第3話 「アーロンなら大丈夫だ」
【神骸迷宮】第1階層から第5階層までは、蟻の巣のような洞窟が縦横無尽に広がっている。
内部は通常の洞窟のように暗闇に覆われているわけではなく、壁面などに自生する迷宮ヒカリ苔が光源となって、薄明るく照らされていた。
目が慣れれば、ランタンなどの照明器具がなくとも探索と戦闘に支障はないほどだ。
とは言っても太陽の光が届く場所でもないので、たとえ真夏であっても内部は涼しい気温に保たれている。あまり動かなければ、むしろ肌寒く感じるくらいだろう。
そんな環境ではあるが、どんな冷え性の探索者だって、ここで寒さを気にする奴はいない。
特に俺のようなソロの探索者となれば、常に気は張りつめ、少しの油断だって出来はしないのだ。
「一人で迷宮を歩くのは……そういや、初めてか」
迷宮の1階層を奥へ向かって歩きながら呟く。
まだ低階層なので、周囲には駆け出しの探索者たちが多く彷徨いている。だから孤独を感じるような状況ではないが、心細さを感じてしまうのも確かだ。
何しろ、たった一人で迷宮へ潜るのは初めての経験なのだから。
今までならば頼れる仲間たちがいたが、それも一昨日までの話。不安はあれど、迷宮で稼がなければ生きていけない身の上だ。
だから覚悟を決めて、俺は迷宮を進んでいく。
だが、しばらくの間は下の階層へ向かうつもりはない。1階層にいる内に、一人での戦闘に慣れなければいけないからだ。
【神骸迷宮】は下の階層へ降りるほど、出現する魔物は手強くなる。
現在の最前線である第43層では、固有ジョブに覚醒した特級探索者たちのパーティーが、何とか戦えるというのが実状で、出現する魔物は地上であれば一体一体が「災害級」と呼ばれる強大な魔物ばかり。
対して、1階層に出現する魔物は弱い。
戦闘系ジョブに就いていれば、誰でも勝てる魔物ばかりだが……それは1階層で死亡する者が少ないことを意味しない。
【神骸迷宮】第1階層に出現する魔物は、全部で四種類。
犬くらいの大きさがある芋虫の魔物――ビッグ・キャタピラー。
毒を持つ蛇の魔物――ポイズン・スネイク。
吸血する蝙蝠の魔物――ヴァンパイア・バット。
そして人間の子供程度の体躯をした人型の魔物――ゴブリンの四種類だ。
こいつらはどれも弱い魔物に違いないが、洞窟という環境下では侮ることはできない。
ビッグ・キャタピラーの吐く糸に捕まれば、行動は制限される。戦闘中にそうなれば、極めて致命的な隙になりかねない。
ポイズン・スネイクは平気で壁を登り、洞窟の天井から落下してくる。不意打ちを受けて毒牙に咬まれれば、毒消し用の解毒ポーションを携帯していない場合、地上に戻る前に死ぬ
確率は非常に高い。
ヴァンパイア・バットは小さい上に洞窟の中でも高速で動き回るため、攻撃を当てにくい。群れで襲われたら最悪だ。
もしかしたら、一番倒しやすい敵がゴブリンかもしれない。
それなりに大きく、人型の魔物ゆえに動きを読みやすいからだ。だが、こいつらは悪知恵が働く。こちらに敵わないとみて逃げ出したかと思えば、曲がり角で他のゴブリンが待ち構え、奇襲してくることもある。何より他の探索者から奪った武器や道具を使ってくることもあるから、やはり油断ならない魔物だろう。
だが、まあ。
「流石に今さら苦戦するわけないけどな」
これでもミノタウロスを仲間たちと倒せるくらいの実力はあるのだ。
いくら才能がないとは言っても、今さらここの魔物に苦戦するほど弱くはない。
ただ、ソロだから油断はできない――というだけのことで。
「ギャギャ!」
洞窟の曲がり角から魔物が現れ、こちらに気づいて駆け寄って来る。その姿は薄汚れた緑色の肌に禿頭。鷲鼻に黄ばんだ乱杭歯。横に長く垂れ下がった耳に、腰には汚い腰ミノのみと、まさにゴブリンゴブリンしたゴブリンだ。ゴブリン以外の何者でもない。
奴は獲物を見つけたとでも言うように嗜虐的な光を瞳に宿して、手にした棍棒を武器に接近してくる。
見た目は粗末な棍棒だが、その表面には動物の牙や鋭い石片などが埋め込まれ、カスタマイズされていた。防具がない場所に攻撃を受ければ、肌はズタズタに引き裂かれるだろう。
そんな殺意満点の敵を前に、俺は腰の剣帯から吊った長剣を静かに抜き放ち、自分自身に改めて気合いを入れた。
そうしてから駆け出す。
彼我の距離が縮まり、ゴブリンが間合いに入った瞬間、剣を振り抜いた。
――【スラッシュ】
青い軌跡を描いて斬撃はゴブリンの首を通り過ぎ、その頭部を斬り飛ばす。
それは当然の勝利であり、喜びはない。
勢いのままに地面を転がったゴブリンの骸が魔力に還元されていくのを眺めながら、俺は緊張していたのかもしれない。
果たして自分一人だけで、これから先やっていけるのかと。
●◯●
「アーロンの奴、今ごろ迷宮に入ってんのかね?」
【神骸迷宮】第11階層にて。
それまでの洞窟型、遺跡型と続き、11階層から先は草原型の迷宮が広がっている。
