第80話 「夕飯作るから、全部食べなさいよ」
フィオナの背中と尻にポーションを塗りながら傷がないか確認した。
幸いにも斬撃や打撃など、実体による攻撃は受けていないようだった。なのでフィオナがほとんど体を動かせないのは、魔力枯渇に無理な動きを続けた事とその反動による後遺症なのだろう。
念のため、地上に戻ったら治癒術師に診てもらうつもりだが、突然傷が開いたり手足が落ちたりということはなさそうだ。
俺は安堵しながら確認を終えた。
「ぅ、ぅうう…………!! あとで、絶対……ッ、ぶん殴る……ッ!!」
改めてエヴァ嬢に服を着せてもらったフィオナが、エヴァ嬢に膝枕してもらいながらこちらを睨み上げていた。その顔は真っ赤で、瞳は潤んでいる。
ちなみに、今フィオナが着ている服だが、それらはエヴァ嬢の物だ。
どうも偽天使の雷撃を受けた際に、フィオナが身につけていたストレージ・リングが壊れてしまったようなのである。とはいえ、リングは金属製で外観を見る限りは破損している様子はない。破損したのは内部の魔法回路のようで、それくらいなら修理が可能ということだった。
中に入っている荷物も問題なく取り出せるようになると聞いて、フィオナも安堵していたようだ。
まあ、そういうわけでフィオナがリングの中に入れていた着替えは取り出せないため、エヴァ嬢がリングの中に入れていた着替えを貸したというわけだ。さすがにコート一枚じゃあ寒いからな。
――ともかく。
何やら俺が悪いことをしたような雰囲気であるが、それは大いなる誤解である。
神聖な治療行為だとなぜ理解しないのか。
「治療行為なんだから仕方ねぇだろ? 何度も説明したろ?」
俺は呆れながら言った。
「あの、でも、アーロンさん?」
するとエヴァ嬢が、なぜかこちらをジト目で見上げてくる。
「何だ?」
「あんなにフィオナのお尻を揉みしだ――いえ、長時間調べる必要はありましたの? 他の場所と比べて3倍くらい時間が掛かっていたように思いますが」
「当然だ」
俺は即答した。
「臀部は曲面が多いから色んな方向から確認しないと、見落としがあるかもしれないだろ?」
「……そうでしょうか? 目よりも手で確認していた時間の方が長かったようですが」
エヴァ嬢は納得していないようだ。
俺はやれやれとため息を吐く。これだから素人は困るぜ。臀部は脂肪と筋肉の厚い部位だ。良く触って調べないと、奥に異常があるかどうかは分からないだろうが。
ここは専門家として詳しく説明するべきかと口を開きかけた時――、
「アーロン、帰還の準備は整った。そちらはどうだ? フィオナ嬢の容態は?」
イオがこちらに話しかけてきた。
その背後では結界班も含めて討伐メンバーが勢揃いしている。
俺はイオに頷いた。
「ああ、こっちも帰還の準備は大丈夫だ。フィオナは自分じゃ歩けないが、大きな問題はねぇよ。一応、上に戻ったら治癒術師に診てもらうが」
「そうか。命に別状がないのなら良かった。何しろあれだけの大活躍だったからな」
――と、横になっているフィオナに視線をやり、イオは深々と頷いた。
「色々と聞きたいことはあるが、それは日を改めるべきだろうな……」
「そうだな、そうしてくれると助かる」
「うむ。では――地上に戻るとしよう」
そうして俺たちは全員で、結局は一人も欠けることなく、地上に戻ることになった。
偽天使が出現した時はどうなることかと思ったが、終わってみれば上々の結果だったな。
●◯●
36層の転移陣へ向かう道中。
俺は動けないフィオナを背負いながら歩いていた。
ちなみにだが、背中が破けた服は着替え、吹き飛んだ靴の代わりに新しい靴を履いている。
どういうわけだか最近、妙に服や靴の消耗が激しいな。緊急時用に買い足してストレージ・リングの中に仕舞っておくべきかもしれん。
そんなことを考えつつ、意図的に歩く速度を少し遅くして、前の集団から距離を取った。
とは言っても、そう離れているわけではない。そもそもここはまだ迷宮の中だ。あまり距離を置くのは危険だし、何事かと思われるだろう。だから小声で喋れば聞こえないくらいの距離があれば良い。
