終幕


 倉敷柚子葉が彼女の母と東屋に居た同時刻。楢野町の川沿いにある商業施設の廃墟に、十数人の陰陽師が集められた。


 数名の女性を含めた十数人の陰陽師たち。現代人と溶け込む衣服に身を包んでいた彼らは、自分たちを呼び出した人物が到着していないのを確認して言い争う。


「アタシはね、わざわざ北海道から新幹線で来たのよ!」

「知るかよそんなこと。私だって日本に戻ってきたばかりだ……」

「まあまあ、落ち着けよ。俺だって一昨日までは四国に居たんだ。ていうか、新幹線なんか使わないで飛行機で来りゃ良かったのに」


 急な集合をかけられた陰陽師たち。彼らは現代に溶け込みながら、各々に下された活動を続けていた。


 ソファに座る者やバーカウンターの丸椅子に座る者、柱にもたれ掛かる人物の傍には、彼らが使役する妖怪たちの姿がある。


 煙々羅エンエンラという煙の妖怪を基にして、傀儡かいらい臓器を体内に埋め込まれた散布者という妖怪。


 妖怪であった肉体を清めることで、膂力を跳ね上げる肉体に変化させられた山男という妖怪。


 その他にも、死者の亡骸に霊縛術を施し、奇跡的に別人物の霊魂を留めておくことに成功した僵尸キョンシーや、怪異に対抗する兵器として改造された三つの頭を持つ三面地蔵サンメンジゾウ


 等々、数百年前から生き続けていた陰陽師や、現代に生きる術師たちの傍らには、彼らの支配下に置かれた化物たちがいた。


「なあ天青テンセイ吾郎ゴロウ。アイツはまだ来ないのか?」


 テーブルを挟んだソファに座る金緑キンリョク恭介キョウスケ。彼はそう言ってテーブルに置かれた酒瓶を持ち上げ、黄色い線が描かれた黒いキャップ帽子を被りなおす。


 金緑恭介が座るソファの背後には、彼が使役している煙々羅エンエンラという妖怪の姿があった。


「私に訊くな。こっちは八尾山で受けた傷が癒えてないんだ。正直な話、私はこの廃墟ビルに来るつもりがなかった。たとえ、あの方に集合を掛けられたとしてもだ」


 縦縞のスーツに身を包んでいた天青吾郎。彼はそう言っておもむろに派手なネクタイを緩め、上物のスーツを脱いでソファに置く。着ていたワイシャツを脱いだ天青は、唸り声を上げながら腹に手を当てた。


 天青は腹に巻かれたサラシへ手を当てる。サラシをめくっていくと、そこには火傷でただれた皮膚があった。


「それぐらいの火傷なら、自分の治癒術式で何とかならないのか?」

「無理だ。この火傷の原因は、鬼除けの御守に施された狐の妖力による爆発だ。お前らみたいな傀儡の体ならまだしも、私の体は人間を基にしている。自己再生力を上げるだけしかない治癒術式で何が出来るってんだ!」


 天青吾郎は金緑の問いかけに首を振り、言葉を吐き捨てる。彼はソファの傍らに佇む使役していた山男に視線を送り、呆れ果てた。


 陰陽師の中でも結界術と封印術に長けた術式を発動できる天青吾朗。何者かが廃墟ビルに施された結界内に入ったのを知った彼は、使役していた山男に指示を送った。


「おい山男。この廃墟ビルに肝試しをしにきた馬鹿がいるようだ。年齢は十代後半の男女とみていいだろう。祓い屋の可能性もあるが、一般人かもしれない。どうしようもない馬鹿に塗る薬はない。ソイツらを生きて連れてこい」

