第24話 「……見たか?」
右手に剣を下げながら≪氷晶大樹≫へ向かって歩いていく。
そして彼我の距離が残り200メートルを切った頃だろうか、≪氷晶大樹≫が反応し、静かに戦闘態勢へ入った。
巨大な塔のごとき幹――その表面に、幾つもの波紋が浮かぶ。
まるで水面に小石を投げ込んだかのような波紋だ。
直後、同心円状に流れる波紋の中心から、何かが浮かび上がってきた。水中から水面へ、ゆっくりと顔を出したかのようにして。
その形は人型。
美しい女性の姿を模し、軽鎧に多種多様な武器を装備し、背中からは二対四枚の翅を生やした存在。
――≪
計24体のヴァルキリーたちは、完全に≪氷晶大樹≫の幹から姿を現すと、重力に引かれて地面に落下するよりも先に、背中の翅を高速で震わせて空中に浮かび上がった。
声の代わりに翅の擦り合う、リィイイイーンっという澄んだ音色を響かせながら、まるで宙を滑るような蜂のごとき動きで一気に加速し、こちらに接近してくる。
そしてヴァルキリーたちが自分の傍を離れたのを見計らったように、≪氷晶大樹≫が魔法を発動した。
氷雪魔法――【ブリザード・ストーム】
轟っと風が唸り、渦を巻き、雪を巻き上げる。まるで竜巻のような白い風の渦の中へと、≪氷晶大樹≫の姿が隠されていく。
白い風の内部は無数の礫が高速で飛び回り、あらゆるものの温度を急速に奪い絶命させる、死の領域と化す。
「さて……」
俺は呟き、立ち止まり、その場で膝を深くたわめた。
ヴァルキリーどもを見れば、すでに上空からこちらを囲むように旋回しつつあり、さらにこちらへ伸ばした腕の先には魔力が集束している。次の瞬間にでも多数の魔法が俺へ向かって放たれるだろう。
その瞬前。
俺は地面を蹴った。
我流戦技――【瞬迅】
足の裏でオーラが爆発し、勢い良く上空へ跳び上がる。
直前まで俺のいた場所を無数の氷の槍――氷雪魔法【アイス・ランス】が貫いた。ギリギリでの回避。だが、空中のヴァルキリーどもは魔法を外したことに欠片の動揺も浮かべることなく、ただ虫のごとき無感情で効率的な反応だけを淡々と示す。
【瞬迅】で空へ跳躍した俺へと、間を置かずに手のひらを向け、次なる攻撃魔法を放とうとしている。あるいは旋回しながらこちらの背後や横へ回り込み、武器にて攻撃しようとする動き。
俺の木剣には十分なオーラが既に注ぎ込まれており、剣技を放つのは一瞬で済む。適当に【轟連刃】でも放てばヴァルキリーたちを何体か倒すのは難しくないだろう。
しかし、ヴァルキリーたちを倒すために剣技を放ったところで意味はない。
倒された瞬間、すぐに次のヴァルキリーが補充されてしまうからだ。
ゆえに、ここはヴァルキリーどもの攻撃を回避しつつ、一気に≪氷晶大樹≫へ距離を詰めた方が良い。
すでに足の裏へとオーラを集束している。集束したオーラを爆発させ、その反作用で空中を移動するための戦技を発動する。
我流戦技【空歩】――ではない。
【空歩】でも空中を移動するだけなら十分だが、高機動力を誇るヴァルキリーども相手に、【空歩】の機動力では物足りない。すぐに追いつかれ、囲まれてしまうだろう。だから発動するのは別の戦技だ。