「アーロンさん? どうしましたの?」
フィオナを心配して付き添うように隣を歩いていたエヴァ嬢が、不思議そうにこちらを向く。
俺は声を潜めてエヴァ嬢に言った。
「悪いがエヴァ嬢、上に戻ったらそのまま俺の家まで同行してくれないか?」
こちらが声を潜めたので、聞かれたくない話だと理解したのだろう。エヴァ嬢は少し距離を詰め、同じく小声で問うてきた。
「フィオナを治癒術師に診てもらうのではありませんの?」
「治癒術師には家まで来てもらう。その後に、話しておくことがある」
何のことか、と聞きたいのを堪えたのだろう。エヴァ嬢は前を歩く集団を見て、それから開きかけた口を閉じ、頷いた。
「……分かりましたわ」
エヴァ嬢に了解を得たので、俺は怪しまれないように歩く速さを元に戻した。
その後は、ゾロゾロと討伐隊メンバーで連なって歩き続ける。
あと少しで転移陣のところに辿り着く――といったところで、そろそろ我慢できなくなった俺は口を開いた。
「……おい、まだ怒ってんのかよ?」
全然力は入っていないんだが、背負っているフィオナが両腕で俺の首を絞め続けていたのだ。無言の抗議である。
「……あんな辱しめを受ければ、当然でしょ……?」
治療行為のことを言っているんだろうなぁ。
まったく、遺憾の意を表明したいところだぜ。
確かに尻は揉みすぎたかもしれないが、断じてそれ以外は真面目にやったと胸を張って言えるのだが。
とはいえ、感情というやつに正論など通じないのも理解している。ここはフィオナの怒りを宥めるために……、
「分かった分かった。じゃあ、代わりに俺の全裸を好きなだけ見て良いからよ」
目には目を。歯には歯を。全裸には全裸を。
全裸を見られたことで羞恥と怒りを覚えたのなら、こちらの全裸を見せることで羞恥と怒りを宥めようというわけだ。
これならば異論はないだろうと思ったが、そうでもなかったようだ。
フィオナは大声で叫んだ。
「――アンタの裸なんてもう見飽きてるわよッ!!」
「――!?」
「「「!?」」」
エヴァ嬢が目を見開きながらこちらを見上げ、前を歩いていた討伐隊メンバーたちが何事かと振り返った。
俺は彼らに「何でもない」と手を振り、「あ、今のは、ちがっ」と慌てているフィオナに問う。
「じゃあ、どうしろってんだよ? 何かしてほしいことがあるなら、何でもしてやるが。……もちろん、可能な範囲でな?」
フィオナの気の済むようにさせてやるのが手っ取り早い解決法だろう。
「……………………」
てっきり謝罪でも要求してくるのかと思ったが、フィオナはたっぷり1分近くも考え込むと、ようやく答えた。
「……じゃあ、今度、私が夕飯作るから、全部食べなさいよ」
と言った。
少々意表を突かれた俺は、思わず問い返す。
「ん? ……そんなので良いのか?」
「うん」
「……そうか、分かった」
と答えると、フィオナが「残さず食べなさいよね」と言うので、それにも「分かった」と了承する。
それからしばらく、ぶつぶつと独り言を呟くエヴァ嬢を隣に歩き続けた。
「……見飽きて……それ……やっぱり…………索者は……欲が強いって聞きますし……」
そして、ふと思い出す。
フィオナの料理を振る舞われるのは、これで二度目だな、と。
一度目はフィオナが木剣を作るようになってしばらくした頃、唐突に「今日の夕飯は私が作るわ」と言って料理を振る舞われたことがあるのだ。
フィオナは遅くまでいるか、泊まっていくことが多い。だから夕飯も一緒に食べるのだが、それは買ってきた物か、俺が作った物ばかりだったからな。
いつもご馳走になっているばかりでは悪いと思ったのだ――と、一度目に料理を振る舞われた後で、フィオナが言っていた。
そうか……つまり、あの料理をもう一度食べられるってことか……。それも今度は完食するまで、お腹いっぱいになるまで、残さず食べられる……以前は一口しか食べられなかった、あの、料理(?)を……。
…………。
…………え?
それってもしかして…………俺、死ぬのでは……?
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