第36話 「敗者は勝者に従う」
「――さあ、ここなら良いだろう。邪魔は入らない」
魔鷹騎士団の訓練場から場所は移り、エイルとローガンは今、【神骸迷宮】46層にいた。
雲の上に浮かぶ幾つもの小島。透明な橋や階段で繋がったそれらを渡り、上層へ続く階段がある小島からは見えないほど遠くへと移動してきた。
46層の空にも昼と夜があるのか、前回来た時とは違い、島々は茜色の夕日に照らされている。
当然だが、ここに来るまで何体もの魔物に襲われた。46層に出現する魔物はどれも強力な魔物ばかりであり、普通なら最上級探索者がパーティーで戦うべき相手だ。たとえそれが、一体の魔物であっても。
しかし、ローガンたちはそれを文字通り一蹴しながらここまで辿り着いた。
もちろん雑魚を蹴散らすように無造作に剣を振るったわけではない。それなりに魔力消費の大きい強力なスキルによって反撃の暇を与えずに倒したのだ。
この階層でそれができるのは剣聖ローガンにとっては驚くべきことではない。だが、他の多くの探索者にとっては難しいだろう。というより、ほとんど可能な者はいない、というべきか。
自分以外にそれができるのは、ローガンの知る限りではイオ・スレイマンとアーロン・ゲイルくらいなものだ。
エイル・ハーミットはそうではない。
――そのはずだった。
(……明らかに、強くなっている。私が知るエイルより、ずっと)
ここに至るまで、エイルの戦い方は単純だった。
【隠身】により姿を隠し、【無音縮地】により音もなく魔物に接近し、【オーラ・ブレード】で魔物に短剣を突き刺して、【死毒殺】で毒のオーラを流し込む。
ただし、【死毒殺】も完璧ではない。相手が巨大な場合、流し込んだ毒が効くには時間が掛かるし、毒の量によっては殺しきれないことも、当然ある。
それどころか【死毒殺】自体が効きにくい魔物というのも、一定数存在するのだ。
オーラの毒は本物の毒ではない。相手の体内に入った後、内側から肉体を破壊するためのスキルだ。それゆえにアンデッドや非生物系の存在にも効果はあるが、効力という点では数段落ちる。
にも拘わらず、エイルは46層のスカイ・ドラゴンやエンジェル・エクスシアといった強力な魔物を、【死毒殺】の一刺しで確実に仕留めていた。
言わずもがなスカイ・ドラゴンは巨体であり、エンジェル・エクスシアは非生物系のゴーレムに近い魔物なのに、だ。
こんなことは、本来のエイルには不可能なはずだった。
幾ら強力な固有ジョブとはいえ、【隠者】は斥候ジョブから派生したジョブに過ぎないのだ。本領を発揮するのは偵察や警戒、罠発見に罠解除、潜入工作に暗殺などであり、正面から魔物相手に戦うようなジョブではない。純粋な戦闘能力という点では、他のジョブに劣るのは当然だ。
(それに、身体能力も高まっている……)
先日までの探索では、意図して力を隠していたのだろう。エイルは明らかに全盛期以上の身体能力を保有していた。
(エイルが敵勢力の一員だとすれば、強くなっていること自体に驚きはないが……)
しかし、解せないのはエイルに表面上、何の変化もないことだ。ジューダスたちのように何らかの薬を飲み、それで強化されたという感じでもない。普通の、それこそ素の状態で今の強さに至っている。
もしかしたらジューダスたちも、薬を飲む前の状態から、すでに幾らかは強化されていたのかもしれないが……それを確認する術は今はないし、そんなことに気を回している場合でもなかった。
戦うには十分な広さを持った小島の上で、エイルがこちらを振り向く。
それから僅かに苦笑して、
「しかし、良かったのか? 俺に言われるがまま、こんなところまでついて来てしまって? 待ち伏せや罠があるとは考えなかったのか?」
ローガンたちが騎士団の訓練場からここへと移動したのは、エイルの発言が理由だった。
曰く、邪魔の入らない場所に行こう、と。
それにローガンは同意し、ただ黙ってエイルの後をついて行ったのだ。
もちろん、ローガンとて罠を警戒しなかったわけではない。ただ、それを承知の上で移動したまでだ。
「エイル、君には聞きたいことが色々とあるからね。君が逃げないように、だ」
「ふんっ、傲慢な答えだな。……だが、それでこそ剣聖だ。だからこそ残念だよ。お前が昔の気概を失っていることがな。せめて俺の手で引導を渡してやる……と、言いたいところだが、お前には俺に協力してもらう必要がある」
(……協力?)
