哀しき鬼の誕生秘話

日乃本 出(ひのもと いずる)

哀しき鬼の誕生秘話


 時は平安時代初期。国上寺という寺の庭に一人の少年が立っていた。そのそばには、おびただしい量の、少年の背丈を越えるほどの紙の束がいくつも連なっている。

 少年の名は『外道丸』という。この国上寺に身を置く稚児ちごである。(稚児とは十二~十八才の剃髪ていはつしていない少年修行僧のことを指す)

 名前を聞くと何やら恐ろしい風貌を想像してしまいがちだが、この外道丸にとってはその想像はあてはまらない。なぜなら、その外道丸は、闇夜に浮かぶ月でさえその身を恥じると称されるほどの絶世の美少年であったからだ。


 いつの時代であろうと、世のご婦人方というものは、美少年を放っておくことができぬもの。世のご婦人方は、その年齢の高い低いに関わらず、そして良人おっとがいるいないに関わらず、さらには身分の高い低いに関わらず、外道丸の美しさに心を奪われていった。

 やがて、外道丸の噂は水面を走る波紋のように、ご婦人方の口から口にと伝わっていった。その熱狂振りは、遠からん地域のご婦人方が、外道丸の姿を一目見ようと“外道丸様御姿拝見行脚団”などという集団を作ってまで会いにくる程であった。

 当の外道丸はというと、そのようなご婦人方を邪険にすることなく、笑顔で接していた。そして、それがさらにご婦人方の熱狂振りに拍車をかけていったのである。


 ご婦人方の熱狂が高まるにつれ、ご婦人方は自分たちの、さながら活火山の中から溢れ出るマグマの噴出に似た、熱い熱い情熱をなんとか外道丸に伝えることはできないかと思索した。

 ほどなくして、ご婦人方は想いを文にするという方法を思いつき、ご婦人方はこぞって競い合うように外道丸に対して、抑えることの出来ない愛情と欲情と情熱を書き散らした文を送るようになっていった。

 最初のうちは、その文の量も大したものではなかったが、やはりそこはご婦人方の想いの深さというべきか、やがてすさまじい量の文が外道丸のもとへと届くようになったのであった。

 これには、当の外道丸も困惑した。一つ一つに目を通してさし上げようにも、その量が膨大であるため、時間がいくらあっても足りはしない。文の少なかった以前は、返事を書きしたためてあげてもいたのだが、当然、それもできようはずがない。よくよく考えれば、返事を書きしたためたりしたからこそ、このような事態を引き起こしてしまったのかもしれないが、それをいまさら言い始めてもしようがない。


 問題はそればかりではなかった。今までの問題はいうなれば、外道丸の精神的な問題であったが、次に浮かんできた問題は外道丸の国上寺内での立場を危うくする現実的な問題であった。

 外道丸に届く文の量が多くなりすぎて、文の置き場所がなくなってしまったのだ。

 文は外道丸のあてがわれていた部屋から溢れ、他の稚児の部屋にまで侵食し、そこも無理だとなれば住職の部屋にも侵食し、しまいには住職の部屋からも溢れ、ついには御仏を奉るお堂の中にまで侵食しはじめてしまった。

 それが原因で、外道丸と他の稚児との仲がすこぶるよろしくなくなった。元々、他の稚児たちは外道丸の容姿のよさと、それに群がるご婦人方に対して普段から快いものを持っていなかったので、外道丸に対するやっかみとののしりは底知れないものがあった。


 しかし、外道丸からすればたまったものではない。身から出た錆ならばまだ文句をいわれても我慢ができるが、これに関してはそういうものとも言いがたい。なにせ、外道丸はただ生きていてそこにいるというだけで、文を送りつけられるのだから。

