品ならば買えない金額ではない。


 だが、ストレージ・リングは金さえあれば買えるといった代物ではなかった。何しろ需要に対して供給が少なすぎるのだ。【封神四家】が生産するストレージ・リングの多くは、まず各国の王侯貴族など特権階級が買い求め、次に金のある商人たちが買い占める。


 金があるのは腕の良い探索者とて同じだが、幾ら金があるとは言っても、コネクションで商人に大きく劣る探索者では、【封神四家】から直接買い求めることは難しい。


 迷宮資源回収の効率化を目的に、探索者ギルドが購入できる枠も設けられているが、それをギルドから買える探索者は限られている。


 他にも何らかの理由でストレージ・リングを手放すことになった者が市場に売りに出すこともあるが、その場合、値段は天井知らずに跳ね上がるのが普通だ。


 そういった数々の理由もあり、最上級探索者に成り立てのザラたちは、まだストレージ・リングを所有していなかった。


 正直に言えば、喉から手が出るほどに欲しい代物だ。


 何と言ってもこれが一つあるだけで、一度の探索で回収できる迷宮資源の量は段違いになるのだから。


 アーロンは言った。悪魔が人間を唆す時のように、誠実そうな声音で。


「ウチのクランにキルケーのお姫様が出資しているのは知っているだろう? 実はな、彼女の好意で少しずつだが、クランにストレージ・リングを卸してもらえることになったんだ」


 それは結界魔道具と同じく、エヴァが魔道具職人の手を借り、自分で作ったストレージ・リングになる。エヴァの話では一月に10個ほどを生産できるということであった。


 このリングをクランが買い上げ、欲しいというクランメンバーに売る形になる。もちろん、クランとしての儲けどころか、エヴァの儲けも度外視した値段で。


「ザラ、お前が望むなら、最初の購入権をやっても良い。ちなみに、値段は……」


 と、アーロンが値段を告げた。


 それは正規の手段で購入できる金額よりも、遥かに安かった。ほぼ原価と言って良い値段だ。むしろ魔道具職人に報酬を支払う分、エヴァとクランで若干の持ち出しがある程である。


「……っ!?」


 ごくりっと、ザラは生唾を飲み込んだ。


 そんなザラにアーロンが囁く。


「まあ、当然だが、クランを抜けるってんなら、この話は無しになる……。非常に残念だが、お前の決意が固いなら、俺も引き留めるような真似はしねぇよ。何年後になるか分からんが、他所でストレージ・リングが買えるようになるまで、頑張ってくれ」


「ば、ばかっ……や、辞めるなんて、言ってねぇだろ?」


 慌てて声を上げたザラは、一転して媚びるような笑顔をアーロンに向けた。


「へ、へへ、ふへへ……。あ、アタシはマスターについて行くつもりだぜ?」


「そうか。分かってくれて俺も嬉しいぜ」


 即オチであった。


 ザラは陥落した。


「お、おい! ザラ!?」


 アーロンの言い方に何となく不穏なものを感じていたオーウェンは、ザラに考え直すように言おうとした。


「だぁってろオーウェン!!」


 だが、物欲に敗北したザラには届かなかった。


 ザラの変心にニコニコと頷いていたアーロンは、続いてエリオットに顔を向ける。


「それで、エリオット。お前はもっと高み・・を目指したい……そうだよな?」


「え、ええ……まあ、そうですね。探索者として、私たちは高みを目指したいと思っています」


 敢えて「高み」などと濁した言い方をしたが、この場の者たちならそれが何を指しているのかは理解している。


 すなわち――探索者として知名度を上げ、名声を手に入れること。もっと噛み砕いて言えば、承認欲求を満たすために色んな人々からちやほやされることだ。


 それこそがエリオットの欲する「高み」であった。


 それを踏まえて、アーロンは告げる。


「実はクランメンバー全員、46層へ連れていく計画がある。それも何年も先のことじゃねぇぞ? 数ヵ月以内にだ」


「よ、46層……それも数ヵ月以内って……」


 しばし、エリオットは唖然としたような表情を浮かべた。


 それから我に返ると、いやいやと苦笑しながら首を振る。


「簡単に言いますが、マスター、幾らなんでもそれは……その、難しいのではありませんか?」


 不可能、と言いかけて、かの≪迷宮踏破隊≫が46層に到達していることを思い出し、言い直した。


≪迷宮踏破隊≫の生き残りは漏れなく全員、≪木剣道≫に所属しているのだ。ならば、あながち不可能とも言い切れなかった。


 そんなエリオットの考えを見透かしたかのように、アーロンはニヤリと笑う。


「難しいかもしれねぇが、不可能じゃねぇ。少なくとも今すぐということなら、お前らを41層に連れていくことは間違いなく可能だぞ?」


「41層……」


 ごくりっと、喉を鳴らす。


 ここ最近、木剣や、その失敗作という形で≪氷晶大樹≫の素材が市場に多く流れている。そのせいでイマイチ価値が薄れて感じられるが、41層に到達できる探索者などほとんどいない。


 ほんの20年前ともなると、ネクロニア全体でも20人を下回るほどだ。


≪迷宮踏破隊≫の半数ほどが死ぬか消息不明になっている現在、すでに引退した者を含めても50人くらいが関の山だろう。もちろんこの数は、表向きの人数だが。


 アーロンは「考えてみろ」と、詐欺師がありもしない大金をターゲットに夢想させるように語りかける。


「41層へ行けば、お前たちは竜山階層に到達した探索者となるわけだ」


「りゅ、竜山階層に……?」


「そうだ。その時点でお前らは、確実にネクロニア探索者の中でも、100番以内には入る実力者というわけだ。竜山階層の過酷さは、探索者よりもむしろ一般民衆の方が過大評価している傾向にある……そこを探索しているとなれば、もうそれだけで英雄扱いだぜ……?」