エイルの言い回しに一瞬違和感を覚えたが、ローガンは顔色を変えずに続ける。
「断ったはずだが、引き下がるつもりはないようだな」
「当然だ。それに、俺もお前の問いに答えてやる気はない」
「君を拷問したところで無駄だろうな」
「無駄だ。しかし、今の俺を拷問できると勘違いしている思い上がりっぷりは正してやらねばな」
「私も、まさか少しドーピングした程度で勝てると思っている増上慢は、正してあげないといけないだろうな、友として」
「ならば戦うしかないな」
「ああ、戦うしかない」
「敗者は勝者に従う。……たとえそれがどのような事でも、だ」
「良いだろう。望むところだ」
茶番だ。
確たる言質は取っていないが、エイルが敵側の人間であるとほぼ確定した以上、最初から戦うことは決まっていた。
戦い、勝利した方が自らの言い分を通す。どちらも退かない以上、そうなるのは必然だ。
だが、敗者でも自身の死によって勝者の言い分を拒否する選択肢はある。無論、それはエイルであって自分ではないが。
「これが友との永遠の別離にならないことを、願うよ」
言いながら、ローガンは剣を抜いた。
「安心しろ。俺が勝ってもお前は殺さないでおいてやる」
軽口を返しながら、エイルはストレージ・リングから1本のポーションを取り出した。血のように赤い液体が揺れる、特徴的なポーションだ。
そのコルク栓を親指で飛ばし、中身を一気に呷る。エイルは空になった瓶を島の淵から空の下へと投げ捨てた。
そしてすぐに変化は訪れる。
急激な魔力の増大。迷宮深層の守護者にも匹敵するような、強大な魔力の圧力。どこか物悲しい空気に包まれていた夕焼けの浮島で、雰囲気が一変し、張り詰めたような空気へと変わる。
ローガンたちを襲おうと羽ばたき近づいて来ていた一体のスカイ・ドラゴンが、エイルの魔力圧を受けて進路を反転した。
侵入者を襲うという役割を与えられた仮初めの生命が、仮初めの本能によって自らの役割を放棄するほどの威圧感。
それでもなお、視覚で理解できる変化はただ一点のみだった。
目立つことのない茶色だったエイルの瞳が、自ら発光するかのような金色へと変化していく。
「これは……正直、驚いたよ……!」
ローガンは微かに目を見開きながら呟いた。
エイルの変化が、どのような理由で生じているのかは分からない。それでも変化としてはジューダスたちと同じだ。変化のきっかけとなった赤いポーションも同様。
だからこそ、エイルが強化されるとしてもジューダスたちと同程度の強化だと思っていた。
それくらいの強化であったならば、ローガンは当然のように勝つ自信があったのだ。
だが、違う。比べ物にならない。到底使いきれないほどに魔力が増えたところで大した意味はないが、全身に叩きつけられるような威圧感が、魔力以外の何かが強化されたことを明確に教えてくれる。
たとえるなら、それは生物としての格の変化だ。
人間から、人間以上のナニカになったかのような。
エイルが睥睨するような眼差しを向けて、口を開いた。
「残念だったな。ジューダスたちは出来損ないで、俺はかなりの成功体なんだ」
「なるほど……それは、楽しめそうだ」
そして戦いが始まる。
●◯●
常に素早く移動しながら、短剣を振るってオーラの刃を飛ばす。
鋭く、巨大で、力強いオーラの刃が、ローガンへ四方八方から襲いかかる。
それらに対処するローガンは、けれど先程から防戦一方だった。
ローガンの強さは良く知っている。奴は間違いなく天才で、魔力や身体能力などの圧倒的格差を、戦闘技術だけで覆しかねない可能性は、最初から考慮していた。
しかしながらローガンが今の自分に勝る点があるとすれば、それだけだ。
魔力も身体能力も反応速度もスキルの攻撃力も、間違いなく自分が上。それも圧倒的に上だ。加えて自分に油断はなく、戦闘技術自体もそれほどの差はないと自負していた。
客観的に彼我の戦力差を考慮するなら、簡単に勝敗は決する。まさに大人と子供ほどにも、基本性能に差があるのだ。
