第87話 「あの方の遺言だからな」
――時は遡る。
『剣聖』ローガン・エイブラムスと『隠者』エイル・ハーミットが表舞台から姿を消し、およそ2週間が経過していた。
ローガンへ怪我の治療や【
「――体調はどうだ、ローガン」
「ああ、だいぶマシになってきたよ、エイル。体内魔力も落ち着いてきたようだ」
そこは窓のない部屋だった。
壁や天井、そして床までもが白漆喰のような純白に塗り潰され、天井から吊るされた照明用魔道具が白々とした光で室内を照らしている。光は壁面や床で反射し、どこか目に痛いような気がした。
そんな室内にぽつんと置かれた簡素なベッドの上で、上半身を起こしてローガンは部屋に入って来たエイルを出迎える。
エイルはドアを閉め、そのすぐ横で壁に背中を預け、両腕を組んだ。
室内に椅子は一脚だけ用意されていたが、それに座ろうとはしない。長い付き合いのローガンには、その態度が部屋の外を警戒しているからだとすぐに分かった。
「……」
黙って自身の耳を、指で2回、トントンと叩いて見せると、意図を察したエイルがすぐに口を開く。
「安心しろ。今のところ、盗み聞きしている奴はいない。無論、盗み見もな」
「そうか。ならば、思う存分話ができるというわけだな」
【神骸迷宮】46層でエイルと戦ったあの日から、ようやくエイルと他人を気にせず話せる状況になった。
それまでは2人きりになれる状況がなかった。それに加えて施術の副反応でゆっくり話をできる体調でもなかった、ということもあるが、やはり一番の理由は警戒されていたからだ。
しかし、それも【神前契約】を受け入れるまでの話。
様々な制約を課された今のローガンは、組織に対して直接的に悪意や反意ある行動を起こすことができないし、命令に逆らうこともできない。外部の人間に余計な情報を漏らすこともできなくなった。
それゆえに警戒する必要がなくなったのだ。
組織に忠誠を誓ったわけではないローガンにとって、いや、むしろ今でも本心では敵対しているローガンにとって、一見して【神前契約】はデメリットばかりにも思える。組織の構成員からの警戒が薄くなったことなど、比較にもならないほどの。
だが、実のところ【神前契約】は受け入れる必要があった。
なぜか?
そうしなければ、同じく【神前契約】によって縛られているエイルから、事情を聞くことができないからだ。
ローガンはエイルから、協力を頼まれた。だから今、ここにいる。
しかし、その肝心の協力内容は、いまだに聞いていない。
自分との戦いで負った怪我もすでに完治しているのか、エイルが穏やかな口調で言った。
「しばらくはこのフロアに人は来ない。まずは……そうだな。何から話すか……」
話の内容を頭の中で纏めている様子のエイルに、口を挟む。
「エイル、まずは聞いておきたいことがあるんだがね」
「何だ?」
「いや、大したことではないんだが……この組織の名前を教えてくれないか?」
自分たちが追っていた、スタンピードの首謀者と思われる正体不明の組織。
この組織の名称すら、ローガンはまだ知らなかったのだ。
しかし、それは無理もない話だということを、エイルの返答によってすぐに悟ることになる。
「この組織に、正式な名称などない」
「……何だと?」
思わずポカンとした。
幾ら秘密結社や裏組織の類いとはいえ、自分たちが運営する組織に名前くらいは付けているものだ。大勢の人数を抱える組織にとって、名前は重要だ。名前がなければ構成員の帰属意識は希薄になり、統制力は低くならざるを得ない。それは容易く組織の崩壊に繋がる。
だから名前のない組織、などというものがあるとは思っていなかった。
だが、エイルは「勘違いするな」と続ける。
「正式な名称は、ということだ。仲間内での通称ならある」
「通称? なぜ通称なんだ?」
「正式名称は、後で【封神四家】が付けるからだ」
「…………は?」
なぜここで【封神四家】が出て来るのか、ローガンには理解できない。この組織と深く関わっている裏切りの一家だけならともかく、なぜ四家なのか。
わざわざ問われずとも、エイルはその疑問を察しているだろう。続けられた説明は、それに対する答えかどうか。
「【明けの明星団】、【邪神教団】、【
エイルが口にした名称は、全て、過去ネクロニアにおいて様々な目的で【神骸】を狙い、暗躍していた秘密結社の名称だ。
もちろん、現在では全て滅んでいるし、活動していた時代からして、まったく別々の組織である――ということになっている。
「これらの組織の活動目的も、後から【封神四家】が考え、公表したものだ」
世界征服。邪神信奉。真理探求。終末願望。
それぞれの組織がそれぞれに掲げた目的と理念。それすらも捏造されたものだと、エイルは語る。
「この組織の」
と、今現在、自分たちが所属している組織であると強調するように、わざわざ足元を指差して言った。
「通称は「クロノスフィア」と呼ばれている。今も昔も、な」
「突っ込みどころが多すぎて……何から聞くべきか分からんのだが……」
ローガンは困惑する心を鎮めるように、自身の髭を撫でた。いつも綺麗に整えられていた自慢の顎髭は、ここ最近の余裕のなさから、少し乱れてしまっていた。
「まず……クロノスフィアというのは、クロノスフィア神のことか?」
「ああ」
この世界には数多の神々が存在する。
