第96話 「やる気に満ち溢れている」


 数十分後、俺が討伐したエルダートレントが復活した。


 迷宮に満ちる魔力が草原の一角へと集束し、光と共に仮初めの質量を構築する。


 反応が始まってから僅か数秒後には、俺たちの目の前で塔のように太く高い一本の樹木――エルダートレントが再生されていた。


「――んじゃあ、フィオナ、頼む」


「……ん」


 それと対峙するのはフィオナだ。


 フィオナは修理から戻って来たばかりのストレージ・リングから、2本の木剣を取り出して両手に下げた。


 普通の木剣よりも華奢で細い細剣タイプの木剣で、巨大なエルダートレントを相手にするには如何にも心細い見た目だ。


 しかし、フィオナは一つ、大きく息を吸うと、覚悟を決めたような眼差しでエルダートレントを見つめた。


 そして戦いが開始される。


 その瞬間だけは、静かだった。


 ゆらりと前方へ体を倒したフィオナが、そのまま転ぶのではないかというほど急激に前傾する。長い髪を靡かせながら、力みのない姿で倒れていくフィオナの動きを目で追えた者は少ないだろう。


 人間の目は、自然と相手の動きを経験に基づいて予測するようにできている。それは逆説的に、動きの起こりに予兆がなければ普段の予測が成り立たず、反応が遅れてしまうことを意味していた。


 予兆とは視線や呼吸、体の各部位に現れる筋肉の緊張だ。


 しかしそれらの予兆が全くない時、人の反応は遅れる。


 だが、それは人間相手の話であって、エルダートレントには通じない。


 フィオナが転ぶように前傾したのは、何も相手の虚を突くのが目的ではなかった。単に動きの起こりは、力むよりも脱力した方が滑らかに素早く動き出せる――というだけの話。


 ただし、脱力からの急激な移動は、エルダートレントの反応さえ遅らせた。



 戦技――【瞬迅】



 倒れかけたフィオナの足裏で、指向性を伴ったオーラが爆発した。


 直後、フィオナの姿は掻き消えるように、その場から移動する。


 一瞬の後にはエルダートレントまであと10メートル、すでに奴の間合いの内側へと侵入を果たしていた。


 実は【神降ろし】を使って今の自分よりも高い技術を体験した影響か、フィオナのオーラ制御力は更なる成長を遂げていたのだ。


 偽天使との戦いで使用していた英雄戦技とやらは再現できないものの、いまや一部、俺の我流戦技を模倣できるまでに至っている。その内の一つが【瞬迅】であった。


 ともかく――急速に接近する敵対生命にエルダートレントが迎撃を開始する。地面の下に蔓延る無数の根を操り、硬く先端の鋭利な根槍を勢い良く突き出した。


 フィオナを貫くために広範囲の地面から一斉に生えた根槍。大抵の相手であれば、その範囲の広さゆえに回避することは困難だろう。


 しかし、今のフィオナにはそれを回避するという意識さえない。


 ――【瞬迅】


 二度目の爆発は、さらにフィオナの突進を加速させた。根槍の広範囲に及ぶ攻撃エリアから、余裕を持って脱出している。エルダートレントの迎撃は全く意味を成さず、ただ虚しく何もない場所を貫くのみだった。


 そしてその頃にはすでに、フィオナはエルダートレントの根本に到達し、左の細剣を巨大な幹の表面へと、深く深く突き刺していた。


 刃もなく、エルダートレントの硬質な幹を貫くには頑丈さも足りない木剣。本来なら突き刺さるはずはない。


 だが、その表面を覆うオーラが不可能を可能にする。


 剣士スキル――【オーラ・ブレード】


 単純にそれだけのスキルではない。


 フィオナが木剣を作る時、常に使い続けてきたスキルだからこそ、【フライング・スラッシュ】と同様、今ではその練度は他のスキルと融合できるほどに高まっていた。合一されたスキルゆえに、剣を突き刺した瞬間に幹の内部でオーラを急速に膨張させる。そのオーラの変化に遅滞はない。


 剣士スキル――【バースト・ブレード】


 突き刺した木剣から流し込まれたオーラが爆発する。


 エルダートレントの巨大な幹の一部に大きな穴が穿たれた。


 しかし、一撃で倒すには至らない。いくら大きいとは言っても、エルダートレントの巨体と比すれば致命的には程遠い。奴はいまだ健在で、その証拠のように地面の下から根が生えてフィオナを捕らえようと蠢き、迸る魔力が風を操り無色の刃と化して降り注いだ。


 無数の風の刃に抉られた地面から土埃が舞い、視界を覆い隠す。


 ――フィオナは無事か?


