第101話 「美味いじゃねぇか!!」


 イオとガロンと共に【神骸迷宮】11層へ行き、作ったばかりの「岩鉄」と「地晶盾」の性能試験を終えた後、夕方に自宅へ帰還した俺は、エプロン姿のフィオナに出迎えられた。


 見慣れないエプロンを身につけたフィオナを見た瞬間、俺の心臓がトゥクンっと脈打つ。


 胸の高鳴りは一秒ごとに強さを増していき、辛抱堪らずフィオナを押し倒そうとした寸前、こちらを振り返ったフィオナが言ったのだ。


「夕飯、できてるからね」


 と。


 それから数分後、俺は気がつくとダイニングテーブルの席に座っていた。


 フィオナの言葉を聞いた後くらいから、記憶が曖昧だ。それでもフィオナに言われるがまま、手を洗ってダイニングに移動し、椅子に座ったのは何となく覚えている。


 すでに目の前には、フィオナが作った物らしい夕飯が並んでいた。


 主食となるパンと、赤いスープ、そして見慣れない形をした肉料理らしきものと、一見して普通のサラダに見えるサラダだ。


 肉料理の形だけは見慣れないが、それ以外は全て、普通の料理に見えた。


 だが、それこそが最大の異常だ。


 一見して普通の料理に見えるだと? バカな……何がどうなったらそうなるんだ……!!


 はっきり言えば、不気味だ。俺の思い込みかもしれないが、悪魔が人間のふりをしているような違和感を覚える。


 密かに戦慄していると、対面にフィオナが着席した。


 それから屈託のないように見える笑顔で、


「どうぞ、召し上がれ」


 と言った。


「…………」


 ……召し上がれ、とは、天に召されろ、という意味だったろうか……?


 ニコニコと笑みを浮かべながら、フィオナは俺が食べ始めるのをじっと待っている。その笑顔にはもはや違和感しかない。普段のフィオナなら絶対に浮かべない嘘臭い笑い方だ。


 それにフィオナの表情に反して、空気が重い。こちらの一挙手一投足に即座に反応しようという、戦闘時にも似た気迫と緊張感を感じる。


 だが、約束は約束だ。


 俺はこれを全部食べなければならない。


 ……でも、一口で無理だったら土下座してでも勘弁してもらおう。これが感謝の印なら、フィオナも俺が死ぬことは望んでいないはずだ……!!


 俺は意を決して、それを口に含み、咀嚼し、食べた。


 そして――、


「う、美味い! 美味いぞフィオナ! まるで黄金小麦亭で焼いたパンみたいだ! 噛むほどに豊潤な小麦の香りが鼻から突き抜けて、幾らでも食べられそうだ!!」


「……それは黄金小麦亭で買ってきたパンよ」


 フィオナの顔から笑みが消えた。


 俺は慌てて言い返す。


「待てッ! ちょっとした冗談だ! ナイフとフォークにオーラを纏わせるな!!」


 場を和ませる冗談だというのに、反応が物騒すぎるッ!!


「……そう、じゃあ、冗談はもう良いから、早く食べなさいよ?」


「わ、分かった……」


 もう、覚悟を決めるしかない。


 俺は小刻みに震えるスプーンで赤いスープを掬い、口の中に放り込む――――前に、匂いを嗅いでみた。


 ……不思議と、異臭の類いはしない。


 むしろ、普通に美味しそうなスープの香りだ。


 だが巧妙に偽装されているだけかもしれない。気を緩めることなく、避けられない攻撃を喰らってしまうと悟った直前のように、襲いかかる痛みや衝撃に備えた。打たれる覚悟ってやつだ。


 大きく口を開け、スープを口の中に……


「は、はぉ……」


 スープを口の中に……


「……は、はわ……」


 スープを口の中に……


「ぁぁ、ぁお……」


 スープを口の中に……



「――早く食べなさいよッ!!」



 ズボッと、対面から手を伸ばしたフィオナが俺の口の中に無理矢理スプーンを突っ込んできた。


「ッ!?!!?」


 突然の凶行に反応できなかった俺は、あえなくスープを口の中に入れてしまった。


 瞬間、脳裡をよぎるあまりにも明確な「死」のイメージ。突然、巨大でどこまでも深い縦穴に突き落とされてしまったかのような。


 もはや打つ手なし。抗えない。


 ここが俺の死に場所なのだと、全てを受け入れるしかなかった。


 そして――、



「……………………?」



 だが、幾ら待っても死神は俺を迎えには来なかった。


 それどころか、味覚がいつまでも消失しない。痛みや強烈な生臭さもしなければ、口内にへばりつくようなヘドロのごとき感触もしない。


 ――死んで、いない……?


