第29話 「お前なら、奴を倒せるんじゃないか?」


 探索4日目。


【神骸迷宮】45層、山頂の手前にて。


 目前に山頂を控えたその場所で、俺たちは一旦立ち止まっていた。


「さて……この期に及んで私から言うことは、何もない。ここまで来たら、後は守護者を倒して46層に進むだけだ」


 全員を前にして、ローガンが静かに告げる。


「竜山階層」のドラゴンたちを相手にしても余裕を崩すことがなかったローガンだが、さすがに今は肌がピリピリとするような緊張感を漂わせていた。


 もしかしたら、かつて3人のパーティーメンバーを喪うことになった戦いを思い出しているのかもしれない。


 そんなローガンの様子に、クランメンバーたちも真剣な眼差しを向ける。緩みのない緊張感。だが、悪い緊張ではない。


 誰もが「自分たちは強い」という自負を抱いている。


 それゆえの程よい緊張感。無駄に体が強張ることもなく、戦意だけが昂っている。


 すでに45層守護者との戦いに関しては、幾度も作戦の話し合いを済ませている。≪鉄壁同盟≫を除いた盾士系統のジョブを持つクランメンバーが前に出て、守護者の攻撃を引き受けつつ、他のメンバーが全力で攻撃に当たる。


 奇抜さはないが堅実かつ一番確実な戦法と言えるだろう。


 各員、己の為すべきことは頭に入っているのか、確認のために発言することもない。


 41層から44層までのフロアボスは一瞬で倒された。しかし、45層の守護者はフロアボスのようにはいかないだろう。それどころか、これほどのメンバーを揃えても敗北する可能性や死者が出る可能性を考慮すべき相手だ。


「全員、準備は良いようだな。……では、行こう」


 ローガンはクランメンバーを見回し、静かに言った。


 そして踵を返し、山頂へ向かって歩いていく。


 他の者たちもローガンの後に続いた。


 山頂にはすぐに辿り着いた。


 45層は火山階層だ。俺たちが登って来たのは灼熱のマグマが川のように流れる活火山であり、マグマの源泉が山頂となる。


 だが、そこは足場のないマグマの湖でもなければ、戦うのに難儀しそうな狭い場所でもなかった。


 ほぼ平らとなった地面がある。形は縦に伸びた円形で、100人が全力で戦闘を行ってもなお余裕のある広さだ。


 その地面のさらに奥に、ゆったりとマグマが溢れ出す場所がある。


 溢れ出したマグマは山頂の足場を迂回するように左右へ分かれ、下へ向かって山肌を流れ落ちていく。


 ――熱い。


 火山階層なのだから道中でも嫌になるほど暑かったが、山頂ともなるとその比ではなかった。両横を流れていくマグマが放射する熱は、ただその場にいるだけで肌が焼けるように熱い。全身から汗が吹き出す。何もしなくても体力が奪われていく。


 そんな場所で俺たちは立ち止まり、足場の奥にあるマグマの噴出点を見つめた。


 ――来る。


 マグマの表面が盛り上がった。


 まるで水面から這い出して来たようにして、マグマの中から一体のドラゴンが姿を現す。


 ドラゴンはマグマの川から地面の上へ、ゆっくりと上ってきた。


「――ゴァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 その全身が這い出したところで、長い首をもたげて天へ向かって咆哮する。


 音の波が叩きつけられ、体の芯まで震える。この咆哮を前にしても戦意を喪失しないだけの胆力がある者だけが、目の前のドラゴンと戦うことを許される。


 45層守護者――≪皇炎龍イグニトール≫


 体高20メートルを超える巨体。体長は尾まで含めれば80メートルを超すだろう。分厚い龍鱗によって全身が覆われ、その下には鱗の上からでも分かるほど、猛々しく発達した巌のような筋肉があるのが分かる。


 陸上生物として不条理なほどに巨大な体。


 だが、さらに不条理なことには、こいつは空を飛ぶのだ。


 いまだ広げてはいないが、背中には一対の翼を持つ。


 幸いなのは、戦闘開始から空へ飛ぼうとはしないことだ。こいつが空を飛ぶのは、地上での戦いで危機感を抱いた時だけ。


「――来るぞッ!! タンク役は前へ!!」


 ローガンが大声で指示する。


 瞬間、盾士ジョブにある者たちが一斉に前へ走り出した。


 クランメンバーたちを守るように盾を構え、スキルを発動する。彼らの全身を、盾を、オーラの光が覆い、それはさらに拡張していく。広がったオーラが合流して融合し、一枚の曲面を描く巨大な盾と化した。


