第25話 「計画の変更を進言する」
暗闇。
何処にあるとも知れない無明の空間において、声が響く。
「――計画の変更を進言する」
「あら? いきなりね。どういうことかしら? 計画と言っても、どれのこと?」
男の声が前置きもなしに告げ、女の声が詳細を問うた。
互いの顔も見えないにも拘わらず、両者の間に戸惑いはない。それが当然であり、何の支障もないとばかりに会話を続けていく。
「迷宮の件だ。今の戦力では失敗する確率が高いと判断した」
「その根拠は?」
「特級戦力の三人」
「特級戦力というと……ああ、彼らね。確かに人間にしては凄まじい力を持っていることは認めるわ」
と、女の声が同意する。
しかし次の瞬間、「だけど」と反論を口にした。
「それを含めても倒せないほどかしら? 特級戦力とは言っても、所詮は前時代の遺物でしょう? ……ああ、ごめんなさい。少し言葉が悪かったわね。でも、活躍したのが一昔前の探索者であるのは事実。昨年のスタンピードの前と後じゃ、私たちの戦力が違うわ。伝説と言っても、ロートル相手に今更苦戦する戦力じゃないのよ?」
どこか馬鹿にするような、嘲るような口調の女。
対する男は何の反応も見せず、ただ淡々と言葉だけを返す。
「戦いの勝敗は能力だけでは決まらない。技術、経験、環境、運……実力を覆す要素など幾らでもある。力を手に入れただけの素人では、本物には敵わない」
「……私たちが素人だとでも言いたいの?」
「素人だとは言わん。だが、奴らは侮って良いような相手ではない。潜ませた手駒を全て使っても、殺し切れるとは思えん。むしろ返り討ちに遭う可能性が高いと思っている」
「まさか。あり得ないわ。いったい何人の『
「そう思いたいのなら、そう思っていると良い。だが、俺は今回の計画は傍観させてもらう。無駄死にしたくないんでな」
「…………」
男の言葉に女が沈黙する。
自分の考えを覆させるほどの重みが、男にはある。少なくとも、こと戦闘という分野に関しては、自分よりも優れた見識を持っていることは認めざるを得ない。
「ふんっ……気に入らないけど、貴方ほどの怪物がそうまで言うなら、そうなのでしょうね」
「……くっくっくっ」
女の声に、なぜか男が笑う。
笑える要素などなかったし、自分が前言を翻したことを嘲るような性格でもないと分かっている。だからこそ不思議だった。
女は純粋な興味から問う。
「何を笑っているの?」
「いや……俺ごときが怪物などと呼ばれておかしくてな……」
「十分に怪物だと思うけれど?」
組織に数居る『適合者』の中でも、男はかなりの実力者だ。その戦闘能力はまさに人智を超えており、有象無象の探索者が何人集まったところで敵ではない。
おそらく、男ならば十分な準備と十分な時間さえあれば、一人で【神骸迷宮】45層の守護者さえ倒すことができるだろう。
それは神代の英雄たちにも匹敵するような、人外レベルの戦闘能力だ。
ジョブやスキルなどという仮初めの力に頼りきっている旧人類では、決して目の前の男に勝つことはできないだろうと確信している。
そんな真性の怪物が、言うのだ。
「俺が怪物だと思った人間は、今まで二人いる。一人はローガン・エイブラムス」
自分たちが想定する敵側の特級戦力の一人。≪剣聖≫ローガン。
「そしてもう一人は――アーロン・ゲイル」
クラン≪迷宮踏破隊≫のメンバーで、三人いる特級戦力の内の一人に挙げられる男。エルダートレント製とはいえ、木剣を武器に戦い、『初級限界印』を持つという明らかな嘘を平気で公言する、ふざけた男だ。
「特にアーロン……奴は危険だ。≪極剣≫の可能性がある」
「……≪極剣≫……ねえ、それってどうなのかしら? 具体的にどれくらい強いの?」
≪極剣≫の可能性があると言われても、≪極剣≫自体が正体不明の集団だ。具体的にどれくらい強いのか、女にはいまいち分からない。
だが、男はかなり正確に実力を把握しているのか、確信に満ちた口調で断言した。
「今の俺よりも強い」
「……まさか」
「本当だ。40層での戦闘を見ていて、確信した」
「…………」
あまりにも確然とした調子に、女は黙る。