 不思議に思い、恐る恐るとスープの具材を咀嚼してみる。


 ほろほろとじゃがいもが崩れ、玉ねぎの甘味が舌を優しく刺激する。程よい大きさに切られた鶏肉からは、噛むほどに旨味たっぷりの肉汁が溢れ出し、トマトをベースにしたと思われるスープの微かな酸味が、それぞれの味を柔らかく受け止め、引き立ててくれる。


 端的に言えば、美味い。


 普通に美味いぞ?


 全てを嚥下した後、現実を受け止め切れなかった俺は、もう一度スープを掬って口に運んでみた。


 そうして今度は慎重に味わい、嚥下する。


「――美味いじゃねぇか!!」


 対面のフィオナを見て、思わず叫んでしまった。


 どうしたことだ? これは現実か!?


 命の危機から解放された俺は、しばらく呆然と考え込んでしまった。そんな俺に、フィオナはふふんっと得意気に胸を張る。


「でしょ? 前はちょっとだけ失敗しちゃったけど、今度はちゃんと作ったんだから!」


「いや、前のは断じてちょっとだけ失敗という次元じゃなかったと思うが……何でいきなり上達したんだ?」


「お母さんに習ったのよ」


 フィオナの母親……というと、アリサ女史のことか。


 実は近所にあるアッカーマン商会系列の食料品店で、アリサ女史とは会ったことがある。普段、その店にアリサ女史が足を運ぶことはほとんどないのだが、どうやら俺と話をするために待ち構えていたらしい。それで店の応接室に通されて、フィオナを立派な木剣職人にしてくれと頼まれたのだ。


「なるほどな……」


 と頷くと、フィオナは恥ずかしそうに頬を染めて、視線を逸らしながら言う。


「っていうか、当たり前でしょ? アンタには感謝してるって言ってるのに、私だって、前みたいな料理を食べさせようとは思わないわよ、さすがに」


「おお、そうか……」


 そりゃあ、そうだよな。


 フィオナは性格にきついところもあるが、感謝の贈り物に殺人料理を食わせるような性格破綻者ではない。冷静に考えれば、フィオナから感謝していると告げられた時に気づくべきだった。


 とにもかくにも……良かったぜ。


 俺は心底安堵しながら、スープをもう一口食べる。それは素朴だが飽きの来ないような温もりのある味をしていた。


「他の物も食べてみてよ」


「ああ、そうだな」


 フィオナに言われ、他の料理にも手を伸ばす。


 まずはサラダをフォークで口に運ぶ。瑞々しい葉野菜の食感が楽しい。上にかかっているドレッシングはシンプルだが口の中をさっぱりさせてくれるような、爽やかな味と香りがした。


「これは……果物か?」


「うん。オレンジの果汁と果肉を使ってるのよ」


 オリーブオイルに酢と塩と胡椒、それからオレンジを使ったドレッシングらしい。


「へぇ、美味いな」


「ふふんっ、そうでしょ!」


 得意気に笑うフィオナだが、これは反論の余地もない。使っている素材も良いのだろうが、野菜自体の味を邪魔しないドレッシングも良い。


 そう、サラダはこういうので良いんだよ、こういうので。


 次に俺は、見慣れない肉料理に手を伸ばす。


「何か見ない形だが、これって何の肉だ?」


「挽き肉よ。使ってるのは豚と牛ね。アーバルハイトの王都圏で今流行っている料理で、挽き肉に玉ねぎと、つなぎにパン粉を使って丸めて、焼いた料理なの」


 挽き肉か。


 通常、挽き肉というのは肉を加工した時に出た、色んな部位の切れ端などをミンチにしたもので、質はあまり良くない。人口の多い王都圏だと食肉は貴重だろうから、そういう物を無駄にしないために考案された料理なのだろうな。


 だとすると、味は二の次になっていそうだが……フィオナは味に自信があるようで、得意気に説明を続けた。


「元々は庶民の料理だったんだけど、今では良いお肉をわざわざ挽き肉にして作って、高級料理店でも出されるくらいよ。柔らかくて食べやすい肉料理ってことで、王国貴族たちの間でも人気らしいわ」