我流戦技【空歩】【瞬迅】――合技【空歩瞬迅】
何もない虚空を蹴りつける。
その動作と共に、足の裏で二種類の性質を異にする爆発が起こった。
【瞬迅】の集束された爆発と、【空歩】の広く拡散する爆発。
耳をつんざくような轟音が鳴り響く。
二種の爆発は強力な反作用を生み、俺の体を強弓から放たれた矢のように、前方へ向かって弾き飛ばした。
空中での超高速移動。
こちらを包囲していたヴァルキリーどもの間を抜け、さらにその先へ飛翔する。
魔力感知。
包囲を抜けた俺の後を追うように、8体のヴァルキリーどもの魔力が、こちらへ近づいて来るのを感じる。残る16体は、どうやらフィオナやローガンたちを攻撃するべく向かったようだ。
8体のヴァルキリーたちが飛翔する速度は速い。
だが、短時間だけなら俺の方がさらに速かった。
――【空歩瞬迅】
――【空歩瞬迅】
続けて二度の爆発により、背後のヴァルキリーどもを引き剥がして飛翔する。
200メートルの距離などあっという間に喰らい尽くし、俺は≪氷晶大樹≫の真上へ到達した。
自由落下の途中、遥か上空から眼下を見下ろす。
そこには巨大な水晶のごとき煌めく樹木と、その周囲で逆巻き吹き荒れる殺人ブリザードがはっきりと見えていた。ただし、真上からはがら空きだ。
無防備に晒された渦の中心へと飛び込もうとして。
その寸前、俺の鼓膜を涼やかな高音が震わせた。
≪氷晶大樹≫の幹から、さらに追加で現れた4体のヴァルキリーどもが、こちらへ向かって高速で飛翔してくる。
実際に目にした者は少ないだろうが、≪氷晶大樹≫は自身が危険を覚えると、ヴァルキリーが倒されていないにも拘わらず、追加でヴァルキリーを放ってくる。
だが、短時間で生み出せる数には限りがあるのか、一気に何十体も放ってくることはない。
そして4体程度ならば、わざわざ相手にする必要もない。
空中で姿勢を制御。
頭を真下に、足を天へ向けて、俺は最後の【空歩瞬迅】を発動した。
視界が高速で流れ、上ってきたヴァルキリーどもの脇をすり抜ける。
透明な樹木の樹冠が視界一杯に広がり――、
我流戦技――【気鎧】
全身にオーラの鎧を纏いながら落下し、樹冠を貫いた。
落下の勢いが急速に減じる。その結果生じた、地面へ激突するまでの僅かな時間を利用して空中で半回転。足を地面に向け、【空歩】を放って落下の勢いを無害と化すまで殺しきった。
それでも獣のように足をたわめて衝撃を殺し、≪氷晶大樹≫の根本へと着地する。
――リィイイインっ!
吹き荒れるブリザードと大樹の狭間。
だが、時間的猶予はない。
立ち上がり大樹を見上げると、すでにその幹から、新たに生み出されたヴァルキリーどもの上半身が飛び出していた。微かに翅を震わせ、今にも飛び立とうと準備をしている。
ヴァルキリーに邪魔されず≪氷晶大樹≫へ攻撃できる時間は、極僅か。おそらく一撃放てば、その後はヴァルキリーどもに邪魔されるだろう。
とはいえ。
「ここなら見られねぇし、一撃で十分だ……!!」
剣を大上段に構える。
そこには戦闘開始前から注ぎ続けていた、膨大な量のオーラが集束している。
――ギィイイイイイイイっ!!