この男は自分の強さにそこまで執着しない。客観的に彼我の戦力を分析できるし、だからこそ強さに対する観察眼はこの上なく正確だ。そんな男がここまで確信を抱いているのだから、どれほど信じがたくとも簡単に否定して良い言葉ではない。
ただの人間がそこまでの強さを持つなど、俄には信じられない。
だが、それを事実と受け止めるならば、考えておかなくてはならないことがある。なぜなら、アーロン・ゲイルはエヴァ・キルケーが直々に推薦した男であり、身辺調査の結果から見ても、ほぼ確実に自分たちの敵だからだ。
「誰なら勝てるかしら?」
「そうだな……確実に勝てると言えるのは……『
「……たかが人間一人に当てる戦力じゃないわね。特に『神殿長』と『魔導師』に動いてもらうなんて、考えただけで畏れ多いわ。『死』なら動かせないこともないけど……」
『死』は自分たちが生み出した、現時点では最強の兵器だ。ただし問題も多く、実際に運用するには懸念がある。目的がネクロニアを滅ぼすことならば広域殲滅兵器として使い勝手の良い存在と言えるが、自分たちの目的はネクロニアを滅ぼすことなどではない。つまり、とても現実的な案とは言い難い。
ならば現実的な排除方法としては、大勢の『適合者』で圧殺することくらいか……と考え始めた女に、男が代案を提示した。
「一人、我々の仲間に引き込みたい者がいる」
「ん? どういうこと?」
「もしもそいつが『適合者』に至れば、アーロン・ゲイルにも、他にいるかもしれない≪極剣≫のメンバーにも、確実に勝てるだろう」
「……つまり、戦力を増強したいってことかしら?」
「ああ」
「誰?」
男は一人の名前を告げた。
その名前に、女は悩む。確かに告げられた者が『適合者』に至れば、想像を超える怪物になるだろう。もしかしたら、『死』にも匹敵する力を得るかもしれない。
だが、そんなことはずっと以前から分かっていたことなのだ。その上で仲間に引き込もうとしたことはない。拒絶される可能性の方が遥かに高いと思われるから。
「彼を仲間に引き込めるなら、とっくに仲間にしてるわよ」
女は呆れたようにそう返す。
しかし、次の瞬間、暗闇の奥で男が嗤った気配がした。
「……大丈夫だ。あいつは必ず仲間になる。いや……仲間になるしかないんだ」
「そうは言っても、『適合者』になるのだって時間は必要よ? ≪迷宮踏破隊≫が45層に到達するまでには、とても間に合わないわ」
「だから言った。計画の変更を進言すると」
男は代案を女に語って聞かせる。
それは名を告げた者を確実にこちらへ引き込むための策。
大きなメリットは二つ。一つは自由に使える極大の戦力を確保できるかもしれない点。
もう一つは【封神四家】に浸透している者を寝返らせることで、一気に邪魔者を排除できるかもしれない点。
この二つのメリットは、かなり大きい。特に後者のメリットは無視できない魅力がある。
だが当然、デメリットもあった。
「それ、本当に可能なんでしょうね? 一時的にとはいえ、奴らが46層に踏み込むかもしれないのよ? それに、私の計画を踏み台にされるみたいで気分が悪いわ」
「それはすまんとしか言えんな。しかし、あいつなら必ずこちら側につくはずだ。特に45層を超えた後にはな。そうなるように、俺が誘導する」
「……46層の『転移陣』を消されるかもしれないわ」
「今はもう使っていない物だろう? どの道、今の戦力では俺が動いたとしても奴らを排除できる可能性は低いんだ。廃棄予定の『転移陣』一つ、それから適合率の低い『適合者』12人と引き替えに邪魔者を始末できるなら、安いものだろう?」
「まあ、今回の件が終わったら、12人の『適合者』は元々貴方に始末してもらうつもりだったから良いけど……万が一、50層を越えられたら厄介なのは分かるわよね?」
「どれくらい生き残るのかは分からんが、そもそも50層まで行かせるつもりはない。その前に始末する。そのためにもあいつを引き込むべきだ」
女は数十秒も無言で考え込んだ。
それから顔を上げたのか、髪の擦れる音が微かに響く。
「良いわ……上に進言してあげる」
「そうか」
男は珍しくも安堵したように息を吐いた。
「……これで、たとえ≪極剣≫が敵に回ったとしても、勝てる。あのレベルが奴の実力の限界なら、どう足掻いたところで問題はない」