地下にあるはずだというのに、天井にはどこまでも続くような青空が映し出され、地面には青々とした雑草が生い茂っている。遠くを見やれば森と、さらにその先に雪を被った峻厳なる山脈まで見えるが、実際にそこまで行くことはできない。空も山脈も、幻のようなものだ――というのが、学者たちの定説だった。
森の中に入ることはできるが、その向こう側にある山脈へ行こうとすれば、途中で見えない壁に阻まれるのだ。
下層へ向かう階段は草原、あるいは森の中にあり、11から15層までは、テラリウムのような環境が続いている。
爽やかで心地よい風まで吹くが、飽くまでここは地上ではなく迷宮の中なのだ。
そんな不思議な場所を探索しながら、四人組の探索者パーティー≪栄光の剣≫の面々は、時おり雑談のために言葉を交わす。もちろん、警戒は怠らずに。
目下、話題の中心となるのは、先日にパーティーを抜けた――というか、パーティーから半ば追い出した形になる友人のことだった。
「たぶん、もう入ってんだろ。俺たちと同じで、金を貯めてるわけもねぇからな」
仲間の疑問に返したのは、≪栄光の剣≫のリーダーたるリオンだ。
探索者は儲かる。
何しろ文字通りに命を賭けているのだし、その危険度も極めて高い。迷宮から産出される魔石や素材、アイテムなどはどれだけ持ち帰っても足りるということがない。
だが、ようやく中級探索者へ昇進できるくらいのリオンたちでは、貯蓄できるほどのお金がないのは事実だった。
探索者は儲かるが、支出も多い。
武器や防具などの装備、それから治癒ポーションや水に食料などの消耗品、ポーションで癒せない怪我を負えば治療院で高価な治癒術を施術してもらわねばならないし、宿ではなく借家やアパートメントに住んでいても金は掛かる。武器や防具なども結局は消耗品で、メンテナンスや買い換えからは逃れることはできない。
迷宮では時折、宝物を見つけることもある。
強力な力を秘めた装備品や、稀少な素材などだ。あるいは単に豪華な装飾品が見つかる場合もあるが。
だが、そういった物を手に入れて大金を稼いでも、それで貯蓄する探索者は稀だろう。
手にした大金で装備をより良い物に代える――というような、先行投資的な金の使い道はほとんどしない。大抵の場合、酒場や娼館などで豪遊するくらいだ。
何しろ何時死ぬかという潜在的な恐怖と、常に戦っているのが探索者という人種だ。
心の底に無理矢理押し込めた恐怖を忘れるために、酒や娼婦に溺れるのはありがちな事だった。
加えて、つい最近まで童貞であった少年たちが娼館に通いつめてしまうことも、良くあることだ。
そんな諸々の複雑な事情でもって、アーロンもリオンたちも貯蓄はない。
ゆえに、今日も迷宮で「仕事」をしているだろうことは、確実だ。
「あいつ、大丈夫かよ?」
仲間の一人が心配そうに呟く。
アーロンのパーティー登録を解除したとはいえ、それは仕方のない事情ゆえにだ。これまで一緒に戦ってきた仲間を、急に嫌いになるわけもない。
「アーロンなら大丈夫だ。五階層より先に進まなければ、そうそう死ぬことはねぇだろ」
リオンが断言した。
当然、「何でだよ?」と仲間たちが根拠を問う。
「ジョブの才能は……まあ、アレだったけど、戦いの才能はあるからな」
これまで一緒に戦ってきた経験、そしてミノタウロスとの戦闘を思い返しながら、リオンは確然とした調子で言い切った。
ミノタウロスとの戦闘があれほど楽に終わったのは、アーロンが初撃で足を潰したからだ。
それを指示したのはリーダーであるリオンだが、それを実行したのはアーロンだった。
喰らえば一撃で死ぬという攻撃を前に、自分よりも遥かに巨大な魔物を前に、あれほど迷いもなく突っ込み、いつも通りの実力を発揮するということは、言葉にするほど簡単なことではない。
普通なら、恐怖に足がすくみ、体の動きは鈍り、思考は視野狭窄に陥るのが当然だ。
リオンにしても、アーロンと同じことをできるかと問われれば、言葉を濁さなければならないだろう。
今、自分たちだけでミノタウロスと再戦したとしても、前ほど楽には勝てないはずだ。
リオンは守護者を越えた階層ごとに転移陣が設置されていることに、深く感謝した。そうでなければ迷宮へ潜る度に、ミノタウロスと戦わねばならないのだから。
――ともかく。
確かにジョブの才能は他に類を見ないほどに悲惨だし、探索者や魔物と戦う職種の者たちにとって、才能とはジョブの才能に他ならない。
だが、アーロンには戦闘におけるセンスというものが備わっていたと、パーティーのリーダーだからこそ、リオンには分かっていた。
「無理をしなければ、大丈夫さ」
それでも運が悪ければ死ぬ。それが迷宮というもので。
そこに才能があるかどうかは、実のところ、あまり関係がない。
どんな高位探索者だって、死ぬときは死ぬ。
「俺たちは俺たちの心配をしなきゃな。ここは初めての階層なんだ。気ぃ引き締めていくぞ!」
「「「おお!!」」」
改めて全員の気を引き締めて、リオンたちは迷宮を進む。
いつ死ぬか分からない。それは自分たちだって同じなのだから。
――そして、あっという間に月日は流れる。
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