「良い肉を挽き肉にねぇ……何か本末転倒って感じもするが、人気ってことは美味いってことなんだろうな」


 俺は珍しいその料理を、ナイフで一口大に切り、フォークに刺す。


 確かに、肉だというのにずいぶん柔らかい。切った先からやけに大量の肉汁が噴水のように溢れ出す。ステーキならあり得ない肉汁の量だが、この料理はこういうものなんだろう。


 断面を見ると、どうやら生焼けというわけではなさそうだが、真っ赤な色をしていた。そういえば、肉にかかっているソースも、少し赤い。


「スープもそうだが、王国の料理には赤い料理が多いんだな。これ、トマトの色か?」


「ソースにはトマトも使ってるわね。だけど、他にも色々あるわよ。ちょっとだけアレンジしてみたの」


「へぇ、そうなのか」


 頷きつつ、俺は切り分けた肉を口に運んだ。


 目を閉じて味わうように咀嚼する。初めて体験する未知の味に、俺は咀嚼しながら、思わず何度も頷いてしまった。


「うん……うん……」


 そして、ごくりと、嚥下した。


「うん……!!」
































「――何処だ? ここは?」


 気がつくと俺は、やけに綺麗な花畑の中にいた。


 なぜか記憶が曖昧で、ついさっきまで、自分がどこで何をしていたのかも思い出せない。


 状況を確認すべく周囲を見回すと、花畑の近くを川が流れていた。水はかなり透き通っていて、横幅は20メートルくらいあるのだが、水深はそれほどでもなさそうだ。たぶん、歩いて渡れるくらいだろう。


「草原階層……でも、なさそうだな」


【神骸迷宮】の草原階層には、美しい花畑が広がっているエリアもある。だが、ここのように地平線の果てまで花畑に埋め尽くされているわけではない。視線の先には必ず、森か草原が目に入るはずだ。


 だからここは草原階層じゃない。


 ならば何処かと問われると、答えに困るのだが。


 俺は何となく、川の方へと近づいた。理由はない。あるいは何かに呼ばれているような気がしたのか。


 その予感は、正しかった。


「ぉ――――ぃ!」


「ん?」


 川のそばまで近づいた時、そよ風に乗って、何か音が聞こえた。自然の音とは違うそれに、耳を澄ますと……、


「お~い、アーロン!」

「こっちよ~!」

「アーロンったら、こっちだってば! こっち!」


「え……」


 音――いや、声は、川の向こうから聞こえていた。


 見れば、いつの間にか川向こうに何人かの人影が見える。彼らはどうやら、俺に向かって手を振っているようだった。


 そしてそれは、全員が見覚えのある懐かしい顔で……。


「親父……お袋……。それに、姉ちゃん……?」


 懐かしい家族たち。


 しかし、そこにいたのは家族だけではない。


「アーロン!」

「そんなとこで何やってんだよ!」

「早くこっち来いよ!!」


「お前ら……!!」


 なぜかリオンだけがいないが、それは懐かしき≪栄光の剣≫の面々だった。


 なぜか、ずいぶんと久しぶりに彼らの顔を見たような気がする。


 俺はわけもなく嬉しくなって、呼ばれるままに、急いで川を渡ることにした。


「アーロン、コッチダヨー!」

「コッチ、コッチー!」

「ハヤク、コイヨー!!」


 何か声に違和感を覚えたが、そんなの関係ねぇ!


 家族や親友たちの顔が、なぜか突然逆光になって良く見えないが、そんなの関係ねぇ!


 川向こうにも広がっていたはずの花畑が、いつの間にか荒野に変貌しているが、やはりそんなの関係ねぇ!!


 俺は、皆に、会うんだッ!! 皆と面白おかしく暮らすんだ!!