 さすがにこのままではいけないと外道丸は住職に頼んで、“文を出すのを控えていただけませんでしょうか”、という立て札を寺の門の近くへと立ててもらった。

 だが、この立て札がまたいけなかった。なぜなら、この立て札を見た世のご婦人方が、立て札の意味を変に曲解してしまったからだ。


「あら、これはどうしたこと」

「なぜあの方に御文をお出しすることがいけないのでしょう」

「ひょっとすると、もう外道丸様は御心に決めたお相手がいらっしゃるのかしら」

「まあ、それはなんということ。それは是非ともはっきりさせていただかなければなりませんわ」

「外道丸様に嘆願の御文をお出しすべきじゃないかしら」

「そうしましょう。そうしましょう。皆々様、一丸となって外道丸様に嘆願の御文をお出しいたしましょう」


 という運びになってしまい、ご婦人方からの文の量がさらに増えてしまったのである。

 こうなってくると、もう収拾がつかない。今まで騒動を静観していた住職もさすがに閉口し、外道丸に告げた。


「この騒動の落としどころについては追々おいおい考えることとして……とりあえずといってはなんだが、この文の束をどうにかしてくれぬかのう? これでは拙僧も稚児どもも、行に集中することができぬでな。それに、御仏が座しておられるお堂に、かような情念の塊とも言うべき文を置いておくというのも、あまりよろしいこととは思えぬでのう」

「はあ……かしこまりました」


 と、外道丸は頷いてはみたものの、果たしてどのようにして片付けるべきか、すぐには案が浮かばなかった。

 なにしろ、部屋の中に納まりきらぬほどの量なのだ。

 無難なところでいえば焼き捨ててしまうのがいいのだろうが、それをするには少々はばかれる思いが外道丸にはあった。

 いくら相手が勝手に送りつけてきた文とはいえ、それに一度も目を通さず焼き捨ててしまうというのはあまり気持ちのよいものではない。それも、自分に対する純粋な好意が書き連なれている文といえばなおさらだ。


 といって、他に良い案が浮かぶわけでもない。それにぐずぐずしていると、またも大量の文が届けられ、また他の稚児達や住職に迷惑をかけてしまう。

 外道丸は決心した。気は進まないが、文を焼き捨ててしまおう。

 外道丸は住職に庭を使わせて欲しいと願い出た。住職も外道丸の心情を察してか、同情をはらんだような目を外道丸に向けて言った。


「うむ。まあ、あまり気を咎めたりせんことだ。そなたに落ち度があるわけではあるまいて」


 住職の言葉に外道丸は苦々しい表情になって頷いた。そしてまずはお堂の中の文から手をつけようと、庭とお堂を数度にわたって行き来し、お堂の中の文を庭へと全て持ち出したというところなのだ。

 焚き火の準備をし、外道丸は火をつけた。

 火が大きくなるのを待つ間、外道丸は積み上げてある文の束から無造作に一枚ひきぬき、それを読み始めた。

 しかし、外道丸はそれをすぐにまだくすぶっている焚き火の中に放り込んでしまった。肩で息をしている外道丸の両頬は羞恥によってもたらされた赤みが浮き出ていた。


「なんという、卑猥かつ肉欲的な内容だろう。やはり御仏様のお教え通り、情欲というものは恥ずべき煩悩の中でも際立って害があるもののようだ。最初はこの文の束を読まぬことに心を痛めていたが、ひょっとすると読まずにいたことがかえってよかったのかもしれない」


 そんな思いが外道丸の気持ちを晴れやかなものにした。今まで思い悩んでいたことすらばかばかしく思えるほどであった。

 そうだ、わたしは御仏がおあたえなされた試練に打ち勝ったのだ。人間が中々に断ち切れぬ、情欲という煩悩とその誘惑に、わたしは打ち勝ったのだ。

 外道丸の考えに賛意を示すかのように、焚き火がパチパチという音をたてた。その音に勢いづいたか、外道丸は積み上げてある文の束を焚き火の中へと掴んでは投げこみ、掴んでは投げ込んでいった。