ローガンという存在を最大限高く見積もったとしても、今の自分に負ける要素はない。
その上で、人間の限界を超越したスキルの強化が、素早い決着へ導くだろうと思っていた。
『
とはいえ、それはエイル自身も知らないことではあるが、アーロン・ゲイルが行っているように、何かのスキルを別のスキルへと変化させるような、繊細な技術の賜物ではない。
根本的にはジューダスたちがやっていたように、スキルに過剰なオーラを注いで威力を高めているだけだ。しかしながら、エイルとジューダスたちでは、一つのスキルに注げるオーラの限界量に天と地ほどの差があった。
たとえば【フライング・スラッシュ】。
斥候系ジョブでも中級の後半になれば修得することができる、汎用剣士系スキルだ。
本来は威力を犠牲に間合いを伸ばしたスキルだが、今のエイルが本気で放てば、その威力はローガンの【飛龍断】をも凌駕する。
あまりにも強化され過ぎたスキルは、もはや別のスキルのように見えた。
本来は弱いはずの斥候系ジョブの攻撃スキルが、ただの力業によって剣聖スキル以上の破壊力を持つようになる。実際、ローガンの【飛龍断】も【龍鱗砕き】も【壊尽烈波】もその他のスキルも、威力ではエイルの攻撃を上回ることはなかった。
ゆえにローガンから距離を取りつつ、過剰強化したスキルを放つだけで勝敗は決するはずだった。
『隠者』特有の俊敏な身体能力を遺憾なく発揮して、間合いを詰めさせず、さらに常に死角へと回り込みながら、エイルはローガンを攻め立てる。
【フライング・スラッシュ】変化――オーバースキル【空裂断】
圧倒的な力で何もかもを断裁する必殺の刃が四方八方からローガンを襲う。
元は単なる【フライング・スラッシュ】であり、矢継ぎ早に幾度も発動するのに何の問題もなかった。多量のオーラを注いでいるとはいえ、それでもスキル発動にかかる時間は【飛龍断】より断然早い。
「どうしたローガン!? その程度かッ!?」
「――ぐうッ!?」
対するローガンは【飛龍断】や【壊尽烈波】でエイルの【空裂断】を迎え撃っていたが、それもすぐに限界が訪れる。
確かに【空裂断】は【飛龍断】すら切り裂く常識外れの力を持っていたが、スキルで迎え撃てば相殺することは可能だ。【飛龍断】を切り裂いてなお、ローガンを襲うような威力は【空裂断】にはない。
とはいえスキルの発動が早すぎて、【飛龍断】や【壊尽烈波】という大技で迎え撃つには、すぐに手数が足りなくなった。
それでも防御と回避を交えながら何とか攻撃を凌いでいく。
一向に止む気配のない刃の雨が、ローガンの周囲で地面に叩きつけられ、浮島に深い亀裂を生んでいく。
また厄介なのが、ジューダスを相手にした時とは違って、エイルの【空裂断】は全方向から襲ってくるということだ。前方だけに意識を集中すれば良かった以前と違い、これを捌くのは容易ではない。間断なく襲って来る刃の雨は、ローガンの不意を突くように、絶妙にずらされたタイミングで放たれている。
長い付き合いのローガンですら、攻撃の癖を全く読めない。
それでも。
「――舐めてもらっては困るッ!!」
ローガンは、早々にスキルで相殺することを諦めたようだ。
剣身にオーラを纏わせ、高速で飛来する【空裂断】に合わせていく。
――【パリィ】
弾き、軌道を変え、敵のスキルで敵のスキルを相殺する。一手でも間違えれば、あるいは反応が遅れれば、そのまま呆気なく命を落とすだろう綱渡りじみた現状。
どれをどう弾くかなど、考えている暇さえない。
ただ自らの経験と技量を信じ、直観に従って剣を閃かせる。
「まさか、一撃も当たらないとは」
そしてローガンは耐え凌いだ――凄まじい精度の【パリィ】によって。
このまま続けたところで仕留めきれないと悟ったエイルは、一旦攻撃の手を止めて口を開く。
「……流石だな。もうそこまで身につけていたのか」
無駄な鍛練だと思っていたが、意外にも、すでに実用的な域へ達していたらしい。
