第9話 「聞いたわよ、あなたのお師匠様の話」


【神骸迷宮】を擁する【神骸都市ネクロニア】は、世界最大規模の巨大都市だ。


 その人口は百万人を下らず、円形の市壁に囲まれた都市ながら、面積は極めて広大だ――とは言っても、流石に百万もの人口を支える食料生産能力があるわけではない。


 食料その他の必要物資は、ほぼ全てが輸入によって賄われている。


 迷宮から産出される魔石や素材、アイテムなどを輸出し、そうして得た金で食料などを輸入しているわけだ。


 当然、市壁の内側に農地や牧場などがあるはずもなく、市壁の外にそれらが広がっているわけでもない。


 ネクロニアにおいてはほとんど全ての産業が、迷宮を中心として成り立っている。


 市壁の内側には主要な大通りの間を埋め尽くすように、所狭しと住居や工房、ギルドや行政機関の会議場などなど……様々な施設が建てられている。


 そして、円形の都市の中心部には迷宮の入り口たる【封神殿】があった。


 荘厳かつ神秘的な白亜の建築物だ。


 かつて、神代に神々によって建立されたとする【封神殿】は、長い年月を経ながら汚れ一つ付いていない。それどころか昨年にはスタンピードと呼ばれる、迷宮から魔物が地上へ溢れ出す現象が起こったというのに、壊れた場所どころかヒビの一つも存在しなかった。


 この事実こそ、【封神殿】が神々の建築物だという何よりの証左だろう。


 ともかく。


【封神殿】を中心に東西南北それぞれに、都市内部にあるとは思えないほど広大な敷地を備えた屋敷がある。


 四つの屋敷は全てが【封神殿】から程近い、都市の中心部に収まっていた。


 如何なる国家の支配も受け付けない【神骸都市】において、王侯貴族は存在しないが、例外として四家の特権階級とも言うべき、特別な血筋があった。


 それが【封神殿】周囲に屋敷を構えている四つの家――、


「北のカドゥケウス」

「東のグリダヴォル」

「西のキルケー」

「南のアロン」――である。


 この四つの家を、人々は総称して【封神四家】と呼ぶ。


【神骸迷宮】を作り出した古の神の骸、その封印を維持するために、神々から特別な力を与えられた血統として、彼らはネクロニアの住民のみならず、周辺諸国の王侯貴族からも敬われている。


 そんな【封神四家】の一角、西のキルケーの大邸宅において。


 屋敷の中の一室、客人と歓談するための応接室にて、二人の女性がローテーブルを挟んでソファに座り、向かい合っていた。


 片方は長く鮮やかな赤髪をポニーテールにまとめた美貌の女剣士だ。


 年の頃は二十代前半といったところで、髪と同じく赤色をした瞳が鋭く細められている。


 不機嫌を隠しもしない表情だったが、その理由というのが、対面に座る女性が発したセリフだ。


「――聞いたわよ、フィオナ。あなたのお師匠様の話。ひどいじゃない。私とあなたの仲なのに、隠し事をするなんて」


 どこか、からかうような調子を孕んだセリフ。


 発したのは艶やかな金髪に、これまた金色の瞳をした美女だ。年齢はフィオナと同じくらいだが、スレンダーな体型をしているフィオナに比べて、こちらの女性は豊満な体つきをしていた。