 いくらか投げ込んだところで、外道丸はその手を止めた。文の量がすさまじいので、いっぺんには焚き火の中にくべられないのだ。

 いったん手を休めることにし、焚き火のそばに腰掛け、燃えていく文の束をじっと見つめていると、外道丸はあることに気づいた。

 燃えた文から出ている煙が消えないのだ。普通なら煙は上空へと立ち上っていき、やがては消えていくものだが、文から出ている煙は上空へと立ち上らず焚き火の周りにとどまったまま消えていかない。


「これはどうしたことだ」


 不思議な現象に首をかしげながら、外道丸は煙に向かって息を吹きかけてみた。

 すると煙は吹きかけた息によって一瞬は焚き火のそばから離れるものの、すぐに焚き火のそばへと戻ってきてまた周囲に漂いとどまるのだった。

 そしてその煙は燃える文からどんどん溢れてくるのだ。

 やがて周囲にとどまる煙で焚き火の炎が見えなくなりつつなると、外道丸はさすがにこのままではよからぬことが起こると感じ、手でその煙を払おうと煙の中に手を突っ込んだ。


「うわっ?!」


 思わぬ感触が手に走り、外道丸は叫び声を上げながら煙の中に突っ込んだ手をひっこめた。

 煙というものは空気と同じようなものであるはずだ。空気と同じようなものということは、何も感触がないはずだ。しかし……今のはいったい……。

 恐る恐る、外道丸はもう一度、だが今度はゆっくりと煙の中へと手を突っ込んでみた。


 すると、先ほどと同じような感触が外道丸の手を襲った。

 まるで、水田の中に手を突っ込んだかのような抵抗と感触。それでいて、生ぬるい何かが手を包み込んでいるかのような、えもいわれぬ不可思議な感触。

 外道丸は確信した。この煙は、現世うつしよのものではないと。間違いなく、よからぬことの前触れである、と。


 そう確信するやいなや、外道丸は煙から手を抜き出し、己のそばに置いてあった水桶を掴んで、その中の水を煙の中心部へとぶっかけた。

 ぶしゅぅ~~という火の消える音。そして、一段と充満する煙。

 その時、外道丸の耳に微かな声が聞こえた。辺りを見渡してみるが、誰もいない。

 普段ならば気のせいの一言ですませてしまうところだろうが、今はそうはいかない。なにせ、目の前には謎の煙がまだ充満しているのだ。ひょっとすると、外道丸の想像のつかぬようなことが起こり始めているのかもしれない。外道丸はその微かな声を聞こうとするべく、耳をすませてみた。


『逢いたや……恋しや……』


 確かに聞こえた。若い女の声のようだった。その声がどこから聞こえてくるのか確かめるべく、外道丸は神経を集中させた。


『つれないお人……あぁ、お添いしとうございます……』


 外道丸は戦慄した。なぜなら、聞こえてくる声の出処は目の前の煙の中からだったからだ。そして、聞こえてくる声も一人の女の声ではなく、おびただしい数の女の声だったからだ。


『なぜお気持ちをくんで……せめて叶わぬなら……その御身を……』


 突如、轟という神風を思わせるような強烈な風が舞い起こった。そして、その風によってとどまっていた謎の煙がまるで待ち焦がれていた獲物を狩る獣のように外道丸の身を包み込んでいった。

 あぁっ!!! という叫び声をあげたが、外道丸にできた抵抗はそれだけであった。外道丸はあれよあれよという間に煙によって総身を包まれてしまった。煙によって視界は漆黒に閉ざされ、その総身には先ほどその手に感じた生ぬるい感触によって包まれる。

 外道丸はなんとかその漆黒の中から這い出ようと、その総身を必死になって動かそうとした。だが、外道丸の総身はまるで金縛りにあってしまったかのように動かすことができなかった。

 どこか動くところはないものか?! 己の全神経に問いかけてみると、どうやら口だけは動きそうだということがわかった。外道丸は半ば狂乱めいたような口調で漆黒の中に問いかけた。


「わたしをどうするつもりだ?!」


 すると、囁き声があちらこちらから聞こえ始めた。


『貴方様しかおりませぬ……私の純潔を……あぁ、外道丸様……』


 まるで、恋焦がれた相手との始めての寝物語のような甘く、淫靡な囁き声であった。そして、その言葉を拾っていくうちに、外道丸はあることに気がついた。

 この囁き声――ひょっとすると、さきほどわたしが焼いていた文に書かれてあった言葉ではないか?!