「英、雄……? この、私が……?」


「ああ、想像してみろ。自分が英雄エリオットと呼ばれている姿を。お前らが迷宮の低階層でやっている慈善活動・・・・も、まったく反応が異なるんだろうなぁ。英雄エリオットと普通のエリオット。助けに来てくれて、探索のいろはを手解きしてくれて、より嬉しいのはどっちだ? より感激するのはどっちだ?」


「え、英雄、エリオット、です……」


「そうだろう? じゃあ、どうする? クラン、辞める? 辞めて何時になるかは分からないけど、自分たちで頑張ってみる? 確実に英雄になれる道と、もしかしたら英雄になれないかもしれない道、どっちを選ぶ?」


 エリオットの答えは決まっていた。


 彼は背筋を正すとごほんっと咳払いし、真面目ぶった表情で答える。


「私は、マスターについて行きますよ」


「そうか。そう言ってもらえて嬉しいぜ」


 目の前で繰り広げられる怪しい会話の応酬。会話の内容はともかく、端から見ているとアーロンがエリオットを騙そうとしているようにしか見えない。


 詐欺師に騙される友人に忠告するように、オーウェンは口を挟んだ。


「お、おい、考え直せよエリオット!! 41層に連れて行くなんて何の保証もねぇ口約束じゃねぇか!! それによしんばマスターの力で41層に連れて行ってもらえたとしても、それは自分の実力じゃねぇだろ!! お前はそれで良いのかよ!?」


「……すまないが、オーウェン。もう、決めたことなんだ……」


 エリオットは友人から目を逸らしながら言った。


 オーウェンの言葉は、もはや届かなかった。


「くっ……!! てめぇ、何のつもりだ……ッ!!」


 次々と友人たちを唆すアーロンを、オーウェンは鋭い視線で睨みつけた。


 一方、アーロンはそれをそよとも感じていない余裕のある笑みを浮かべて、今度はオーウェンに語りかける。


「オーウェン、お前の不満は確か……クランの育成方針に対する不満、だったな?」


「ッ、そうだッ!!」


 オーウェンは立ち上がり、ビシッとアーロンに指を突きつけて叫ぶ。


「アンタは俺たちを強くすると約束した!! だがッ! 実際にクランに入ってみればどうだ!? やる事と言ったら意味の分からねぇ方法で木剣を作る事と、木剣でトレントを狩るだけじゃねぇか!! あんなんで強くなれるはずがねぇッ!! アンタは嘘吐きだ!! 俺たちを騙したんだッ!!」


「……嘘吐き呼ばわりとは、心外だな。あの修行にどんな意味があるかは、最初に説明したと思うが」


 確かに説明された。


 だが――と、オーウェンは反論する。


「何がオーラの制御力を鍛えるだ!! そんなもん鍛えて何になるんだよ!! 新しいスキルを覚えるわけでもねぇだろうが!! 全然強くなった気がしねぇ!! あんな地味な修行……これなら実戦を繰り返してた方がよほど修行になるに決まってる!!」


 はあはあっと、オーウェンが息を荒げる音だけが店内に響き渡っていた。


 オーウェンの叫びに、他の客たちまでもが何事かと息を潜めて注目している。


 程なく、アーロンが口を開く。


 ニィイ、パァァア……ッと、返答は、罠に嵌まった哀れな人間を弄ぶ悪魔のような笑みと共に返された。


「なら、強くなってたら良いんだな?」


「――あん?」


「あの修行で強くなってることが証明できれば、オーウェン、お前は納得するわけだな?」


「……ふんっ、強くなってたらな」


 もしも本当に強くなっているのなら、全ては自分の早合点ということになる。だが、それには懐疑的だからこそ否定しているのだ。


 だからアーロンが次に放った言葉にも、オーウェンは躊躇いなく頷いた。自分は間違っていないという確信があるからこそ。


「なら、強くなってたら、オーウェン。お前はこれから、文句を言わずに木剣を作り続けるわけだな? 口答えせず、俺の指示に従ってくれるわけだな? 何しろそれで強くなれるんだからなぁ。当然だよなぁ?」


「はんっ! 良いぜ? あのバカみてぇな方法で、もしも俺が納得するくらい強くなってたら、二度と文句を言わずにアンタの指示に従ってやるよ!」


 馬鹿にするように宣言するオーウェンに、アーロンはにっこりと微笑んだ。


「良し、なら明日から、≪バスタード≫、≪ホーリーナイツ≫、≪シルフィード≫に俺のメンバーで、雪原階層を探索しよう。目的地はもちろん、41層だ」


「「「――は?」」」


 突然の言葉に、オーウェンたちは面食らう。


 しかし構わず、アーロンは続けた。


「金を稼ぎたいザラに、41層へ進みたいエリオット、そして強くなったか確かめたいオーウェン……全員の目的を達成するのに打ってつけの目標だろ? まさか異論はねぇよなぁ?」


「……ッ!? ……ったりめぇだ」


 オーウェンは口ごもりながらも承諾する。


 不満を口にしていたオーウェンたち。その全員の不満を解消するためだと言われれば、断ることなどできるはずもなかった。


「なら、明日の朝、【封神殿】に集合だ。――頑張ろうぜ?」


 そうして明日、オーウェンたちは雪原階層に挑むことになった――。



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