第85話 「あの化け物を」


魔導師メイガス』は無明の暗闇の中から覗いていた。


【神骸迷宮】36層――『イプシシマス』の本体が宿る特異体ノルドへ挑む探索者たちの戦いを。


 総勢76人もの人員が雪の中に潜伏するノルドを取り囲み、【封神四家】の術者たちが【断界四方陣】を展開する。


 その結界術による魔力の発露が、戦いの狼煙となった。


「さてさて……彼らは倒せるのかな? あの化け物を」


 彼の声には余裕がある。


 研究の過程で偶然によりこの世に生まれた怪物――『死』


 確かに自分たちにとって大きな戦力には違いないが、仮に討伐されたところで組織にとっては痛手でも何でもない。元々予定には組み込まれていなかった存在だ。


 とはいえ――その実力は本物。


 ただの人間である探索者たちに倒せるとは思えないが……、


「すでに、『死』の分体は何度も倒されているしねぇ……」


 力の劣る分体とはいえ、あれらだって十分以上に怪物だ。本来ならば、たとえ一体だとて極大の被害をもたらし得る存在である。もしも地上に放てば、都市を壊滅させることすら容易なはずだ。


 そんな怪物たちを実にあっさりと討伐してみせたのだから、『死』本体相手でも勝利の可能性はあるだろう。


「さて、その分体討伐の一番の功労者である彼は……と」


 特異体ノルドは自身が閉じ込められたことに気づき、雪の下から這い出るよりも先に、強力な雷鳴魔法で先制攻撃した。


 その魔法の予兆を捉えていたのだろう。誰よりも早く反応し、仲間たちを守るように前へ出る。


 アーロン・ゲイル。


 嘘か真か、いまやネクロニアで≪極剣≫として広く知られ始めている探索者。今まで幾度も自分たちの邪魔をしてくれた男。


 飛び出したアーロンに雷の槍が衝突し、彼を中心として雷は荒れ狂い、大量の雪が蒸発して湯気がもうもうと立ち込める。


 普通ならば死んだ、と思うだろう。


 しかし、『魔導師』が「それ」を見るのは二度目だ。


「雷が拡散した? ……荒野で使っていたスキル、かな……?」


 本来ならば人間など容易く貫いて背後へ抜けるはずの【神雷槍】が、衝突の瞬間に全てのエネルギーを解放している。それはつまり、対象を貫けなかったことを意味していた。


 そして次の瞬間、濃い蒸気の中からノルドへ向かって斬撃が飛び出した。


「黒い斬撃?」


 漆黒に染まった黒い斬撃。それはノルドに衝突すると――信じがたいことに、その巨体を吹き飛ばしてしまった。


 まるで夢でも見ているかのような、冗談染みた光景。


「重属性攻撃……かな? なんて威力だ……!」


 反撃したことから、アーロン・ゲイルが生きていることは確実。戦闘開始からここまで、僅かの出来事だが、『魔導師』は改めてアーロンの実力に驚愕した。


 そして次の瞬間、湯気の外へと歩み出て来たアーロンの姿に、衝撃を受ける。


「――いやどういうことッ!?」


 思わず突っ込んでしまう。


「何で全裸になったんだ。……っていうか、見る度に全裸だな、彼は」


 ヘレム荒野でも『適合者アデプト』29人の一斉攻撃を受けて全裸になっていた。今回も全裸になった理由は同じだろうと理解はできる。激しい攻撃を受けて衣服が全て、消し飛んでしまったのだ。


「どうして服だけ消し飛ぶんだ……!!」


 服が消し飛んでその中身が無事って色々おかしいにも程がある。きっと何かのスキルを使って身を守ったのだろうが、それがどんなスキルなのかは『魔導師』にさえ分からない。


「わざと全裸になってるんじゃないだろうね……?」


 思わずそんなことさえ考えてしまうが、さすがにそれはないだろうと首を振る。


 命がけの戦場でわざわざ全裸になるバカがどこにいるというのか。あり得ないだろ、常識的に考えて。


「そうなると……まさか、身につけている装備にダメージを転嫁するスキル……? 盾士の固有ジョブなら可能性はなくはないけど……彼は剣士系ジョブのはずだし……うぅん……って、いや今はそんなことはどうでも良いよ!」


 思わず真剣に考え込んでしまったが、今は戦闘の行方を見届けなければと、意識を「視界」に戻した。


「――いやそのまま戦闘するのかいッ!?」


 アーロンは全裸のまま跳躍し、空中を凄まじい速さで移動しながら、立ち上がり、姿を見せた特異体ノルドへ向かっていく。


 先の一撃は不意打ちだったから盾士たちは反応できなかったが、今はもう別のはずだ。その気になればアーロンの近くにいた4人の盾士たちだけでも、服を着るくらいの時間を稼ぐことはできるだろう。