と、目も眩むようなオーラの光に包まれた黒耀からは、まるで虫の鳴き声にも似た音が響いていた。
それは【飛閃刃】のようにオーラとオーラの反発ではなく、あまりにも凝縮され過ぎたオーラが奏でる悲鳴だ。
正真正銘、俺の奥の手。
かつてリッチーに苦戦し、死にかけた経験から鍛練を重ねて生み出した一つの技術。
二つの剣技を一つに纏めた「合技」――その、さらに先。
三つ以上の剣技を一つに纏め、膨大なオーラで強化して放つ、ただただ威力を追い求めた一撃だ。
今回の探索メンバーに「敵」が潜んでいないという確信が持てない以上、使うつもりはなかった。だがブリザードに覆われて視線の通らないここならば、誰かに見られる心配はない。
我流剣技【巨刃】【重刃】【閃刃】を一つに纏める。
極技――【絶閃刃】
ヴァルキリーの全身が幹から飛び出すより先に、袈裟に剣を振り下ろす。
その剣から伸びた巨大なオーラの刃が、閃きのような速さで≪氷晶大樹≫の塔のごとき幹を通り抜けた。
直後、威嚇音のように鳴り響いていた澄んだ音色がぴたりと止まる。
ズ……ッと、≪氷晶大樹≫の幹に一本の亀裂が斜めに走り、そこを境として真っ直ぐに伸びていた巨木がズレた。
滑るように≪氷晶大樹≫の上側が地面へ落下していく。同時、周囲に展開されていた【ブリザード・ストーム】が消失し、巻き上げられた雪が重力に引かれてゆっくりと落ちてくる。近くに感じていたヴァルキリーたちの魔力反応も消えたのを確認して――俺は右手の中を見た。
「やっぱ壊れたか……」
そこには何もない。
俺が握っていたはずの黒耀は、【絶閃刃】を放つと同時に、塵と化したように砕け散ってしまった。その僅かな残骸だけが、雪の上に散らばっている。
膨大なオーラを凝縮し、複数の性質を持ったオーラを一つに練り上げて放つ極技は、留めたオーラの内圧で、剣が耐えられずに崩壊してしまう。
黒耀は並みの金属剣を上回る耐久度を誇るはずなのだが、それでもこの結果だ。
色んな剣で試してはみたのだが、今のところ、極技に耐え得る素材の剣は見つかっていない。
ならば剣を持たずに放てれば良いとも思うのだが、さすがにこのレベルのオーラとなると、剣という媒介無しにはオーラを維持できないのだ。
「まあ、今はストレージ・リングがあるからどうとでもなるが」
俺はストレージ・リングから新たな黒耀を取り出すと、剣帯に吊るした鞘へ納めた。簡単に替えを用意できるところが、木剣の素晴らしさの一つでもある。
それから、聞かれたら面倒なので、証拠を隠蔽するように黒耀の残骸の上に足で雪を被せた。
「これで良しっと……お、『氷晶大樹の芯木』がドロップしてるじゃねぇか!」
巨大な≪氷晶大樹≫が魔力へと還元されて姿を消し、その下から下層へ続く階段が姿を現す。
同時に、通常のドロップである魔石と、レアドロップである『氷晶大樹の芯木』が地面に転がっていた。俺はそれらをストレージ・リングへと収納してから、踵を返して後方のフィオナたちと合流するべく歩き出す。
当然だが、ヴァルキリーたちに襲われていたはずのフィオナたちは全員無傷だった。
「ほ、本当に、一人で倒してしまいましたのね……」
「は、はひゃあ……人間じゃないですぅ……!」
合流すると、エヴァたち非戦闘員組は唖然としたような顔を向けてきた。
一方、フィオナやローガンたちはいつも通りだが、なぜかガロンが両膝を雪の上に突き、≪氷晶大樹≫が消えた場所を呆然と眺めている。
「ぼ、僕たちが倒した時は、ほとんど一日がかりだったのに……」
「リーダー、心を強く持つんだ」
「ほ、ほら、私たちは全員盾士系ジョブだから!」
「俺たち今回、あんまり働いてないっすねー」
「しっ! 黙ってろ! リーダーが傷ついちゃうだろ!」
何かショックだったらしいが、パーティーメンバーが手慣れた様子で慰めてるし、大丈夫そうだ。
●◯●
アーロンが何もない空中を足場に、凄まじい勢いで飛翔していった。
その後、こちらに襲いかかってきていたヴァルキリーどもが一斉に雪上へ落下し、動きを止めたことで≪氷晶大樹≫が倒されたことを知る。
アーロンが文字通りに飛び出して行ってから、≪氷晶大樹≫が倒されるまで、おそらく20秒もかかっていない。
思わず顔を上げて≪氷晶大樹≫を見ると、巨大な竜巻のように逆巻いていたブリザードが消えていき、その奥で両断された≪氷晶大樹≫が魔力還元され、消えていくところだった。
