第81話 「お大事にぃ~!」


 36層の転移陣から、一気に地上――【封神殿】の転移陣へと転移した。


 俺たち、特異体ノルド討伐隊が姿を現すと、途端に空気がざわりとする。


【封神殿】外周で巨大な丸屋根を支える柱から外へと視線を向けて見れば、日差しは白々と強く降り注いでいた。討伐に出発したのが随分な早朝だったこともあり、まだ夕暮れには少しばかり早い時間であるらしい。


 おそらくは昼の食休みが終わったくらいの中途半端な時間帯だが、それでも【封神殿】には少なくない探索者たちがいたようだ。


 俺たちと同じように転移陣で迷宮から帰って来た者も、今から迷宮へ潜ろうとしている者たちも、何事かと76人の大集団を見つめている。


 その中心で、イオが討伐隊メンバーを見回して口を開いた。


「諸君! 今日の討伐は誠にご苦労だった! 一人の欠員も出ることなく、討伐を終えられたことは実に喜ばしい! 諸君の奮闘を労うためにも、このまま皆で酒場へ繰り出したいところではあるが、疲れている者も多いだろうし、今日はここで解散とする!」


 イオは討伐隊メンバーを見回すも、異論を口にする者はいない。


 特に、ガロンたち盾士などは疲労が濃いだろう。事実、地上へ戻って安心したのか、ふらついている者も多い。それに何より、フィオナがこの有り様だ。とても飲みに繰り出せる状態ではない。


 酒好き、宴会好きな者は探索者には多いが、さすがにあれだけの活躍をしたフィオナを差し置いて飲みに行こうと言い出す者はいなかったようだ。


 イオは頷き、再び口を開く。


「明日、明後日を挟んで3日後、昨日会議を行ったギルドの大会議場へ、昨日と同じ時間に集まってくれ。そこで特異体ノルド討伐後の調査状況などの報告や、報酬の支払いを行いたいと思う。その後、ここにいるメンバーで飲みにでも行こうじゃないか。ああ、安心してくれ。財布はギルド長持ちだ。幾ら飲んでくれても構わん! 糞ジジイの財布を空にしてやれ!」


「「「おおおおッ!!」」」


 イオの言葉に討伐隊メンバーたちが沸き立った。


 ギルド長の奢りで飲めることなど滅多にない。ここにいる者たちは全員がそれなり以上に稼いではいるが、それはそれだ。財布の心配をすることなく高い酒を好きなだけ飲めるのは嬉しいのだろう。


 イオは深々と頷いて、締め括る。


「では、解散しよう!!」


 そうして俺たちは、その日は解散することになった。



 ●◯●



 俺はフィオナとエヴァ嬢を連れて、自宅に戻った。


 フィオナを部屋のベッドに寝かせると、エヴァ嬢に留守を頼んで一度家を出る。


 向かったのは近所の治療院だ。そこで治癒術師に事情を説明し、治療の出張を頼んだ。糸目でぽやぽやとした雰囲気の女性治癒術師に同行してもらい、自宅まで戻る。


 彼女をフィオナの部屋まで案内すると、


「それでは、さっそく診ていきますねぇ~」


 と、ベッドの横に置かれた椅子に座って、治癒術師はフィオナに両手を翳した。


 直後、治癒術――というか、治癒を行うために必要な診察魔法が発動される。


 ベッドに横になったフィオナの体が、燐光に包まれたようにうっすらと輝いた。


 外傷や内傷、毒による影響から生活習慣病まで、この診察魔法は人体のあらゆる異常を見逃さない。これによって異常を見極め、必要な治癒術を適切に行使していくのが治癒術師だ。


 ポーションは確かに便利ではあるが、傷の程度やポーションのランクによっては、治せない傷もある。毒に関しても同様で、特に病気などはポーションでは癒せない。やはり治療という面では治癒術には一歩も二歩も劣るだろう。


 ちなみに治癒術は神聖属性の魔法だが、ジョブとしての治癒術師は攻撃魔法を覚えることはないし、ジョブによる身体能力の補正もほとんどない。そのために治癒術師は戦闘系ジョブではなく、一般系ジョブで発現する。