 かといって断じて太っているというわけではなく、腰はくびれ、手足は細く長い。


 自宅ということもあってか、ゆったりとした白色の清楚なワンピースを着ているが、不思議なことにこの人物が着ていると清楚という印象は吹き飛び、ひどく妖艶にすら感じる。


 エヴァ・キルケー。


 それが彼女の名前。


【封神四家】の一角、キルケー家直系のご令嬢にして、次期当主筆頭と名高い女性だ。


「ふざけないで。師匠なんて呼んだこともないわよ。あいつが勝手に吹聴してるだけなんだから」


 むっつりとエヴァの話を聞いていたフィオナ・アッカーマンが、不本意だと表情で示しながら言う。


「私も最初は単なる与太話と思っていたのだけれど、あなた、その人に何度も負けているらしいじゃない?」


 気にしたふうもなく続けられるエヴァの言葉に、フィオナの頬がひくりとひきつる。


「そんなに強い人なら、一度会っておきたいわ。フィオナ、紹介してくれないかしら?」


「何で私が。会いたいなら勝手に会いに行けば良いでしょ」


「それもそうだけど、お弟子さんからの紹介なら、その後の話も通しやすそうでしょ?」


「誰がお弟子さんよッ!」


 フィオナがローテーブルをダンッと叩く。


 だが、エヴァは豪胆にも怖がる様子さえない。むしろニヤニヤとからかうような笑みを浮かべて続けた。


「あら? お弟子さんじゃ不満だったかしら? ……もしかしてー、そういう関係とか?」


「はあッ!? ふざけたこと言ってんじゃないわよ! ぶっ飛ばすわよ!?」


「それなら別に良いじゃない。会わせてくれたって。何怒ってるのかしら?」


「アンタがバカなこと言うからよ!!」


 フィオナは一頻り怒りを表明したが、エヴァに堪えた様子が微塵もないのを見ると「チッ」と舌打ちして、前のめりになっていた体を背凭れに預けた。


 それから腕を組んで、エヴァに鋭い視線を向け、


「だいたい、何であいつに会いたいのよ、アンタ」


「何でって……決まってるじゃない? 巷で何かと話題の剣舞姫様のお師匠様よ? 私じゃなくったって、会いたいと思うわよ」


「そんなミーハーな性格でもないでしょうが。本心を語りなさいよ、本心を」


「んー、本心って言われてもね。あなたより強いっていう人に興味がある、っていうのは本心よ? 後はまぁ……その人が「極剣」……何じゃないかなって思ってるの」


 言葉は軽く、冗談のような声音で言いながらも、エヴァは目を細めて対面のフィオナの様子を窺った。


 ――極剣。


 それは半ば以上、都市伝説的に語られる存在だ。


 噂が流れ出したのは昨年のスタンピード以降。単身魔物の軍勢に突っ込んで、スタンピードの「核」になっていた災厄級の魔物を一人で斬り倒したという噂がある。


 だが、所詮は噂だ。本気で信じている者など、ほとんどいない。


 特に少しでも戦闘系のジョブに就いていた経験がある者ならば、その噂がどれほど荒唐無稽なものなのかを理解している。ゆえに誰もがあり得ないと断じていた。


 それはそうだ。


「核」たる災厄級の魔物の周囲には、災害級の魔物が数十体規模で群れを成し、さらにそれを囲むように【神骸迷宮】三十一層以降の魔物たちが数百体規模で取り囲んでいたらしいのだから。


 そんな地獄に一人で突っ込んで、生還するどころか「核」を討伐するなど、どう考えても人間業ではない。


(だけど)


 だが、エヴァは【封神四家】の一員として、昨年のスタンピードに関して一般人や一探索者よりも、遥かに詳細で確度の高い情報を知ることができる立場にある。


 一人、ないしは少人数でスタンピードの「核」が討伐されたというのは、事実なのだ。


 エヴァのような為政者側の者たちは、その個人、もしくは正体不明の集団を指して「極剣」と呼んでいる。


(さすがに私も一人でやったとは思わないけれど)


 フィオナの師という存在が、この「極剣」の一員である可能性はある。いや、それどころかフィオナ自身も「極剣」の一員なのではないかと、エヴァは疑っていた。


(それをどうして隠しているのかは、分からないのだけれど、ね)


 手放しで称賛されるべき偉業を、隠す理由が分からない。


 正体不明。だからこそ、このネクロニアにとって敵なのか味方なのかも判断することができないのだ。


「あのね、エヴァ」


 しかし、当のフィオナは呆れたような顔で言った。


「あんな与太話を信じるなんてどうかしてるわよ。いるわけないじゃない、「極剣」なんて」


(嘘じゃ、ないみたいね……)


 少なくともフィオナ自身は、本気でそう思っているようだった。


 この口の悪い友人は性格もきついが、平気な顔をして嘘を吐けるような器用な人間ではない。


「それにあいつは……まあ、確かに腕は立つけど、初級ジョブで限界印が出るような奴よ。それがどうやったらスタンピードの「核」を一人で倒せるってのよ?」


「へぇ、やっぱりその話、本当だったのね」


 フィオナの話に、新たな興味が湧く。


 エヴァが集めた情報には、フィオナの師匠は初級ジョブだという噂があった。だが、確実に嘘だと思っていたのだ。初級ジョブがどうすれば剣舞姫に模擬戦とはいえ勝利できるというのか。


 しかし、フィオナが断言しているということは、初級ジョブというのは本当なのだろう。


(いえ、フィオナに対して偽っている、という可能性もあるかしら?)


 正体を隠している、という可能性。


 何にせよ、そのお師匠様には秘密がありそうだと思う。


「極剣」の正体はともかく、強者には大いに興味がある。特にスタンピードが起きたばかりの時勢では、新たに起こるかもしれないスタンピードへの備えとして、一人でも多くの強者が必要だ。


「――ねぇ、フィオナ?」


 だからエヴァは、やはり直接会ってみることに決めた。


 ただし、その実力を直に確かめる必要も感じている。期待外れという可能性は少なそうだが、有象無象では会う意味がない。


「うっ、な、何よ……?」


 猫撫で声で自分の名を呼ぶエヴァに、嫌な予感がしたのかフィオナが警戒するように目を細める。しかし、その声は打って変わって弱々しい。


「私って、あなたのパトロンでもあるわよね……?」


 すうっと、エヴァがその白魚のような繊手を持ち上げ、人差し指でフィオナ――ではなく、そのすぐ隣を指差した。


 そこにあるのは、ソファに立て掛けられた二本一対の双剣だ。


 言うまでもなく、フィオナの武器だ。元々は長剣を一本だけ使用していたのだが、固有ジョブに覚醒した結果、新たに習得したスキルを最大限に活かすため、武器の変更を余儀なくされたのだった。


 フィオナはソロで活動しているとはいえ、凄腕の探索者であり収入は多い。


 だが、世の中にはお金だけでは買えない物というのが存在するし、実のところ、フィオナはお金にかなりルーズで、金欠に陥ることも多い。


 そんなフィオナを幾度となく助けてくれたのが目の前の友人であり、現在の主武装である双剣を、キルケー家のコネを遺憾なく発揮して手に入れてくれたのも、目の前の友人だ。


 つまり何というか、フィオナはエヴァに頭が上がらない。


 本気でエヴァが求めることを拒否できないのだった。


「わ、私に何させるつもりよ……ッ!?」


 双剣を我が子のように抱き締めて言うフィオナに、エヴァは「んふ」と笑った。


「安心して。別に難しいことをしてもらうつもりはないわ。ただ、あなたと、あなたのお師匠様が模擬戦をしているところ、こっそり見せてくれないかしら? 私のことは内緒でね」


 当然のことながら、フィオナに拒否するという選択肢はなかった。



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