「あ……ああ……分かりました」


 心臓を模した肉体に改造された山男。彼は体中から突き出た無数の腕を操り、体内から噴き出る体液を押さえ込んだ。


 山男は天青吾朗の指示を受け、廃墟ビルに侵入した人物たちの元へと向かった。


 ソファに置かれていた洋物の鞄から何かを取り出す天青。彼は鞄の中から持ち上げた新品のサラシを側に置き、金緑を睨み付けた。


「サラシを巻きなおしたい。手伝ってもらえるか?」

「構わねえよ。俺たちゃあ仲間だからな。なあ、エンラ。山男は力加減ができねえ馬鹿な妖怪だ。アイツだけだと、侵入者を殺す可能性がある。お前も山男に着いていけ」


 そう言って金緑はソファから立ち上がる。彼は背後に佇んでいた散布者に指示を与え、天青吾郎の側に近づいた。


「ワカリマシタ、術師ダッタ場合ハ?」

「戦いになったら仕方がない。あまり事を荒立てたくないが、襲い掛かってくるようだったら、全力で殺しに行け」

「ショウチシタ」

「言い忘れてた。助けが必要だったら、他の仲間を向かわせる。あまり無理はするなよ」


 エンラの問いかけに答える金緑恭介。彼はそう言って胸ポケットを手で探った。


 ポケットから三枚の札を引き抜き、「ナバリ牛鬼ギュウキ毛羽毛現ケウケゲン」という三つの言葉を発した金緑。


 彼の言霊ことだまに反応した札は、三体の妖怪を札の中から出現させた。

 

 天青の腹に巻かれたサラシを巻き取り、テーブルに置いていた酒瓶を口元に寄せる。


「その三体の妖怪。新しく手に入れたものか?」


 天青吾郎は金緑が召喚した妖怪を睨み付けた後、彼に問いかけた。

 

「まあ、そんなところだよ。十一年前に熱海で起こした花火事件が失敗して以来、色々考えて新しい妖怪を使役した方がいいと思ったんだ」


 そう言って金緑は持っていた酒瓶を口元に寄せる。瓶に入っていた酒を口に含んだ彼は、天青吾郎の焼け爛れた皮膚に目掛けて液体を吹きかけた。


「景気付けのアルコール消毒だ。少しだけ痛むだろうが、我慢してろよ。お前も飲むか?」

「寄越しやがれ! あの女、絶対に許さん……」


 火傷を負わせた柚子葉を憎む天青吾郎。彼は金緑から酒瓶を奪い取り、文句を言いながら豪快に飲み始める。


 天青吾郎は年甲斐もなく、痛みに身悶みもだえていた。情けないと思える、「もうダメだ。私は死ぬかもしれない」といった意気地のない言葉を口にする。


 金緑恭介は、うめき声を上げ、弱音を吐く彼の情けない姿を見ていられなくなった。


 彼はサラシを巻き上げた後、天青吾郎の傍から離れた。


 うめき声を上げる天青を無様だと思っていたのは、金緑恭介だけではなかった。


 金緑は、ソファから少し離れた場所にあるバーカウンターに近づき、丸椅子に腰を下ろす。彼はカウンター内に居たバーテンダー姿の男性僵尸キョンシーに視線を送り、ビールを注文した。