 直後。


 イグニトールがぞろりと鋭い牙の生え揃った口を開いた。


 口腔の奥に灯り。


 瞬間、視界が白に染まる。


 ただただ白にしか見えないほどの圧倒的な光を放つ高温の炎が、イグニトールの口から破滅的な威力でもって吐き出される。


 ――ドラゴン・ブレス。


 これこそが、ドラゴン・ブレスなのだろう。イグニトールのこれに比べれば、道中に出会ったどんなドラゴンのブレスも霞んで見える。炎を吐く。誰もがドラゴンと聞いて思い浮かべる最も単純にしてポピュラーな攻撃。


 だが、その威力だけが桁違いだった。


 タンク役のクランメンバーたちが、イグニトールのブレスを真正面から受け止める。オーラの盾の曲面に沿って、超高温の炎が流れていく。


 果たして耐えきることができるのか、それは分からない。


 見届ける暇さえなかったのだ。


 なぜならば。


(予定を無視した奴らがいるな)


 前へと躍り出たクランのタンク役たち。


 しかし予定とは違い、最前列へ出ていない者たちが何人かいた。人数が少ないのだ。


 この土壇場で怖じ気づいたのか?


 いいや、違う。


 予定とは違う行動をしたタンク役たち、それを含む複数パーティーが「当たり」だったのだ。


 ブレスと盾がぶつかった瞬間、俺とローガンは同時に背後へ向かって駆け出した。


 共に表情は笑みを浮かべている。歯茎を剥き出しにするほどの亀裂のような笑み。歓迎の笑みだ。


「ずいぶんと待たせてくれたものだ」


「どうせここで来ると思ってたがな」


 俺たちの背後。≪鉄壁同盟≫が守るエヴァたちの、さらに向こう側。そこにいたのは10人を超えるクランメンバーたち。


 ただし、なぜか微妙に距離を開け、イグニトールではなく俺たち――仲間である≪迷宮踏破隊≫のメンバーに向かって武器を構えていた。


 いや。


 すでに武器は振られていた。


 幾つものスキルによる攻撃。幾つもの魔法による攻撃。殺意を伴ったオーラが、魔法が、俺たちへ向かって今まさに襲いかからんとしている。


 その一つ一つが、情け容赦のない、絶大な威力を秘めていた。


 イグニトールとの戦闘の途中、不意打ちでこんなものが背後から襲えば、如何に≪迷宮踏破隊≫と言えど壊滅は免れなかっただろう。


 考えうる限り最悪のタイミングでの、襲撃。


 だが、だからこそここで襲って来ると分かっていた。


 俺とローガンは一同の最後尾へ抜けて、襲撃者たちと対峙した。そのまま間を置かずに剣を振るう。


 剣聖技スキル――【壊尽烈波】


 我流剣技【連刃】、【化勁刃】――合技【連刃結界】


 ローガンの前方に莫大なオーラの奔流が溢れ出す。それは襲い来るスキルや魔法の攻撃を尽く相殺した。


 一方、俺が放った【連刃結界】も前方で盾のように渦巻き広がり、スキルと魔法を弾き飛ばす。


 同時、背後で無事に防ぎ切ったブレスが途絶え、目も眩むようなブレスの光が消える。急な光量の変化に僅かな時間、視界が眩むが、魔力反応に感覚を研ぎ澄ますことで襲撃者たちの追撃に警戒した。


 だが予想に反して、奴らが追撃を仕掛けてくることはなかった。


「はッ!? おい、今のって――ッ!?」

「マジかよ! ホントにいやがったのか!?」

「ここで仕掛けて来るとか、何考えてやがるッ!?」

「後ろよ! 警戒して!!」


 遅まきながらクランメンバーたちが、背後から襲撃を受けたことに気づいた。


 だが、驚く者はいても戸惑う者はいない。


≪迷宮踏破隊≫の中に、クランメンバーを殺そうとしている者がいることは、クラン内部でさえ、公に告げられたことは一度もない。誰が敵なのか、今この瞬間まで分からなかったからだ。そもそも、本当にいるという確信さえなかったし、ローガンたちが「今回の探索で襲撃があるかもしれない」などとクランメンバーたちに告げることもなかった。


