第82話 「当たるぜ、俺の勘は」


「あ、アーロンさん……この、手紙……ッ!!」


 ローレンツ辺境伯の手紙を読んだエヴァ嬢が、声をわなわなと震わせて言った。


「――ほとんど木剣の事しか書かれておりませんけれど!? これが何だって言うんですの!?」


「あ、すまん。そこじゃなくて、最後の一枚を読んでみてくれ」


 そういや手紙の内容はほとんど木剣の事だったな。今重要なのは、最後の一枚だけだ。


「まったく……それならそうと最初に言ってくださいまし」


 呆れたようにそう言って、エヴァ嬢は改めて最後の一枚に目を通していく。


 そして今度こそ、その表情を驚愕に変化させた。


「この内容……本当ですの……? いえ、それより、これは……」


「エヴァ、私にも見せて」


 エヴァ嬢の表情の変化に深刻な内容だと察したのだろう。フィオナも神妙な顔つきでそう言った。


「はい……どうぞ……」


 心ここに有らずと言った様子で、エヴァ嬢が手紙を手渡す。受け取ったフィオナはすぐに目を通し始め――眉間に皺を寄せた。


「これって……カドゥケウス家が密かに迷宮の素材……それも【神骸迷宮】深層の素材を売り捌いていたってことよね? それも、普通なら手に入らないような、46層以降の素材を」


「まあ、そういうことだな」


「そんな素材を手に入れられるってことは、つまり、私たちより先に46層を探索していた奴らがいる……ってことよね?」


「そうだな」


「そんな奴ら、一つしかいないじゃない……。つまり……スタンピードの黒幕が、カドゥケウス家ってことなの?」


「現状では、その可能性が一番高そうだな」


 俺はフィオナの推測を肯定する。


【神骸迷宮】46層以降の素材、特に『風晶大樹の芯木』をおよそ3年前に各国で売り捌いていたのは確かな事実だ。そしてその時期に、過去の素材を現代までなぜか大量に保有していたのでもなければ、『風晶大樹の芯木』を手に入れられるのは、今は懐かしいジューダス君たちが所属していた組織だけだ。


 ならばカドゥケウス家がその組織と何らかの形で関係しているのは、ほぼ間違いないだろう。


 ただし。


【封神四家】の一角が黒幕かもしれない――というのは、最初から分かっていたことだ。


 カドゥケウス家がそうだったからと言って、それを承知しているエヴァ嬢が、今さら大きなショックを受けるわけがない。


 エヴァ嬢がショックを受けたのは――、


「ローレンツ伯は、【封神四家】そのものを危険視している……? アーロンさん、それは……どういうことなんですの?」


 手紙の一番最後に書かれていた部分で、「身の安全を考えるならば【封神四家】には深入りしないことです」と、俺に忠告していたからだろう。


 そしてエヴァ嬢の反応を見る限り、彼女自身にも【封神四家】そのものが危険視される理由には、心当たりがないようだった。


「さあ……? 俺も手紙に書かれている以上のことは、分からない」


 ローレンツ伯が【封神四家】を危険視する理由は、俺には分からない。


「まあ、辺境伯がどういう意図で俺に忠告したのかは分からんが……一つ、はっきりしていることがあるだろ?」


「カドゥケウス家が黒幕、ないしは裏切り者であるということですね?」


 エヴァ嬢の確認に頷く。


「まあ、カドゥケウス家のどこからどこまでが関与しているのかは分からんのだけどな」


 当主以下ごく少数が関与しているのか、それとも家門全体で動いているのか……もしくは、それ以外の可能性もある。


「本当ならその情報を持ってカドゥケウス家を糾弾できれば良いんだが、言ってしまえば密かに素材を売り払ったってだけのことだ。エヴァ嬢が俺にくれた『重晶大樹の芯木』のように蔵に保管してただけだって言われれば、少々無理矢理ではあるが言い逃れするのは簡単だ。裏切りの証拠としては弱い」


「そうですね……ですが、問い質す材料としては十分ですわ。聞いたところで本当のことなど白状しないでしょうけれど、我がキルケーも含めて他三家からは疑いの目で注視されることになる……。もしもカドゥケウス家が本当に黒幕だとしたら、かなり動き難いことになると思いますわ」


