第21話 はじめて君としゃべった

 容量タンクをすっきりさせ、十三号がトイレから出てくると、そこに長谷川がいた。

「ねえ」

 厚化粧の顔に笑みを浮かべて、長谷川は十三号にすり寄る。近い近い。見れば見るほど良い男だなあ、と長谷川はうっとりし、化粧が濃い、とても濃い、と十三号は感じた。

「山田さん、退屈でしょ?」

 扇情的な目をして、長谷川は十三号を見上げる。十三号は、長谷川の質問の意図が、まだわかっていなかった。わざわざ他人が退屈かどうかを、トイレから出てくるのを待ってまで訊ねて、それがどうなるというのか。しかし訊ねられたからには答えよう。

「退屈だ」

 この地球という星が、人間という生き物が、人生という時間が、と言ってもいい。

「そうよね!」長谷川がさらに顔を近づけて、「じゃあさ、わたしとここを抜け出してさ、どっか行こうよ」と精いっぱいに色っぽく囁いた。その長谷川の厚化粧のどアップは、宇宙船のモニターにも大きく映し出されていた。迫力満点だ。

 よしよし、向こうから誘ってくるとは手間が省けるわい。船長はニンマリと笑い、

〈十三号、言うまでもないが、誘いに乗れ。どこでもいいから、その場を立ち去るのだ〉

 船長が言い終わらぬうちに、十三号は、

「そうしよう。抜け出そう。どこかへ行こう」

 と、ちょっと馬鹿みたいに言った。

 そして二人は、テーブルへと戻らず、そのまま店を出て行った。長谷川は調子に乗って、十三号と腕を組んだ。固っ、筋肉すごっ、と長谷川は一瞬、目を丸くした。そのあまりの硬質さを疑問にも思わず、素敵な細マッチョ、ってんだから、色恋は盲目だ。


 十三号と長谷川が店の出入り口へと向かうのを、七号は見ていた。うまくやったのね、十三号。わたしの方も、もう間もなくのはず。

 七号は視線を正面に戻した。土井のへらへらした顔を見るともなく見る。土井はさっきから、愚にもつかない戯言を、立て板に水と喋り続けていた。ウケてるウケてる、と七号の微笑みを勘違いして、弁舌いよいよ爽やかになり、それはそれは図に乗っていた。本当は誰にもウケてなどいないのに。

「こないだコンビニに行ったらさあ、店の人が新人でさあ、釣りを間違えてやんの。んで俺は、ちゃんと多すぎた分を返そうとしたわけ。そしたらそいつ、「いいですよ、チップなんて」違うっつーの。超ウケたわー」

 いや、だから、ウケてないんだって。

 土井ただ一人だけの笑い声は物悲しく、高橋は顔を背けるようにして、トイレの方を見やった。山田、ずいぶん長いな、と思う。

「ちょっとトイレ行ってこーようっと」

 独り言の調子で呟いて、高橋は席を立った。戻ったときには土井が我に返っているといいな、と思いながら。

 三、四分して、高橋は戻ってきた。そこにあるのは、自分の分も含めて、五つの空席。テーブルの傍に佇んで、高橋は疑問符を頭上に浮かべる。

 実は高橋がトイレへ行っている間に、「そろそろ帰ろうかな」という七号の罠の言葉に、土井がまんまと引っかかり、「送るよ、送る送る、送るから」ってなわけで、二人は店を後にしていたのだった。土井は我に返るどころか、本当に帰ってしまったのだ。

 この場面でようやくはじめて(はじめて!)高橋と島村は会話をした。それはこんなやりとりだった。

「あれ、他の人は?」と高橋。

「帰ったみたいだよ」と島村。

「え? そうなの?」

「うん」

 なんとまあ、機知や熱情と無縁の会話であることか。

「あ、山田のやつ、鞄忘れてるな」

 高橋は山田の座っていた椅子に、鞄が残されているのを見つける。その鞄には、高感度の盗聴器とGPSの発信機が入っている。船長とサヨコにしては、気の利く細工だ。

 盗聴器は音を拾う。高橋のこんな囁き声が聞こえた。

「……え、二人っきりってこと?」

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