第37話 「権力、か……」
「クックックッ……!!」
自宅。
その一室を改装したアトリエにて、俺は内心から湧き上がる衝動を抑えきれず、思わず笑っていた。
その理由は作業台の上に置かれた一つの物体となる。
自分でも全く予想だにしていなかったことだが、運良く「コレ」を手に入れたことにより、俺は嘘偽りなく世界で最高の名誉を手にする――――その目前に立たされることになった。
「コレ」をああしてこうした暁には、間違いなく俺の名は全世界に轟くことになるだろう。
俺の名声は止まることを知らず、使いきれないほどの金が入って来ることは想像に難くない。そしてそれだけではなく、名声と財力を得ることによって世界中の権力者とコネクションを築くことになり、それは俺自身にも権威という名の実態なき力を与えることを意味する……。
そしてこの場合、権威は権力に等しい暴威を備えることになるだろう。実質、権力を手にする、と言っても過言ではないほどに。
「権力、か……」
今まで権力など欲しいと思ったことはなかった。
いや、それどころか権力に魅入られた者たちの何と愚かなことだろうと、権力という存在に対して冷ややかな視線を向けてさえいたかもしれない。
しかし、いざこうして手の届く場所に権力という存在を目の当たりにしてみると、その魔性とも言うべき抗いがたい魅力に抵抗するのは難しいのだと、まざまざと実感していた。
――覇権。
他に比類する者がいない頂に立つ者だけが手にできる、それ。
ひどく限定的なものではあるが、俺は一つの分野でそれを手中に納められる立場にいたのだ。
「……風晶大樹の芯木……まさかこんな物が手に入るとはな……!!」
そう。
俺に絶対的な権力を与えるかもしれない夢の素材。それこそが目の前の作業台の上に鎮座する淡緑色の半透明な結晶体なのである。
何を隠そう、こいつは『風晶大樹の芯木』だ。
その存在は直近で600年以上昔の【神骸迷宮】で確認されているだけであり、現代には存在しないとされていた。
【神骸迷宮】は100~200年周期で訪れる≪大変遷≫によって、その内部構造や出現する魔物が完全に変化し、それまでに設置した転移陣も≪大変遷≫によって消失してしまうという性質がある。
つまり、それまでの攻略状況が全てリセットされてしまうのである。
他にも変遷後の変化が以前の迷宮の攻略状況などに左右されるという性質もあるのだが、これは長くなるので割愛しよう。
ともかく――この厄介な性質によって、神代から続く【神骸迷宮】は人類の完全踏破を拒み続けていた。もしも≪大変遷≫さえなければ、地道に転移陣を設置し情報を蓄積し、効率的な攻略方法を見つけていくことによって、完全踏破も夢ではなかったはずである。
――なのだが、まあ、そんなことはどうでも良いのだ。
問題なのは≪大変遷≫によって出現する魔物が変わってしまう、ということである。
以前は迷宮に存在した魔物が、≪大変遷≫によって存在しなくなる。それはつまり、その魔物の素材が取れなくなるということだ。
これは我々の業界において、あまりにも巨大すぎる影響だ。
≪氷晶大樹≫や≪風晶大樹≫などの、いわゆる≪
≪火晶大樹≫≪水晶大樹≫≪風晶大樹≫≪地晶大樹≫≪氷晶大樹≫≪雷晶大樹≫≪重晶大樹≫≪光晶大樹≫≪闇晶大樹≫≪聖晶大樹≫――である。
ちなみに魔法属性とは一致していない。ここで魔法属性について軽く説明しておくと、それは以下の通りになる。
「火属性」「水属性」「風属性」「地属性」「火炎属性」「大海属性」「暴風属性」「大地属性」の基本四属性と、その上位属性。
次に「光属性」「闇属性」と、その上位属性である「閃光属性」「暗黒属性」。
最後に特殊属性である「氷雪属性」「雷鳴属性」「重力属性」「神聖属性」「空間属性」の五属性で全てだ。
ちなみに死霊魔法などは「神聖属性」の分野となったり、職人系ジョブには「付与魔法」など、戦闘系ジョブにはない魔法が色々と存在する。
なお、20層の守護者マンティコアが使う「砂塵魔法」のように、複数属性による複合魔法も幾つか存在するが、たとえば「砂塵属性」というような属性はなく、それらは融合魔法とでも言うもので、「砂塵魔法」以外にも幾つか種類がある。
――閑話休題。
……ここまで説明すれば、もうお分かりだろう?
