第35話 「お前なら、もっと強くなれる」


≪迷宮踏破隊≫が45層を突破し、46層へ新たなる転移陣の設置に成功したことは、探索者ギルドを通して大々的に発表された。


 そしてクランのメンバーが決して少なくない数、犠牲となってしまったことも。


 世間は最上級探索者が12人も死んだことに衝撃を受け、驚愕の声をあげながらも、此度達成された歴史的な快挙に沸き立っていた。


 ギルドとしても優秀な探索者が12人も亡くなってしまったことは大きな痛手だったが、新たなる転移陣の設置にはそれを遥かに上回る利益がある。


 そもそも探索者の死亡率は高く、最上級探索者といっても例外ではない。


 12人という犠牲が多いか少ないかは議論の分かれるところではあったが、この犠牲を≪迷宮踏破隊≫の瑕疵として責め立てる者は皆無だった。


 とりあえず、影響力という点で声の大きい者たちは、これを想定内かつ許容範囲内の犠牲と判断したのだろう。


 それだけ探索者の死というものは身近であり、珍しくも何ともないのだ。


 加えて……この12人の死者が、本当は何者であったのか――それが表沙汰にされることもなかった。



 そして――≪迷宮踏破隊≫が46層から帰還して2日が経った頃。



 各方面への報告やら事後処理やらをようやく終えて、少しばかり時間のできたローガン・エイブラムスは、ここ最近夢中になっている鍛練に取り組んでいた。


 場所はキルケー家の敷地内。


 その一画を占める魔鷹騎士団の詰め所に隣接した訓練場だ。


 大勢が同時に訓練できるように広い面積を備えた場所だが、今はローガンの他に人の姿はない。空はとっくに赤く染まっていて、影は深く濃く、そして長く伸びつつある。もうそろそろ日が沈もうかという時間帯。


 薄暗い訓練場の中央で、ローガンは一人、鍛練に没頭する。


 キンッ、キンッ、キンッ!


 ――と、一定のリズムで涼やかな金属音が響く。


 たとえるなら、鍛冶師が金槌で金属を打つ時のような、澄んだ音色。ただし、場所を考えるなら剣と剣が打ち合う音、だろうか。


 しかし、それは剣と剣が打ち合う音でもない。当然だ。ローガンは一人なのだから。


 そもそもローガンは、剣を振ってさえいない。


 半身の姿勢で深く腰を落とし、長剣を両手で握り、肩の高さで地面と水平に構えているだけだ。そこから僅かたりとも、体も剣先も動かすことはない。全くの不動だ。


 ただし、構えた長剣は静かなオーラで覆われていた。


 その剣身――正確には天を向いた剣の腹に、一定のリズムで衝突する物体がある。


 それは親指ほどの大きさをした、鉄の球体だ。


 それが落下して剣に衝突すると、跳ね返って再び宙に飛んでいく。


 そしてまた重力に引かれて落下すると、ローガンが構えた剣に衝突し、再び宙へ。その繰り返しだ。


 だが、不思議なことに鉄球が剣を打つリズムは一定であり、宙へ跳ね返る高さも一定であった。如何に真上へ跳ね返るように衝突する場所を制御したとしても、本来なら段々とエネルギーを失っていき、リズムは速く、そして跳ね返る高さは低くなっていくはずだ。


 そうならない理由は単純。


 ローガンの剣を覆っている静かなオーラ。初歩的な剣技スキルの一つ、【パリィ】。


 触れた物体を弾き返すオーラが、落下運動によって消失したエネルギーを補充しているからである。


 しかしながら、ローガンが行っている事はそう単純なものではない。見る者が見れば、その異様さに目を疑うことだろう。


【パリィ】によって何かを弾く時、その方向を精密に制御することは難しい。


 というより、多くの者は「不可能」だと答えるだろう。そして一部の者は「無意味」だと答えるはずだ。


 なぜならば、【パリィ】を発動して剣を覆うオーラの流れには揺らぎがあり、通常、均質ではない。オーラが微妙に厚い場所もあれば、逆に薄い場所もある。そしてその揺らぎは、一定ではない。常に術者が意識しないところで流動している。


 そうして生まれる微かな差違が、何かを弾く際に力の加わる方向を複雑に変化させてしまうのだ。


 ゆえに【パリィ】で物体を弾く時、その方向を制御することは非常に困難となってしまう。


 この問題を解決する方法は一つだけ。すなわち、スキル――【パリィ】の熟練のみ。


 だが、【パリィ】というスキルを好んで使う者は、非常に少ない。敵の攻撃を防ぐにも、回避するにも、相殺するにも、【パリィ】以上に簡単で使い勝手の良いスキルは数多く存在するためだ。


