第33話 お見合いネガティブキャンペーン

「え、お見合いっ?」

 島村咲子は思わず仕事の手を止めて、職場にしては大きい声を上げた。周囲の視線が集まるのを感じ、首をすくめるようにして、隣の席に座る七号へ、今度は小声で囁いた。

「……お見合い? って、あのお見合い? 本日はお日柄もよく、でおなじみの?」

「はい」

 七号はゆっくりと頷いた。

「お見合いをしないかって言われたの? 部長に?」

「はい。お断りしましたけど」

 島村はあまりの急展開に、んあ~、と間の抜けた声しか出なかった。知らないうちに後輩にお見合いの話が舞い込み、そして知らないうちに、その幕が下りていた。なんて言っていいか分かんないよ。

 それはつい先日のことだった。

 七号が部長へと書類を提出したとき、部長はその書類に目を通し終わると、それはそうと、といった感じに言った。

「鈴木君、君は彼氏なんてのはいるのかい?」

 近頃、こういった質問もセクハラとされうるからなのか、部長はどこか冗談めかしていた。ははは、ジョークだよ、という予防線を笑顔に仕込んでいる。

「いえ、おりません」

「なるほど。ところで鈴木君、お見合いをしてみないか?」

「でも部長、部長は妻帯者ではありませんか」

「いや、私とじゃないよ……」部長は苦笑いして、「うちには息子がいてね、もういい歳なんだが、どうもあいつは女性と縁がないような気がするんだ。顔は悪くないんだがね。なんというか、内気なんだ。そこでお見合いでもさせてやろうって思うんだが、私としては君みたいに穏やかな女性が、」

「申し訳ありません」七号はお得意の微笑みで言った。「わたしは部長が思っているような「人間」ではないのです。わたしみたいなどこの馬の骨とも分からぬ者は、息子さんにもったいないと思います」

「そ、そうか……」

 自分で馬の骨っていう人、はじめて見たよ、と部長の顔には書いてあった。とにかくそんな会話の結果、お見合いの話は、ものの数分で立ち消えてしまった。

 その経緯を聞いた島村は、ほえ~ん、と頬杖をついて、

「お見合い、かぁ~」

 七号は、なにか含みのありそうな島村の様子に、ピクリと反応した。

「島村さんはどうですか? お見合いの話などもあるのでは?」

 訊ねられた島村は、ないよ、ないない、と言いかけて、口を「な」の形にして、一瞬止まった。そう言えば、正月に帰省したときに、久しぶりに会った親戚から、「どう? 今ならいい人がいるわよ」と風俗店の客引きのようなことを言われたのを思い出したのだった。あそこでわたしが頷いてたら、本日はお日柄もよく、だったのかな?

「な……ないよ」

 監視していた船長、サヨコ、そして七号までも、全員が「あったんだ」と思った。

 船長は反射的にマイクを握った。

〈七号、間違っても島村をそそのかすなよ。お見合いなんてダメだからな。あれだ、お見合いのネガティブキャンペーンを繰り広げるのだ、さあ〉

 その通信をしている最中にも、島村はなんだか遠い目をして、「でもさ、結構お見合いっていうのも面白そうだよね」なんて他人事の調子で言った。「案外いい人だったりしたら、ラッキーじゃない?」

 すると七号は、さも重大なことを伝えるかのように、椅子を回して島村に向き直った。

「島村さん、いけません、お見合いなどは」

「そうかな? なんか逆に古風でアリじゃない?」

 七号はゆっくりと首を横に振った。

「それは幻想です。考えてみてください。男女の間を保つには、愛情というものが必要なのです。愛情をもって結婚する。自然な流れです。しかしお見合いの場合、結婚のあとに愛情を根付かせなければなりません。昨日今日知り合ったばかりの男女の間に、愛情はなかなか育まれないのです」

〈なぜか耳が痛いよ……〉と船長の呟き声。

「なーるほどねえ」島村は一応頷いてみせたが、「でもわかんないよ? お見合いで知り合った人が、運命の人ってことも、あるかもよ?」

「ありません。それは運命のレプリカです。お見合いの場に出てくるような人は、変態に決まっています」

 七号の言葉が冗談に聞こえた島村は、軽く笑って、

「わたしが聞いたことある話だとね、なんか会社を経営してるっていうお金持ちの人とお見合いして、しかもその人、超カッコよくて性格もよくて、それはそれは素晴らしい相手だったんだって」

「それは超カッコよくて性格もいい、会社を経営するお金持ちの変態です。とにかく、誰も彼もが変態です」

 船長と島村は、同じ反応をした。

「言い過ぎだよ」 

〈言い過ぎだろ〉

 七号の熱弁は、しかし彼女にしては珍しい冗談として流れていき、

「まあわたしも、お見合いには興味ないんだけどね」

 と島村が言ったのを潮に(七号は満足そうに頷いていた)話題は業務的なものに移っていった。

 そうして話しているうちに、島村はちょっとした用件を思い出して、席を立った。長谷川に用事あるのだった。ほら、あの長谷川だよ。

 しかし職場のどこを捜しても、長谷川の姿は見つからない。

「あれ? 長谷川さんは?」

 通りかかりの人に訊ねてみるも「その辺にいない? いや、知らないけど」と要領を得ない返事だった。仕方がないから島村が席へ戻ろうとしていると、

「どうした?」

 と例の部長が声をかけてきた。

「あ、いえ、長谷川さんに用事があったんですけど」

「そうかい」

 そう短く言うと部長は、顎に手を置いて、チラリチラリと島村の顔に目をやってきた。値踏みするような目だ。数秒間そうしたあと、ふむ、といった顔をして、

「まあ、そのうち戻ってくるだろう」

 そのまますたすたと立ち去っていった。別にいいけど、なんだか癪だ。

 島村は心の中で舌を出し、呟いた。

 ……お断りします。

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