第37話 明け方の女王

 次の日の朝。

 滑らかに開いた扉から、船長が大あくびでメインコントロール室に入ってきた。サヨコと朝の挨拶を交わし、いかにも眠そうに椅子に腰を下ろす。

 そうしてぼーっとしていた船長は、やがて眠気との戦いを諦めたように姿勢を正して、目の前のモニター、地球の朝の映像郡を見やった。朝のコンビニ、朝の街頭、そして朝の高橋の部屋。

 そろそろ高橋の部屋の目覚まし時計が鳴る時間だった。船長はボタンを操作して、高橋の部屋の映像を大きく映した。

 ピピピピ、ピピピピ……。

 鳴り出したその音で、部屋のなかに動きがあった。ソファーで横になっていた高橋が起きたのだ。寝心地が悪かったのか、いつも以上にぐったりしている。

 高橋のやつ、ソファーで寝たのか、と船長はとくに気に留めずに思った。

 依然としてピピピピとやかましい目覚まし時計を止めるため、高橋はソファーから立ち上がり、ベッドの枕元へ近寄った。もういいよ、と投げやりなツッコミのようにボタンを押し、裏のつまみでスヌーズをオフにする。そして、頭を掻きながら、ベッドに目を落とした。こんもりとしたベッドに。

 少しためらったあと、

「おい、朝だよ」

 と言った高橋は、それでもベッドに反応がないので、ちょっとだけ布団をめくった。

 そこにいるのは長谷川だ。

 薄く目を開いた長谷川は、高橋の顔を確認すると、一、二、三秒後、目覚めたばかりとは思えない素早さで上半身を起こした。形相がすごいぞ。パクパクする口からは、なかなか言葉が出てこない。ようやく出てきたのは、言葉ではなく両手だった。高橋を突き飛ばしたのだ。

 突き飛ばされた高橋は、あっさりひっくり返った。カーテンを掴んでしまって、いくつかのフックが外れ、カーテンはだらりとなった。

「どういうことよ!」と長谷川。

 そうだそうだ、どういうことだよ、と船長。

「違う違う、違うんだって」必死の苦笑いを浮かべて、高橋は言う。「勘違い、長谷川さん、勘違いしてる。ほら、長谷川さん昨日、かなり酔ってただろ。だからベッドを貸してあげたって、それだけ。マジでそれだけだから」

 こういった場合、とくにそれを言うのが男の場合には、中々信じてもらえない話だが、高橋の言うことは本当のことだった。

 昨夜、寝入ってしまった長谷川の処置に窮した高橋は、タクシーを呼ぶか、家に連れて帰るかの二択を考えた。前者が最善にも思ったが、長谷川の家を知らない。長谷川の持ち物や身体を探れば、なにかしら出てくるだろうが、それも気が咎める。そこで泣く泣く仕方なく、高橋は後者を選んだのだった。一度は長谷川も目を覚まし、変なことしたら殺すから、と呟き、態度は気に食わないものの、つまりは合意の上での宿泊だったのだ。

 そんなことを身振り手振りで、高橋は語った。語れば語るほど、それが後ろめたさの上塗りのように聞こえて、高橋はさらに言葉を重ねる。それもまた上塗りで、と言葉は何度もループした。「だから、前者よりは後者の方がって思って、だって前者は、」

 長谷川が「ああ、もうっ!」と遮った。

「分かったわよ。前者前者うるさいのよ。こっちは前者がなにだったか、とっくに見失ってんの!」

 勝手なことを言って長谷川は、苛立たしげに身支度を整えはじめた。一刻も早く出て行かなければ、といった感じだ。そうしながらも、「服が皺になってる」だの、「二日酔いで頭が痛い」だの、「水持ってきなさいよ」だの、昨夜に引き続き、傍若無人の女王様の振る舞いだった。支度を終えるが早いか女王様は、玄関に向かう。と、そこで振り返り、

「あんた、昨日の話、覚えてるでしょうね」

「ああ、うん」

「何か分かったら、わたしに報告するのよ。そうだ、ここにあんたの連絡先、書きなさいよ」

 長谷川はその辺に落ちていたレシートを勝手に拾い、高橋に突き出した。

「ん、ああ……」

 渋々高橋はそれに、電話番号とメールアドレスを記した。

「あと、わたしがここに泊まったなんて山田に言ったら、アレだから、殺すから。……夜道に気をつけな!」

「……はい」

 長谷川は、ふんっ、と鼻息荒く帰っていこうとして、すぐに転んだ。足下に気をつけろよ。高橋はうんざりとした顔で、部屋を見回した。ベッドは乱れ、カーテンはみすぼらしく垂れている。そこで長谷川が乱暴に玄関の扉を閉めた。アパートの住人全員に聞こえたであろう大きな音だ。壁にかけてあったダーツの的が、どさっと落ちた。朝日の光線に埃が舞う。

 ……。

 ……めんどくせぇ~!

 高橋は頭を抱えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る