 観衆がそんな疑問を抱く暇さえなく、次の瞬間、その無事は証明された。


 草原に轟く爆音によって。


 エルダートレントがフィオナを捕らえようと根を伸ばし、風の刃を放った時には、すでにその場にフィオナの姿はない。


 再び発動した【瞬迅】に小回りの利く【スピードステップ】を織り混ぜて、巨木の周囲を高速で移動していく。


 巨大な幹を中心として円環を描くように、あるいは舞うように次々と場所を移してはオーラを宿した木剣で斬りつけ、突き刺し、オーラの爆発によってエルダートレントの幹を破砕していく。


 対して、おぞましい怪物のように無数の根を蠢かすエルダートレントの攻撃は、風の刃も含めてフィオナを捉えることはできなかった。


 時を追うごとにフィオナの動きは加速し、攻撃の激しさも増していく。


 剣舞姫スキル――【剣の舞】


 剣舞姫スキル――【神捧の舞】


 二つの強化スキルによってフィオナの能力は上昇していく。すぐに地面だけでなく、エルダートレントの巨大な幹の表面さえ足場にして、三次元的な機動を行い始めた。


 それは見る者を魅了するような不可思議で大胆で派手な剣舞だ。


 蠢く樹根も風の刃も、もはや剣舞を彩る添え物でしかない。


 しばらく爆音が草原に轟き続けて――。


 ほんの数十秒後、フィオナは足場としていた幹を一際強く蹴りつけると、空高く跳躍した。


 そのまま放物線を描いて、観戦していた俺たちの目の前へと天から降り立つ。


 軽く膝を曲げた姿勢から立ち上がり、ふうっと息を吐いて、両の木剣をストレージ・リングの中に仕舞った。


「――終わったわ」


 その言葉の直後、フィオナの背後でバキバキとけたたましい音を立て、根元から真っ二つに折れたエルダートレントが地面に落下した。


 大質量が大地を揺らし、衝撃音を響かせる。


 無惨な姿と化したエルダートレントの残骸は、フィオナのセリフ通りに偽りの生命活動を終え、魔力に還元されていくところだった。


「おう、お疲れ」


 軽く手を上げてフィオナを出迎える。


 それから俺は背後を振り返り、クランメンバーたちの反応を窺った。


 今の戦闘は木剣で直接攻撃しつつも、相手を完封してみせる良い戦いだった。これならば木剣での戦いというものがどういうものか、こいつらも理解できただろう――と。


 奴らはぽかんと口を開けて間抜けな面を晒していたが、数秒後――、


「ぅ、ぉお、おおおおおおおッ!!」

「すげぇッ! すげぇぞ剣舞姫!!」

「よくもまあ、木剣なんかで!!」

「エルダートレントって、マジで木剣でも倒せるのかよ!?」

「お姉さま、すっごく綺麗でした!!」


 沸き立つように歓声をあげた。


 対するフィオナは唇を引き結んだ仏頂面で、しかし頬だけは赤く染めながら、ぎこちなく頷く。


「あ、う……ん。そう……」


 そばにいる俺以外、絶対に誰にも聞こえていないような小声でそう言うと、すすすっと動いて俺の背後に隠れた。


 面と向かって褒められて、恥ずかしくなったらしい。


 こんなの「ったりめーだ! 俺を誰だと思ってやがる!」とか言って、胸を張っておけば良いと思うんだが――こういうとこ、フィオナは割と反応が幼いよな。


 まあ、ともかく。


 これで、ちゃんと木剣でも戦えるということは、こいつらも理解してくれたはずである。


 俺もちゃんと木剣で戦ったはずなのだが、この反応の違いは少々解せないものの、結果良ければ全て良しってことで気にしないことにしよう。


 俺はパンッパンッと手を叩いて全員の注目を集めると、迷宮にやって来た当初の目的を改めて告げた。


「それじゃあ、お前らにはこれから、予定通りにトレントを狩りまくってもらう! もちろん、事前に配った木製武器でな!」


 そのために全員分の木製武器を買い集めたのである。


 一本や二本壊したところで問題ないくらい数はあるから、安心して戦ってもらいたい。


 そう告げると、クランメンバーたちは歓声をあげた。


「いやふざけんなボケェ!!」

「剣舞姫ができるからって俺たちもできる! とはならねぇだろ!!」

「常識で考えろや!!」


 どうやらやる気に満ち溢れているみたいである。


 俺はうんうんと頷いて、全員を優しく草原から森の方へと誘導することにした。


「――うるせぇえええええッ!! やる前からぐだぐだ文句言ってんじゃねぇ!! 無理ってのはなぁ! 嘘つきの言葉なんだよぉおおおおッ!!」


 リングから取り出した木剣を振るって、トレントがいるのはあっちだよと教えてあげた。


 具体的に言うとクランメンバーたちの足元に【飛刃】を着弾させてみた。


「うわッ!? こ、こいつッ、攻撃して来やがったぞ!?」

「それでも俺たちのマスターかよぉッ!?」

「誰だ!? こいつをクランマスターなんかにしやがったのは!?」


 この後、クランメンバーをいっぱい誘導した。



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