第34話 「全て事実だ」


 暗闇。


 何処にあるとも知れない無明の空間において。


 いつも以上に重苦しい空気を感じて、男は歪みそうになる表情を努めて制御した。


 暗闇の向こうに感じる女の気配が、明らかに不機嫌だったからだ。


 自分の進言で計画に変更を加えたことは、やはり失策だったかと少しばかり思う。


 だが、かといって、たとえ計画を変更せずに当初のまま実行したとしても、結果が大きく変わったと思えないのも本心だ。ジューダスたちに自分が助勢すれば、確かに≪迷宮踏破隊≫に大きな被害を与えることはできただろう。しかしながら、奴らを全滅させることができたとは到底思えない。


 全滅させ、完全に口を封じることができなければ何の意味もないのだから。


 現状を前向きに考えるのならば、≪迷宮踏破隊≫の中に自分という存在が残っていることには、幾らかの利用価値があるはずだ。特級戦力の一人をこちらに寝返らせるという作戦についても、男の主観としては順調に進んでいるのだから。


 それでもなお、しくじったかもしれないという、忸怩たる思いを拭うことはできない。


 理由はただ一つ。


 あまりにも――男にとって「上手くいきすぎた」からだ。本来ならば≪迷宮踏破隊≫にもそれなりの被害が出るはずだった。しかし、実際にはクランに被害がない。これはまずいのだ。


 そう思った時には、すでにイグニトールは討伐され、12人の潜入者たちは全員が捕らえられていた。戦闘は終わり、クランに被害を出すために男にできることはなくなっていた。


 だからまずい。あまりにも一方的すぎたのだ。組織側の被害だけが大きすぎる。そんな現状を招いたのが自分の進言だという危うさ。


 己の計画は失敗していない。今回の損失は最初から予定していた範疇だ。それでも≪迷宮踏破隊≫側に被害がないという事実が、男の立場を危うくしている。


 それゆえに口が重い。だから今回、最初に口を開いたのは女の方だった。


「――聞きたいことがあるわ」


「……何だ?」


「イグニトールとの戦闘についてよ。貴方、一緒に戦っていたんだし、見ていたんでしょう? 私の方からは炎の壁に遮られて見えなかったし、貴方の口から聞きたいの。……どういうことなの? あの討伐までの早さは?」


「そのことか……無論、報告するつもりだった」


 むしろ、女の方から聞いてくれて助かったとも思う。男からしても、自分から切り出すには少々気の重い話題だった。


「まさか、『活性剤ネクタール』を使って貴方が助力したんじゃないでしょうね?」


 それは男がイグニトール討伐に当たったエイル組の前で、見せてはいけない全力を出し、イグニトールを討伐したのではないか、という疑い。


「ありえん。……それに、俺が『活性剤』を飲んだ上で全力を出したとしても、あれほどの早さでイグニトールを片付けるのは無理だ」


 疑いたくなる気持ちは分からないでもない。だが、そんなバカな真似をするはずがないし、女としても本当にそう思っているわけではないだろう。


 ただ、信じたくないのだ。


 敵側にそんな化け物がいるという事実を。


「……何があったの?」


 女の問いに、男は答える。


 イグニトール戦において、彼が見た一部始終を。


 それは長い話ではない。実際のところ、報告すべき重要な情報はただ一人の戦闘技能と装備のことに絞られる。


「…………≪氷晶大樹≫の剣に、『剣聖』と同じスキルを使った? それに、マグマを固めてイグニトールの回復を阻止した……ですって? そんなことを信じろというの?」


 男の報告が終わり、女は長い沈黙の後にようやく言葉を口にした。


 その声音には、隠しようもなくこちらに対する疑念が浮かんでいる。


「全て事実だ」


 答える男の声にも、どことなく覇気がない。そんな反応になると分かっていたから、必死に反論することも、疑われたことに対する怒りもない。


 なぜならば、イグニトール戦の情報は正確に報告すればするほど、信じがたい報告になるのだから。


 何よりも信じがたいのは、アーロン・ゲイルが『剣聖』のものと同一のスキルを使っていた点だ。


 固有ジョブというのは、その時代において必ず一種類につき一つしか発現し得ない。同じ固有ジョブを持つ者は、同時代においては存在しない。だからこそ固有ジョブと呼ばれるのだ。


