第99話 「期待してるぜ?」


 ――フィオナ・アッカーマンは料理が得意である。



 いや、得意というのは少し語弊があるだろう。


 より正確に言うならば、こうだ。


 ――フィオナ・アッカーマンは、料理が得意だと自負している。


 なぜフィオナがそう思っているのか、その理由は彼女の実家にある。かつて暮らしていた異国の実家ではなく、幼くして移り住むことになった、ネクロニアにある母方の実家のことだ。


 アッカーマン商会と言えば、ネクロニア市民ならば知らない者はいないはずだ。


 それなりに規模の大きな商会であり、本店のみならず系列店がネクロニア市内に何店舗も存在するため、一度でも利用したことがある者は非常に多い。なぜならば、アッカーマン商会が扱う商品は、日常生活と密接に関係した商品ばかりだからである。


 いったい何の商品を取り扱っているのか?


 一言で言えば、「食」に関する商品だ。


 他国から仕入れた様々な食品、調味料、香辛料に、調理器具から食器まで、食に関係する物ならば手広く扱っている。市内での食料自給率が10パーセントにも満たないネクロニアにおいて、このように食料品を扱う商会は幾つも存在するが、中でもアッカーマン商会は間違いなく大手と呼べる規模にあった。


 ――さて。


 ここまで説明すれば、フィオナの自信の源にも察しがつくだろうか?


 フィオナは食に関する大商会の、令嬢と言っても過言ではない立場にある。そして幼い頃から美食には多く触れてきたし、商会が取り扱う様々な食料品の知識もあった。


 それだけではない。


 良質な食材を卸すアッカーマン商会は、市内でも有名な高級料理店のコックたちと深い付き合いがある。時には普段仕入れていない食材を取り寄せられないかと、熱心に相談されることも多かった。


 それゆえにフィオナは、幼い頃から実家に訪ねてきた超一流のコックたちと話す機会が度々あり、料理の仕方やコツなどを幾つも聞いて育ってきたのだ。



 ――もちろん、料理の経験は一度もない。



 だが、数多くの美食を知り、世界各地の食材に関する知識を熟知し、超一流のコックたちから料理のコツを聞いてきた――そんな自分なら、食べた人を……たとえば、テーブル越しに対面で食事を取っている男を、思わず笑顔にしてしまうような、そんな美味しい料理を作ることができるはずだ、とフィオナは思った。


 フィオナがアーロン・ゲイルに本格的に弟子入りしてから、おおよそ一か月が経とうかという頃である。


 アーロンの家に泊まることも多くなり、その際には今日のように夕食を一緒に取る。屋台などで買って来たものを食べることもあるが、どちらかと言えば、アーロンが作った夕食をごちそうになることの方が多かった。


 この状況に、フィオナも思うところがないではない。


 料理は女がするべきなどという、時代錯誤な考えはフィオナにはないが、それでも男を落とす手法の一つとして、古くから手料理という手段が使われてきたのは事実だ。言うなればそれは、女が男を狩るための狩猟道具の一つなのである。


 美味しい料理を作れるからと言ってモテるとは限らないが、料理が下手なよりは、上手い方が良いのは確かだろう。


「…………」


 ぱくり、とアーロンの作ったスープを口にしながら、フィオナは決意した。


 一人暮らしで自炊歴が長いせいか、アーロンは妙に料理が上手い。今食べている夕飯も、美食を知る自分からしても美味しいと思える完成度だ。


 だが、それでも、きっと自分の方が美味しい料理を作れるはずである。


 もちろん、料理を作ったことなど一度もないが、フィオナにはその自信があった。


「――アーロン」


「ん? どうした?」


 対面に座るアーロンが顔を上げる。


 フィオナは言った。断固とした口調で。


「いつもご馳走になってばかりなのは悪いし、明日の夕飯は私が作るわ」


「おお、そいつは殊勝な考えだな。……まあ、じゃあ、せっかくだし頼むか」


 一瞬、フィオナの申し出に目を丸くしたアーロンだったが、すぐにニヤリと笑って頷いた。


「期待してるぜ?」


「ええ、存分に期待してなさい」


 フィオナはふふんっと胸を張った。


 きっと明日の今頃は、私の料理のあまりの美味しさにアーロンは驚いているだろうと確信しながら。



 ●◯●



 翌日である。


 昼に実家の商店から大量の食材を買い込んだフィオナは、余裕をみて、少しだけ早い時間から夕食の準備に取りかかることにした。


 アーロンには料理が完成するまで、気が散るから見ないように告げて、キッチンへと入る。


 そうして調理が開始された。


 今日作るメニューは、スープとサラダとメインに肉料理だ。主食となるパンだけは買って来たものになる。人口が多く住居が密集しているネクロニアにおいて、パンを自分の家で焼く家庭はほとんどないのだ。