エイルは素直な称賛と共に、自らの選択が誤っていたことを悟る。『隠者』の戦い方は、力任せに戦うことではない。これでは力に振り回されているのと同じだった。
「謝罪しよう。どうやら無意識にお前のことを侮っていたらしい」
「まだまだ、だ。まだ、君は私を侮っているようだぞ?」
僅かに息を乱しながら言うローガンの言葉に、エイルは冷たい笑みを浮かべる。
「ここからは俺本来の戦い方に戻る。もうお前に勝ち目はない。……早めに降参しろ」
そうしてエイルは自分本来の戦い方に戻る。
すなわち【隠身】で姿を隠し、奇襲する戦法。
【隠身】スキルはかなり強力なスキルだ。何しろ、使い方によっては敵の目の前から姿を消すことができるのだから。
ただし欠点がないわけではない。
姿を消すといっても実際に見えなくなるわけではなく、既に視界に捉えられた状態から有効に発動するには、さらに別のスキルを使う必要がある。それが【気配擬装】だ。
【気配擬装】が装うことができるのは、気配の質だけではない。たとえば殺気を含んだオーラを飛ばすことで、気配の動きさえも偽ることができる。
特に戦闘系ジョブの人間はオーラの気配に敏感だ。瞬時にそれを知覚すれば、条件反射のように無意識に反応してしまう。
【気配擬装】によって動き出しにフェイントを挟むことによって敵の視線を刹那誘導し、その瞬間に【隠身】でオーラや魔力を感知されないよう完全に体内へ留めながら、素早く、かつ静かに移動することで視界の中から消えたように見せることが可能だ。
それは目の前で見ていてさえ、忽然と姿が消えたように錯覚するだろう。
エイルは極めて高いレベルでこれらを行えるが、流石にローガンレベルの強者を真正面から欺くことはできない。
そのため、遮蔽物による死角を利用することにしたのだが、現在戦っている浮島には遮蔽物がない。木々も遺跡もなく、ただ丈の短い草だけが苔のように地面を覆っているだけだ。
「場所を変えさせてもらうぞ」
「君の有利な場所に私が移動するとでも?」
「移動するしかないんだよ。こういうふうになッ!!」
エイルは短剣を地面に突き刺した。
その直後、呆れるほど莫大なオーラが浮島内部に放たれたのをローガンも知覚したことだろう。その証拠に目を見開き、頬をひきつらせる。
隠者スキル【死毒殺】変化――オーバースキル【壊塵】
対象を内部から破壊するオーラの毒。本来であれば人体一つを破壊するのが精々の規模だ。
しかし、過剰強化されたそれは、対象の内部にオーラさえ送り込めれば、自分より遥かに巨大な物であっても塵のように破壊することができる。
浮島全体に亀裂が走る。断末魔のように巨大な破砕音が鳴り響く。
その直後、エイルたちが立っている浮島がふわりと落下を始めた。浮島の下部が塵のように崩壊し、浮遊機能を消失したのだ。
「足場を失って困るのは君の方だぞッ!!」
いち早くローガンは【天駆】を使い空中に逃れようとした。
【天駆】は足底をオーラで覆い、さらにその下に一瞬だけオーラの板を発生させることで、オーラ同士の反発力を用いて足場と成すスキルだ。
キンッキンッと澄んだ足音を響かせながら宙へ駆け上がるローガンに向かって、
「もう少しゆっくりしていけッ!!」
エイルが放った無数の【空裂断】が襲いかかる。
刃はローガンの進路を塞ぎ、同時に足元の地面へと衝突する。それが最後の一押しになったのか、浮島が粉々に砕かれた。
無数の岩塊と共に落下を始めるローガン。
「こう見えて忙しいのでね!! 長居は遠慮するッ!!」
しかし、すぐに【天駆】を使って空を駆ける。そのまま遮蔽物のない浮島を目指して空中を走り始めたが――、
「寂しいことを言うなローガン!」
「チィッ!」
エイルは分厚い弾幕のように無数の【空裂断】を放ち、ローガンの進路を無理矢理に誘導した。
結果、ローガンが降り立ったのは古びた石造りの遺跡が建つ浮島の上だった。