 それゆえに固有ジョブ特有のスキルを使えるのも、その時代において特定のジョブを発現した唯一人になる。


 中には【縮地】などのように固有ジョブで修得するスキルでありながら、汎用ジョブのように色々な固有ジョブで修得できるスキルもある。だが、アーロン・ゲイルが使っていた【龍鱗砕き】と【飛龍断】はそうではない。真に『剣聖』ジョブ固有のスキルである――そのはずなのだ。


「……貴方の見間違いではないの?」


 女が訝しげに問う。それに男は断固とした口調で答えた。


「剣聖のスキルは傍で何度も見たことがある。俺があいつのスキルを見間違えるはずがない」


「なら、アーロン・ゲイルが剣聖のスキルを使っていたのは、どう説明するつもりかしら?」


「……」


 女の問いには男とて沈黙する他はない。


 そんなことは男だって知るはずがないのだから。


 それでもなお、可能性を挙げるならば、二通りの推測ができる。


「考えられるのは……アーロンが未確認の固有ジョブに覚醒し、そのジョブでは【龍鱗砕き】と【飛龍断】を修得できるという可能性だ」


 もう一つの推測よりは、こちらの方がまだしも信憑性がある。だが、普通に考えればこちらの予想とて到底信憑性のあるものではない。


 神代から現代という長い歴史において、未確認の固有ジョブが残っていたなど、誰も信じることはできないからだ。


「あるいは」


 しかし、次に口にする推測よりは、だいぶマシであるに違いない。


「アーロン・ゲイルが自力でオーラを制御し、【龍鱗砕き】と【飛龍断】を模倣した、という可能性だ」


 オーラの自力制御。


 それ自体は、不可能ではないことが分かっている。


「スキルの熟練」と呼ばれる現象において、熟練したスキルを行使する際、消費するオーラの量を増やして威力を高めたりする他、逆にオーラの制御が緻密となることで威力が上がりつつ、消費するオーラ量が減少することもある――ということは、広く知られた事実だ。


 しかしながら、修得していないスキルを自力で再現する――というのは、現代では不可能・・・・・・・なのである。


「推測にしてもお粗末なものね。……あり得ないわ」


「そうだな、あり得ない」


 男は同意しつつも、「だが」と続ける。


 可能性ということならば、【封神四家】や自分たちのような『適合者』ならば可能かもしれない。だが、神代の人間とは違い、血の薄れてしまった現代の人間たちでは、ジョブシステムやスキルの補助なしには、そもそも魔力をオーラに変換することができないのである。


 ゆえに、推測に推測を重ねることになるが――、


「たとえば……そう、たとえば、だ。あり得ないことだが、【スラッシュ】のような特定のスキルを極限まで熟練するとする」


「――は? 【スラッシュ】なんて雑魚スキルを鍛えてどうするのよ?」


「まあ、聞け。別に【スラッシュ】じゃなくても良い。――もしも、何らかのスキルを極めることで自由自在にオーラを制御できるようになるとしたら、そのスキルによって発生したオーラを用いて、他のスキルを模倣することも不可能ではない…………かもしれない」


 男は自分で口にしながら、「俺は何を言っているんだ?」と自信が薄れてきた。


 いや、自信など最初からなかったのだが。


 だがそれでも、理論上は不可能ではないはずなのだ。そのことは女も分かったのだろう。彼女はしばらく沈黙した後、自分の考えの答え合わせをするかのように、口を開いた。


「つまり……特定のスキルをオーラ発生のトリガーにし、そのオーラを制御することで別のスキルを自力発動する……ってことね?」


「そうだ」


 まさに男が言わんとしていたことは、女が口にした推測と同じだ。


 だからこそ、女は興味を失ったようにため息を吐く。


「それこそあり得ないじゃない。そんなの――――ジョブやスキルがなかった神代の英雄たちでもできないわよ」


 あらゆるジョブの基となった神代の英雄たち。彼らは自ら魔力やオーラを制御し、現在のスキル化されたあらゆる技術を自力行使していた。


 スキルに頼らず自分で発現させたオーラを操れば、極めて高い技術を要求されるとはいえ、それは可能なのだ。


 だが、スキルで発現させたオーラを操るとなると、話はまるで変わってくる。


 スキルとはオーラの発生から制御まで、一連の全てをパッケージングされた技能なのだ。そこには強制力があり、本来の仕様から離れたオーラの用い方をしようとすればするほど、オーラは制御しにくくなる。


