第84話 「我慢すんなよ」


 スタンピードが起こった時、俺はイグニトールやノルドやリッチーなどの守護者と、その配下たる竜種、巨人、不死者の軍勢を相手に戦った。


 これらの大部分は何とか倒すことに成功したが、今の俺と比べると、スタンピードの頃の俺はまだまだ弱かった。


 はっきり言ってその頃の俺では地上に出てきたイグニトール一体だけならいざ知らず、その取り巻きにワイバーンが20体でもいれば、それだけで勝利することは覚束なかったはずである。


 ただし――――正気でまともに戦えば、の話だ。


 スタンピードより以前、初めて30層を突破した時、不死者の軍勢とリッチー相手に死にかけた俺は、今度はもっと楽に勝利できるようにと、三つ以上の剣技を合わせて極技を作った。


 最初、極技に求めたのはひたすらに大威力の剣技だ。


 一撃で軍勢を吹き飛ばせるような。


 その目論見通り、初めて開発した極技である【絶閃刃】は、俺の要求を満たす技として完成された。


 しかし、圧倒的大多数に擂り潰されるような経験をして、俺は極技以外にも更に一つ、軍勢相手に戦い抜くための技を思いついた。


 どれだけダメージを喰らっても、どれだけ切り刻まれても、あるいは手足を斬り飛ばされても、オーラで無理矢理人間の形を維持して、魔力尽きるまで戦い続けることのできる――――そんな戦技を。


 ただ、一つ言うならば、この戦技は俺が生き残ることを考慮していない。戦いが終わった後は死んでも構わない。その代わり、戦っている最中はダメージの影響なく動けるような、そういう技として作った。



 俺はこの戦技を――――【怪力乱神】、と名付けた。



 この戦技を発動すると、幾つか、予想していなかった副次的な効果が生まれた。


 一つは耐久力の上昇。人体に浸透させる以上、オーラの強度は【龍鱗】は愚か【気鎧】にも及ばないが、そのオーラ量は上二つと比べても遥かに多い。その結果として【怪力乱神】発動中の体は、かなりの強度となる。


 一つは一部放出系魔法の無効化。【怪力乱神】状態では、全身がオーラと物質の中間のような性質に変化する。加えて全身に満ちた高密度かつ膨大なオーラはある種の力場を形成し、質量の小さい放出系魔法を体表で弾く効果があった。


 一つは発動中のみ、治癒術や治癒ポーションが効きやすくなること。たとえば腕を切断されても、【怪力乱神】状態では血管、神経、筋繊維など、すべての人体組織を無理矢理に正常な位置に繋ぎ止め、その機能すら維持する。この状態でポーションを飲むと、損傷が少ないと判断され、比較的容易にあらゆる傷を治癒することができるようだった。


 そして最後の一つは、通常では使えない、自身の体を壊してしまうような負荷の大きい戦技や剣技も、この状態ならば使える、ということ。まあ、使えば当然、負荷はダメージとして蓄積されるのだが。


 俺はこの【怪力乱神】と、この状態でしか使えない様々な戦技に剣技を活用することによって、イグニトールをはじめとしたスタンピードの魔物を倒しまくった。


 しかし。


 当然と言うべきか、その代償は大きかった。


 その頃の俺はストレージ・リングなど持っていなかったから、ポーションなど手元になかった。一応、ウエストポーチにポーションは携帯していたが、戦いの最中とっくに瓶は割れ、ポーチ自体もどこかへ吹き飛んでしまっていた。


 その結果、俺は魔力が尽きる前にポーションを飲むことはなく、【怪力乱神】は解けてしまった、というわけだ。


 そしてその瞬間、俺が全身に負った傷は開き、骨は砕け、左腕と右脚は地面に落ちて、俺は自分自身の血の海に沈むことになった。


 ――致命傷だった。


 たとえ近くに固有ジョブレベルの治癒術師がいたとしても、助からないレベルの負傷。


 確実に死ぬ。


 酷く醒めた気持ちでそう確信しながら、意識を失ったのを覚えている。


 ――だが、どういうわけか、俺は生きていた。


 目を覚ますと野戦病院染みた治療院のベッドの上で、切断されたはずの左腕と右脚も繋がっていた。イグニトールどもと戦っていたのが夢だったのかとも思ったが、全身にはそれが現実であったことを示すように、夥しい量の傷痕が刻まれていた。


 まったくわけが分からなかったが、近くの治癒術師を捕まえて事情を問い質した。


 すると俺は、誰かによって治療された状態で、その治療院へ運び込まれたらしい。誰が運び込んだのかは、誰に聞いても分からなかった。不思議なのは運び込んだ人物と会話をしたらしい治癒術師も、その人物のことを覚えていなかったことだ。