 その瞬間。声が聞こえなくなった。そして、少しの間の後――――、


『お慕い――申しております――』


 万にも匹敵でするであろう女の声が同時にそう外道丸に投げかけ、その声を全身に浴びせられた外道丸は、まるで荒ぶる雷鳴が総身を駆け巡るかのごとき衝撃に見舞われ、そして意識をうしなってしまった。

 どのくらいのときが過ぎたであろう。意識を取り戻した外道丸はいつのまにか自分が地面に突っ伏していることに気づいた。

 外道丸はゆっくりと体を起こし、辺りを見渡した。いつもの見慣れた国上寺の庭だ。いつもと違うところといえば、さきほど己が焼こうとしていた文の束があることと、焚き火の跡くらいのものだ。


 やれやれ、いったい先刻の出来事はなんだったのか。外道丸は腕組みをした。そして、驚愕した。

 腕組みをした己の腕が変貌をとげていたのだ。

 外道丸の目に映ったのは、男性としてはいささかか細かった白く透き通っていた己の腕ではなく、真紅に染まりあがった筋骨隆々とした毛深い腕であった。


 己の突然の変化に外道丸は声をあげた。そして己のその声にまたも驚愕した。

 鳥のさえずりのようだと言われた声はなりをひそめ、変わりに外道丸の口からついて出たのは地面を揺らさんばかりの異形の咆哮。

 その咆哮に驚いた寺の稚児達は、なにごとか急いで外道丸のいる庭へと駆け寄ってきた。そしてそこにいた者の姿を見て、稚児達は叫び声をあげはじめた。


「おっ、鬼だ! 鬼がいるぞ!!」

「鬼が外道丸を喰らってしもうた!! 誰か! 誰か~~!!」


 違う、わたしが外道丸だ! と稚児達に投げかけようとしても、口から出るのは稚児達の魂を凍てつかせる異形の咆哮ばかり。


「ひぃ! 今度はわしらを喰らおうとしておるぞ!」


 逃げ去っていく稚児達を外道丸は呆然として見送った。いったい、己の身に何がおこっているのだ。いったい、なぜこのようなことになってしまったのだ……。

 だがそんな外道丸の傷心など意にも介さず、稚児達はその時たまたま国上寺で世話になっていた屈強な二人の武芸者を引き連れて戻ってきたのだった。


「あちらでございます! あちらの鬼をどうか退治してくださりませ!」


 武芸者達は刹那ためらいの表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して腰に下げた刀を抜いて外道丸に向かってかまえた。

 このままでは斬られてしまう! わたしは何もしていないのに、斬られてしまう!

 外道丸は両手で顔を抑え、涙の咆哮を何度もあげながらその場から逃げ去っていった。


 その後、外道丸がどのようになったかは語るにたえないが、ここはやはり語っておくべきであろう。

 外道丸は結局その姿は二度と元の美少年に戻ることなく、おぞましき鬼の姿で各地の山々を転々とし、最後に安住の地として大江山にその居を定めたという。

 外道丸はやがて誰が呼びだしたかはしらぬが“酒呑童子”の名で呼ばれはじめ、このような姿になった恨みか、はたまた鬼というもの性か、若い姫君たちをさらってきては非道の限りをつくしたと言われている。

 そして、酒呑童子の最期はかの名高い源頼光によって討ち取られたことは、皆の知るところである。

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