第11話 「稽古をつけているってことですな」
「ローガン、どう思いますか?」
ネクロニア探索者ギルド、地下訓練場にて。
野次馬となっている探索者たちに混じってアーロンとフィオナの模擬戦を観察しながら、一人の女性が言った。
女性は地味なローブに身を包み、フードを深く下ろしている。そのため顔は良く見えないが、フードの下から覗く紅い唇はどこか妖艶な印象を見る者に抱かせる。
何より、ゆったりとしたローブにも関わらず胸元を盛り上げている見事なプロポーションは、周囲の探索者たちの視線を集めていた。
だが、この女性に声をかける剛の者はいない。
それは何も訓練場中央で繰り広げられる二人の剣士の戦いに、意識の大半が向けられているから――では、なかった。
「さて、そうですな……」
女性の傍らに立つ、大男が原因だ。
年齢は四十代半ばほどに見え、高い身長と筋骨隆々とした体躯を備えている。髪は短く刈り上げられており、その下には百戦錬磨といった風貌の精悍な顔があった。
ローガンと呼ばれた大男は、普通の探索者に見えるような質素な装備に身を包んでいたが、同業者だと見なす探索者は少ないだろう。
現役の探索者だとしたら、少しばかり歳を取りすぎているし、単なる探索者だとは思えないような覇気がある。平凡な探索者といった装備と、本人の雰囲気が吊り合っていないのだ。明らかに偽装だろう。
偽装にしては、本気で周囲の目を欺く気が感じられないのが、少しばかり奇妙ではあったが。
ともかく、この男を押し退けて女性に声をかけられるのは、知り合いでもなければ、実力を見抜く目のない未熟者か、自信過剰な馬鹿くらいのものだろう。
「一つ言えるのは、あの男、嬢ちゃんに稽古をつけているってことですかな」
良く整えられた顎髭を撫でながら、鋭い視線をアーロンに注ぎ、その一挙手一投足を観察しながら言う。
それにローブの女性――エヴァ・キルケーが僅かに首を傾げた。
「あら? フィオナのお師匠様という話が本当なら、稽古をつけるのは当然ではなくって?」
「ああ、すみません、お嬢。そういうことではなく、稽古をつけられるくらい、実力に開きがあるってことですよ」
「っ!? ……そこまで、差があるの?」
エヴァは微かに息を呑んで、だが首を傾げた。
その反応に、ローガンは仕方ないかと納得する。エヴァは武器を取って戦う近接系の戦闘ジョブではない。極めて特殊ではあるが、魔法使い系のジョブだ。
それに戦闘の経験自体も多いというわけではないから、一見してそこまでの差があるようには見えていないのだろう。
二人の戦闘は最初、遠くからのスキルの撃ち合いだった。
手数は圧倒的にフィオナの方が多く、アーロンは凌いだように見えても、反撃に移っていないことから、一見してそこまでの実力差はないように思える。
それは二人の戦いが接近戦に移ってからも同様だ。
……いや、接近戦に移ってからの方が、より顕著だ、と言った方が良いだろう。
舞うように左右の剣を繰り出しながら戦うフィオナに対して、アーロンは【パリィ】と宙に浮かぶ二本のオーラソードを駆使して、何とか逃げ回っている――ように見える。
しかも派手に素早く動き回るフィオナと比べて、アーロンの動きは遅い。おまけに剣で防御はしたものの、力負けして背後へ弾き飛ばされる場面も何度か散見された。
「今はフィオナが押しているように見えるけれど……。お師匠様の方は、何度も弾き飛ばされていますし」
エヴァもそのことを指摘した。だが、ローガンは「いえ、あの男の姿勢を良く見てください」と首を振る。
「姿勢?」
「はい。普通、力負けして弾き飛ばされれば、姿勢が崩れて体幹が揺らぐものなんですよ。ですがあの男の体幹は常にしっかりしているし、弾き跳ばされた直後でも、姿勢は乱れていないでしょう?」