一方でエイルも、落下する岩塊を足場にローガンと同じ島へ降り立っている。島と島の距離は近いところでも数十メートルは離れているが、今のエイルならば【無音縮地】で跳躍すれば、移動するのは容易な距離だ。
そしてここに至るまで、ローガンの視線が自分から途切れた瞬間を狙い、既に姿を眩ますことに成功していた。
「…………」
音を立てず、気配を発さず、死角に潜みながら攻撃を通すための隙を窺う。
一方でローガンもエイルが奇襲を狙い、不意を突くつもりであるのは理解しているのだろう。
姿の見えない敵の奇襲を防ぐために、ローガンは高速で移動し始めた。
そしてそれは正しい。
今のエイルならば、遺跡の壁一枚挟んだ向こう側から、壁を貫いて致命の一撃を不意に放つことさえできるからだ。立ち止まって周囲を警戒していても、一方的に攻撃されるだけ。
それを悟ったローガンと、巧妙に姿を眩ますエイルは、高速で幾つもの島々を移動しながら戦いを繰り広げる。
無尽蔵に放たれる【空裂断】によって、木々が、遺跡が、島そのものが衝撃に震え、斬撃の痕を刻まれていく。
どちらももはや、無駄口を叩かない。戦いの音だけが天空の島々に響き渡る。
ローガンは的確にエイルの攻撃をいなし続け、エイルは常に姿を眩まし続けている。
二人ともに決定打はなく、一見すると戦況は膠着状態に陥っているように思えた。
だが、狩人はエイルで、ローガンは逃げ回る獲物だ。
(勝った……)
死角から放つ【空裂断】を【パリィ】で何度もいなされながらも、エイルは声を出さずに確信した。
さすがにある程度まで近づけばスキルによる隠形は察知されてしまう。それゆえに遠距離攻撃を放ちながら常に移動を続け、居場所を掴まれないようにしているから、こちらの攻撃もなかなか通らない。
それでも体力魔力の持久力は、自分の方が圧倒的に上だ。おまけに攻撃は通らないと言っても、完璧ではなかった。戦闘時間が長引くほどに、エイルの攻撃は通りつつあった。
「ぐ……ッ!」
【パリィ】で弾いた【空裂断】が、十分に弾き切れずにローガンの腕に、胸に、足に掠り始める。
どこまで技量を磨いたところで、その実力を長時間発揮できるわけはない。体力を消耗すれば当然のようにミスは増えるし、負傷による痛みは動きを僅かに遅滞させる。血を流せばさらに体力は失われ、さらにミスは増える。
身体性能の大きな格差が、時間が経つごとに両者の明暗を鮮明にしつつあった。
少しずつ少しずつローガンの負傷が増えていく。少しずつ少しずつ流れる血が増えていく。すでに瞳は焦点を結ばず、直観のみでこちらの攻撃を捌いている有り様だった。それまで動き続けていた足もすでに止まっている。
「はぁ……、はぁ……っ!」
(ローガン、これで終わらせてやる……)
ほんの少しのやるせなさを感じながら、エイルは決断した。
この戦いを終わらせるため、ローガンの背後へと無音で駆け出す。
そして次の瞬間――――戦いは決着した。
●◯●
「…………」
けたたましい衝撃と破壊の大音が止んで、幻想的な天空階層にふと静けさが舞い戻ってきた。
戦いは熾烈を極めた。
体感としてはもう何十時間も戦っていたような気がするが、実際の時間経過としては、20分足らずの出来事だろう。
その証拠のように、空を見上げれば半分が藍色で、もう半分はまだうっすらと赤い。日が沈みきってさえいなかった。
一度の戦闘時間としては、決して短い時間ではない。全力戦闘としては、長い部類に入るだろう。
だが、戦闘系の固有ジョブを持つ者にとって、これくらいの戦いなら余裕とはいかないまでも、何とかこなせるだけの体力はあるはずだ。さらに常人よりも遥かに強化されている己ならば、時間経過だけを見れば余裕のはず。
しかし、エイルは今、指一本動かすことさえ億劫なほど、強い疲労感に苛まれていた。
浮島の一つで、エイルは空を見上げながらローガンに言う。
「ローガン、お前は強さに貪欲な人間だ。だから、自分よりも強い奴が現れた時、形振り構わず力を求めると思っていたんだがな……残念だよ」