 ともかく。


 俺とエヴァ嬢が治療を見守る前で、治癒術師は何かを確信するように「ふむふむ~」と何度か頷いた。


 それからぐるりと急に俺の方に向き直り、スッと糸目を開いてこちらを見る。


 思わずビクッとしてしまった。ちょっと恐い。


 というのも、俺は治癒術師が苦手なんだよな。叱られた経験が多すぎるんだ……。


 今までに一番叱られたのは初めてリッチーを倒した後、満身創痍で命辛々地上に戻ったところで治療院に運び込まれた時だ。


 常にソロで活動していた俺は、まだまだ未熟だったこともあって、手持ちのポーションでは癒しきれない深傷を負うことも頻繁にあり、そのため治療院の世話になることが人一倍多かった。


 それで何度も同じ治療院の世話になり、常日頃から説教を受け、遂には死にかけで運ばれた時、いつも俺を担当していた治癒術師が治療を負えるなり、俺の肩に手を置いて真顔でこう言ったんだ。


「おい…………殺すぞ?」


 ――と。


 そう言う治癒術師の瞳は瞳孔が開き切っていた。


 まさか人の命を救う治癒術師からあんな言葉を聞くことになるなんて……な。


 それ以来、あの治癒術師がいる治療院には行っていない。


 まあ、そういった経験もあり、俺は治癒術師がとにかく苦手なのだ。


 糸目の治癒術師に何を言われるのかと内心身構えていると、彼女は有無を言わさぬ調子で告げた。


「殿方は席を外してくださいね~」


「あ、はい」


 怒られなくて安心した。


 俺は素直に頷き、フィオナの部屋を後にする。


 リビングに戻って茶を淹れて飲んだり、ソファに座ったり立ったり寝転がったり、今日の夕飯は何にしようか考えたりしながら、まんじりともせず時間を過ごした。


 どれくらい時間が経っただろうか。


 たぶん30分くらいだと思うが、それくらい経った頃、ガチャリとフィオナの部屋に繋がるドアが開いた。


 ちなみにだが、フィオナの部屋はリビングのすぐ隣である。


「はい~、治療が終わりましたよ~」


 糸目の治癒術師とエヴァ嬢が部屋から出てきた。


「……どうでしたか、先生?」


 俺はソファからスッと立ち上がって話を聞く。


「そうですねぇ~」


 と、糸目の治癒術師――先生が少し考える様子を見せて、答えた。


「靭帯損傷や骨折、内出血などは、あらかたポーションで回復していたようですがぁ~、筋肉、骨格、臓器諸々、酷いものでしたねぇ~。一気に過剰な負荷が掛かったのかぁ~、まともに機能していませんでした~。いったい何をしたらあんなことになるのか……限度を超えて肉体を酷使した後、毒を飲んで断食でもなさったんですかぁ~? ダメですよぅ、無理なダイエットは~。ぷんぷん」


「…………」


「残っていた主な症状としては~、極度の筋肉疲労、運動神経の微細損傷に~、骨は疲労骨折一歩手前~、臓器は多臓器不全一歩手前~、といったところでしょうかぁ~? 循環器系……特に心臓にも強い負荷が掛かっていたようですねぇ~」


 ぽやぽやと冗談混じりの口調で言ってはいるが、言われた内容は結構深刻だ。


 ポーションは飲ませたのだが、それでも回復し切れないダメージが残っていたらしい。肉体の酷使による疲労と言えばそれまでだが、症状の深刻さは洒落にならないレベルだ。


「まあ、疲労回復、自己治癒促進の治癒術もかけておきましたのでぇ~、これ以上悪化することはありません~。後は良く栄養を摂って~、安静にしていてください~。少なくとも一週間は戦闘禁止ですがぁ~、固有ジョブの探索者さんのようなのでぇ、明日には動けるくらいには回復するはずですぅ~」