「そういえば……確かに」
「あれはわざと後ろに跳んでいるだけですね。どうも私が見る限り、身体能力では嬢ちゃんの方が圧倒しているようです。だから剣で受けた時、姿勢を崩されるより先に後ろに跳んで力を逃がしているんですよ」
「でも、それって逃げに徹しているということでは? 反撃できないほど追い込まれているのですよね?」
「いやぁ、そいつは違いますね。あれはわざと受けて距離を取っている感じですな。たぶん、仕切り直してるんでしょう」
ローガンはエヴァの疑問をきっぱりと否定する。
「あの男と嬢ちゃんの周囲に浮かんでいるオーラソードの動きに注目してください。男のオーラソードの方が止まる時と、嬢ちゃんの剣を受けて後ろに下がる時がほぼ同じでしょう?」
「……ああ、確かに。……防ぐのに精一杯で操作できない、というわけではないのよね?」
「はい。男のオーラソードが動きを止めるのは、必ず嬢ちゃんのオーラソードの操作が鈍った時です。おそらく、嬢ちゃんが操作を取り戻すのを待ってるんですよ」
「……何のために?」
「そりゃあ、稽古をつけるためでしょうな。隙をついて嬢ちゃんを攻撃すれば、そこで模擬戦は終了ですから」
「……つまり、勝負を決めようと思えば、いつでもできると?」
「それくらいの差はあるでしょう。加えてあの男は、【パリィ】と【ダンシング・オーラソード】しか使っていない。嬢ちゃんの方は色々使っているのに、です」
「あっ」
そこまで説明すると、エヴァもようやく気づいた。
二人の戦いを観察していると、フィオナは色々なスキルを常に使い続けている。【剣の舞】と【ダンシング・オーラソード】。さらに双剣には常に【オーラ・ブレード】が宿り、動き回る時も足の裏でオーラの輝きが弾ける光が見える時がある。おそらくは高速移動用のスキル【スピード・ステップ】だろう。それから距離が開いた時には【フライング・スラッシュ】などの遠距離攻撃用スキルも多用している。
対して、アーロンの方は二本の【ダンシング・オーラソード】以外は、フィオナの剣やスキル攻撃を弾く瞬間のみ【パリィ】を発動させているだけだった。
魔力の総量が低くて、スキルを多用できない?
あるいはフィオナの猛攻の前に、他のスキルを発動する余裕がない?
考えればそんな可能性も思い浮かぶ――が、故意にオーラソードを停止させるという手加減をしているのに、他のスキルを発動できないとは考えにくい。
「嬢ちゃんもここ最近、めきめきと腕を上げていますが……あの男とはジョブやスキル以外の、剣術の基本的な力量にもかなりの差がある。そうでもなければ、あんな指導の仕方はできない」
「ええ……っと、それは、どういうこと?」
剣の鍛練などほとんどしたことのないエヴァでは、ローガンの指摘を理解できない。
首を傾げて問うと、答えはすぐに返ってきた。
「一見して嬢ちゃんの動きの方が圧倒的に速く見えるでしょう?」
「ええ、かなり」
「あれだけスピードに差があって一撃も貰っていないのは、嬢ちゃんの動きを完全に見切っているからです。さもなければ、スピードの差でとっくに押し切られてますよ」
「ああ、なるほど。確かに」
言われてみて理解した。
あれだけ身体能力に差があったら、普通、多少の技量の差など無意味だ。戦闘ジョブの恩恵として与えられる身体能力と、それを補助するスキル群は、容易に技量の差を覆す。
だからこそ、ジョブという才能は絶対的なのだ。
その絶対的な差すら埋める技量……武人ではないエヴァをしても、それを身につけるために支払った努力の大きさを想像して、微かな尊敬の念を禁じ得なかった。
「凄まじいですわね……」
フィオナは固有ジョブに覚醒した才能ある剣士だ。