アーロン・ゲイルが味方にならない以上、奴は殺すしかない。邪魔者を始末するのに、大きな障害となることは確実だからだ。
しかし、これでアーロンを排除する目処は立った。
数ヵ月以内に、確実にアーロンを始末できるだろう。
●◯●
【神骸迷宮】15層にて。
俺は魔力還元されて消えていくエルダートレントの巨体を眺めながら、改めて確信していた。
「まさかとは、思ったんだが……」
今はエヴァ・キルケーたちを護衛しながら41層へ到達してから、さらに2週間ほどが過ぎている。
≪迷宮踏破隊≫としてはこれから、41層にクランメンバー全員とエヴァたち【封神四家】の4人で転移して、そこから45層を目指し、45層の守護者を全員で撃破した後、46層に降りて新しい転移陣を設置するという流れだ。
しかし、クランメンバーの中にはまだ41層に到達していないパーティーがいるらしく、それを待っているのが現状だった。加えてクランとしても色々準備が必要だし、エヴァたちも転移陣を設置するために必要な諸々を準備したり、手順を改めて確認したりと忙しいらしい。
そんなわけで41層以降を探索するのは、今から一週間ほど後になっている。
俺はこの間、木剣作りに勤しんでいた。
40層の守護者である≪氷晶大樹≫が落とすレアドロップ素材『氷晶大樹の芯木』を手に入れた俺は、黒耀に次ぐ新たなる木剣を生み出さんと、試行錯誤していた。
まあ、以前からも失敗していたように、今回も失敗に失敗を重ね、素材が尽きて一人でまた40層に潜ったりもしていたんだが……その苦労の甲斐もあって遂に昨日、≪氷晶大樹≫で新しい木剣を作ることに成功したのだ!
透明で美しく、きらきら光を反射し、白々と輝く……黒耀以上の芸術性を備えたこの木剣を、俺は「白銀」と名付けることにした。
まあ、それはともかく。
ここ最近は「白銀」を完成させることに心血を注いでいたので、俺は久しぶりに黒耀を作ることにしたのだ。≪氷晶大樹≫から素材を集めるために、極技で何本か黒耀のストックを減らしてしまったので。
それに黒耀の注文は常に絶えることがなく、その納品日も近づいて来ている。
ゆえに一週間後に迫る探索前に、纏めて黒耀を何本も作っておくべく、自宅の一室を改造したアトリエで素材を確認してみたのだが、なんと黒耀用の木材が切れかけているではないか。
これでは注文分の黒耀を作るには全然足りない。
ゆえに、今日は素材であるエルダートレントの芯木を集めに15層までやって来たのだが……。
「やっぱり、そうだよなぁ……」
黒耀に纏わせた、静謐なオーラの刃を見て。
それからまた、ほとんど消えつつあるエルダートレントの巨体を確認する。
最近の俺はエルダートレントを倒す時、【重刃】と【轟刃】の合技である【重轟刃】で倒していた。これならば【連刃】を使うよりも魔力の消費が少なく、かつ素早く倒せるからだ。
だが今回、エルダートレントには【重轟刃】による爆撃で穿った穴は見当たらない。
巨大で太い幹は真っ二つに両断され、斜めの切り口を晒していた。
使った剣技は【重飛刃】一発。
今までは【重飛刃】一発でエルダートレントを倒すことなどできなかった。だが、今日はできたのだ。
ここに来るまで他の魔物を倒す時にも、ちょっと感じていた。
何やら今日は、凄く調子が良い、と。
だから何となくいけそうだと思い、【重飛刃】を放ってみた。そしたらなぜか倒せた。
こうなった理由は分かっている。別に新しい木剣である「白銀」を使ったから、というわけではない。今回も俺が使ったのは「黒耀」だ。ゆえに、思い当たる理由は一つしかない。俺はしみじみと呟いた。
「まさか……木剣を作っていたら、強くなるとはなぁ……」
白銀だ。
白銀を作ったことで、俺はオーラをさらに精密に制御することができるようになったのだ。
その結果、まあ簡単に言えば、戦闘能力が上がったんだよ。
いやいや、木剣を作っただけで強くなるわけねぇだろって?
俺もそう思うんだが、これは冗談でも何でもないんだ。
よろしい、詳しい経緯を説明しよう。
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