第98話 「死ねぇッ!!」
タイラー氏がクラン≪木剣道≫の工房へ取材に訪れた翌日。
その日もクランメンバーたちに木剣製作の指導を終えると、もう夕方になろうかという時刻に、俺とイオとガロンは【神骸迷宮】の中に入った。
【封神殿】の転移陣から向かうのは、第11層――草原階層だ。
とは言っても、今日は木材を集めに来たわけじゃないし、そもそも探索に来たわけでもない。
ここに来たのは、とある実験……あるいは、性能試験をするためだ。
「この辺りで大丈夫だろう。見晴らしも良いし、他に探索者がいればすぐに気づく。間違って巻き込む危険性もないはずだ」
11層の転移陣からしばらく移動したところで、イオが足を止めてそう言った。
俺とガロンも続けて足を止め、周囲を確認してから頷く。
「そうみたいだな」
「確かに、夕刻に転移陣近くを彷徨いている探索者も、少ないでしょうね」
ここならば良いだろうと、俺とガロンはイオへと、それなりに距離を開けて対峙した。
そうして俺は木剣を、ガロンは盾をストレージ・リングから取り出す。
ただし、俺たちが取り出したのはただの木剣ではないし、ただの盾でもない。それらは両方ともが、薄茶色で半透明な結晶体によって形作られていた。
これが何かと言えば、答えは簡単だ。
昨日タイラー氏が工房まで持って来てくれた、『地晶大樹の芯木』によって作られた剣と盾である。敢えて言うまでもないだろうが、どちらも俺が作った代物だ。
ちなみに銘は木剣の方は「岩鉄」、盾の方は「地晶盾」と名付けた。
……え? ああ、盾の名前? もちろん、テキトーだが?
――ともかく。
この「岩鉄」なのだが、作ること自体はそんなに難しくはなかった。
素材の性質としては地属性を宿す以外だと、非常に頑丈だということくらいで、『エルダートレントの芯木』と『重晶大樹の芯木』の、ちょうど中間くらいの硬さがあるだろう。
それに『氷晶大樹の芯木』のようにガラスのような性質というわけでもなく、加工していて割れやすいということもないし、「黒耀」よりは重いのだが、過度に重すぎるということもない。
自動的にオーラに地属性が乗ってしまうことを許容できるなら、「岩鉄」は「黒耀」の上位互換として普段使いできるような、癖の少ない代物になった。
素材の加工難度としても、もしも「白銀」を作るより前に加工していれば、それなりに苦戦はしただろうが、今の俺ならば問題なく剣や盾として加工できる程度の難易度だ。
だから特に苦労することもなく、昨日の内に「岩鉄」と「地晶盾」を完成させることができた。
――で。
なぜ今日、完成したばかりの「岩鉄」と「地晶盾」を持って11層までやって来たのかと言うと、先ほども言った通り、性能試験を行うためだ。
性能試験ならギルドの訓練場でも良いじゃないかと思うかもしれないが、今回は少々「派手」なことになる予定だし、訓練場だといちいち貸し切りにしないと他の探索者たちに被害が出てしまう。それは面倒なので、こうして迷宮までやって来た――というわけだった。
「さて――それじゃあ二人とも、準備してくれ」
「了解だ」
「分かりました」
離れた場所に立つイオが、「聖樹の杖」を両手で握り地面に突き立て、俺たちに言った。
俺とガロンは頷いて、「準備」をする。
具体的に言うなら、俺は【気鎧】を全身に纏い、ガロンは【ドーム・シールド】を発動した。
ただし、二人揃って展開されたオーラは、いつもとは違う色をしていた。
通常、無属性のオーラは薄青いというか、少し青白いような色をしている。しかし、今展開されている俺の【気鎧】も、ガロンの展開しているオーラの繭も、薄茶色の光に変化していた。
理由は当然、「岩鉄」と「地晶盾」だ。
俺は【気鎧】のオーラを「岩鉄」を通して全身に纏ったゆえに。ガロンは「地晶盾」を通して【ドーム・シールド】を発動したがゆえに、オーラに地属性が付与された結果である。