 エヴァ嬢の言葉に、俺もフィオナも無言で頷いた。


 そう、この情報で追い詰めることはできずとも、牽制としては十分な役割を果たすだろう。


 だが、俺はそこにもう一手加えたいと思っていた。


 それはカドゥケウスがこちらに見せた隙を突くことだ。すなわち、異国の地まで俺を拉致しておきながら、殺せなかったという隙。


 俺はエヴァ嬢たちに言った。


「カドゥケウス家の誰が関与しているのかは分からんが、一人だけ確実に関与していそうな人物に、心当たりがある……」


 ほぼ確実に敵側の人間で、おそらくは何らかの情報を知っているだろう人物。


「……それは、誰ですの?」


 神妙な顔で問うエヴァ嬢だが、何かに気づいた様子があった。


 その考えを肯定するように、俺はあっさりと名前を出す。


「気づいてんだろ? ――クロエ・カドゥケウスだ」


「でも、確かクロエって……アンタに対する人質にされたはずじゃ?」


 フィオナの問いに、「ああ、だからだ」と俺は答える。


「俺を拉致った男どもは、クロエのことを「お前の大切な人間」としか言わなかった。だから俺は、転移陣を設置した時にエヴァ嬢たちが使っていた杖を見せられて、人質はエヴァ嬢だと思い込んだ……」


「…………」


「……フィ、フィオナ? わ、分かっていますわよね? アーロンさんの言葉に他意はないということ……」


「…………モチロンヨ」


 明かされていく重要な事実に、エヴァ嬢とフィオナの間にも緊迫した空気が漂う。


 俺は頷き、先を続けた。


「だが、実際に荒野に転移してみれば、人質はエヴァ嬢ではなくクロエだった。この時点で俺は、クロエとはほとんど話したことがない。「大切な人」と評されるのは、少々不自然だ……」


「少々どころか明らかに不自然じゃないですか……」


「そんな関係性の薄いクロエを人質にしたのは、主に二つ理由があると考える。一つは俺の周囲で人質に適した人材を見つけられなかったこと……」


「あー…………フィオナは……」


「来たら返り討ちにしてやるわ」


「ですわよね。それ以外となると……確かに、ちょっと思い付きませんわね。アーロンさんのお友達のリオンさんも、以前は最上級探索者だったのですわよね? だとすれば人質には不向きな方ですし……」


「……まあ、人質になる人間は俺にだっているさ。見つけられなかったのは、奴らの情報収集能力が貧弱だっただけのことだ……そうだろ?」


 俺は同意を求めるようにエヴァ嬢を見た。


 エヴァ嬢は「当然ですわ」と言うように力強く頷く。


「え、ええ……まあ、そうですわね……」


「ああ……そして、クロエを人質にしたもう一つの理由だが、カドゥケウス家が黒幕だとしたら……気づかないか?」


「つまり、クロエも敵組織の一員で、誘拐と人質は奴らの自作自演だった……って、こと?」


 フィオナも気づいたようだな。


 俺は深々と頷く。


「その通りだ。そして、クロエが敵側の人間だとすれば、俺がクロエを救出した後の、違和感のある行動にも説明がつく……」


「そんな行動を取っていましたの? 以前説明された時には、何も気づきませんでしたけれど……」


「俺もカドゥケウス家が怪しいという情報を掴んでから、改めて気づいたことだ」


 そう、今思えば、クロエの行動にはおかしなところがあった。


「一つは、あそこがへレム荒野だとすぐに気づいていた点だ。あんな何もない場所が何処かなんて、普通に考えたらすぐに気づけるわけがねぇ」


「う~ん……でも、地理に明るければ、転移陣の魔力許容量と転移可能距離の関係から、私でも推測できたと思いますわよ?」


 それはクロエもそう言っていたがな。


 ……よし、この話はここまでだ。


「一つは、クロエが飛行船で時間をかけて帰ろうとしたことだ」


 クロエは最初、わざわざイーリアス共和国の首都まで行き、一ヶ月かけて飛行船で帰ろうと提案してきた。これは如何にも不自然じゃないか?


「先ほどの話をなかったことにされましたわ!?」


「森も山もぶち抜いて真っ直ぐに帰還した方が明らかに早く帰れるはずなのに、クロエは最初、それをだいぶ渋ったんだ。……おかしいとは思わないか?」


「…………いえ、私でもそれは渋ると思いますわ」


「今思い返せば、俺がネクロニアを留守にしている間に、こっちではクランに対する襲撃と「大発生」が起こっていた……。俺の暗殺に失敗したから、次善の策として少しでも戦力を分散させるため、わざと時間をかけて帰ろうとしていたんじゃないか……? いや、もしかしたら共和国の首都にも協力者がいて、新たに俺を暗殺する手段があったのかもしれない……」