 おそらくは神代の英雄たちでさえ、今しがたの推測のように、スキルを別のスキルへ「変形・変質」させることはできないはずだ。それほどにスキルの呪縛は強い。


 だから口にした男自身も、この推測を信じてなどいない。限りなく低いが、飽くまで可能性の一つとして語ったまでだ。


「それで、貴方の話で気になる点が、まだあるのだけれど?」


 ――と、不毛な話を切り替えるように女が新たな問いを発する。


「何だ?」


「結局、アーロンはイグニトールにどうやって止めを刺したのかしら?」


 それについては記憶を掘り返すまでもない。男は即答した。


「知らん」


「――は?」


「知らんと言った。見ていないからな」


 より詳しく説明するならば、見ることができなかった、というべきか。


 男は説明する。


 イグニトールが全方位に炎を噴出した後、【ドーム・シールド】で護られた男たちとは違い、アーロンだけは別の場所にいた。


 アーロンの姿は炎の奔流に遮られて、男たちからは見えなかったのだ。


 そして津波のような炎が消え失せた後、発見したのは首を両断されたイグニトールの姿と、その傍らに立つアーロンだった。


 奴がどのようなスキルでイグニトールに止めを刺したのか、その決定的な瞬間は残念ながら確認することができなかった。


≪氷晶大樹≫戦で使ったと思われるスキルを行使すれば、龍鱗を砕いたイグニトールの首を両断することは十分に可能だと思われるが、あの威力のスキルが瞬時に発動できるわけがない。


 イグニトールが倒れていた周囲の被害状況から見ても、おそらくは別のスキルだと思うが、詳細は不明だ。


「はあ……それじゃあ、あの男の限界が分からないじゃない」


「そのことについてだが、奴の危険度を上方修正する必要がある」


「……上方修正? 上方修正ですって?」


 アハハハハッ、と女は声をあげて笑った。


 快活に笑っているようにも聞こえるが、男は肌がピリピリするような感覚を覚えた。敵意や怒気にも近い感情が含まれているのだ。


「すでに脅威度は最上級だったというのに、これ以上、上げるって言うの?」


「……本当に最上級ならば、すでに『魔導師メイガス』か『イプシシマス』を動かしているはずだ」


「うふふ……そうね。それもそうね」


 女は笑う。おかしそうにくつくつと。あるいは上品に。


 どこか投げ槍な雰囲気さえ漂う笑声に、男は≪迷宮踏破隊≫への対処が、自分たちの手から離れた――――否、これから離れることになるのだろうと、確信した。


 その確信を裏づけるように、女が言う。


「まさか、あれほどの怪物が私たちの他にもいるとは思わなかったわ……。もう、旧人類だからと侮るのは危険ね。奴らの実力なら50層を越えてしまう可能性もあり得るわ……。そうなると、すでに46層に転移陣が設置されてしまった以上、猶予はない。組織として、全力で対処すべき問題になったと判断するわ。……ゆえに、今回の件、私から『魔導師』に指揮を委譲することにします」


「待てッ! ――いや、待て」


 何とか考えを翻してもらうべく、男は言い募る。


「あいつをこちら側へ引き込むための工作はどうなる? ≪スレイヤーズ≫と≪ヘイパン≫の処分も、46層への到達も、今回の計画では元々予定されていたはずだ。ジューダスたちがクランメンバーを一人も殺せなかったのは、確かに予想外だったが……俺たちはまだ、何も失敗してはいない」


≪スレイヤーズ≫と≪ヘイパン≫に支給した『活性剤』には、あらかじめ遅効性の毒を混ぜていた。まさか全員が生きたまま捕らえられるとは予想外だったが、毒で死ぬのは『活性剤』を飲んだ時点で確定していた。