そう。
今回の性能試験は、単純に「岩鉄」と「地晶盾」の性能試験――というわけではなく、より正確に言えば、地属性を付与した防御スキルの性能試験、といった感じなのだ。
それも様々な攻撃に対してではなく、とある特定の攻撃に対して、どれほどの防御性能を誇るのかを調べる必要があるのだった。
「イオ、準備完了だ」
「こちらも、完了です、イオさん」
地属性を付与したオーラを纏って、俺とガロンはイオに告げた。
対するイオは、珍しく自信なさげに苦笑しながら頷いた。
「雷鳴魔法のような特殊属性は苦手なのだがね……」
と、弱々しい口調で呟く。
そんなイオの様子に、ふと、俺はイオに関する噂話を思い出した。
イオ・スレイマンのジョブは、言わずと知れた『賢者』だ。
そのジョブの性能は、空間魔法以外の、全ての魔法属性を扱うことができる――という破格な代物。
これだけ聞けば、他の魔法使いジョブに比べて、あまりにも『賢者』だけが強力すぎるようにも思えるが……真実はそうじゃない。むしろ逆だ。
イオがまだ上級探索者に過ぎなかった頃、固有ジョブ『賢者』に目覚めた彼は、このような二つ名で呼ばれていた。
曰く――「器用貧乏」、と。
魔法使いはスキルの代わりに「術式」を修得していく、という話はしたと思う。そしてこの「術式」だが、修得できる数は当然ではあるが無限ではないし、『賢者』と他の魔法使い系の固有ジョブを比べて、特段に『賢者』の方が多く修得する――というわけでもなかった。
だいたい他の固有ジョブに比べて、2倍。
それが『賢者』の修得する「術式」の数だ。
使える魔法属性の数を考えれば、すぐに気づくだろう。『賢者』というのは他の魔法使いジョブに比べて、一属性当たりの魔法構築に使える「術式」の数が、非常に少ないのである。
それゆえに何もかもが中途半端になりかねない。
『賢者』というのは、そういう危険を孕んだ「外れジョブ」だったのだ。
だが、イオは凄まじい努力を重ねてそんな評価を覆した。魔法構築の速度、敵に対して確実に有利を取れる属性の選択、足りない【拡張術式】を膨大な魔力や複数属性の融合で補うなど、考えられる工夫は全て行ったらしい。
そうして現在、イオはネクロニア屈指の実戦魔法使いとして名を馳せている。
――とはいえ、そこにはどうしても限界がある。
純粋に一つの属性に絞った攻撃魔法を使った時、イオは特化した固有ジョブの魔法使いには及ばない。特にイオ自身が口にしたように、氷雪、雷鳴、重力などの特殊属性魔法に関しては修得できた【拡張術式】が非常に少ないらしく、苦手としているようなのだ。
それゆえに今まで何度も探索を共にしてきた俺も、イオがそれらの魔法を使っているのを見たことはない。
だが――そもそも雷鳴魔法を使える魔法使い自体が稀少だ。
今回の性能試験は、やはりイオに協力してもらう必要があった。
「ウチのクランでも雷鳴魔法が使えるのはイオだけだろ? 観念してよろしく頼むぜ。準備にはどれだけ時間かけても良いからよ」
「そうか……それでは、頑張って試験になる程度の魔法は構築してみせよう」
イオは頷き、両手で握った「聖樹の杖」に膨大な魔力を注ぎ始めた。
「おいおい、いきなりやる気だな」
と、俺は思わず苦笑する。
それだけの魔力を注げば、下級魔法でさえかなりの威力になるはずだ。まあ、魔力を注いで魔法を強化するには、単純に【拡張術式】を入れるか、魔力の精密操作、あるいは強靭な術式結合を維持するなど、様々な要素が必要になるから、意外と難しい技術なのだが。
「そうだ、アーロン」
「何だ?」
ふと、何かを思い出したような態度でイオが言ってくる。
その間も、杖に注がれる魔力は一向に止まらない。……ちょっと、魔力込めすぎじゃないか?