 ただ、女性だったような気がする……というのが、唯一得られた情報だ。


 だからまあ、とにかく。


 俺はあの時に、死んでいたはずだったのだ。


 今、どうして生きているのか、誰が俺を助けたのかは、今も分からない――。



 ●◯●



 フィオナの様子が落ち着くのを待ちながら、俺はかつての記憶を回想していた。


 スタンピードの時の話は、フィオナにはできないな、と思いながら。


 そして、フィオナの涙が止まってしばらく経った頃――エヴァ嬢が口を開いた。


「ところで、アーロンさん?」


「何だ?」


「私、一つ、思い出したことがあるんですの……」


「は? 何の話だ?」


 エヴァ嬢がこちらを振り返る。その目は据わっていた。なぜだか既視感を覚えるぜ。


「グレンダさんはスタンピードの時、≪極剣≫を目撃していたんですの」


「…………へぇ」


「≪極剣≫はただオーラを纏うのとは異なる、不思議な輝き方をしていたそうですわ」


「…………なるほど」


「たぶん、フィオナが使った【神体】という技と、同じような輝き方ではないかと、私は推測しますの」


「…………ふむ」


「そして、それと同じような技を使えるアーロンさんが、スタンピードの時にそれを使った……と、仰いましたわよね?」


「…………そんなこと言ったっけ?」


「いったい何を相手にそんな技を使ったんですの?」


「…………色々、かなぁ」


「もう一度、聞きますわね? アーロンさん、貴方、本物の≪極剣≫……ですわよね?」


 エヴァ嬢の声には確かな怒りが感じられた。


 なぜ怒っているのか、俺には理解できないが。


 俺が自分自身、≪極剣≫であることに気づかず、以前にエヴァ嬢からの確認を否定してしまったことで、何かエヴァ嬢が迷惑でも被ったというのだろうか?


 強いて言えばスタンピード以降、≪極剣≫を探すために無駄な労力を割いてしまった事と、特異個体の出現によって「大発生」が起こっている時、色々と忙しい合間を縫って寝不足になりながら≪極剣≫を探していた事……くらいじゃないか?


≪極剣≫を探すに当たっては俺も色々と協力したし、結局はクランの戦力増強に繋がりそうなんだから、別に怒ることはないと思うのだが。


 結果的には良い方向に転んだとポジティブに考えてみてはどうだろうか?


 とはいえ、俺としても今さら≪極剣≫であったとは言いにくい。


 なので、こう返してみた。


「――少し落ち着けよ、エヴァ嬢。顔に皺ができちまうぜ?」


「…………」


 ……鬼の顔になった。



 ●◯●



「なるほど……あの時は自分が≪極剣≫であるとは知らなかったと。その後すぐに気づいたけど、一度否定してしまった手前、言い出しにくかったと。それに仲間なんていなかったので、更に言い出しにくくなってしまったと……そういうことですわね?」


「……仰る通りです」


 雑な展開で≪極剣≫であることがバレた。


 俺はエヴァ嬢に、全てを白状した。


 エヴァ嬢は頭痛を堪えるように頭に手を当てている。はああぁぁぁぁぁぁっと、とんでもなく長いため息を吐き出して、


「できれば隠さず言って欲しかったですわ……私がどれだけ睡眠時間を削ったと……!!」


「……その件につきましては、誠に申し訳なく思います。深く反省しております」


 俺は誠心誠意謝罪した。


 エヴァ嬢には鬼のような形相で怒られた。


 そんなに怒ることねぇじゃん、ちょっとしたお茶目じゃん――と言ったら、エヴァ嬢が人語を忘れる勢いで怒り始めたので、仕方なかったのだ。「おいおい淑女の皮が剥がれてるよ?」などと軽口を叩ける雰囲気でもなかったし。


「はぁ…………ま、まあ、も、もう終わったことですし、良いですわ……。結果的にはアーロンさんが≪極剣≫だと、今は思われているのですし……っていうか、これって、本当にアーロンさんが≪極剣≫だったと、私が色んな方に説明しないといけないのかしら? …………面倒くさっ」


