第95話 「な?」


【神骸迷宮】15層。


 草原階層にそそり立つ巨大な一本の樹木――15層の守護者であるエルダートレントを前にして、俺はストレージ・リングから木剣を取り出した。


 いつもの「黒耀」ではない。


 ただのトレント材から削り出された、普通の木剣だ。


 普通の――とはいえ、もちろん品質が悪いわけとかではない。そもそもトレント材は数ある木材の中でも硬質で頑丈な素材として知られており、家具や工芸品の材料として高い評価を得ている。


 それに木剣の素材としても樫や黒檀など、魔物ではない通常の樹木よりも高品質で、トレント材を多く産出するネクロニアは、実は木剣業界の中では【聖樹迷宮】を擁する迷宮都市アルヴヘイムと並んで、二代聖地の一つに数えられているほどだ(雑誌「木剣道」より)。


 俺が普通の木剣と言ったのは、この木剣が普通に武器屋で店売りされている訓練用の木剣だからである。


 今の俺ならトレント材から木剣を削り出すのに大した手間はいらないが、これはとある理由があって、大量にまとめ買いした物の一つだ。


 しかしながら、今さら「黒耀」ではない木剣を握ることに違和感はある。


「黒耀」と比べればずっと軽い木剣の重さには、どこか頼りなさを感じてしまうのだ。


 だが、数年前まではこれと同じ木剣を使って迷宮を探索していたのだから、問題はないはずだ。そもそも俺が初めてエルダートレントを倒した時も、装備していたのは普通の木剣だったしな。


 それを考えると今の俺はずいぶんと贅沢になっちまったもんだぜ。


 ――ともかく。


 エルダートレントから距離およそ30メートル。


 これ以上近づけばエルダートレントが反応するというギリギリの距離で、俺は上段に木剣を構えた。


 それを無造作に振り下ろす。


 軌道は袈裟懸け。


 虚空を掻いた剣線をなぞるようにオーラの刃が生じ、前方――エルダートレントへ向かって飛翔していった。


 我流剣技――合技【重飛刃】


 オーラの刃はエルダートレントが何か反応を示すよりも前に太い幹へと着弾し、ズンッと重苦しい音を響かせた。


 直後。


 塔のように太く巨大な幹が、斜めにズレる。


 両断された断面に沿って滑り落ちた上半分が、けたたましい音を立てて地面へ落下した。


 大質量の衝突に、まるで地震のような衝撃が足元を揺らし、程なくエルダートレントの残骸が魔力還元されて消え始めた――ところで、俺はようやく背後を振り向いた。


 振り向いた先では大勢の探索者たちが、今の戦闘……いや、伐採の光景を固唾を飲んで見守っていた。


 そんな彼らに俺は一つ頷き、短く告げる。



「――な?」



 たった一音に込められた意味は、これで分かっただろ? という確認のもの。


 反応は激烈だった。


「――ふっざけんなッ!!」

「な? じゃねぇ!!」

「何の参考にもなりゃしねぇぞこらッ!!」

「そんなんできるかッ!!」


 飛び出す否定の言葉に、俺はやれやれと息を吐いた。


 文句の多い奴らだぜ。



 ●◯●



 酒場での一件の翌日、クラン≪木剣道≫はギルドから正式に認可を受け、設立されることになった。


 72人の最上級探索者が集まる、歴史上でもほぼ類を見ない大規模クランである。


 クランマスターは俺、サブマスターにはイオを据えての体制だ。


 実は俺の家で話し合った時、俺がクランマスターをすることに不安を抱いたエヴァ嬢他3名の主張により、マスターはイオになるはずだった。


 しかし、どういうわけか酒場での一件を経てイオはクランマスターの座を辞退し、俺がその席に座ることになったのだ。


 これにはエヴァ嬢も後から文句を言ってきたのだが、なんとイオが説得してくれた。


 そんなわけで俺をマスターとして≪木剣道≫が無事に設立されてから――一週間が過ぎた。


 この間、クランとしての体制を整えるために俺たちは奔走することになった。


 まずはクランハウス兼工房の準備。


 これにはタイラー氏のツテを頼り、経営難から閉鎖されていた家具工房を買い取ることにした。かなり大きな工房だったようで、作業場は倉庫のように広く、その作業場の隣に親方と職人たちが住んでいた大きな家屋があった。


 クランメンバーにはネクロニアに自宅を持っている奴らも多いので、こっちの家に移り住む必要はないのだが、宿暮らしだった何人かのメンバーが住みたいと言って来たので解放した。


 作業場の方は設備もそのまま残っていたようで、木剣製作にも流用できるのはありがたい。特に木材を固定できる作業台は必要になるからな。


 旋盤加工機やノミ? その他工具?