 敢えてそれを選択しないのはなぜなのか。


「まさか、全裸になることで戦闘能力が上昇する固有スキルが……?」


 自分の悪い癖だ。分からないことがあると、つい考え込んでしまう。


「空中であれを避けるのか……」


 ともかく、疑問については後で考察することにして、今は戦闘の様子に集中しよう――と、再び自分に言い聞かせた。


 アーロンはノルドが放つ幾条もの雷を、素早く動き回ることで狙いを外させ、回避している。


 そして――、


「黒い槍!? やはり重属性! あの剣が発生源か!?」


 巨大な黒い槍がアーロンから放たれ、ノルドを貫いてその場に足止めしてしまう。


 その重属性攻撃の発生源がアーロンの持つ見慣れない剣であると、すぐに気づいた。白と黒の二色に分かれた両手直剣。素材は何だろう? 少なくとも金属ではなさそうだ。


「古代遺物か再現遺物か……」


 古代遺物は神代の技術がまだ完全には失われていない古代に作られた遺物全般、あるいは神代に作られた遺物のことを指す。


 再現遺物は迷宮によって過去の遺物を複製された物のことで、一般には単にドロップアイテムやドロップ武器などと呼ばれる。


 アーロンは白黒の剣で空中から重属性の槍を放っては、ノルドをその場に足止めし続けた。


 しかし、すぐにノルドも攻撃に対処を始める。


 幾ら重属性で壊れにくいとはいえ、所詮はオーラで出来た槍だ。自らに膨大な雷を纏い、その雷を持って自身を貫く槍を短時間で破壊していく。


 そしてさらに雷の量は増えていき、遂には黒い槍が突き刺さるよりも先に、それを消し去ることに成功してしまった。


 途端に反撃に移るノルド。


 空中のアーロンへ伸ばされた手から、大量の雷が迸る。


 だが――、


「なるほど。彼らが囲むまでの足止め、というわけか」


 アーロンとノルドが戦っている間に、ガロン・ガスタークを筆頭とする盾士たちがノルドの周囲を囲んでいた。彼らの盾士スキルによってノルドの雷は分散され、周囲の盾士たちへと軌道を変えられてしまう。


 そこから盾士たちの短くも長く濃い奮戦が始まった。


 まさに一糸乱れぬ息の合った動きとスキルさばきにより、ノルドの猛攻を完全に防ぎつつ、巨大なオーラの檻へと封じ込めることに成功する。


「さすがはガロンだね。良い仕事をする」


 ガロン・ガスターク。盾士系固有ジョブ『レギオン・ナイト』を持つ男。


 盾士たちを率いることにかけて、彼の右に出る者はいないだろう。


 とはいえ、だ。


「あれだけのオーラの消耗だ。長くは持たないね」


 実力の高い盾士たちを揃えたみたいだが、それでもノルドを閉じ込めるオーラの檻は、短時間で大量のオーラを消耗している。最上級探索者だとて、数分で魔力が枯渇するような消耗だ。


 主にアーロン・ゲイルとイオ・スレイマンのコンビが分体を宿した特異個体たちをどうやって討伐したのかは、すでに詳しく知っている。


 言わば拘束して切り刻んで燃やし尽くしたわけだ。


 だが、そもそもノルドは討伐するまで拘束しておけるような大きさではない。討伐のための最初の条件からして、達成するのは不可能だ。


 そう、思っていたのだが――、


「何だ……ッ!? あのオーラの密度と量は!? それに剣が黒く染まった……!?」


 思わず身を乗り出す。


『魔導師』の【遠隔視】は空間魔法【座標指定】と【空間感知】の合わせ技だ。ゆえに「見る」ことも「聞く」こともできるし、【空間感知】の範囲内ならば魔力やオーラといったエネルギーの流れも知覚することができる。


 だから分かった。


 あの剣はオーラを吸収して黒く染まったということが。


「オーラで黒く染まる……? 待てよ、僕の知識にあるぞ? 確か……そうだ! 『重晶大樹の芯木』か!? あれで作られた剣か!?」


 そこまで気づいた次の瞬間、空高くから落下し続けていたアーロンが、漆黒に染まった剣を振り下ろした。


 解き放たれたのは莫大な量のオーラ。


 重属性の黒に染まったオーラは、瞬時に簡素な槍を形作ると地上のノルドへ向かって、隕石のような勢いで落下していった。


 そして――、


「雷撃で壊れない……」


 ノルドを貫き地中まで突き刺さった巨大な槍は、その全体から無数の「棘」を一瞬にして生やした。ノルドの体表を内側から貫いて、無数の「棘」が突き出してくる。


 奇妙な形をした漆黒の巨槍は、ノルドをその場に縫い止め、動きを封じることに成功していた。


 しかし、所詮はこれもオーラの槍である以上、ノルドが纏う雷によって、すぐに消滅するものと思っていたのだが――幾ら時間が経っても壊れない。


 重属性による特性だけでは、説明がつかなかった。


 あんなスキルは、見たことも聞いたこともない。


 今度はいきなりのことではなかった。だから「注視」していたし、槍が一瞬で消えたわけではないから、観察する時間は十分にあった。


 槍を作るオーラと、雷を作る魔力、その二つの動きから理解する。


 あの槍の表面で、魔法が弾かれているのだ。それゆえに壊されない。


「……巨大な槍が刺さって棘が生えて動きを封じて魔法を弾く……? いや、幾らなんでも複雑すぎる……。スキルであそこまでのオーラの制御が可能なのか? だとすると……やはり確定か」