「なるほど……了解です。ありがとうございました、先生」


 俺は糸目先生に頭を下げた。


「いえいえ~、商売ですからぁ~、お気になさらず~。お代さえいただければ~、何でも治療致しますとも~」


「…………」


 この人、変わってんな。


 エヴァ嬢も唖然とした顔で見つめているし。


 ちょっと金にがめつそうな糸目先生に、俺は治療代と出張代を色を付けて支払った。


「わ~、こんなに~! あなたは良い人ですね~!」


 分かりやすく喜ぶ糸目先生を玄関までお見送りする。


「あ、そうそう」


 玄関から外へ出ていく直前、糸目先生が思い出したように振り返った。


「戦闘だけじゃなく~、激しい運動も5日は控えてくださいね~?」


「分かりました。本人に伝えておきます」


 素振りとかもさせない方が良さそうだな。


「それから旦那さんも~、夜の営みは控えてくださいね~。我慢できないからって~、奥さんを襲っちゃダメですよ~?」


「…………あ、はい」


 色々訂正するのも面倒だ。俺は頷いておいた。


 俺の返答に満足したように頷き返して、糸目先生は帰っていった。


「はい~、それでは、お大事にぃ~!」



 ●◯●



 さて。


 フィオナの治療も終わり、ようやく本題に入ることができるな。


 俺は人数分の紅茶を淹れて、フィオナの部屋に向かった。


 フィオナはベッドの上で大量の枕やクッションを背凭れにして、どうにか上半身を起こしている。エヴァ嬢はベッドの横に椅子を置いて座っていた。


 ちなみにフィオナは、帰ってきてから俺が糸目先生を連れて来る間に、エヴァ嬢の手によって体を拭かれ、寝間着に着替えている。


 まあ、ポーションを塗りたくったから仕方ないのだが、ポーション特有の薬品の匂いがぷんぷんしてたしな。それから寝間着はエヴァ嬢に借りたのではなく、フィオナ自身のものだ。現在ストレージ・リングは使えなくなっているが、この部屋に着替えは置いてあったらしい。


 俺はエヴァ嬢とフィオナに紅茶を渡し、自分の分のカップを持って、事前に部屋へ運び込んでいた椅子に座った。


「――で、起きてて大丈夫なのか?」


 若干、手をぷるぷるとさせながらも自分でカップを口に運ぶフィオナに聞く。


 帰る道すがら、フィオナは俺の背中で半分以上意識を失っていた。といっても気絶していたわけではなく、うつらうつらと睡魔と格闘していたのだ。


「治療を受けたら、いくらか意識がすっきりしたわ」


 なので、かなり眠いのではないかと思ったのだが、今はそうでもなさそうだ。無理してるだけかもしれんが。


「だから、私も話を聞くわよ」


「わかった」


 まあ、本人が聞きたいというなら聞かせてやろう。もしかしたら無関係どころか、今回、一番の被害を受けたのがフィオナなのかもしれないしな。


「――それで、アーロンさん。お話とは?」


 キリリとした真剣な眼差しとなって、エヴァ嬢がずばりと聞いてくる。


 俺はそれに、ストレージ・リングの中から一通の手紙を取り出して、言った。


「これは昨日、グレン経由でローレンツ辺境伯から俺に届いた手紙だ。こいつを読んでみてくれ」


「ローレンツ辺境伯……というと、グレンダさんのお父上ですわよね?」


「木剣卿ね」


 エヴァ嬢は戸惑いながら手紙を受け取り、サイドテーブルにカップを置いてから手紙を開いた。


 一方、フィオナはすぐにピンと来たらしい。最近は「木剣道」とかも読んでるしな。辺境伯の名前は当然知っていたみたいで、むしろグレンの名を呼ぶよりも親しみを感じさせる。会ったことは一度もないはずだが、良く知っている人、という感じだろうか?


「フィ、フィオナ……?」


「どうしたの?」


「いえ……何でもありませんわ。……コホンっ、それでは、拝見いたしますわね」


 フィオナに何か物言いたげな視線を向けていたエヴァ嬢だが、気を取り直すように咳払いをする。それから手紙を読み始めたその顔が、驚愕に彩られるのはわずか数分後のことだった――。



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