「冷えたビールを一本頼む」

「本当に情けない男。子供だと油断したから、あんな目に遭うのよ。人間の体なんて不便なだけよ。恭介もそう思わない?」


 金緑の隣に座っていた女陰陽師。彼女は隣に座った金緑へ問いかけた。


「まあ、そう言うなって藍上アイガミさん。天青が使役している山男は、倉敷茂に深傷を負わせた。得られたアドバンテージはかなりのものだよ」

「名字で呼ばないでもらえるかしら。できれば、詩織シオリって呼んで欲しいんだけど」


 藍上詩織は金緑の瞳をじっと見つめる。金緑は何度か視線を逸らそうと努力したが、彼女の豊満な乳房に目が釘付けだった。


 成人向けに撮られた女教師を題材とするビデオ。藍上詩織が着ていた衣服は、それらに登場する女優を彷彿とさせる様をしている。


「本当に男って馬鹿な生き物よね。偽物だろうが本物だろうが、おっぱいに目がいっちゃうんだもの」


 藍上はそう言って、自身の乳房に釘付けになっていた金緑のアゴに手を添えた。なぞる様に指先を動かす藍上は、彼の分厚い胸板を包み込むポロシャツを突き始めた。


「詩織さん。俺に、"魅了の呪術"は効きませんよ」

「残念だわ。貴方のような美青年の死体が欲しかったところなのに」


 指先から魅了の効果が付与された呪術を発動した藍上。だが、呪術を相殺するほどの妖力を纏っていた金緑には、相性の関係も重複して効果がなかった。


「呪術は妖術に劣り、妖術は霊術に劣る。俺の体を使って何がしたかったんですか?」


 白のブラウスから溢れる乳房の谷間から視線を上げ、藍上を睨みつける。


 藍上は髪をかき上げて溜め息を吐いた。苦々しい気持ちを抑え込みながら、彼女は金緑の質問に答える。


「実は二、三日前、傀儡カイライ沙華サハナが操る獣型の傀儡クグツと戦ったのよ」

「獣型の傀儡ですか。それは災難でしたね」

「災難なんてもんじゃないわよ!」

「ちょっと、そんなに大きな声を出さないでください」


 金緑は声を荒げる藍上をなだめたが、彼女の怒りは収まらなかった。


 何度も手のひらをカウンターに叩き続ける藍上。徐々に叩く強さが増していき、うるしが塗られた木造りのカウンターに亀裂が入っていく。


 抑えようのない怒りをぶつけられたカウンターは、藍上の叩き続けた衝撃で木っ端微塵になった。


「本当にイラつく。あのクソ女、絶対に見つけて壊してやる」

「そんなにイラついても仕方ないですよ。それに、傀儡沙華は"生け捕り"しないといけないルールがあるじゃないですか」


 カウンターが木っ端微塵になっても動じない金緑。彼は酒を飲みながら、丸椅子の上でグルグルと回り、藍上の様子を見続ける。


「そんなの分かってるわよ。灰簾カイレン様も意地悪な人だと思わない? あんな女の尻を追っかけて千年以上も生きてるのよ。アタシだったら、すぐに見つけ出して標本にでもしてやるのに」

「仕方ないですよ。灰簾カイレン様にとって、この鬼ごっこは遊びでしかないんすから……」


 そう言って金緑は丸椅子から飛び降り、気配のする方へと視線を送る。


 金緑が向けた視線の先には、初老を迎えた白髪の男性の姿があった。


 学生服に身を包んだ青年の体を引きずる、白髪の男性。


 初老の割には覇気を宿した顔しており、青年を引きずる片腕は、大ペットボトルの様な太さをしている。


灰簾カイレン様。みんな待ってましたよ?」

「そうか金緑。申し訳ない。随分と遅れてしまったようだな」


 金緑の問いかけに答える灰簾カイレン


 腹まで開いた黒いワイシャツは、灰簾カイレンの分厚い胸板を隠すには物足りなく、衣服としての機能を最低限にしか発揮出来ていない。


「廃ビルの中にが落ちていた。誰が散らかしたんだ?」


 引きずっていた青年の首を鷲掴みにする彼は、片腕の膂力りょりょくのみで青年を持ち上げ、陰陽師たちの前に放り投げる。


「随分と散らかっている様だな。まあいい。倉敷柚子葉と楢野優月の肉体、世界中に散らばった"沙華さはなの霊魂"を宿した人間は殺せたか?」


 特定の人物に向けて言ったのではなく、灰簾カイレンは廃ビルに集めた現代陰陽師たち全員に問いかけた。


 彼の言葉に反応する一同。だが、誰も彼の問い掛けに答えようとせず、各々は自身の体に霊縛術や妖縛術、呪縛術を纏うだけだった。


 恐れ慄く周囲の陰陽師たちを見渡し、灰簾カイレンは彼らの様子を見て判断する。

 

