第34話 建設的な、余りに建設的な

 ことのついでといった感じに、モニターには高橋の職場が映し出された。

 高橋はちょうど、かかってきた電話に出たところだった。普段よりやや高い声で、愛想よく電話に応じている。相手には見えないのに笑顔などを浮かべ、どうもどうも、お世話になっております、なんて。

 ところが突然、高橋の顔色が一変した。と思うと、体中に電気が走ったかのような勢いで立ち上がり、

「えっ! 本当ですか! はい、はい、すぐに伺います。え? 来なくていい? いえ、でも、はい、はい……」

 後半の声には力も無くなり、高橋はへたり込むように椅子に座ると、深刻そうな顔で受話器を置いた。どうやら頭がいっぱいらしく、呆然としている。

〈ふふん、高橋のヤツ、どうも怒られたらしいぞ。いい気味だ、愉快愉快〉

 船長はのんきに笑った。

〈明日は我が身ですよ〉とサヨコは冷ややかに言う。

〈……嫌なこと言うなよ〉

 およそ一分の間、首を傾げたり眉間に皺を寄せたりしていた高橋は、「山田」と十三号に声をかけた。そして二人で話し合い、一台のパソコンモニターに向かって、仲良く鹿爪らしい顔を並べていた。モニターを指さして頷いたり、電卓を叩いたりする。

「ああ、良かった、こっちのミスじゃねえよ」

 とは言っても、高橋の表情は晴れず、腕を組んで悩ましそうにしていた。

 それは十三号が先方からの情報を元にした仕事で、もちろん、十三号がミスなどするわけがない。だから先方の怒りは、そもそもの情報の誤りを原因とした、単純な勘違いと言えた。説明すれば、分かってもらえるだろう。

 そう考えた高橋は、すぐに出かける支度をした。「ちょっと行ってくるよ」

〈お? 高橋のヤツ、怒っている相手のところに行くのだな。中々勇気があるじゃないか。私なら有耶無耶にするがな。十三号、お前も付いていけ。面白そうだから〉

「高橋さん、ご一緒します」

「そうか? うん、そうだな」

 二人が足を運んだのは、ビル建設の途中の工事現場だった。出入り口には「ご迷惑をおかけしております」の看板、トラックや重機の轍、足場のための鉄パイプ、見上げれば鉄骨の立方体。そこに、スーツに似合わない黄色いヘルメットを被った、高橋と十三号が現れる。

 さきほど電話で怒っていた現場の責任者は、世界で一番忙しそうに立ち振る舞い、若い衆へと怒鳴り声を上げていた。ご機嫌は相当に斜めらしい。

 高橋は平身低頭、汗顔を愛想の形にして、小走りに近寄っていった。十三号はいつものように泰然自若な姿で、その後に続く。

 責任者は、来なくいいと言っただろう、と嵩高な態度で、もうその場から去っていこうとする。取り付く島がまるでない。もちろんそれで、ああ、そうっスか、と帰れるわけもない高橋は、いやいや、すみません、どうもこちらの数字に誤りがあったようで、と追いすがった。

 足を止めた責任者は、自分たちのミスだと認めたくないのか、あるいは別の誰かに怒られたときの責任の押し付け役の確保のためなのか、ここぞとばかりに怒声を上げた。

 お前らのせいで作業が大幅に遅れる。どうしてくれるんだ、こんなことも満足にできないのか、おかげでこっちは、と責任者の破裂した堪忍袋からは、工事現場だというのにちっとも建設的でない言葉が延々と吐き出された。説明を挟む暇もなかった。

 同じ話が三度ほど繰り返されたところで、

「おいお前、さっきからなんだその顔は?」

 責任者は十三号を睥睨した。

 涼しい顔をして、地球で行われる工事というものを眺めていた十三号は、

「なんでしょう」

 その言葉は、さらに責任者を刺激した。彼はギラついた目をむいた。動物が威嚇するときのような、攻撃性を露わにした表情だ。

「お前! 自分の立場が分かってんのか!」

 腹に響く大声は、周囲の作業員の注意をひいた。しかし十三号はまったく動じず、相手を観察する。目の前の怒れる男の態度は、十三号には理解できなかった。……何を怒っているのだ? 原因はそちらにあるというのに。大体、怒ってそれが何になる? 作業が遅れるというのなら、こうしている今も、作業は遅れているだろう。無意味だ。それに、ミスの原因である側が怒り、指示通りの仕事をした側が謝っているこの状況は、本来逆であるべきではないのか? この男の態度は、つまり理不尽だ。そしてこの男の鼻からは、かなりの量の鼻毛が出ている。

 そんなことを考えていた十三号へ、責任者はにじり寄ってきた。「なんとか言ったらどうだ!」などとわめきながら。十三号アイを映すモニターにも、ずいずいと近づいてくる男の顔が、徐々にアップになってきた。〈怒ってるねえ~〉と船長は対岸の火事の余裕で言う。〈まぎれもなく怒ってるね~〉

 そうして責任者の手が、十三号の胸倉を掴もうとしたときだった。

「申し訳ございません!」

 響き渡る大声で、高橋が頭を下げたのだ。それは中々のスピードで、ちょっと風が吹いたほどだった。責任者と十三号が目をやると、高橋は腰から九十度に折れ、まさに深謝の恰好となっていた。

「ああ?」と責任者は顔を歪ませ、「やめろ、そんなことをしても意味がないんだ」

 なおも意地悪く言うが、「ご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした!」と、高橋は頭を上げずに言葉を重ねた。出入り口の看板さながらのその姿勢のまま、停止している。

 こうも頭を下げられては、さしもの責任者の怒りもやり場に困る。やめろ、と舌打ち交じりだった語調も、しだいに、やめてくれ、と聞こえるようになってきた。

「いいから頭を上げろ」

 何度目かのこの言葉で、高橋は頭を上げた。すると責任者はくるりと背を向けて、

「修正した書類はあるんだろうな?」

「は、はい! ここにあります!」

 慌てた様子で鞄から書類を取り出し、高橋と責任者は手短な打ち合わせをする。

 最初からこうすればいいのだ、と十三号は思った。

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