 いや、それは必要ないだろ。じゃないと修行にならないし。


 ちなみに工房の購入資金は、俺とエヴァ嬢の折半だ。


 いつかクランを解散しても俺が使うから、別に全部俺が出しても良かったんだが、クランの運営に口を挟むためという理由で、エヴァ嬢がポケットマネーから支払うことになった。


 現在、エヴァ嬢はキルケー家として家の金を動かすことはできないみたいで、個人としてはかなりの出費だったらしいが。


 まあ、ともかく。


 こうしてクランハウスという名の工房を確保した後は、工房やついでに隣の家屋の掃除などを行い、それからようやく本格的な活動に着手――する前に、俺はネクロニア中の武器屋を回って、大量の木剣や木槍、木製の弓、金属や石の鏃の付いていない木の矢など、とにかく木製武器を大量に購入した。


 ちなみに木の矢は先端を尖らせて火で炙って硬化させた物を注文できたが、木の盾はどこも作ってくれなかったので自作することになった。


 というのも、木製の盾は普通にあるんだが、それは金属や革などで補強されたラウンドシールドなどのことであり、完全に木材だけで作られている盾は売っていなかったのだ。


 金属や革による補強など、甘えである。


 初めての経験に最初は苦戦することになったが、俺はトレント材で見事な盾を作り上げた。


 なぁに、形がちょっと違うだけで、これも木剣の一種だと思い込めば容易いことだったぜ(?)。


 そんなわけで大量の木製武器と盾を用意した後は、クランメンバーを工房に集めて今後の活動方針の説明と講義を行った。


 活動方針というのは当然、酒場で約束した通りに強く木剣職人にしてやることだ。そのために行う修行方法を説明した。


 そうすると当然、疑問が飛び出す。


 まだ目覚めていない一般人たちにとっては、木剣を作って強くなれるなど、信じがたいのだろう。


 だが、実際にそれで強くなった俺とフィオナという実例がいる。加えてクランメンバーたちにナイフを持たせて木材を削らせてみれば、ほんの一時間ほどで、全員がこの修行効果に納得することになった(【オーラ・ブレード】を使えないジョブの修行については、後述する)。


 具体的に言えば、あっという間に魔力枯渇でグロッキーになったのである。


 小さなナイフとはいえ、オーラを纏わせ続けて延々と木材を削る経験など、誰もしたことがなかったのだろう。そもそも戦闘で【オーラ・ブレード】を使うことがあっても、普通は数十秒、長くても数分間くらいのものだろうからな。


 一つのスキルを持続的に発動し続けるだけでも、慣れていない者にとってはかなりの負荷になるはずだ。スキルの出力を絞ることもできず、オーラを垂れ流しにして、どれだけ魔力の多い者でも一時間経たずに魔力枯渇でダウンした。


 そしてこれに慣れたところで、見習い木剣職人としての、スタートラインに立ったに過ぎない。ここからオーラの効率的な運用方法と制御方法を体得していかなければ、木剣を作り上げることなど夢のまた夢なのである。


 だが、だからこそ、この修行方法の有用さは理解できたはずだ。特に、自分たちがダウンしているのに、涼しい顔で木剣製作を続けているフィオナを見れば、その違いは一目瞭然だっただろう。


 何しろ数ヵ月前までは、フィオナもまったくの素人だったのだ。もちろんフィオナの努力あってのことだが、数ヵ月でどれだけの差が生まれたのかは、自分たちと比べればすぐに理解できたはずである。


 俺は作業台に突っ伏したり、床に寝転がったクランメンバーたちに、木剣製作を極めることでどのようなことができるようになっていくのか、こんこんと説明してやった。


 木剣を信じない者たちの疑問を、片っ端から叩き潰していく。時には理路整然とした解説によって、時には目の前で実力を見せつけるという力業によって。


 一つ例を挙げると、木剣製作によってオーラの制御力を鍛えていくことで、二つ以上のスキルを融合させることができると、クランメンバーたちに実演付きで説明してやったのだ。