「今回も収穫はナシか。そんなに私を怖がらないでくれ」

「仕方ないじゃない。アタシたちは貴方みたいに運命力があるわけじゃないんだから」


 藍上はそう言って丸椅子から飛び降りる。周囲の現代陰陽師が灰簾カイレンの霊圧にひれ伏すなか、彼女だけは平然としながら彼の元へと近づいていった。


「皆んな貴方の我が儘に振り回されてウンザリしてるのよ。アタシもその内の一人だし――」

「何を言ってるんだ藍上。キミはどちらかと言えば、『平穏な生活なんて望まない側の人間』だろ?」


 藍上は灰簾カイレンの問い掛けに口を塞ぐ。彼女は、ひと呼吸置いて彼の個体距離に足を踏み入れた。


 親密距離に次ぐ個体距離。灰簾カイレンは彼女が領域内に踏み込んだことに驚き、咄嗟に拳を握りしめる。


 彼は腕を振り上げ、拳を藍上の方へと向けた。その直後、灰簾カイレンの拳に周囲の霊力が集まり、一本の小刀が具現化された。


「あと一歩でも近づいてみろ。私はいつだってキミを『鏡面の世界』に送り返せるんだ」


 彼はそう言って鞘のこじりを藍上の顔に向ける。


「それだけは勘弁して。調子に乗ったアタシが悪かった。アッチ側の世界に居場所はないの。だから、その『七度返りの宝刀』を向けないで……」


 灰簾カイレンに懇願する藍上詩織。自身の存在を送り返されると思い、彼女は個体距離から社会距離へと引き下がった。

 

「冗談だよ。そんなに怖がらないでくれ。キミたちのために土産を持ってきたんだ。年齢は十代前半から五十代後半辺りまで。煮るなり喰うなり自由にして構わないよ」


 そう言って灰簾カイレンは持っていた忌具を霊力の粒子へと変化させる。

 

 彼は壁があるかのように手のひらの面で空中を叩き、霊縛術式を応用した簡易結界転移術式を発動した。


 彼の手のひらに霊力の粒子が集まる。


 灰簾カイレンの意思を汲み取った粒子は、梵字ぼんじが記された陣に姿を変え、中央に作られた虚空から息のない複数人の男女を放出した。

 

「なあ金緑。天青はどうして怪我をしているんだ?」

「ああ。彼の怪我は倉敷柚子葉がやったヤツらしいんです」

「そうか。天青は動けなさそうだな」

「それより、今回はどうして集合を掛けたんですか? いつもみたいにリモートワークでいいじゃないですか」


 天青吾郎を見た後、金緑は灰簾カイレンに視線を送る。他の陰陽師たちが死体を手に入れるなか、彼だけは灰簾カイレンに質問を投げかける。


「私が集めた現代陰陽師は、キミみたいに従順な部下だけじゃない。だから、こうして顔を合わせたかったんだ」

「確かにそうっすよね。何名か来てないようですし……」

「そのようだね。私の考えに賛同できない者も数名いると分かっただけマシかな」

「こんな時代ですし仕方ないっすよ。貴方の考え方はかなり極端ですからね。それで、今後の活動はどうするんですか?」


 金緑の質問に答えた灰簾カイレン。彼は、「キミと藍上を含めた数名にやって貰いたいことがある」と言い、状況を理解できていない青年を一瞥する。

 

 青年の傍らでしゃがみこみ、灰簾カイレンは彼の頭部に人差し指を当てる。


 額に指を当てられた青年。その直後、指先から呪力や霊力、妖力といった物が注ぎ込まれ、彼の頭は潰れたトマトのように弾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

倉敷柚子葉の浮世事情 椎名ユシカ @tunagu_mono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