現代には存在しないと思われていた≪風晶大樹≫で木剣を作る。それは未だ誰も成し遂げたことのない快挙だ。だが、それだけではない。
俺がこの『風晶大樹の芯木』を手に入れたのは、【神骸迷宮】46層でのことだった。
浮島の上に生えた≪風晶大樹≫は、自ら風を起こすことで浮島ごと空の上を縦横無尽に移動していたのだ。俺はそれを探索中に発見し、討伐してこの素材を手に入れたのである。
長いネクロニアの歴史上においても、46層以下の探索記録は数えるほどしかない。
もしかすると46層に≪風晶大樹≫がいたように、他の≪属性大樹≫もいるのではないか? 46層以降の特殊性、そしてまだちらりと覗いただけだが、47層の光景を見るに、その可能性は決して低くないように思えた。
そしてそれら≪属性大樹≫の素材を用いて次々と新たなる木剣を作成する俺は、木剣業界において比類なき先駆者となり、比肩する者のない巨匠となるだろう。
まず間違いなく、歴史にその名を刻むことになる……。
「…………ッ!!」
俺はその時の光景を想像し、ぶるりと身震いした。
興奮が、治まらない。
一刻も早く46層以降――「天空階層」を隅々まで探索したい。探索して≪属性大樹≫の素材をかき集めるのだ……!!
「ふぅ……落ち着け、俺」
だが今日はこの後、来客を控えている。
どうしても外すことのできない重要な用件というわけではないが、相手は仕事関係の人物だ。一般常識を身につけた社会人として、一方的に予定をキャンセルできるはずもない。
気は逸るが、ここは我慢するしかないだろう。≪属性大樹≫がどこかに逃げることなどないのだから、問題はないはずだ。
そんなふうに自分自身に言い聞かせていると。
――ドンドンドンドンッ!!
突然、大きな音がアトリエにまで響いてきた。
音の発生源は、おそらく玄関からだろう。想像するに、ドアがノック……と呼ぶには些か強すぎる力で叩かれたようだ。
「誰だ……?」
予定の客人ならばこんな乱暴なノックの仕方をするはずがない。相手は俺と同じく礼節を弁えた常識人だからだ。つまり、それとは別人。
他に可能性があるとすればリオンかとも思ったが……次の瞬間、聞こえてきたのは女性の声だった。
「――いるんでしょ! 開けなさいよ!!」
「…………借金取り……か?」
――ドンドンドンドンッ!!
依然として叩かれ続ける我が家の玄関ドアから響く乱暴な物音に、思わずそう考えたくなってしまったが、今の俺に借金などあろうはずがない。
借金取りに追われていたのは探索者になったばかりの頃、装備を整えるためにちょっと危ない相手から金を借りた時だけだ。
つまりこれは、借金取りではない?
ならば地上げ屋か恐喝の類いだとも考えられるな。詐欺師だったら最初はこちらに警戒心を抱かせぬよう、穏やかな対応をするはずだ。
「ちょっと!! 中にいるのは分かってるのよ!! さっさとドア開けなさいよ!! 蹴破るわよ!! 良いのッ!?」
「…………」
早朝から騒がしいにも程がある。ご近所迷惑になるだろうが。
直接追い返した方が手っ取り早いだろうが、そうすれば相手の思う壺である。俺は静かに居留守することを選択した。
「いい加減にしなさいよ!! 居留守なんて使ってんじゃないわよ!? アンタがこの時間に家にいることは分かってるんだからね!? さっさと出てこないと許さないわよ!!」
なんて奴だ。ストーカーかよ……。
俺は息を潜めながら渋面を作り、さっさと帰ってくれないかと考えるが、望まざる来客は一向に帰る気配を見せない。
そうこうする内、予定の客人がやって来てしまったらしい。
玄関の向こう側から、二人分の話し声が聞こえる。
「おや? お嬢さん、こちらのお宅に何かご用ですか?」
「――は? ……誰、ですか?」
見知らぬ人物(自分より年上に限る)を相手にすると途端に警戒したような敬語になるヘタレっぷり。あえて明言するまでもなかったが、我が家の玄関で声を張り上げていたのはフィオナ・アッカーマンだった。
そしてもう一人、予定していた客人は声からも落ち着いた雰囲気を漂わせるジェントルマンだ。
まさか彼相手に居留守を続行するわけにもいかない。
俺はため息を吐きながら、渋々と玄関に行きドアを開けた。
「おはようございます、タイラーさん」
「おはようございます、アーロン先生。今日はよろしくお願いします」
そこにいたのは柔和な笑みを浮かべた壮年の男性だ。仕立ての良いスーツに身を包み、片手にステッキを下げている。片目にはモノクルをかけており、本当に何となくだがどこかの貴族家で家令でもしていそうな上品な外見だ。とはいえ、本当にそういった職業の人ではない。
一方、タイラー氏から野良猫みたいに微妙に距離を取っている赤髪ポニーテールのフィオナは、勢い良くこちらを振り向くと、突進するような勢いで顔を近づけてきた。
「やっぱりいるんじゃない!! 何無視してんのよッ!!」
「…………」
俺は無言で顔を拭った。唾を飛ばさないで欲しい。
「……何の用だよ? あと、朝っぱらから大声で騒ぐな。近所迷惑だろうが」