 ノルドを囲んだ魔法使いたちが、巨大な炎の竜巻を発生させたのを眺めながら、思考に没頭する。


 結論はすぐに出た。


「ローガンやエイルが言っていたのは本当だったみたいだね……あれはスキルじゃない」


 にわかには信じがたいことに、アーロンは自分でオーラを制御し、あれほど複雑で強力な技を放っているのだ。


「驚いたな……怪物っぷりじゃあ、『イプシシマス』にも匹敵しているよ、アーロン君」


 神代の英雄たちなら同じことができるかもしれない。


 ただし。


 アーロン・ゲイルと同じ条件で、ということならば、英雄たちでも不可能だ。


「困ったな……」


 すでに多くの探索者たちがノルドに攻撃を加え、その肉体を少しずつ削り出している。


 このままでは討伐されるのは時間の問題だろう。だが、『魔導師』が困っているのはそのことではない。


「せっかく【封鍵】複製の目処が立ったって言うのに、これじゃあ【神骸】を取り出す前に最下層まで辿り着きそうな勢いじゃないか……。順番を間違ったかな? 【封鍵】を複製してから『死』を使ってスタンピードを起こすべきだったか……いやでも、その場合時間稼ぎもできなかったわけだし……うぅん、仕方ないか」


 拘ることはないと判断して、アーロン・ゲイルを殺すことに固執はしなかった。


 その判断が間違っていたとは思わないが、【封鍵】複製の目処が立つまでの時間も、当初の予想より長引いてしまっている。タイミングとしてはギリギリだ。


「彼女に自信満々に殺す必要はない、とか言っちゃった手前、やっぱり今から殺そうって言うのも恥ずかしいしねぇ……いや、被害が洒落にならなそうだから、やらないけど。あれって僕でも一人じゃ殺せそうにないし。誰だよ、彼にあんな剣渡しちゃったの」


 考える。


「何かもう一手が必要かな」


 すでに【神殿】は出来上がっているのだ。【神殿】の機能と『神殿長マジスター・テンプリ』が居れば、取り出した【神骸】の制御も問題はないはず。後は【封鍵】を複製して【封神殿】の機能を停止させ、【神骸】を棺から取り出すだけなのだから。


 人類が――――いや。


 自分たちが神々の力を手に入れるのは、すでに目前なのだから。


「絶対に邪魔はさせないよ」


魔導師メイガス』の声音には揺るぎない覚悟が宿っている。そこには自らに対する虚飾や欺瞞は存在しない。心の底から自らの行いを肯定する者の声音だ。


 なぜならば。


「君たちは僕たちを悪だと決めつけているのかもしれないが……僕たちこそが、人類を救う絶対の正義なのだから、ね……」


 悪行を悪行と解っていて躊躇いなく行える者は少ないだろう。


 だが、一見して悪行に思えても、それが正義だと自身が確信しているのなら、時にどれだけ大それた行為でも、躊躇いなく行えてしまうのが人間というものなのだから。


『魔導師』は内に秘めた決意を改めて確認し、アーロンたちの戦いの行方を見守ることにした。


 どちらが勝利しても、問題はない。


 最終的に勝利するのは、自分たちだ――と確信し、


「――え?」


 そして、




「――え? え? …………え、何で? あの姿……嘘、どういうこと? こいつ何時の間に――――え、嘘でしょ? 【断界四方陣】って壊れるの? いやいやないない! あれくらいで壊れるわけ――はあッ!? 何だよあれ!? どういうこと!? 何あれ!? 見たことないんだけど!? まさか【封神四家】も人体実験――はぁあああああああッ!? 強ッ!? え、強ッ!? ヤバイじゃん何あの娘……あんなん他にもいたらヤバイじゃん……いや一人だけでもヤバイじゃん……!! あ、あ、あ、…………あ、そうだよね! あんなんすぐに魔力が切れるよね! ……ふう、何だよ、ビビらせてくれちゃって。あー、でも、これで『死』は逃げることになるのか。結界も消えたしね……っていうか、もしかして結界消えたのって彼女の仕業かな。それに『死』に命令権行使した感じ? まだ【神前契約テスタメント】が生きてたのか……。……しかし、アーロン君は戦場のど真ん中で急に何をしてるんだよ。頭おかしいのかな……ん? 『死』がまだ? ん? あれ? これってさっきの? え、嘘? 彼も使えるの!? 失敗? あ、失敗か。そりゃそうだよね――って成功すんのかよッ!? …………ば、化け物かよこいつもうやだぁあああああッ!!」




 周囲に人がいないのを良いことに、素のリアクションで存分に叫ぶのだった。


 ちょっと予想外なことが、一気に起こりすぎた。



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