だが、完全に消える前に辛うじて確認する。
倒されるまでの時間から察するに、ほぼ一撃だろうと予想してはいた。その予想が当たっていることを、巨大な幹の鋭利な断面が証明している。
「ローガン……見たか?」
傍らのエイルが問うのに、顔も向けずにローガンは答えた。
「ああ……見た」
声は囁くように小さい。
それほどに、自分が見た光景が信じがたいものだったからだ。
今より10年以上も前、一度現役を引退するより前に、ローガンたちもアーロンと同じことを考えた。
すなわち、展開された【ブリザード・ストーム】の上から≪氷晶大樹≫に肉薄し、直接攻撃することで戦闘時間を短縮することを。
だが、それは半分成功し、半分失敗した。
ローガンたちのパーティーでは、イオともう一人、魔法使いだった女性が空を飛ぶことができた。それにローガン自身も、『剣聖』ジョブで習得するスキル【天駆】を使って空中を移動することができる。
アーロンの使った正体不明のスキルと、ローガンの【天駆】、どちらがより優れているかは一概には言えない。
速さという点ではアーロンに軍配が上がるが、消費されたであろうオーラの量から推測するに、ローガンの【天駆】の方が消費は断然少なく、小回りという点でも上回るだろう。ゆえに、【天駆】の方がより洗練されたスキルであると言えなくもない。
しかし、ローガンはアーロンのように一人で【ブリザード・ストーム】の内部へ到達することは叶わなかった。
仲間たちの援護によって迫り来るヴァルキリーどもを足止めし、ようやく【ブリザード・ストーム】の内部へ到達することができたのだ。
そこでローガンは、その時に使えた最強のスキルでもって、一撃で≪氷晶大樹≫を倒そうとした。自分たちならば――いや、自分ならば、問題なくできると思った。疑ってさえいなかった。
なぜならば、いつも魔力を失った≪氷晶大樹≫を倒す時、ローガンは一撃で片をつけていたからだ。
だから知らなかった。おそらく誰も知らなかったのだろう。きっと≪氷晶大樹≫を倒した探索者の誰もが、魔力の枯渇した≪氷晶大樹≫にしか攻撃を加えたことがなかったから。
≪氷晶大樹≫が自らの魔力を使用して、耐久度を大幅に強化していたことなど、誰も知らなかった。
――硬いのだ。
魔力を残している≪氷晶大樹≫は凄まじく頑丈で、ローガンの最強の一撃をもってしても、その巨大な幹の3分の1ほどを斬り裂くのが限度だった。
もちろん、その一撃で大幅に魔力を減らすことには成功したが、結局、新手のヴァルキリーどもを生み出されて、その対処に追われることになった。
≪氷晶大樹≫を倒すまで、おそらく30分ほどはかかっただろう。
それでも十分すぎるほどに短い戦闘時間だ。正確に計った者などいないだろうが、≪氷晶大樹≫戦でのレコード記録と言っても間違いないはずだ。
そしてあの頃よりも、今の自分の方が強くなっているという自信はある。
だが、それでも一撃で倒せるかと問われれば――答えは否だ。
「まさかここまでとは……俄然、真実味を帯びてきたじゃないか……!!」
荒唐無稽な都市伝説。
昨年のスタンピードで「核」となっていた災厄級の魔物を「一人」で倒したという存在――≪極剣≫
もはやローガンはそれを否定する根拠を持たない。なぜならば、それが可能と思える剣士を実際に目の当たりにしてしまったのだから。
この事実に、この場で気づいているのは自分の他にはイオとエイルくらいなものだろう。他の者たちはあれが凄まじい偉業であると理解はできても、あり得ないほどの異常だとは認識していないに違いない。
「…………」
ローガンは狂相とも呼べるような獰猛な笑みを浮かべながら、考えていた。
本気の自分と、本気のアーロン。
果たして、戦って勝てるだろうかと。
否、あるいはどのように戦えば勝てるのか、というのが正しい。
実際に殺し合いとなったら、どのように立ち回るべきか、どのように戦いを組み立てるべきか、頭の中では夢中で考え始めている。
胸が高鳴る。
遠い昔、初めて恋をした時をも上回る高揚感。求めていた者を見つけた喜び。
ローガンはアーロンがこちらに戻ってくる前に、平静を取り繕うのに苦心する。
「…………」
そんなローガンの様子を、エイルは感情の読めない瞳でじっと窺っていた。
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