 なので一番手間がかかるのは肉料理……ではなく、スープだろう。


 フィオナは数あるスープの中でも、一番自信のあるスープを作るつもりだ。


 アーバルハイト王国の辺境地域に伝わる郷土料理の一つで、「ミネストロ」と呼ばれる。元はたくさんの具材をごちゃまぜにしたスープという意味合いだったが、今ではトマトを使ったスープとして有名だ。


 スープに入れる具材は各家庭によって違うが、フィオナは幼い頃から母が時折作ってくれた「豪華なミネストロ」が大好物だった。


 鶏肉に玉ねぎにニンジン、そしてジャガイモがゴロゴロと入って、とろみのついたスープが美味しい「ミネストロ」だ。


 まずはそれを作るため、実家から持ってきた大鍋に大量の水を張り、魔道コンロで火にかけた。


 いったい何十人分のスープを作るのかという大きさだが、探索者は一般人と比べて大食漢だ。それに美味しすぎて手が止まらなくなってしまうかもしれない。多少、多く作っても問題はないだろうとフィオナは考えた。


「豪華なミネストロ」の材料は、先に挙げた鶏肉と野菜類の他に、塩や油などの調味料、乾燥ハーブの粉末を散らしたり、煮込む時にハーブを使ったりもする。家庭によってはニンニクを効かせたスープもあり、バリエーションは様々だ。


 では、今回のミネストロの具材は、もちろん基本に忠実な材料……かと言うと、


「ふふんっ! ただのミネストロじゃつまらないし、今日は「超豪華なミネストロ」を作るわよ!」


 キッチンのテーブルの上に、ストレージ・リングから取り出した山のような食材を見下ろして、アーロンが普段使っている少し大きめのエプロンを身につけたフィオナは、得意気に言った。


「豪華なミネストロ」であれだけ美味しいのだ。


 ならば、「超豪華なミネストロ」はさらに美味しくなることは間違いないだろう、と。


 ――ちなみに。


「ミネストロ」を作る時は、鍋にオリーブオイルなどをひき、野菜や肉などの具材をある程度炒めてからトマトの水煮などを加え、トマトを潰しながら混ぜ合わせ、それから水を加えて煮込む。


 ……お分かりだろうか?


 フィオナがやったように、鍋に最初に水を張ったりしないのである。


 いやいや、だがまあ、別のフライパンで炒めた物を鍋に投入するならば、まだ巻き返しは可能だ。まだ慌てるような失敗ではない。


「さて、まずはスープのベースね」


 ミネストロのベースとなるのは、炒めた野菜やベーコン、あるいは鶏肉などの肉類から出る旨味と、何と言ってもトマトである。


 しかし、スープの完成度をさらに高めたいと考えたフィオナは、ここに出汁を取るための新たな材料を投入することを思いついた。


「美味しい出汁は鶏ガラから取るのよ!」


 というわけで、フィオナは大きな鍋の中に、大量の鶏ガラ(鳥の骨のこと)を投入する。


「素人なら、ここでこのまま煮込むでしょうけど……」


 数多のコックたちから教え(?)を授かってきたフィオナは知っている。動物のガラを煮込む時には、特有の獣臭さを取るために香味野菜などを一緒に煮込むと良いと。


「私は、ここで玉ねぎとブーケガルニを入れるわ」


 ブーケガルニとは、数種類のハーブを糸で一纏めにしたものである。


 フィオナはブーケガルニを鍋の中に投入し、続いて5個の玉ねぎも投入した――外側の茶色い皮が付いたまま。


 だが、これには理由がある。フィオナは知っているのだ。


「玉ねぎの外側の茶色い皮は、香りが強いからそのまま煮込むと良いのよね」


 オニオンスープなどを作る時、そういう手法を使うコックがいるのも事実だ。そして当然だが、茶色い皮は後で取り除くことになる。


「でも、この茶色い皮って食べられるのかしら?」


 まあ、フィオナがそのことを知っているかどうかは、また別問題なのだが。


 それでも普通なら取り除くだろう。そう思って、フィオナにこの話を教えたコックも、わざわざ言及することはなかったのだから。


「…………意外と、美味しいのかもしれないわね」


 フィオナに好き嫌いはない。好き嫌いをするなど、言語道断である。


「……もう面倒だし、具材を全部入れようかしら?」


 フィオナは鶏ガラと丸ごと香味野菜で出汁を取ったスープを、濾すことなくそのまま調理続行するという暴挙に躍り出た。果たして鶏ガラや玉ねぎの皮やブーケガルニは、後で取り出してくれるのだろうか?