≪迷宮踏破隊≫が46層に到達してしまったことも、計画変更の際に妥協した点であり、問題はない。組織が設置した46層の転移陣など、すでに使用していないのだから。


 そう、今のところ、何も失敗してはいないのだ。そのはずだ。


 だが、女はきっぱりと否定した。


「失敗よ。今なら失敗だったと分かるわ。最善は、奴らが46層に到達する前に、『イプシシマス』でも何でも使って、奴らを皆殺しにするべきだったのよ」


「奴らを皆殺しにしたところで、【封神四家】が残っているなら同じことだ。こちらに対する追及が止むことはない。【封神四家】を潰すためにも、今の工作が重要なはずだ」


 キルケー家に深く浸透した人物をこちらの手駒とすることができれば、【封神四家】を潰す際にも有利になる。そう説得して、今の計画を進めているのだから。


 しかし、女は「いいえ」と言った。


「現在判明している≪迷宮踏破隊≫の戦力に対して、特級戦力の一人が寝返ったとしても、彼が『適合者』になったとしても、もはや十分な戦力になるとは思えないわ。……というより、これ以上組織全体を危険に晒してまで、貴方の計画に固執する必要を私は認めない。組織にとって、どうしても欲しい人材というわけではないもの。違うかしら?」


「……違わない。だが、有用な駒となるのは事実のはずだ。それはお前も認めていただろう。だから俺の進言した計画にシフトした」


「ええ、そうね。彼が『適合者』になることで≪迷宮踏破隊≫を全滅させられ、かつ【封神四家】を滅ぼす重要な駒になるのなら、それでも良いと思ったわ。だけど、≪迷宮踏破隊≫が50層を越える可能性があるならダメよ。あの戦力なら、短期間で「天空階層」を踏破してしまうかもしれないじゃない? 駒一つ得る代償として、看過できる被害じゃないわ」


 断固とした女の口調。


 これはもう、意見を翻させることは不可能だと感じた。


「……そうか。分かった。お前の判断に従おう」


「ありがとう。同意してくれて嬉しいわ。……それより、ちょっと気になったのだけど」


「……何だ?」


「貴方、長年の付き合いとはいえ、ちょっと彼に執着し過ぎじゃないかしら? 彼を組織にスカウトすると、貴方にとって、何か良い事でもあるのかしら……?」


 ――見られている。


 暗闇の奥から、じっと観察されるような視線が注がれているのを感じた。


 疑われているのだろう。おそらく、ここで返答を誤れば、自分は処分されるに違いない。答えは慎重にしなければならない。確固とした自分の利益を明示しなければ。


「あいつがこちら側に寝返れば、『死』クラスの戦力になるかもしれない。それに【封神四家】の排除に当たっても大きな働きをするのは間違いないだろう。そんな者を俺が引き込んだとなれば、俺に対する組織の評価もだいぶ上がるはずだ。それ以外に何か、理由が必要か?」


「……そうね。貴方って、そういう人間だものね。疑ってごめんなさい? それに【神前契約テスタメント】に縛られている貴方が、裏切れるわけがないものね」


 言葉面を見れば納得したような印象を受けるが、まだ疑いは完全には拭えていない。そんな気がした。


 それでもなお、男は長年の労力を無にしないために訴える必要がある。


「≪迷宮踏破隊≫の件、今後は『魔導師』からの指示に従おう。だが、あいつをこちらに引き込むのは構わないだろうな? このままでは無駄な損害を出したと、俺の評価が下がりかねん」


「…………貴方個人で動くなら、構わないわ」


 組織としてのバックアップはない、ということか。


 しかし、元よりそのつもりだ。男は頷いた。


「了解した。感謝する」


 そして男は、無明の空間から去った。


 内心の忸怩たる思いを必死に隠しながら。


(アーロンめ……あいつのせいで過剰に警戒させてしまった。あと少しだと言うのに……チッ! 奴の戦力はイレギュラー過ぎる。今のタイミングを逃せば、ローガンをこちらに引き込む意味がない……。あいつもこちらに巻き込むしかないか……? いや、俺では無理か。あるいはローガン経由なら、可能性はあるかもしれんが……ともかく、まずはローガンをこちらに引き込むしかない。そうすれば……)






 ★★★あとがき★★★

 こちら、今年最後の更新になります。

 来年は1月2日、もしくは3日辺りから更新再開予定です。


 極剣は当初考えていた何十倍も多くの皆様に読んでいただけたようで、作者としてはひたすら感謝しかありません!


 この感謝を形にするべく、できる限り定期的な更新を心がけていたのですが、かなり以前からストックが消滅してしまったため難しく、ここ数日は間が空いてしまいました。遅筆な作者で、すみません( ノД`)…


 来年はできる限り早く、そして定期的な更新を心がけたいです(о´∀`о)(願望)。


 というわけで、ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございましたm(_ _)m


 来年も頑張ります!(*`・ω・)ゞ


 それでは皆様、良い御年を。



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