第89話 「どういうことですのッ!?」
突然訪ねてきたエヴァ嬢、イオ、ガロン、グレンの四人を家の中に招き入れた。
少し遅れて玄関に出てきたフィオナも含めて、全員でリビングに移動する。
それからエヴァ嬢たちをソファに座らせる――と言っても、ウチには二人掛けのソファと一人掛けのソファが一つずつしかない。
なので、二人掛けのソファにエヴァ嬢とフィオナを座らせ、一人掛けのソファにはイオを座らせた。ガロンとグレンと俺の分はダイニングなどから椅子を運び込み、リビングのローテーブルを囲むように全員で座る。
そうしてそれぞれが腰を落ち着けたところで本題に入る――前に、エヴァ嬢がふと心配そうな顔でフィオナを見た。
「フィオナ、少し顔が赤いわよ? 熱でもあるの? まだ体調悪い?」
「な、何でもない! 大丈夫よ!」
エヴァ嬢がフィオナの額に手を伸ばし、手のひらで熱を測るようにする。それを受け入れつつもフィオナは動揺したような態度で否定したが、確かに少し顔が赤いような気がするな。
「……ちょっと、熱があるかしら? 休んでいた方が良いんじゃない?」
「本当に大丈夫だから! 重要な話なんでしょ? 私も聞くわよ」
「そう……分かったわ。でも、無理はしないでね」
フィオナ自身が大丈夫だと言い張るので、エヴァ嬢もそれ以上確認するのはやめたようだ。
エヴァ嬢とフィオナが向き直り、話をする体勢になったところで、俺は口を開いた。
「――それで、何か大変なことが起きたって話だが?」
事情を知っているだろう四人へ、順繰りに視線を移動しながら問う。
「ああ、なかなか厄介なことになった」
と言ったのは、珍しく深刻そうな表情をしたイオだ。
「またクランメンバーが襲撃された……ってわけでもなさそうだな」
「大発生」が起きる直前のように敵勢力からの襲撃が始まったのかと思ったが、それならそうと言えば良いだけの話だ。イオが言葉を濁しているのだから、別件だろうとは予想がついた。
案の定、イオは俺の言葉に頷き、厄介事の真相を告げた。
「ああ、襲撃ではない。……端的に言えば、≪迷宮踏破隊≫が解散させられることになった」
「…………解散?」
「……え? ちょっと待ってよ! まだ何にも分かってないのよ!」
驚いたのは俺とフィオナだ。
≪迷宮踏破隊≫は正体不明の敵勢力――スタンピードの黒幕を捕まえるために【封神四家】の肝いりで設立された――はずである。
その目的を果たしていない今、いったい誰がクランを解散させられると言うのか。
「誰の指示で解散なんだ?」
「それは……」
と、イオはエヴァ嬢に視線を向けた。
それに頷いたエヴァ嬢が、怒りすら感じさせる表情で言う。
「【封神四家】の当主たちの命ですわ」
――と。
その言葉を聞いて絶句するフィオナ。言われた意味が分からないのだろう。何しろ≪迷宮踏破隊≫はその【封神四家】の当主たちが設立したと言っても良い。なのにクラン設立の目的も果たさないまま解散などということがあるのか?