その中でも一際強大な権能を持つ大神として、クロノスフィアは知られている。
司る権能は「時」と「空間」であり、代々空間魔法を受け継ぐ【封神四家】の血筋も、遡ればクロノスフィア神に辿り着く――と、言われていた。
「この組織が、クロノスフィアというのは……まあ、黒幕が【封神四家】のどれか一家ならば、おかしくはないと言えるが……」
ここまでの説明で、すでに察してはいた。
だから問いを発しようとする口の中が渇き、言葉を紡ぐのを拒否してくるのだ。
ローガンはキルケー家に仕えていたし、魔鷹騎士団では団長まで務めていた。そこに愛着が、情が生まれなかったはずはない。
それでも聞かねばならなかった。知らねばならなかった。
意を決して、問う。
「【封神四家】が過去の秘密結社の名称や目的を決めて公表した……と、言ったな?」
「ああ、言った」
「ということは、だ。……黒幕は【封神四家】のどこか一家……
この2週間の間に、ローガンはすでに知っていた。
カドゥケウス家がこの組織――クロノスフィアに関わっていることを。
なぜならば――ローガンに【神前契約】を施した人物こそが、カドゥケウス家の現当主、ジルバ・カドゥケウスだったからである。
老齢だが筋骨隆々で矍鑠としたジルバ老は、自身の顔を隠すこともせず、堂々とローガンの前に現れた。
だからカドゥケウス家がこの組織に関わっていることは確定していたのだが……。
「――いや」
しかし、最悪の推測はエイルによってきっぱりと否定される。
「カドゥケウス以外の三家は、ほぼ、関わりはない。キルケー、グリダヴォル、アロンは間違いなくこの組織と敵対している」
「そうか……」
気になる点はあったが、それでも安堵の息を漏らす。
もしも【封神四家】全てが「クロノスフィア」でスタンピードを起こしたのだとすれば、それはネクロニア市民のみならず、世界全てを騙す最悪のマッチポンプであり、裏切り行為だ。
そうではないと知って、ローガンは深く安堵した。
だが。
事はそう単純ではないのだろう。残りの三家がこの組織に、何の関わりもないわけがないと、すでに悟っていた。
「エイル、聞かせてくれ。この組織……クロノスフィアの事と、お前自身の目的を」
「分かった。ただ、少し長くなる――」
そうしてエイルは訥々と語り始める。
秘密結社クロノスフィアを誰が結成し、運営し、何の目的で動いているのか。
それはあまりに壮大な話すぎて、すべてを聞いても現実のことだとは実感しにくかった。しかしながら、もしもエイルの語るクロノスフィアの最終目的が真実だとしたら、それは――、
「この組織がスタンピードを起こし、大勢の被害者を出したのは確かだ。それは絶対に許されることではないし、私は擁護もしない」
「ああ、そうだな。俺を含めてこの組織の人間は、全員地獄に落ちるはずだ」
ローガンの言葉にエイルがはっきりと頷いた。友の意思を確認して、ローガンは続ける。
「だが、だ。この組織の活動が人々を救うことになるのも、理解した……エイル、君が私に協力を頼んだのは、そのためか? この組織に協力しろ、ということか?」
「――違う」
またしてもきっぱりとした否定。
「俺はクロノスフィアに敵対する。それが、あの方の遺言だからな」
「あの方?」
「そうだ……俺がカドゥケウス家に仕えていることは、知っているな?」
「ああ、もちろん」
頷く。
ローガンがキルケー家に仕えていたように、エイルはカドゥケウス家に仕えている。ただしそれはローガンのように探索者を止めてからの話ではない。探索者になる前からずっとのことであり、立場としてはキルケー家に仕えるガロンたち≪鉄壁同盟≫に近いものだった。
探索者を止めてからは、カドゥケウス家の仕事に専念しているとは聞いていた。
まさかそれが、このような組織での仕事だとは思わなかったが。
「なら、分かるだろ。俺があの方と呼ぶのは、一人だけだ」
「いや、しかし」
ローガンは混乱した。
もちろん一番最初に思い浮かんだが、その人物と遺言という言葉の取り合わせは矛盾するのだから。
だが構わず、エイルは名前を告げた。
「ジルバ・カドゥケウス様のことだ」
まだ生きている人物の名前を。
●◯●
「む、このパン、いつもより美味いな」
「そうね……小麦粉変えたのかしら?」
特異体ノルド討伐の、翌々日の朝だ。
俺はフィオナとテーブルを囲み、朝食をとっていた。
軽めのおかずとスープとサラダと一緒に、昨日買ってきた買い置きのパンを温め直して出してみたのだが、いつもより小麦の香りが良いような気がした。
思わず感想を口にすると、対面に座っているフィオナも同意する。
ちなみにフィオナは、昨日の時点でゆっくりとなら一人で動けるくらいに回復していた。今日はもう少し体調が戻ったらしく、激しい運動をしなければ問題はなさそう、ということである。
フィオナはもう一口パンを千切って食べてから、「そういえば」と世間話でもするように、
「美味しいといえば、アーロン」
「ん? どうした?」
何か美味しいものでも見つけたのだろうか。
そう思って問い返す俺に、フィオナは当然のように告げた。
「今日の夕飯、私が作るから」
――カチャーンッ。
俺はサラダを口に運ぶ途中だったフォークを、落としてしまった。
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