第10話 アイをさがして

 島村咲子は行きつけの定食屋で昼ごはんを食べていた。同僚の女性と二人で席をとり、とりとめないおしゃべりをしている。

「それでさ、こないだの記事なんだけど……って聞いてる? 鈴木さん」

 島村の前に座る鈴木は、魚の骨を除く作業に従事している。それが一段落してから、

「はい。こないだの記事がどうかしましたか?」

「どうってこともないんだけどね、鈴木さんに任せたところが、良く出来てたから」

 島村が褒めて、三秒後、鈴木はゆっくりと微笑んだ。その顔は、同性の島村が見ても可愛いと思う。ゆるいパーマをかけた長い髪に、大きな目。お人形さんみたいだ。いつも眠たそうにしていて、仕事もとてもマイペースだが、こうして時々微笑むと、空気が和らぐようだった。それが渋い定食屋の空気であってもだ。

「鈴木さん、彼氏とかいないの?」

「はい、今のところいません」

 鈴木は骨を取り除いた魚の身を口に運んだ。料理が運ばれてから数分後の、最初の一口だった。

「なんで? 絶対モテるのに」

「モテませんよ、わたしなんて。それより島村さんはどうなんですか?」

「彼氏?」

「彼氏」

 島村は軽く笑った。苦笑いでも失笑でもなく、ふんわりと。

「いないんだよね。いてもいいと思うんだけど」

「いてもいいと思います」

「冗談冗談、そんなに真面目に返されても困るけど」

 二人は笑い合って、もぐもぐと食事を続ける。ありがとうございましたー、いらっしゃいませーい、と店は賑わっている。

「彼氏、欲しいですか?」

 と鈴木が箸を動かしながら訊ねた。島村は「う~ん」と悩んでから、

「今はそんなでもないかな。仕事が面白いから、それで手一杯って感じ」

「そうですか。それもいいですね」


「いいわけないだろう」船長はモニターに向かって文句を飛ばした。「そんなでもないかな、えへ、じゃないよ。その無関心で地球が滅びるんだぞ。命運がかかっているのだ。まったく、これだから困る。……大体、仕事が面白いわけないだろ」

 贔屓のチームのふがいない試合を見ているみたいに、船長は悪態をつき、ぽちぽちとボタンを押して、映像を切り替えていく。のんびりした地球のお昼時の断片。

「お、今度は高橋だ」

 高橋はオフィスで、なにやら事務的な仕事をしていた。その様子が、こっそり仕掛けた隠しカメラに映っていた。高橋は隣の机の人とやりとりをしているようだったが、その隣の人の顔は、パソコンのモニターにちょうど隠れてしまっていた。それはともかくとして、高橋はどうにもぐったりしている。


「ああ、腹減った~」

 高橋友彦はキーボードに目を落として言った。今高橋は、昼一番に必要な書類の作成に勤しんでいた。これを仕上げるまでは昼ご飯は抜きなのだ。さっきから高橋の腹はさかんに鳴っていた。

 高橋はタイピングが非常に苦手で、指はキーボードの上を彷徨いまくっていた。そのときは「I」を探していた。愛、ではなく。

「悪いな山田、付き合わせて」

 高橋は隣に座る新入社員に声をかける。隣の男は、ついこないだ中途入社してきた新人で、高橋に指導を一任されていた。高橋の直属の部下は、これがはじめてだった。

「いえ、とんでもない」

 山田は応えながら、タイピングしていく。それは、慣れた手つき、なんてものじゃなく、神業と呼んで差し支えないほどの、驚異的な技術だった。適当にそれっぽく動かしてんじゃないのか、と高橋は僻んで、一度モニターを覗いたことがあったが、ちゃんと文書が出来上がっていた。ぎゃふん、と高橋は思ったものだ。

「なんでそんなに早く打てるんだよ」

 先輩としてはカッコ悪いが、高橋は素朴に訊ねた。山田は手を休めることなく、

「キーボードにアルファベットが書いてありますから」

「いや、俺のも書いてんだけど……」

 高橋は苦笑いで、えっちらおっちら文書を綴る。「間違えないようにな」と負け惜しみのようなことを言ってみたが、腹が鳴ってしまって、どうにも冗談に聞こえた。どっちが新人だかわかりゃしない。

 それから高橋の腹が五度ほど鳴ったところで、書類は完成した。

「よっしゃ、やっと終わった。山田はどう? 出来た?」

「はい、出来ています。さっきから」

 そう言えば隣からは、タイピングの音が聞こえていなかった。ずっと高橋が待たれていたらしい。ぎゃふん、高橋。

「よ、よ~し、じゃあそれを印刷して。二十部くらい」

「はい、それも出来てます」

「……よ~し」

 高橋がマウスを動かして、それでようやく作業は終わった。高橋の腹は減り果てていた。

「じゃあ、飯行こうぜ」

「はい」

 高橋と山田は、同時に席を立った。高橋はあらためて山田を観察した。そして、

「前から思ってたんだけどさ、山田、どっかで会ったことある?」

「どうでしょう、わかりません」

 高橋は小首を傾げていたが、やっぱり思い当たることもなく、気のせいということにして、うんうんと頷いて、この話題を片付けた。

「山田、このハンサムめ」

 と年甲斐もなくはしゃいで、高橋は山田の腹の辺りに軽いパンチをする。「……」と山田。腹筋すごっ、と高橋は思った。

 高橋がハンサムと形容する山田の顔は、まるで外国のロックバンドのボーカルのような、整っていながらもどこか野性味のある、やさぐれた二枚目なのだった。

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