アーロン・ゲイルというローガンすら上回る怪物の存在を知った時、エイルはとある計画を立てた。それは長年かけて練り上げた計画ではない。自らの目的を遂げるための好機がやって来たことを感じて、急遽考えた計画だ。
その計画の半分は成功し、そしてもう半分は今、失敗しようとしている。
成功したのは≪迷宮踏破隊≫を生き残らせること。
それはもしかしたら、自分が何もしなくてもそうなっていた可能性は高い。もしも自分がジューダスたちと共にクラン壊滅に動いていたとしても、ローガンやアーロンが何もかも打ち砕いていたかもしれない。それでも自惚れでなければ、自分が本気で敵対した場合、クランとしては機能しないほどの被害を与えることもできたと、エイルは思っている。
だから元々の計画を無理に変更させたのだ。ローガンという強力な駒を餌にして。
そして失敗しようとしている半分は、ローガンを味方に引き入れること。
ただしそれは、「組織」の味方という意味ではない。エイル自身の味方だ。
だがそのためには、ローガンを「組織」に入れなければならなかった。そしてその際、エイルは事情をローガンに説明することが
極めて迂遠ではあるが、自らを縛る契約の隙を突くにはそうしなければならなかったのだ。
それは途中までは上手く行っているように思えた。
エイルの知るローガン・エイブラムスという男は、強さに貪欲で、強くなるためなら何でもするような人間だった。たとえそれが人体改造じみた外道の手段だとしても、自分を超える人間が傍にいたなら、それを超えるために外法にすら手を出しただろう。
それほどの強さに対する執着。常人を遥かに凌駕する意思の力こそが、ローガンの強さの源泉だ。
才能だけで至れる強さなど、高が知れているのだ。
ローガンは確かに天才だったが、彼が今の強さに至ったのは、強さに対する圧倒的な執着があったからに他ならない。
しかし、生きていれば人間の性格や考えなど変わることもあると、エイルはもっと真剣に考えるべきだったのかもしれない。昔から良く知る友の内面が、今もそのままである理由など何もないというのに。
「昔のお前なら、自分が誰かに負けることなど、決して許さなかったはずなのにな……」
「私は今でもそのつもりだよ。ただ、手段は選ぶようになったというだけだ」
エイルの呟きに、ローガンが返す。
声は上から振ってきた。
地面に仰向けとなって倒れているエイルを、ローガンが見下ろしているのだ。
仰向けのエイルは、血溜まりの中に倒れていた。それは敗者の姿。
勝者はローガン・エイブラムスだった。
だが、その体には大小様々な傷が刻まれている。満身創痍といっても差し支えない。
戦いはローガンが終始防戦一方だった。それは間違いない。だが、最後にはローガンが勝った。徹底的に防御に専念し、致命傷に至らない攻撃をわざと受けることで常に劣勢を演出し、負傷によって度々生じる隙を不自然と思わせないようにエイルの意識を誘導した。それだけにおよそ20分にも及ぶ戦闘時間のほとんどを費やし、こちらの攻撃を誘い込んだのだ。
そこを突かれた。
勝利が確定したと思った瞬間の、油断とも言えない僅かな隙。
ローガンは誘い込んだ止めの一撃をあえて紙一重で躱し、こちらの胴体に袈裟懸けの一閃を叩き込んだ。
この一撃で普通ならば致命傷に至るような、深傷を負わせられてしまった。
鎖骨、肋骨、胸骨が断たれ、辛うじて心臓は無事という有り様。傷は深く、無造作に動くこともできない。戦闘の継続などもっての他だ。
「以前までのお前なら、絶対にしない戦い方だった」
普通なら喋ることも困難な体で、エイルはしかし、静かだが淀みない口調で話す。
剣聖ローガンは絶対強者だった。
ゆえにこのような、弱者が逆転を狙うための戦い方はしなかったのだ。
「自分でも驚いているよ。弱者の立場になって、弱者なりに勝つための方法を考えていたからね」
「そうか……」
まさか『