いや、これが目的達成不可能と判断したならば何もおかしくはないが、現状、不可能という判断を下すのは早計すぎる。
何か奇妙だ――と感じて、俺はふとローレンツ伯からの手紙、その最後の一文を思い出した。
【封神四家】に対して警戒を感じさせる、あの一文を。
何がどう繋がっているのかは、さっぱり分からないのだが。
まずはクラン解散の理由を問うのが先だろう。
「エヴァ嬢、どういう理由で解散なんだ?」
「それは……ローガンやエイルさん、大勢のクランメンバーを失ったことで、もはや目的を果たせないと判断した……というのが、表向きの理由ですわ」
表向き、ねぇ。
まあ、≪迷宮踏破隊≫の目的は単に「迷宮の踏破」となっているから、この理由は俺たちクランメンバーに対しての理由、ということだろうな。
そしてそう言うからには当然、本当の理由とやらが別にあるわけだ。
「本当の理由は――」
と、エヴァ嬢は語り始めた。
昨日、エヴァ嬢の父であるキルケーのご当主様から告げられた話を。
●◯●
「お父様!! どういうことですのッ!?」
キルケー家の屋敷。
その一室、当主の執務室にて。
重厚な机を挟んだ向こう側で椅子に腰かける父を相手に、エヴァは怒鳴るような勢いで問い質した。
「大声を出すな、エヴァ。立場に相応しい振る舞いを心掛けろと、いつも言っているだろう」
対面でエヴァの父――キルケー家現当主であるアイザック・キルケーが顔をしかめて注意する。
アイザックは五十代にもなる壮年の男だが、見た目は四十代前半ほどに見えた。エヴァと同様、金髪に金色の瞳という特徴的な容姿をしており、体型はやせ型。髪はオールバックに撫でつけ、フレームの細い眼鏡を掛けていた。
眼鏡の奥から覗く鋭い目つきや、にこりともしない表情から厳格、あるいは冷徹そうな印象を受ける。
【封神四家】の一角、キルケーの当主の座に座っているだけはあり、他人を従え慣れた雰囲気を放つ人物だった。
普通なら直ちに萎縮してしまうような鋭い眼光にも、しかしエヴァは怯まない。相手が父だから慣れているというわけではなく、それは胆力の問題だった。
エヴァもまたキルケーの名を背負う者であり、その精神は並みではない。
「これが大声を出さずにいられますか!! ≪迷宮踏破隊≫を解散するとはどういうおつもりですの!?」
特異体ノルドの討伐から帰還した、その翌日である。
朝も早くから呼び出されたエヴァは、執務室に入るなり、父の口から≪迷宮踏破隊≫を解散する――という言葉を聞かせられたのだ。
それに激昂して叫んだのが、先の言葉である。
「言葉通りの意味だ」
はあ、とため息を吐いてから、アイザックは射貫くような鋭い視線を向け直す。
「我々【封神四家】は≪迷宮踏破隊≫への支援を打ち切り、クラン自体も解散させることに決定した。ローガン・エイブラムスやエイル・ハーミットをはじめ、多くの戦力を失ったのだ。これ以上の活動は危険と判断した。十分な理由だろう」
「戦力ならば補充できると報告したはずですわ!!」
「もちろん覚えている。しかし、所詮は最初の選考から漏れた探索者たちだ。元々のクランメンバーから比べれば、その実力は劣る。そしてそんな者たちを無理に働かせ、新たな被害が増えたらどうするつもりだ? お前は彼らを死なせるつもりか?」
それは確かに正論だった。
しかし、とすぐにエヴァは反論する。
「彼らの身を心配するならば、どうしてノルド討伐に参加させたのです! 実力不足を理由にクランを解散するのなら、討伐に参加させるのはおかしいではないですか!?」
「下らん揚げ足を取るな。スタンピードまで発展していない以上、大発生への対処は探索者ギルドの管轄だ。ギルドがどんな人選で特異体の討伐を行おうと、我々が口を挟む筋合いではない」
屁理屈を、と罵ろうとした口を閉じる。
エヴァにだって分かっているのだ。父が本当に探索者たちの被害を案じてクラン解散を決めたわけではないことなど。
ゆえに、攻めるには別の切り口が必要だ。