「こんな時に言う必要はないかもしれないが、言わせてくれ」
「何のことだ?」
ふっと、イオは微笑した。
「君の考案したふざけた修行法で、とっくに限界まで成長し切っていたと思っていた私も、まだまだ成長できると分かった……」
実はイオの左手には『限界印』がすでに浮かんでいる。それは≪迷宮踏破隊≫が結成されるよりも前からだ。
だから『限界印』が浮かんだ自分は、これ以上成長できない……イオはそう思っていたのかもしれない。
「そうだな……こんなことを言うのは少し気恥ずかしいが……嬉しいのだよ、成長できることがね。それもこれも、君のおかげだ、アーロン、ありがとう」
「へっ、よせやい。照れるぜ……」
面と向かって感謝されて、俺は思わず頬を赤くしてしまった。
何だよ、イオの奴……そんなふうに思ってたのかよ。改めて礼を言うなんて水くせぇ真似しやがって……。
「そして、アーロン。君のふざけた修行法が、良質な木剣を作ろうと努力するからこそ、際限なく修行の負荷が増大し、修行効率を高めることも、今では理解できたよ……」
イオはどこか遠い目をしながら、「聖樹の杖」に魔力を注いでいく。すでに並みの魔法使いなら、注がれる魔力に耐えきれず、魔法術式が崩壊するような魔力量だ。
パリッ、パリッ――と、先駆放電のように「聖樹の杖」から細い雷が周囲へ無秩序に走り始めた。
えーっと、さすがに、もう魔力は注がなくて、良いのでは?
「い、イオ…………さん?」
「――だが」
俺の呼びかけにも、イオは応じない。完全に一人の世界に入っているような、夢現な眼差しをして言葉を続ける。
「木剣が好きな君やフィオナ嬢には良いのかもしれないが、特に木剣に興味のない私のような者にとってはねぇ、増大する負荷は苦痛でしかないのだよ。まだクランを結成して日も浅いというのに、最近では木剣しか作っていないような気がする。昨日の夜など、夢の中でまで木剣を作っていた始末だ……」
「イオさん? イオさん? ちょっと、もうその辺で……」
次の瞬間、穏やかだったイオの表情が、態度が一変する。
まるで爆発したように、激しい声音で叫んだ。
「――アイデンティティが揺らぐんだッ!! 私は木剣職人ではない! 探索者だッ!! 魔法使いだッ!! それなのに何だ!? 昨日のアレはッ!?」
「あ、あれと申しますと……?」
俺は思わず気圧されていた。
この現象は、アレだ。いつも穏やかな人がキレると恐いという、アレだ。
「決まっているだろう!! 取材だ! 取材ッ!! 何のつもりで取材なんぞ引き受けたッ!? しかも木剣専門雑誌だと!? ふざけるなッ!! 私たちのクランは木剣工房ではないッ!!」
「た、タイラー氏には昔から世話になっていて、断り切れなかったというか……それにほら、『地晶大樹の芯木』を大量に仕入れるのにも、協力してもらったわけだし……」
「うるさいッ!! そんなことなどどうでも良いッ!!」
「ええッ!?」
めちゃくちゃだな!? キレてる奴には何を言っても無駄なのか!?
そんなふうに戦々恐々としていた時――ふっと、本当に唐突に、イオの態度が穏やかなものに戻った。
「――とまぁ、色々言ったが、私が言いたいのは一つだけだ」
不満を口に出したことで、すっきりしたんだろうか。
イオは穏やかな微笑を浮かべ、魔力を注ぎに注ぎまくった杖を天へ掲げた。
「アーロン…………死ねぇッ!!」
――いや何でだよッ!?
イオが再び豹変して激しく叫んだ直後、魔法は発動された。
雷鳴魔法――【インフィニティ・サンダーボルト】
それはとある国で対軍魔法として開発された雷鳴魔法である。
正直威力としては特異体ノルドの放った雷鳴魔法には及ばないが、とにかく広範囲を持続的に攻撃し続けることにかけては、こちらの方が上回る。
空から数百の雷が降り注いだ。
まるで世界の終わりのような光景だ。
こんな魔法をギルドの訓練場で放ったら、どれだけの死傷者が出たことか。
迷宮の中で、良かった。
――そんな殊勝なことを思う余裕もなく、逃げ場もない雷の豪雨が襲いかかる。
その直前、隣に立っていたガロンが俺の方を見て叫んだ。
「これっ、僕は完全にとばっちりじゃないかッ!?」
ちなみに。
「岩鉄」の性能試験は十分以上に行うことができた。
普通の【気鎧】だったら死んでたところだぜ。
●◯●
「くそっ、俺が何したってんだ。酷い目にあったぜ……」
「岩鉄」の性能試験が何とか無事に終わり、迷宮から戻った俺は夕焼けのネクロニアを、力なく歩いていた。
イオの奴、想像以上にストレスが溜まっていたらしい。
全力で魔法をぶっぱなした後はすっきりした顔をしていたが、まさか5分以上も雷を落とされるとは想像もしていなかった。
まあ、とにもかくにも。
とりあえず47層を探索するのに十分適した性能を、「岩鉄」や「地晶盾」が発揮してくれたことを、今は喜んでおこう。
俺は無理矢理ポジティブな成果に意識を向けながら、何とか自宅まで辿り着いた。
玄関のドアを開け、家の中に入る――と、途端に奥から足音がパタパタと近づいてくる。
「アーロン、おかえりなさい」
「お、おう、フィオナ。来てたのか……」
足音の主はフィオナだった。
クランの工房を用意した後も、フィオナは変わらずここのアトリエでも作業をしている。というのも、フィオナは現在、普通のトレント材を卒業し、『エルダートレントの芯木』で「黒耀」を作れるくらいに腕が上がっているのだ。
さすがに飾り彫りはまだだが、剣として十分な性能を備えた「黒耀」を作ることには、すでに成功していた。
もう少し上達すれば、たぶん【ハンド・オブ・マイスター】も修得できるのではないだろうか?