敗因があるとするなら、それはローガンという男を侮ったことだろう。結局ローガンには、自分の弱さを受け入れる心の強さがあったのだ。長い付き合いだというのに、それを見抜けなかったことがこの戦いの敗因であり、計画失敗の原因でもあったに違いない。
それでも不思議と、エイルは悪い気分ではなかった。
ここで死ねば、長年の労力が水の泡と化す。そのことが理解できていても、友の意外な強さを知れたことが嬉しかった。
「さて……敗者は勝者に従うのだったな?」
ローガンの確認。
エイルは苦笑するしかない。彼の望みが予想通りのものなら、自分はそれに応えることができないからだ。応えない、のではなく、応えられない。その違いは大きかった。
「ローガン、俺は、お前の問いに、何も答えることはできない……今は」
「ふむ……?」
「その上で、お前に頼みがある」
「……私が勝ったのだと思ったがね?」
「恥知らずなのは、承知の上だ」
まず間違いなく断られるだろう。駄目で元々。言うだけならタダ。そんな投げ遣りな心境で口にする。
「死ぬかもしれない。社会的に悪人として、断罪されるかもしれない。きっと誰も称賛してくれないだろう。だが、それでも…………頼む。俺たちの側へ、来てくれ」
真っ直ぐにローガンの目を見上げて言った。
我ながら無茶苦茶なお願いだ。この後は断られて、殺されるか身柄を確保されるかのどちらかだろう。エイル自身でさえ、そう確信していた。
だが、同じく真っ直ぐにこちらの目を見返したローガンは、何かを確かめたように頷いた後、笑ってこう言ったのだ。
「…………何だ、そういうことだったのか? ならば話は別だ。――良いだろう。たった今から、私は【封神四家】を裏切り、エイル、君たちの側に……いや、君の側に付こう」
「…………は? ……なん、だと? ローガン……正気か?」
愕然として問うエイルに、ローガンは平然と頷く。
「正気だ。……そんなに驚くことかね?」
「当たり前、だ。お前が今までに得た、名声の全てが、無になるかもしれないんだぞ? それどころか、汚名を被る可能性も高い。……それでも良いのか?」
「名声に拘りはないよ。それに、そんなものは友の頼みに比べたら些末なことだ」
「頼み……」
「そうだ。まだ君がおかれた事情を正確に理解したわけではないが、おそらく君のやっていることは正しいのだろう? 少なくとも、君は自分自身に負い目を感じていないように見える。つまり、自分は正しいことをやろうとしている。そう確信しているのだろう?」
「…………」
「君は一人で戦っていた。おそらくは孤独な戦いだったんだろう」
「…………」
「謝らないといけないな。仲間なのに、気づいてやれなくて、すまなかった」
「…………」
「だが、エイル。君も君で悪い。最初からこんな回りくどいことをせずとも、ただ私に、こう言えば良かったんだよ。――頼む、ローガン、何も聞かずに協力してくれ、とね」
「…………」
ローガンはこちらを見て、苦笑した。
目頭が熱い。涙。人前で泣くのなんて、何年ぶりだ? 思い出せないほど昔のことなのは、確かだ。良い歳したおっさんが、と情けない気もする。だが、それ以上に嬉しいと感じている。同時に友の名声を汚すことを、今更ながら、すまなく思っている。自らが大義と信じることのために、友の名を汚すことは果たして大義と言えるのか? エイルには今も分からない。
それでも友は、何も説明できない自分を信じてくれた。
――ローガン。俺の方こそ、すまなかった。仲間なのに、そこまで信じることができなかった。
エイルは涙を流しながら、苦痛を堪えて、不細工な笑みを浮かべて――言った。
「……頼む、ローガン、何も聞かずに、協力してくれ」
「ああ、任せろ」
そしてローガンとエイルは、この日を境に、しばらく表舞台から姿を消すことになった――。
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