「ならば、スタンピードの黒幕に対する捜査はどうするおつもりですか!? まだ敵の正体も判明していないというのに!!」
「黒幕の捜査? 捜査なら騎士団が行う。当然の話だろう」
【封神四家】がそれぞれに抱える四つの騎士団は、実のところただの私設騎士団ではない。ネクロニア市内においては治安維持に尽力することもあり、独自に捜査権すら持つ。
敵は明確に犯罪者であり、その捜査を行うのは捜査権を持つ騎士団、あるいは【評議会】有する治安維持軍の役目。
まさにアイザックが言った通り、それは当然の話だった。
むしろ今まで探索者をこの件に関わらせていた方がおかしい、とも言えるほどに。
「で、ですがッ! 騎士たちでは迷宮を踏破できませんわ! 敵の正体を確定させるための証拠を、押さえることができません!!」
【神骸迷宮】最下層には、【神骸】を封じる五つの封印がある。
それぞれが右腕、左腕、右足、左足、そして胴体と頭を封印している――と伝わっていた。
スタンピードの黒幕たちは、この五つの封印の内、少なくとも一つは解いてしまっているとエヴァたち――【封神四家】は推測している。
その根拠となるのが、クランに潜伏していた敵組織の者たちが一時的にせよ、金色の瞳に変化したことであり、今回の「大発生」において出現したとされる特異個体の魔物たちだ。
あれらは【神骸】の一部を利用して作り出された存在であると推測されている。
いや、そもそも。
実のところ、封印の一つが解かれたこと自体は、それらの存在がなくとも疑いないのだ。
【封神殿】の、本来は四家当主しか入ることのできない部屋には、迷宮最下層の封印が無事かどうかを確認するための機能がある。
ゆえに、スタンピードの時に、封印の一つが解かれたことは最初から知っているのだった。
四家のどの家が担当する封印が解かれたのかは、【封神殿】からでは分からない――らしいが。
だが、だからこそ、≪迷宮踏破隊≫は最下層を目指し、解かれた封印を確認することで四家のどの家が封印を解いたのか、知ろうとしていたのではなかったか。
そしてそれは、四家擁する騎士団ではできない。
確かに騎士団の人員は、ローガンがそうだったように元探索者から取り立てた者たちも多いが、現役ではないし、多くは探索者上がりではない。
迷宮探索の技術に関しては、当然、探索者には劣ることになるし、戦力的な意味合いにおいても、ほとんどの騎士たちは最上級探索者に遠く及ばない。
迷宮を踏破するには、迷宮を踏破できるだけの実力を持った者が必要だ。たとえばイグニトールのブレス一発で全滅してしまうような軍勢では意味がない。
単なる人海戦術で迷宮を踏破できるならば、すでに何度も踏破されているはずなのだ。
それには実力の確かな探索者たちの協力が不可欠なのである。だからこそ、≪迷宮踏破隊≫は設立されたのだから。
しかし、そんなエヴァの訴えを聞いたアイザックは、実にあっさりと断言した。
「犯罪者の捜査に、迷宮の踏破など必要ではない。証拠ならば真っ当な捜査によって手に入れれば良いだけだ」
「な……ッ!?」
開いた口が塞がらないとは、このことだろう。
あるいは絶句。言うべき言葉が、咄嗟には見つからない。怒りが思考を止めてしまったからだ。
それでもほんの少しだけ冷静さを取り戻し、エヴァは口を開いた。
「何を……何を仰っているんですの……!? そ、それができないから≪迷宮踏破隊≫を設立するという話になったのではないですかッ!?」
スタンピードの黒幕たちは、スタンピードが終息した後、驚くほど何の行動も起こしてはいなかった。少なくとも、表沙汰になるような行動や事件は何も。
完全に影に潜っている存在への手掛かりは何もなく、ゆえに捜査は難航していた。
それが変わったのは≪迷宮踏破隊≫を設立させ、明確に最下層を目指してからだ。放っておけば自分たちの正体を暴かれるという危機感に駆られて、黒幕たちはようやく動きを見せたのだ。
そんなエヴァの言葉は、しかしアイザックの表情を変えることすらできなかった。