 そもそも【パリィ】を使いこなすには、スキルの熟練以上に純粋な剣技の腕が必要となる。


 か弱い人間など容易に一撃で死へ追い込むような魔物が跳梁跋扈する場所で、次々と襲い来る敵の攻撃を前に、少しでもミスれば即死亡に繋がるようなスキルなど、ほとんどの者は使わない。


 敵の攻撃を真正面から防ぐなら、盾士に任せれば良いし、回避するなら移動系のスキルを使えば良いし、相殺するなら威力が高く、あるいは範囲が広いスキルを使えば良いのだ。


【パリィ】など、全くの不要。鍛えるだけ無意味。


 才能に恵まれた高位の探索者であればあるほど、そういった考えは根強くなる。


 ローガン自身も、それは例外ではなかった。


 ――だが。


 とあるきっかけから鍛え始めてみれば、これがなかなかに面白いスキルだと感じつつある。敵の攻撃を意のままの方向へ、意のままの強さで弾き返すことができるなら、使える場面も生まれることだろう。


 しかし、ローガンの目的は【パリィ】を熟練することでは断じてない。それは手段だ。


 本当の目的は【パリィ】を熟練した先にあるかもしれない、オーラの完全制御。


 現在行っているこれは、そのための鍛練に過ぎない。とはいえ決して容易な鍛練ではなく、ローガンは不動にも拘わらず全身が汗だくとなっていた。


 オーラを制御するために、多大な集中力を要求されるからだ。


 それでもすでに、この鍛練を始めてから2時間は経過しているだろうか。


 ――ふと。


 キンッ、という鉄球を跳ね返す音が、それまでと変わった。


 今までよりも強く、高い音へと。


 高く高く宙へと跳ね上がった鉄球。ローガンは徐に構えを解くと、【パリィ】を発動したまま、軽く剣を振った。


 落下してきた鉄球が剣身に当たり、制御された【パリィ】によって訓練場の隅、暗がりの方へと勢い良く飛んでいく。速さだけなら射られた矢を凌ぐほどだ。


 だが、高速で撃ち出された鉄球が訓練場を囲う石壁に当たることはなかった。微かにパシンッと、軽い音が響く。飛んできた鉄球を手のひらで受け止めた音だ。


「……何か用か、エイル?」


 ローガンが真っ直ぐに視線を向けた先、暗がりの中からスッと一人の男が姿を現す。


 闇に溶け込むような黒い装束を身に纏っているのは、名を呼んだようにエイルだった。


「……ずいぶんと、珍しい修行をしてるな」


 エイルは問いには答えず、ローガンの鍛練について言及した。


 珍しい、というよりは、普通ならまずはしないような鍛練だ。言われたローガンは苦笑しつつ答える。


「オーラを制御できないかと思ってな。色々と試行錯誤している段階だよ」


「オーラの制御なら、十分に出来ているように見えたが?」


「ふっ、エイルも分かっているだろう? ただのスキルとして利用するなら今のままでも十分だろうが、私が望むのはそれ以上だ」


「……アーロンのようにか?」


「ああ」


≪迷宮踏破隊≫として何度も一緒に迷宮へ潜り、その戦闘を何度も傍で観察した。だからこそ分かることがあった。


 アーロン・ゲイルは剣聖ローガンや隠者エイルをして、見たことも聞いたこともないようなスキルの数々を行使していた。


 判明している固有ジョブと、それらで修得することができるスキル。調べられる限りのスキルを調べてみたが、アーロンが使うスキルの中には、そのどれとも一致しないスキルが幾つかあった。


 全く未知の固有ジョブにアーロンが覚醒した、という可能性も否定できるものではない。


 しかし、その可能性は限りなく低いだろう。ならば後は、どんな可能性が考えられるか?


 ローガンは考えた。


 アーロンは自分たちとは次元の違う領域でオーラを制御することで、既知のスキルを未知のスキルへと変化させているのだと。


 たとえば【スラッシュ】と【ヘヴィ・スラッシュ】、【オーラソード・レイン】と【ダンシング・オーラソード】というように、同じ系統のスキルを利用して、別の同一系統のスキルへ変化させているのではなかろうか?


 それならば、果てしない修練と熟練によって可能なのではないかとローガンは考える。


 だが、それを実行するにはどれほどの鍛練が必要となるのか。


 そして、自分にもそれは可能なのか。


 ローガンは自ら試すことで、二つの推測を確かめようとしていた。


「ローガン……」


 おそらくは同様の推測に至っているはずのエイルが、不思議な眼差しでローガンを見た。


「お前も……老いたな」


「……」


 眼差しに込められた感情の正体に、気づくのがほんの少し遅れた。なぜならそれは、まだまだ探索者としても駆け出しの新人だった頃、それくらい時を遡らなければ覚えのない眼差しだったから。