 しかし、クランメンバーは全員【封神四家】から推薦を受けた者たちであり、おそらくは推薦を受けた時に、各自、このクランが結成される本当の理由を聞いていたのだろう。


 昨年のスタンピードを起こした組織。


 迷宮の深層に潜って欲しくない勢力がいること。


 大々的に「迷宮の踏破」を目的に掲げ、それが不可能ではない戦力を集めることで、敵勢力の襲撃を誘発する――という目的を。


 その際、推測として≪迷宮踏破隊≫にその勢力の手先が潜り込んでいる可能性があると、教えられていたはずだ。


 それは潜入者たちも同じ。


 つまり、こちらが警戒していることを承知の上で、奴らは襲いかかって来た、ということになる。


 そうまでして、この先に進んで欲しくない何かがあるのか、あるいはそれでも勝てるという確信を抱いた上での行動か。……もしくはその両方か。


「ふむ……君たちだったのか。クランに潜り込んでいた、虫は」


 ローガンが襲撃者たちに、穏やかな声音で話しかけた。


 ようやく視界の眩みが収まった頃に数えてみれば、襲撃者たちは12人いる。


「≪スレイヤーズ≫と≪ヘイパン≫……だったか?」


 6人ずつの2パーティー。


 二つの探索者パーティーが、俺たちと対峙している。俺は記憶の中から、何とか彼らのパーティー名を思い出した。


「チッ、防がれたか……だが、いい気になるなよ? 今のは小手調べだ」


 おそらくは≪スレイヤーズ≫のリーダー(だったと思う。名前は忘れた)が、余裕の表情で言った。


 できれば色々聞きたいところだが、それは捕まえた後で尋問した方が良いだろう。それに今は、悠長に歓談している暇はない。


「ローガン、後ろの奴をどうする?」


「そうだな……」


 視線を逸らさずに隣のローガンに問う。


 後ろの奴――すなわちイグニトールをどうするか、という問題だ。


 現状、俺たちは前後を挟まれた形になっており、絶賛イグニトールとも戦闘中。今は前に出たタンク役のクランメンバーたちが防御に徹してくれているが、イグニトール相手にいつまでも守りきれるわけがない。早期に討伐するか、こちらからも攻撃を加え、怯ませて攻撃の手数を少なくしなければマズイ。


 ローガンは数瞬考え、すぐに口を開いた。


「私ならイグニトールとの戦闘経験もある。何人か率いて私が――」


「いや待て、ローガン」


「エイル?」


 だが、ローガンの言葉を遮るように、いつの間にこちらに来ていたのか、エイルが口を挟んだ。


「奴らは確実に生け捕りにしたい。ここは対人戦闘の経験が多いお前が受け持つべきだ」


「む……」


 対人戦闘。


 その経験ならば、確かに探索者しかやったことのない俺たちよりも、騎士団に所属していたローガンの方が圧倒的に多いだろう。


「イグニトールは俺の組で受け持とう。幸い、こちらに欠員は出ていないからな」


 エイルが言ったのは、≪スレイヤーズ≫と≪ヘイパン≫がそれぞれローガン組とイオ組に属していたことについてだろう。


 一方で、エイル組に裏切り者はいなかった。


 だが……。


「エイル、お前の組の戦力では……」


「言いたいことは分かっている」


 エイル組は炎の属性竜たるイグニトールとは、相性が悪い。なぜならば、≪火力こそ全て≫の面々は半数が風術師であるとはいえ、基本的には火炎魔法を強化するための魔法であるからだ。


≪火力こそ全て≫と≪バルムンク≫の火術師の女性。計7人はイグニトールに有効な攻撃手段を持たない。


 つまり前述の7人を除く、俺、エイン、フィオナ、カラム君たち≪バルムンク≫の3人……計6人で、イグニトールを倒すだけの攻撃を叩き込まなくてはならない。


 しかし、エイルは確信を込めた口調で言った。


「だが、たぶん大丈夫だ。ローガン、お前も薄々気づいているだろう? ……アーロン、緊急時だ。正直に言ってくれ。……お前なら、奴を倒せるんじゃないか?」


「……」


 奴ってのは、当然、イグニトールのことだろう。


 誰にも言ったことはないが、イグニトールと戦うのは、初めてではない・・・・・・・


 以前戦った時は本気で死にかけたが、今は去年の俺よりも確実に強いという実感もある。そして今回はイグニトールに取り巻きはいないし、俺は一人ではない……。


「まあ……たぶんな」


 地上で戦うイグニトールと、火山で戦うイグニトールを同列には語れない。


 それでも勝てないとは思わなかった。


 とはいえ、実際にここで倒したことがあるわけではないから、断言はできないのだが。


 だが、エイルはそれで十分だと思ったらしい。


「聞いた通りだ。ローガン、ここは任せた」


「……分かった。こちらは私が受け持とう」


 ローガンはエイルの提案を受け入れた。


 直後、こちらの話が終わるのをわざわざ待ってくれていたのか、≪スレイヤーズ≫のリーダーである男が、ニヤニヤと笑いながら口を開く。


「そろそろ相談は終わったかぁ?」


「わざわざ待ってくれていたのかね? 親切だな」


「ハッ、誰が相手でも同じだからな! どうせお前らは全員殺すことになってんだ。俺らに殺されるか、イグニトールに殺されるかの違いでしかねぇ」


 欠片も自分たちが負けるとは思っていないような、尊大な口調だ。


 ローガンは楽しそうに笑った。


「それはずいぶんな自信だな。私を楽しませてくれることを期待するよ。……エイル、アーロン」


「ああ」


「任せた」


 俺とエイルは頷いて、踵を返して走り出す。イグニトールの方へ向かって。


 そして走りながら、エイルが大声でクランメンバーたちに告げた。


「イグニトールの相手はエイル組が引き受ける! それ以外のメンバーは裏切り者の相手だ!!」



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