 そして鶏ガラを煮込めば当然、大量の灰汁が出るのだが、不思議とフィオナが灰汁を取った場面が存在しない。


 不思議だ。なんて不思議なんだ。


「えーっと、まずは良く洗ったニンジンとジャガイモを一口大に切って……」


 フィオナはダン! ダン! ダンッ! と、テンポ良くニンジンとジャガイモを大胆な大きさに切っていく。一口大という言葉の意味が、もしかしたらフィオナと一般人では違う可能性がある。


 え? 皮?


 野菜の栄養は皮に一番あるんですよ? という言葉が免罪符になれば良いと思います。


「次は鶏肉ね」


 フィオナは鶏肉を切る、斬る、キル!!


 そして豪華な大きさに切り分けた鶏肉を鍋に投入した。


「普通ならこれで全部だけど、今日は「超豪華なミネストロ」だからね!」


 次に取り出したるは、海産物だ。


 料理マイスターと自負するフィオナは知っている。山の旨味と海の旨味は、一つになることで相乗効果をもたらすということを。


 なので普通は使わない海の食材も、今回のスープには入れるつもりだ。


 その内の一つは海老。分厚い殻のついた、大きな海老である。


「まずは殻を剥いて……」


 フィオナは海老を解体し、殻の中から身を取り出した。ぷりっぷりの海老の身を、鍋の中に投入する。え? 背ワタ? 当然取り除いていないが、むしろ殻を外したことを褒めるべきだろう。


「次に魚ね。確か……頭とか骨とかも、出汁が出るのよね?」


 ダン! ダン! ダンッ!! と、フィオナは大きな魚を分割した。


 ちなみにこの魚、アッカーマン商会が所有しているストレージ・リングに収納されて運搬されてきたので、非常に新鮮だ。内部の物が劣化しないという【状態固定】の効果が付いたリングで、とても高価なのである。


 それゆえか、魚は何の下処理もされていない状態だった。すなわち、内臓なども抜かれていない。


 先ほどの豪快な音からも察せられる通り、フィオナは魚をぶつ切りにしただけである。


 そしてこの魚、実はとても硬い鱗に覆われている。通常、料理する時には全身の鱗を包丁で剥がなくてはならない。しかしフィオナの包丁さばきにかかれば、硬い鱗など何のその。鱗ごと一刀両断である。


 その後、食材というよりはバラバラ死体に仕立てられた魚は、当然のように鍋に投入された。


「えっと……後は、塩で味を整えて……」


 果たして味を整えるとは、この場面ですることなのか? 味を整えるなら最後にするべきではないのか?


 そんな疑問も分かるが、フィオナくらいになると、調理のどの段階で味を整えても良いのだ……。


 ともかく、フィオナは鍋に塩を入れた。


 ザァ――――っと。


 擬音がおかしい? いや、おかしいかどうかは知らないが、少なくとも嘘を吐いてはいない。


「そうだ、トマト! 危なく忘れるところだったわ……」


 ミネストロにとって肝心要のトマトを忘れていた、おっちょこちょいなフィオナさん。


 慌てたように大量のトマトのヘタを取り、一口大に刻むと、鍋に投入した。


 ……わざわざヘタを取ったことから分かると思うが、このトマト、フレッシュトマトである。通常、ミネストロには水煮トマトを使用するが、もしもフレッシュトマトを使用する場合、一度茹でた上で氷水などで締め、トマトの薄皮を剥いた方が良いだろう。