「……言われてみれば、確かにその可能性もありますけれど……」


 どうもエヴァ嬢は、いまいち納得していないみたいだな。


 反対にフィオナは「やっぱり!」「そうだったのね!」「クロエは敵だわ」とすでに納得している様子なのだが。


「そして何より決定的なのは…………今日のことだ」


「…………ッ!?」


 それだけでエヴァ嬢は気づいたらしい。いや、最初から気づいていたのか、それとも疑っていたのか……。


 俺としても確信はなかったが、今の反応で確信した。


「どういうこと?」


 と首を傾げるフィオナに、説明する。


「【断界四方陣】は強力な結界魔法だ。俺でも破れる気はしないし、他の誰かに破れるとも思えない」


「え? でも、あいつは破ったわよ?」


 あいつ――というのは、偽天使のことだ。


 そう、一見してあの戦いの時、偽天使は何らかの空間魔法によって【断界四方陣】を破った――ように見えた。


 しかし冷静に考えると、それはおかしいのだ。


「あの時、あいつがどんな魔法を使ったのかは分からないが、魔法に込められた魔力の量は感知できた。一生物が単体として使用する魔力としちゃあ確かに膨大だったが、四人がかりで魔石と杖の補助もあったエヴァ嬢たちには遠く及ばないはずだ。空間魔法で結界が破れるとしても、魔法の規模が違いすぎて有効だったとは思えない」


「……じゃあ、あれはいったい……?」


「俺たちを覗いていた破廉恥野郎が何かしたのかとも思ったが、思い返しても、その兆候すらなかった。……なら、答えは一つだろ?」


 破られるはずのない結界魔法が破られた。


 だが、それを破れる者はいないとなれば、それは破られたのではなく――、


「誰かが、結界を解いたんだ。術者の四人の中の、誰かが。そうだろ、エヴァ嬢?」


「…………」


 エヴァ嬢は――暗く沈んだ表情で、頷いた。


「……おそらく、その通りですわ。一瞬のことすぎて確信は持てませんでしたけれど、確かにあの寄生体が結界を攻撃する直前、術の構成が崩れたように思います。そこへ空間魔法で攻撃されたからこそ、【断界四方陣】は破られた……そう考えれば、辻褄は合いますわね」


「つまり……術の構成をわざと崩した犯人は、クロエ……ってことよね?」


「ああ、たぶん、間違いなく、な。……当たるぜ、俺の勘は」


 残念ながら、直前にした忠告は何の意味もなさなかったようだ。


 疑われていると分かっていて、そしてさらに疑いが強まることを承知して、クロエは結界を崩したことになる。


 クロエが「敵」である可能性は、極めて高いと言えるだろう。


 だが、そのことには大きな意味がある。正体不明の組織の、確実に構成員だと思われる人物を俺たちが知っているということには。


 それもおそらく、クロエの血筋から考えて、下部構成員などではないはずだ。組織内部でもそれなりの地位にはいるだろう。


「できればクロエの身柄を確保して情報を引き出したいところだが……どう思う、エヴァ嬢?」


「可能かどうかと言えば、可能でしょうけれど……おすすめはできませんわね。拘束するにしても、アーロンさんの推測だけでは証拠になりませんし、無理矢理拘束すれば、それこそこちらが犯罪者になってしまいます」


「……気づかれないように拐ったらどうかしら?」


 さらっとフィオナが提案する。


 まあ、クロエの護衛状況がどうなっているかは分からないが、実力的にできないとは思わんな。


 しかし、エヴァ嬢はこの提案にも首を振った。


「【封神四家】はその血統を外に流出させないために、血族の管理は末端まで徹底されていますわ。加えてクロエさんは養子とはいえカドゥケウス本家の人間です。誘拐なんてすれば、完全に人目を避けて行ったとしても、半日もせずに気づかれてしまいますわよ」


 まあ、そうなるよなぁ……。


 誘拐するにしても拘束するにしても、それは最後の手段ってわけだ。


 しかし、裏切り者が分かっているならば、泳がせることで何か情報を掴むことができるかもしれない。


「ともかく、だ。俺が伝えたかった情報は伝えたぜ。あとはエヴァ嬢がこの情報を取り扱ってくれ。誰に教えて、誰に教えないか……」


「……了解しました。少し、考えてみますわ……」


 神妙な顔をして、エヴァ嬢は深く頷いた。


「――で、アーロン?」


「どうした?」


 話が一段落したところで、今度はフィオナが口を開く。


「アンタの話はこれで終わり?」


「そうだが?」


「じゃあ、今度は私の番ね」


「ん? 何かあんのか?」


 問うと、途端にジト目を向けられる。


「何かあんのか? じゃないわよ。聞かせてもらうわよ。アンタが何で、【神体】のことを知ってたのか」


「ふむ……」


 フィオナの問いに、俺はしばし沈思黙考して――口を開いた。



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