そうは言いつつ、こいつの用事なんて何時ものアレだろうと確信している。こいつが突発的に通り魔的犯行に及ぶかの如く、手合わせと称して俺に襲いかかって来るのは毎度のことだ。
「言っておくが、今日は忙しいからお前の相手をする時間はないぞ」
「今日は違うわよ」
ところが、フィオナからは予想外な返事がきた。
「じゃあ何だ? 用件は?」
「……ここでは、言えないわ」
改めて聞くと、フィオナはタイラー氏をちらりと見てから答えた。
ふむ、つまりは他人に聞かれたくない話、というわけか。
「急ぎか?」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
急ぎじゃないのにあれだけ乱暴にウチのドアを叩いていただと? ……こいつ、正気か? という戦慄を喉の奥に封じ込めて、俺は言った。
「見ての通り、これから用事があるんだよ。急ぎじゃないなら後にしてくれ」
「じゃあ、中で待たせてもらうわ」
当然のようにフィオナが答える。少しは遠慮しようという気も皆無。いっそ清々しいな。
「別に構わんが……。タイラーさん、お待たせしました。どうぞ中へ」
「お邪魔いたします」
俺はタイラー氏とフィオナを家の中へと招き入れた。
●◯●
三人で移動した先は、客間ではなくアトリエだ。
勝手について来たフィオナが、何でここに来たのかと、不思議そうな顔をしている。
一方でタイラー氏の方も、俺とフィオナの関係性について疑問を覚えていたらしい。
タイラー氏をアトリエへ通すのは初めてではなく、室内には来客用の椅子も常備している。それをタイラー氏とついでにフィオナへすすめ、腰を落ち着けたところでタイラー氏が口を開いた。
「――ところで、先生」
「ええ、どうしました?」
「こちらの美しいお嬢様は、先生の恋人ですか?」
お嬢様て。
俺は失笑しつつ答える。
「いえ、全然ちが――」
「こ、恋人なんかじゃないわよ!!」
が、フィオナが俺の言葉を遮るように大声で叫んだ。それだけ不本意ということだろう。
対してタイラー氏は、さすがの年の功か、フィオナの大声に驚くこともなく「そうでしたか。それは大変失礼いたしました」と穏やかに謝罪する。
それからこちらに向き直り、
「では?」
という再度の問い。俺は正直に「命を一方的に狙われている関係です」と答えるべきか迷ったが、不要にタイラー氏を困らせるべきではないだろう。ここは当たり障りのない答えを返しておくことに決めた。
「まあ、弟子のようなものですよ」
「は? ふざけないで弟子じゃな――」
「おおおおおおおおッ!!! なんとぉッ!!! まさかお弟子さんでいらっしゃいましたかッ!!!」
「ぴッ!?」
否定するフィオナの声を遮るように、今度はタイラー氏が、先のフィオナに倍する大声で叫んだ。おまけに興奮したように椅子から立ち上がっている。
人が豹変したような様子に、フィオナの口から変な声が漏れていたような気がするが、まあ、聞こえなかったことにしてやろう。
しかし、タイラー氏はなぜここまで興奮しているのか? その理由は次の瞬間に明らかになった。
「ということは次代を担う若き木剣職人ということですなッ!? 遂にアーロン先生の技術を継承するに足る後継者が見つかったということですかッ!! あの数多の木剣職人たちが再現不可能だと断念したッ、先生の秘技、【ハンド・オブ・マイスター】をッッッ!!!」
アーノルド・タイラー氏、54歳。
彼は【神骸都市】最大手の出版社、「ネクロニア・タイムズ」に所属する社員である。
「ネクロニア・タイムズ」はその名の通り新聞刊行から始まった会社ではあるが、今では事業規模を拡大し、自社保有の輪転機を活用して、様々な雑誌や本の出版なども行っている。
その中には俺が幾度となく取材を受けている雑誌「木剣道」もあり、何を隠そうタイラー氏は「木剣道編集部」の編集長を勤めるほどの存在だった。
それはすなわち、この業界でも影響力の大きい第一人者であることを意味する。木剣業界の広報という分野において、彼ほど影響力を持つ人はいないだろう。
そんな彼だからこそ、業界の行く末には敏感だ。数多の職人の中でも極めて特異な技術を持つ俺、『ウッドソード・マイスター』の後継者問題については、俺以上に心配していたと言って良い。
ゆえに、この俺に遂に弟子ができたと知って、この喜びようなのだ。
「これはめでたいッ!! なんとめでたいッ!! 先生の技術はまさに人間国宝とでも称すべきかけがえのない宝ッ!! それが先生の代で失伝してしまうなど、全人類にとってこの上ない損失だと心を痛めておりましたが……遂にッ、遂に見つかったのですな後継者がッ!!!」
「いやぁ……まあ」
……へっ、照れるぜ。
タイラー氏の言葉に何となく面映ゆくなり否定の言葉を忘れていると、しばらく唖然としてタイラー氏の話を聞いていたフィオナが、我に返ったようにして立ち上がり、大声で叫んだ。
「――私は木剣職人じゃないわよッ!!!」
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