本人もまた強くなることに貪欲で、努力を惜しまない。
それほどの剣士が「指導」されてしまう相手というのは、いったいどれほど強いのだろうか、と。
「ローガン、あの方は固有ジョブに覚醒しているのかしら?」
「いえ……ここまでの戦いぶりや使ったスキルから判断するに……非常に経験豊富な上級剣士ジョブの探索者……と言ったところですかな。今は技量と経験の差で嬢ちゃんを圧倒していますが、嬢ちゃんが順当に成長すれば追い抜ける程度……。まあ、それも想像できる下限に見積もって、なのですが」
つまり、実力を過小評価してそれ、ということか。ならば実際にはどうなのだろう。今、自分の横には迷宮都市でも間違いなく屈指の実力者がいる。
ふと、そう疑問に思ったエヴァは、傍らのローガンを見上げて率直に問うた。
「あなたなら……剣聖と謳われたあなたなら、勝てますか?」
大抵の国家で組織的な武力を持つのは特権だ。ネクロニアにおいては、探索者ギルドは仕方ないとしても、他は「評議会」と【封神四家】にしか許されていない。
そして【封神四家】にはそれぞれ、各家門が私有する騎士団があった。
ローガンは今でこそキルケー家の私有する『魔鷹騎士団』の団長を勤めているが、10年前までは探索者をしており、「剣聖」の二つ名で呼ばれていた最上位の探索者だった。
その実力は今でも衰えていない。
いや、あるいは10年前よりも今の方が強い可能性すらある。
ローガンもまた、フィオナと同じく自分の強さに貪欲な人間だからだ。
「さて……『魔鷹騎士団』を預かる身としては、口が裂けても勝てないとは言えませんが……」
ローガンは常の落ち着いた笑みとは違う、猛々しい野獣のような笑みを見せた。
「是非、彼とは手合わせしてみたいですな。戦ってみないことには、彼の実力の底が見えない」
その返答に、エヴァはふむと考え込んだ。
フィオナ相手にも実力の底を見せない男。今日、ローガンを伴って来たのはあくまで護衛のためだったのだが、こうなったら彼に見極めてもらうのも良いかもしれない……と、そこまで考えたところで。
「お嬢、そろそろ終わるようですよ」
その声に顔を上げれば、フィオナたちの戦いが終盤に差し掛かっていた。
誰が見ても分かるほど、フィオナの動きが精彩を欠いている。激しく息を荒げ、双剣からは【オーラ・ブレード】の輝きも失われていた。
「魔力切れ、ですか?」
「そうです。あれほどスキルを多用すれば、当然でしょう。ましてやずっと【剣の舞】を発動させ続けていたようですからな」
ふらふらとなったフィオナが振り回す剣を、戦闘開始から変わらぬ動きで回避して、アーロンは自身の剣を二度振った。フィオナの双剣があっさりと手の中から弾き飛ばされ、同時、自身のオーラソードを操りフィオナのオーラソードを叩き折る。
武器を失ったフィオナの喉元に剣が突きつけられ、その背後には二本のオーラソードが切っ先を向けて浮かんでいた。
文句のつけようのない勝利だ。
フィオナの体力と魔力は限界のようだし、模擬戦はこれで終了だろう。周囲でフィオナが負けたことを残念がるような声が上がり、さらに賭けに負けた者たちが野太い悲鳴をあげている。
訓練場の中央で何事か話している二人を眺めながら、エヴァはローガンに言った。
「ローガン、あの方の実力を、あなたにも確かめてもらいたいのだけど」
「お嬢のお願いとあらば、断ることはできませんな。さて、彼が受けてくれると良いが」
にんまりと笑いながら、ローガンは二人の方へ向かって歩き出した。
エヴァもその後について歩き出す。
予想以上の拾いものになりそうだ、と思いながら。
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