「そうだな。だが、あの時と今とでは状況が異なる。≪迷宮踏破隊≫の活躍により、すでに幾つもの手掛かりは入手している。敵組織の構成員の遺体に、所有していた物品。スラムの拠点の一つに、46層に密かに設置されていた転移陣……十分な働きだ。これらの手掛かりから辿れることは幾らでもある。彼らは良くやってくれたよ。後は四家の騎士団に全て任せて……エヴァ、彼らを良く労ってやりなさい」
「――ふっ、ふざけないで下さいましッ!!」
激昂する。
確かにこれまでに手に入れた情報や物品から何かが分かるかもしれない。しかし、これまで父が騎士団にその捜査を命じていた様子はなかった。
それに騎士団の捜査によって本当にスタンピードの犯人たちが見つかるという保証はない。いや、かなり低いと考えて良いだろう。
それよりはこのまま、≪迷宮踏破隊≫で最下層を目指した方が確実なのは確かだ。
「確かにクランの戦力は減りましたが、今でも十分な戦力は維持しておりますわ!! お父様にはご報告したでしょう!! イオにフィオナ、それにガロンたち≪鉄壁同盟≫にグレンダさんたちだけでも先を目指すには十分な戦力ですわ! 何より本物の≪極剣≫がいるんですのよ!? 迷宮を踏破するのは決して不可能じゃありませんわ!! ですのになぜ!?」
なぜそうも消極的なのか。
別に解散などしなくとも、≪迷宮踏破隊≫ならば迷宮を踏破できるはずである。そう強く確信できるほどの実力者が揃っているのだから。
本物の≪極剣≫であったアーロンは言うに及ばず、軽々に使えないスキルとはいえ、【神降ろし】を修得したフィオナもまた、常識では測れない実力の持ち主だ。
戦力不足を理由にクランを解散するのは到底納得できるものではない。
しかし、アイザックは微塵も態度を変えることなく返した。
「迷宮を踏破できるかどうか、問題なのはそんなことではない。探索者という
「屁理屈ですわ……!!」
それが本心なはずはなかった。
本当に彼らを心配するならば、そもそも≪迷宮踏破隊≫など作らず、最初から騎士団のみで捜査していたはずだからだ。たとえそれで、手掛かりの一つ入手できないとしても。
「屁理屈ではない。単なる事実だ」
「…………他の三家は、同意しているのですか?」
「当然だ。これらは私の一存ではない。四家当主全員の決定だ」
「…………」
当主全員の決定となれば、もはや覆ることはないだろう。エヴァはそう理解した。
その上で、最後に問う。
「お父様は……お兄様の仇を討ちたくはありませんの?」
エヴァがこれまで熱心に活動してきたのは、自分が【封神四家】だからではない。魔物に殺されたとはいえ、兄が死んだ原因がスタンピードを起こした犯人たちにあるからだ。
優しかった兄を死なせる原因を生み出した者たちに、復讐したかったのだ。
その気持ちが間違っているとは、エヴァは決して思わない。家族を殺されて恨まない方がどうかしている。
だが、父は冷然と言った。
「馬鹿馬鹿しい。為政者たる者が私情で権力を行使してはならない。仇討ちだと? そんな下らんことを考えるな」
「……分かりましたわ」
父の考えは分かった。
どう問い詰めてもクランを解散する本当の理由を言いそうにはない、ということも。
「分かったか。ならばもう良い。下がりなさい」
「はい……」
と頷いて、エヴァは退室する直前、
「お父様の…………ハゲッ!!」
怒りから捨て台詞を吐いた。
途端にアイザックは立ち上がり怒鳴る。素晴らしい反応速度であった。
「エヴァッ!! 私はハゲではない! 訂正しなさい!!」
「お爺様も禿げていましたわ!! お父様もどうせ禿げるに決まっていますわ!!」
「父親に向かって何てことを言うんだッ!! 憶測でものを言うのではない! エヴァ! 謝りなさい!!」
「ふんッ!!」
エヴァは淑女にあるまじきダッシュで退室した。
アイザック・キルケー52歳は、年齢の割には若々しい見た目に反して、おでこがほんの少し、広かった――。
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