 一人でぶつぶつと呟くエヴァ嬢。


 ……だいぶキテるな。


 そっとしておこう――と、俺が思ったところで、


「ね、ねぇ、エヴァ」


「フィオナ? どうかした?」


 フィオナが傍らのエヴァ嬢の服の裾を、ちょこんと摘まんだ。


 それからなぜか恥ずかしそうに、


「ちょっと、いい……?」


「……? ええ、構わないわよ」


 エヴァ嬢に近づくようジェスチャーをして、小声で何事かを耳打ちした。


「ああ、なるほど。確かにそうね。分かったわ」


 エヴァ嬢は頷くと、フィオナの体を支えてベッドから下ろそうとした。


「どうした? どっか行きたいのか? 俺が運ぶぞ」


 どうやらフィオナはどこかに移動したいらしい。俺は椅子から立ち上がり、問う。


「だ、大丈夫よ!」


「アーロンさんはそこに座っていなさい!!」


 するとなぜか勢い良く拒否されたので、椅子に座り直した。


 何事かと見守っていると、エヴァ嬢は何とか立ち上がったフィオナに肩を貸して、部屋を出ていく。


 しばらく部屋で待機しながら耳を澄ましていたら、ドアの開閉と足音が向かう方向で何処へ行ったのか理解した。


「ああ……トイレか」


 そういえば今のフィオナは、一人じゃトイレにも行けない状態だからな。


 理解してしばらく待つと、二人は戻ってきた。


「わっ、ちょっと!?」


 俺は部屋の中に入ってきたフィオナを抱えあげて、ベッドまで運ぶ。今度は拒否されなかった。


 んで、それから程なく。


「それじゃあフィオナ、ストレージ・リングは修理したら返すわね」


「うん、ありがと、エヴァ。お願いね」


 伝えるべきことも伝え終わったし、エヴァ嬢の狂乱も落ち着いた。


 ――というわけで、エヴァ嬢は帰ることになった。


 ちなみにだが、護衛を連れて来ていないので歩いて帰るわけではない。俺が護衛をしようかとも思ったが、今はフィオナがこんな状態だ。一人にしておくわけにもいかないしな。


 どうするべきかと相談したら、あっさりと転移魔法で帰ると言われた。


 便利だな、転移魔法。


「今日は色々と悪かったな」


「本当ですわよ……」


 表情をなくして責めるように言うエヴァ嬢。


 あんまり怒ると健康に良くないと思うが――と言おうかどうか悩んだが、余計なことは言わないことにした。


 エヴァ嬢はストレージ・リングから長杖を取り出すと、それに魔力を通して魔法を発動させる。


「それでは」


 と言って、次の瞬間には転移で帰っていった。


「…………」


 途端に静かになったような気がする室内で、俺はフィオナに向き直る。


「フィオナ、今から夕飯作るが、食えそうか?」


「ん……ごめん、もう、ちょっと……限界」


 聞くと、かなり眠そうな様子だ。


「そうか。このまま、もう寝るか?」


「ん……歯、磨きたい……顔、洗いたい……」


 今日は風呂に入れそうにないからな。せめて少しでもすっきりして眠りたいのだろう。


「わかった、ちょっと待ってろ」


 俺は頷き、部屋を出て桶にお湯とタオル、それから歯ブラシとコップに水を用意してフィオナの部屋に戻った。


 睡魔を堪えて何とか顔を洗い、歯を磨いたフィオナだったが、それらを終えて横になる頃には半分眠りに落ちているような有り様だった。


 もう聞こえているかは分からないが、部屋を出ていく際にフィオナに告げる。


「ここのドアは開けとくし、俺は今日、リビングのソファで寝てるからな」


 リビングはフィオナの部屋の隣だ。声を出せばすぐに聞こえる。


「ん……? ……何で、よ……?」


 うっすらと目を開けたフィオナに、答える。


「何でって……お前、自分じゃトイレにも行けないだろ?」



「…………は、はあッ!?」



 急に両目を見開き、大声をあげる。


 あわあわと慌てたように表情を変化させながら早口で言った。


「べ、べべ、別にいいわよ!! あ、明日には動けるようになるんだし……う、動けるようになるまで我慢するしッ!!」


「いや……動けるようになるまで我慢すんなよ」


 俺は呆れ顔でそう返した。



 ●◯●



 夜。


 リビングのソファで眠っていた俺は、微かな衣擦れの音と荒い呼吸音で目を覚ました。


 その瞬間には全てを察し、ソファから下りてフィオナの部屋へ向かう。


「…………ッ!?」


 俺が部屋の中に入ると、ベッドに寝ているフィオナが急に息を潜めた。


 俺はベッドの横まで行くと――サイドテーブルの上に置かれている、魔道ランプを起動して明かりを灯す。


 照明に照らされたフィオナは泣きそうな顔を真っ赤に上気させ、ふぅふぅと、何かを堪えるように呼吸を荒くしていた。


 その姿を見下ろして、俺は言う。


「だから、我慢すんなよって言ったろ?」


「ぅ、ぅうぅううう~ッ!!」


 恥ずかしそうに唸るフィオナに、そういえば、と気づいて問いを重ねた。


「一応聞くが、お前、自分で服脱げるか?」


「ぅ、うぅ…………ッ!!」


 答えない。


 それが全ての答えだった。



 ――俺はフィオナを介護した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る