 ――哀れみ。


 可哀想な者を見るような眼差し。


「エイル……どういう、意味だ? 君のことは本当の友だと思っている。ゆえに……忠告しよう。自分の発言には、気をつけるべきだと……」


 うっすらと笑みを浮かべながら、告げる。並みの魔物なら裸足で逃げ出すような威圧を込めつつ。


 だが、エイルは意に介する様子もなく、依然として変わらぬ視線のままに続けた。


「剣聖ローガン。お前はこの俺から見ても頭抜けた天才だよ。俺はお前が誇らしかった。お前と一緒に【神骸迷宮】の攻略階層を次々と更新していった時、俺はお前と一緒のパーティーを組めたことに神へ感謝すらした……。間違いなくお前の、そして俺たちの活躍は伝説になると思ったし、事実、そうなった。仲間たちを3人喪い、現役を退くことにはなったが、たった6人で45層を突破した記録は、今も破られてはいない……一応な」


「……何が、言いたい?」


「見ちゃいられない」


 と、エイルは語る。


「そんなお前が、誇らしかった俺たちの剣聖が、いまや、二回り近くも年の離れた若造の真似事をしようとしている……自ら若造の後塵を拝していると宣言するかのごとき所業だ! 情けないとは思わないのか?」


「……強くなるためなら、プライドに拘るつもりはない」


「――勝てるのか?」


 こちらを揺さぶるようなエイルの言葉に、だがローガンは確然とした口調で答える。自分が最強であるなどと自惚れたことは一度もないからだ。


 しかし、続けて放たれた問いには、口を閉ざさざるを得なかった。


「どうやら新しい修行方法を見つけたみたいだが、それをやって、勝てるのか?」


「……手応えは感じている。続ければ強くなるという確信はある」


「いったいどれくらいの時間、修行すれば良いんだ? お前が強くなる間にも、おそらくアーロンも成長するだろう。そして年齢はアーロンの方がずっと若い。何時までも現役でいられるなど幻想だ。探索者だって老いには勝てない。……もう一度聞くぞ、ローガン? ――勝てるのか?」


「……」


 聞かれたくないことを、ずばり聞かれた感じだ。


 それはローガン自身も薄々気づき、目を背けていた事実でもある。


 今のままでは自分は、アーロン・ゲイルに勝つことができない。それどころか実際の力量差は大きく離れているとも感じていた。もしも本気で殺し合えば、おそらくは「手加減」されてしまうだろうほどに。


 そう確信に至ったのは、先日の45層での出来事がきっかけだ。イグニトールに対してアーロンが為した話を、フィオナやカラムたちなどから聞き、そして確信に至った。アーロンと自分の実力が、それほどに離れてしまっていることを。


 ――この自分が、剣聖が、手加減された上で負ける。


 剣士として、探索者として、戦士として、人生の全てを捧げて来た自分にとって、それはなかなかに許しがたいことかもしれない、と思った。


 自分が最強であると自惚れたことはない。


 だが、いつも最強でありたいとは思っていたのだ。


 だからこそローガンは、ふっと笑う。


「エイル、君は寡黙な男だが、口は上手いな。口では勝てそうにない。だから率直に問うとしようか……君の、いや、君たちの目的は何かね? 君の迂遠な語りようからすると、私を殺すつもりではないようだが?」


「…………気づいていたのか」


「そりゃあ気づいていたさ。長い付き合いだ。君ならジューダス君たちをあの場でさくっと拷問し、情報を引き出してもおかしくなかった。あの時は君も歳を取って丸くなったのかと思いたかったが……もしかして、私に気づかせようとしていたんじゃないか?」


「…………」


 エイルはにんまりと口角を上げ、亀裂のような笑みを浮かべた。


「……そこまで分かっているなら、聞いておこう。ローガン……こちら・・・に来い。お前なら、もっと強くなれる。それこそ、アーロンよりも」


「ふっ、そういうことか」


 ローガンも笑い、そして答えた。




「――だが、断る」




「あ?」


 予想外だったというように目を見開くエイルに、ローガンは言った。


「誰かに与えられた強さになど、興味はない。そんな力で戦ったところで、少しも楽しいとは思えないのでね」


 長い沈黙の後、エイルが再度口を開く。


「…………負けるぞ? まさか、この期に及んで理解していないわけではあるまい? 奴とイグニトールの戦いを聞いていないのか?」


「もちろん聞いているさ。聞いただけでも凄まじい強さだ」


「お前が奴に勝つには、もう普通の方法では不可能だ」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それはやってみるまで分からないさ」


「……そこまでか? ローガン……お前はそこまで老いていたのか?」


「若い頃から変わってなどいないつもりだがね」


「…………」


 エイルは俯いてしばらく沈黙したかと思うと、深いため息を吐いてゆっくりと顔を上げ、


「……仕方ない。この方法は取りたくなかったが……」


 言った。


「ローガン、俺と戦え」



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