 ギルドの訓練場を貸し切って、実際に彼らの目の前で俺が合技を放ち、今のは何と何の合わせ技だ――というように。


 なぜかピンと来ていなかった奴らが多かったのだが、フィオナが【フライング・スラッシュ】と【バースト・ブレード】の合技を使ってみせると、途端に理解し出した。


 どうも俺の合技は、最初からそういうスキルにしか見えなかったらしい。


 フィオナの合技だって下手なわけではないが、ゆっくりやって見せればオーラの流れと性質変化から、「何かをしている」ことは理解できたのだとか。


 少々解せないが――そんなわけで修行方法に対する理解を得られたところで、≪木剣道≫は初めてクランらしい活動をするために、迷宮へ潜ることになったのだった。


 忘れそうになるが、≪木剣道≫は工房の名前じゃなくて探索者クランだからな…………今はまだ。


 ともかく、そうしてやって来たのが【神骸迷宮】15層。守護者であるエルダートレント前だ。


 この階層で何をするのかと言えば、木剣の素材である木材を取りに来たのである。そのついでに、修行の一環としてクランメンバーには今日から、木製武器で戦ってもらうことにしたのだ。


 木剣や木槍や木の矢などで戦い、この階層にいるトレントたちからトレント材を集めてもらう。何も最初からエルダートレント相手に木剣で戦えとは、さすがに俺も言わない。しかしトレントくらいなら倒せるはずだ。


 木剣職人として、自分の使う素材を自分で集めるのは基本だからな。……まあ、木工ジョブの奴らはそんなことしないが。


 ちなみに今日ここに連れてきたのは、クランメンバー全員ではなく、魔法使いジョブを除いたメンバーである。


 ともかく。


「木剣なんかでトレントが倒せるわけねぇだろ!!」

「この鬼畜! フカしてんじゃねぇぞ!!」

「木剣作るとかいう修行法だけでも頭がおかしいのに、木剣で戦えだとう!? もっと頭がおかしくなるわッ!!」


 聞くに堪えない暴言を連発するバカどもを黙らせるため、俺は普通の木剣でエルダートレントを倒して見せたのだ。


 それが先ほどの出来事である。



 ●◯●



 ――なのだが。


 実際に木剣でもエルダートレントを倒せることを証明してやったのに、クランメンバーたちのブーイングが鳴り止まない。


 いったい何が不満だと言うのか。


 とりあえず、俺は聞くに堪えない罵声を止めるよう、クランメンバーたちにお願いしてみた。


「バカども! 静まれ!!」


「――誰がバカだ!!」

「バカはどう考えてもお前だろ!!」

「この木剣バカが!!」


 ――罵声の勢いが、数倍くらいに激しくなった。


 クランマスターに逆らうとは、何て奴らだ。


 かくなる上は拳骨で黙らせるしかないかと拳を握った時――ふと、思いついた。


 この状況、つい最近にも覚えがある。具体的に言えばギルドの訓練場で合技を見せた時とかだ。


 ということは――、


「フィオナ!」


「何よ?」


 フィオナが実演してみせたら、納得するんじゃないか?


 そう考えた俺は、フィオナを呼んで話をする。


「エルダートレントがリポップしたら、今度はお前が倒してみせてくれ」


「え? 私?」


「そうだ。っていうか、俺以外だとお前しかいないだろ」


 他のメンバーが木製武器でエルダートレントを倒すのはまだまだ無理だが、今のフィオナなら可能なはずだ。


 もちろん、「黒耀」ではなく普通の木剣で、だ。


 しかし、フィオナは少しだけ不安そうな顔をした。


「うーん……でも私、「黒耀」じゃない木剣でエルダートレント倒したことないわよ?」


 そういえば割とすぐに「黒耀」を作ってやったんだったか。


「大丈夫だろ。「黒耀」で戦うのとそんなに変わんねぇよ。今のお前なら大丈夫だ」


「ん……分かったわ」


 説得すると覚悟を決めたように頷いて、今度はフィオナが戦ってみせることになった。



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