「トマトは潰すのよね、確か」


 フィオナは鍋をかき混ぜていた大きな木ベラで、ガンガンガンッ! と、トマトを他の具材ごと潰し始めた。


 同時に、表面に浮かんでいた大量の灰汁も攪拌されていく……。


「ふぅ……後は隠し味ね……」


 不穏な言葉を呟いて、フィオナは白い粉が入った瓶を手に取った。


 中身は小麦粉ではない。粉末というよりは、小さな結晶体の集まりだ。見た目が似ている物を挙げるなら塩となるが、塩は先ほど投入しているので、塩ではない。


 フィオナはとっておきの知識を披露するように、その正体を明かす。


「甘味は旨味なのよね! 知らない人も多いでしょうけど、料理に砂糖を入れるとコクが出て美味しくなるのよ!」


 甘味は旨味。それ自体は正解だ。味が濃く美味しい料理には、意外なほどに砂糖が使われていることが多い。


 そのことを、フィオナは知り合いのコックから聞いて知っていた。


 なので隠し味として、砂糖を投入だ。


 ザァ――――っと。


 擬音がおかしい? いや、正確に表現したつもりだ。


 ともかく、砂糖を入れて鍋をかき混ぜた後――フィオナは不思議そうに首を傾げた。


「おかしいわね……? あんまり赤くならないわ」


 ミネストロはトマトの赤さが特徴的な見た目の料理だ。しかし鍋の中身は、不思議なことに大して赤くなっていなかった。


「トマトが少なかったのかしら……?」


 そう予想するフィオナだったが、残念なことに、買ってきたトマトは全て使ってしまった。


 何か代わりになる材料はないかとテーブルの上を見回して、フィオナは二つの素材に目をつけた。


「そういえば香辛料もきかせたかったし、これを入れようかしら」


 そう言ってフィオナがザァ――――っと鍋に投入したのは、大量に仕入れてきたレッドペッパーの粉末(注・唐辛子のこと)であった。


 赤みが足りないなら、赤い食材を足せば良いじゃない? というわけである。


 だが、レッドペッパーの粉末だけでは赤みが足りなかった。そこでもう一つ、さらに赤い食材を足すことにする。


「海老の殻には豊富な旨味が含まれているのよね」


 それは鍋に投入した海老の、剥いた殻である。


 大きな海老で、その殻は噛み砕くのも苦労するような分厚さがあった。しかし、料理マイスターのフィオナは知っていた。このような分厚い海老の殻も、料理に利用されることがあると。


 海老の殻には実際に豊富な旨味成分が含まれており、オーブンなどで焼いて乾燥させた殻を、粉末状に砕いた物を使う料理がある。スープに入れたり、焼いたパンにかけて食べたりと、食し方は様々だ。


 その濃厚な海老の風味を好む人も多い。


 フィオナはさっそく、海老の殻をオーブンで焼き、乾燥させると擂り鉢に入れてゴリゴリと砕き始めた。


 だが……、


「おかしいわね、サラサラにならないわ……」


 砕いた海老の殻は、サラサラの粉末にはならず、ドロドロの何かに変わった。


 原因は乾燥が不十分だったことと、海老の頭も使ったことだろう。海老の頭の内部にある海老味噌が、ドロドロの原因だった。頭も使う場合は乾燥しにくいので、より長く乾燥させる必要があるのだが、フィオナはそんなことは知らない。


「まあ、でも、スープに入れちゃえば一緒でしょ」


 どうせスープに投入するつもりなのだ。ドロドロだから何だというのだ。何も問題はない。


 ……殻が、ちゃんと全て粉末になっているのならば、だが。


「他に買ってきた香辛料とかも入れて……」


 そしてフィオナは、手当たり次第に購入してきた香辛料などもザァ――――っと入れる。


「最後に、これね」


 本日のミネストロに入れる、最後の食材に目を向けた。


 それは山と積まれたニンニクである。


 フィオナの母が作るミネストロにはニンニクは使われていなかったが、敢えて今回は、大量のニンニクを使うつもりなのだ。


 なぜならば……、


「ニンニクには、精力増強効果がある……のよ、ね?」


 何となく、本当にまったく他意はないが、フィオナは頬を赤らめた。


 精力増強効果があるから何だというのか。これはあくまで、隠し味の一つであり、それ以外に理由などないのである。


 ともかく!


 フィオナはニンニクを入れた。大量に入れた。10玉のニンニクを全部入れた。念のために言うが、「10片」のニンニクではない。「10玉」のニンニクだ。それを全部、すりおろして鍋に入れた。


 ところで、ニンニクに関する豆知識をご存じだろうか?


 ニンニクには非常に強力な殺菌作用があり、少量ならば問題はないが、大量に摂取すると人体に多大な影響を及ぼす。具体的に言うと、ニンニクを一度に大量に食べると、尋常ではない腹痛が襲いかかり、最悪の場合は死に至ることもある。


 これは冗談でも何でもないので、ニンニクを大量に食べる際には十分に注意していただきたい。


「さあ! これでスープは完成ね!」


 フィオナはニンニクを入れ終えた鍋をかき混ぜ、ひと煮立ちさせると、達成感に満ち溢れた顔でそう言った。


 だが、料理はまだ終わりではない。


 まだサラダと肉料理がある。


 とはいえ、こちらはアーロンもフィオナも結局食すことはなかったので、詳細な説明は省かせていただこう。


 ただ、簡単に説明するなら。


 野菜にはシュウ酸が含まれ、生で食べるには適さないものがあるということ。


 ドレッシングに魚醤を使うのは良いが、食べ慣れない人には本当にキツいということ。使うにしても、大量に使ってはいけないということ。どう考えてもドレッシングのオイルにラードを使うべきではないということ。


 実は一週間以上前から、今日の料理を計画していたフィオナであるが、お肉の熟成と腐敗は常に紙一重であり、素人が手を出してはいけないということ。


 ――などなど、である。


 そしてフィオナがスープを完成させてからおよそ二時間後、実食の時は来た――。



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