いまやフィオナの木剣職人としての腕はそんなレベルにあり、他のクランメンバーと一緒には教えられない。
そしてフィオナ自身もやる気に満ち溢れているのか、クラン外の活動でも俺のアドバイスを受けるために、わざわざウチのアトリエで作業をしにやって来るし、それまでと同じように泊まっていくことも多い。
なので、ここにフィオナがいることは何もおかしくないのだが――、
「新しい木剣の性能試験、どうだったの?」
「あ、ああ……問題なく、47層でも使えそうだったぞ」
そう答えつつも、俺はフィオナの姿から目が離せなくなっていた。
――トゥクンっ、と。
胸が高鳴る。
そして最初小さかったその高鳴りは、一秒ごとに大きくなっていくようだった。
「――なに?」
じっと視線を注いでいる俺に、フィオナは不思議そうに首を傾げた。
「いや……」
俺は思わず言い淀む。
どうしたんだ、俺は? どうしてこんなに、心臓が激しく脈打つんだ? 今日のフィオナを見ていると、鼓動がうるさいほどに、激しく、大きく脈打つ。
心臓の音が、すぐそばのフィオナに聞こえてしまわないか、心配になるほどに。
ばくんっ、ばくんっ、ばくんっ。
痛いほどに強い鼓動。息苦しい。それでもフィオナから視線を逸らすことができない。緊張を捩じ伏せるように、無理矢理に息を吸えば、嗅ぎ慣れたフィオナの匂いに混じって、いつもとは違う香りが鼻腔を刺激した。
俺は唇の震えを悟られないように、慎重に声を絞り出した。
「そっ、それ、似合ってるな」
「あ、これ? ふふんっ、この前買っておいたのよ」
褒められたフィオナは自分の体を見下ろして、それから得意気に笑った。
「そ、そうか……」
ダメだ。呼吸が乱れる。すでに我慢の限界が近い。
このままフィオナに飛びかかり、押し倒してしまいたい衝動に駆られる。もしも手元に、いやストレージ・リングの中に縄でもあったら、俺はフィオナを無理矢理に拘束して、身動きの取れないようにしていたかもしれない。
押し倒し、拘束し、その柔らかな唇を塞いで声が出ないようにしたい。
「いつまでも玄関で話してても疲れるし、早く奥に行きましょ」
「あ、ああ、そうだな……」
踵を返して、俺に無防備な背中を見せるフィオナ。
無意識に伸びかけた手を、俺は意思の力で引き戻す。
赤いポニーテールが揺れている。その度に覗くのは意外な程に細い首筋と色っぽいうなじだ。肩は華奢で、力ずくで押し倒してしまえば、簡単に拘束できるのではないかと思える。
だが、それは幻想だ。戦闘系固有ジョブであるフィオナの身体能力は、初級ジョブである俺を超えている。簡単に拘束することなどできないだろう。
「はあっ、はあっ、はあっ……!!」
だが、それでもなお、俺の手は無意識に伸びようとして――、
「あ、そうそう」
フィオナが振り返り、機嫌良さげに言った。
「夕飯、できてるからね」
と。
作業用の厚手のエプロンではない、調理用の見慣れないエプロンを身につけた姿で。
何か、嗅ぎ慣れない香りが漂う家の中で。
言った。
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