「ああ……! 今、行くぜ!!」


 俺は川の中に足を踏み入れ、向こう岸へ向かって進み始める。


 だが、その瞬間だった。


「なん、だ……ッ!?」


 川の水が意思を持ったみたいに急激に盛り上がると、見上げるほどの巨大な人型へと変じていく。


 長い髪をポニーテールにした、胸のささやかな、エロい尻をした女の姿だ。


 そいつはなぜか、両手に巨大なナイフとフォークを握っていた。


『アーロン……』


 そいつは巨大なフォークを振りかぶり、


『ワタシノリョウリヲ、タベナ――――サイッ!!』


 勢い良く振り下ろして来て、


「や、やめろぉおおおおおおおおッ!!」


 なぜかオーラを出せない俺は、それを回避することができなかった。


「グボォェッ!!?」


 巨大なフォークが俺の腹を貫き、灼熱のような激痛が走る。


 そして――。



 ●◯●



 ――目覚めた。


 何か、夢を見ていたような気がする。たぶん、悪夢の類いだと思うが、良く思い出せない。夢の記憶は急速に薄れていく。


 目を開けると、どうやらそこは自宅のリビングで、俺はソファの上で横になっているようだった。


 しかも……、


「あ、アーロン、起きた?」


「……フィオナ?」


 上からフィオナが見下ろしてくる。


 体勢を考えると、どうも俺は、フィオナに膝枕をされているらしい。


 状況が掴めない。意識を失う前の記憶を思い出そうとすると、なぜか頭の奥が痛んだ。


「――――ッ、俺は、何でここに……? いつ、帰って来たんだっけか……?」


 ぼんやりとしながらフィオナに聞くと、なぜかフィオナは驚いた表情をした。


「お、覚えて、ないの……?」


「ああ……何か知らんが、記憶が曖昧でな……。イオとガロンと11層に行って、地上に帰って来たところまでは、覚えてるんだが……」


「そう……」


 俺の言葉を聞くと、フィオナは頷いて少しの間、考え込んでいた。


 そしてなぜか意を決したような顔をして、俺がここで寝ていた理由を説明し始める。



「えーっと、なんか、迷宮ですごい疲れたとか言って、帰って来た時にはもう、すごい眠そうだった、わよ……?」



 喋っている間中、なぜか視線だけは、ずっと逸らしていたんだが。


「そう……なのか? 確かに、イオの奴が張り切りすぎて、大変だったが……」


「そ、そうそう! イオさんが頑張りすぎて、疲れたって言ってたわ! それで、ソファに横になるなり、寝ちゃったのよ!」


「そうだった、か……? いや、そうだったかも、な……」


「そうよ! そうそう!」


「岩鉄」を使った【気鎧】でイオの雷鳴魔法を受け続けたのは、自分でも気づかないほどに負担になっていたのだろうか。イオの奴も殺気満々で撃ってきやがったし、知らず知らず、精神的にも疲れていたのかもしれない……。ほら、俺って繊細な人間だし。


「でも、何で膝枕……?」


 俺から頼んだとは思えんのだが。


 問うと、フィオナは視線を彷徨わせながら答えた。


「そ、そそそ、それはッ! えーっと……そう! アンタが寝苦しそうだったから、枕がないせいかと思って、膝枕してあげたの!」


 何だその理由?


 そんなことある?


 ……いや、もしかしたらあるかも……うん……良く分かんないけど。


 ……ダメだ。なぜか全身がダルくて思考が纏まらない。


 ともかくフィオナに礼を言って、俺は起き上がろうとした。


「そうか……ありがとな。今、退く……ッ」


 力を入れて頭を持ち上げようとしたが、途中で力尽きて、フィオナの太ももに頭を戻してしまった。


 どうも、自分で思う以上に疲労してしまっているらしい。歳を取ると疲れが抜けにくいとは言うが、こういう感じなのか?


 なんか、激しい戦闘を体力の限界まで繰り広げた後みたいな、あるいは高熱を出してぶっ倒れた時みたいな、凄まじいダルさなんだが。もしかして、風邪でもひいたか?


「悪い、フィオナ。なんか、動けないみたいだ……。しばらく、こうしてても良いか……?」


「う、うん。もちろん、良いわよ。えっと……疲れてるみたいだし、もう一眠りしたら?」


「ああ、すまん……そうさせて、もらう……」


 もう眠気が限界だ。


 俺はフィオナに答えて、ゆっくりと瞼を閉じる。


 その直前、ふと横を見ると、ローテーブルの上に、なぜか大量の空き瓶があった。


(ポーションの空き瓶か……? 何で……?)


 思考が答えを結ぶ前に、意識がぼやけていく。


 眠りに落ちる寸前、さらり、と髪が撫でられた感触がして、フィオナが何かを言った気がしたが、聞き取ることはできなかった。



「――おやすみなさい。……夕飯は、また今度ね」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る