第3話 ラブコメ的思考

「あ、そうか、なんて馬鹿だったんだ私は。サヨコ君、私はいいことに気付いたよ」

 高橋と島村の仲をちっとも進展させられないまま、とりあえず監視だけを続けていたある日、船長はそう言って立ち上がった。

「すみません。前半をもう一度、いいですか?」

「前半? ……なんて馬鹿だったんだ私は?」

 サヨコはそれを聞いて、こっくりと首肯した。

「なんでもう一回言わせたの?」船長はたじろいだが、まあ慣れっこなので、気を取り直して「サヨコ君、地図だ。地図を出してくれたまえ」

 サヨコは指示に従って、くるくると巻物のようになっている大判の地図を取り出した。船長はそれを受け取り、大きなテーブルの上に広げた。

「見たまえサヨコ君」

 その地図は高橋と島村の暮らす街の、詳細をきわめた地図だった。どんなに細い路地も載っていて、バスや電車の路線も網羅されていた。高橋のよくいくコンビニ、とか、島村のいきつけ、とかの書き込みもあった。

「どう思う? サヨコ君」

「そうですね」サヨコは顎に指を置いて、「ここの車線をもう一つ増やさないと、朝夕の渋滞の解消は難しいと思います」

「そうだね。……いやいやいや」

「……」

 船長は空咳をして、地図を指でとんとんと叩いた。

「そうじゃなくて、これだよ、この青い線と赤い線」

 船長が指で辿ってみせた青と赤の線は、高橋と島村、それぞれが出勤の際に通る道、そして帰宅の際に通る道を辿ったものだった。ジグザクと折れ曲がって、奇妙な形を描く青と赤の線は、一箇所の接点もなかった。あとちょっとで、といったすれ違いもない。

「サヨコ君、君はこの仕事に臨むにあたって、地球についての色々な勉強をしただろう。とくに君は、マンガやアニメがお気に入りだったな。というか、そればっかり見てたな」

「マンガは芸術です。アニメも然り」

「すっごい心酔ぶりだな。そんなにか。じゃあ、当然知っているだろう、トーストを口にくわえて曲がり角を行く少女の話を。……いっけな~い、遅刻遅刻、もうお母さんったら、なんで起こしてくれないのよー、っと言って曲がり角、ばい~ん、と男性とぶつかって、そこからはじまる恋の話を、君は知っているだろう」

 声色を変え、年甲斐も無く小芝居をしながら、船長はサヨコに問いかけた。

「もちろん知っています」サヨコは真面目に答えた。「でも、実際にトーストをくわえて走る少女の存在は、現在までのところ確認されていません。そのことから考えるに、トーストをくわえて角を曲がるという行為は、危険とされ、法律や条令で禁止されたのではないでしょうか。車と接触する可能性もありますし、もしかすると、落としたトーストを食べての健康被害などが頻発したのかもしれません」

 サヨコの熱心な声を聞きながら、船長は腕を組み、思案げな顔をした。

「ふむ。私もそう思って調べたのだが、そういった法律や条例は制定されていなかった。トーストをくわえて角を曲がるのは、大丈夫、合法だ。しかしこの行為が、今や空想のなかにだけ息づいているという事実は、少し興味があるな。かつて日常的であったろう風景が、今は存在しない。何かが起きたと考えるべきだろう。……この話、実り無くない?」

 ようやく気付いて、船長はぽかんとした。サヨコはゆっくりと瞬きをして、

「続けましょう。常々わたしは、そうまでして食べるトーストに一体どれほどの……」

「もういいよ、続けないよ。どうしたサヨコ君、急にイキイキしてきて」

 船長に指摘され、サヨコはやや照れて、静かに髪を整えた。

「それで、船長は何を言いたいんですか?」

「えっと、なんだっけ? あ、そうそう、とにかく私は考えたのだよ。高橋と島村はあまりに接点がない。この現状を打破するためには、さっきのトーストの話のような運命的な出会いが必要なのではないか」

 と船長は青と赤のペンを取り、キュッと地図に線を書き加えた。二色の線は惹かれあうように伸び、大きな交差点の真ん中でぶつかった。

「こうなればいい」

「でも船長、ここは高橋も島村も普段使わない道、歩道橋の架かる大きな交差点ですよ」

「いや、場所は適当に線を引いたからで、別にどこでもいいのだ」

 二人はちょっとの間黙りこんで、地図を見下ろした。すっかり前向きの船長とは違い、サヨコはどうも気乗りしない様子だった。

「高橋と島村が同じ道を辿ると、何かが起きるんですか?」

「それは分からない。でもどうにかなるんじゃないか? 出会えばなんとかなる。運命ってそういうもんだろ」

 サヨコは仏頂面だった。

「毎日同じ道を使うようにするんですか?」

「いや、とりあえず一度やってみたいだけなのだ」

「どういう方法を使うんですか?」

「さあ、それはこれから考えようと思う」

 絶えかねたように、サヨコの口からため息がもれた。要するに船長の言うことは、目的も方法も曖昧な、単なる思い付きなのだった。それをもっともらしく、地図まで広げて胸を張るのだから、他愛ないというほかない。

 サヨコが褒めてくれないものだから、船長はちょっと拗ねてしまって、手持ち無沙汰にペンを取り、地図に落書きをはじめた。

 しばらくして、

「ふふ、ほらサヨコ君、見てみたまえ。この一角を全て寺院にしたよ」

 地図には寺院の地図記号が大量に書かれていた。そんな一帯があってたまるか。

 サヨコは、ちゃんと作戦を考えましょうよ、などといった真面目なたしなめをする気にもなれず、いっそ自棄になって、自分もペンを取った。そして船長に負けじと、地図記号を書き加えていった。サヨコが書いていったのは学校の「文」だ。

 不毛な作業は黙々と進み、街は見る間に寺院と学校だらけになった。それは陣地を賭けた合戦のようでもあった。ある建物などは、寺院でもあり学校でもあるという、寺小屋みたいな扱いになった。

「……サヨコ君」

 キュッ、キュッとペンの走る音がしている。

「はい」

 キュッ、キュッ。

「私が言うのもアレなのだが、そろそろ作戦会議をはじめちゃどうかね」

 船長とサヨコは同時に手を止めて、これまた同時に時計に目をやった。落書きをはじめてから、実に三十分が経過していた。

「……」

 二人はなんだか気まずくて、そそくさとテーブルの上を片付けた。我に返った目で見ると、落書きの地図は、とてつもなく馬鹿馬鹿しかった。

「さ、さあ、仕事仕事、っと……」

 とってつけた言葉を呟いて、船長はまるで仕事に疲れたかのように、背筋を伸ばした。やったことといえばくだらない落書きなのに。

 それから約二時間後、高橋と島村を出会わせよう作戦が形になった。

 船長はモニターの前の偉そうな椅子に腰掛け、マイクに向かって呼びかける。

「十三号、出番だぞ」

〈そうか、わかった。やることがあるなら言ってくれ〉

「……お前は私に対して敬語を使うようには出来ていないのか?」

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