ひとりかくれんぼ(破)

カフェ千世子

ひとりかくれんぼ(破)

 妹がリビングで何かしていた。友達と一緒だ。

「何してんの?」

「みゃあ!」

 声をかけると、妹が奇声を上げる。涙目で下からにらまれるが、普通に声をかけたのに恨めしげに見られる理由がわからない。

 時計を見れば、すでに午後9時近い。妹の友達は帰らないのか? と疑問が浮かぶ。

 両親は今はいない。父は仕事で出張。母は足を痛めた祖母の面倒を見るために実家に帰省している。

 夏休み中である。兄は友人とともに遊び歩いているのか、大体帰ってくるのは夜遅い。なので、この家で今一番責任を求められるのは、自分である。

「もう遅いよ。帰らないの?」

 妹の友人に尋ねる。

「今日は泊まります」

 決定事項のように言われた。

 そういうのって、同居の家族に一応伺いをたてるもんじゃない? と思うのだ。



「それで、何してんの?」

 彼女たちが膝突き合わせて何をしているのかと見れば、ぬいぐるみを解体しているのだ。その理由が知りたくて、改めて問うている。

 少女二人は顔を見合わせて微妙な顔をしている。

「秘密……」

 妹はごにょごにょと口ごもる。

「説明した方がいいんじゃない。お兄さん巻き込んでしまうもの」

「んん?」

 不穏な言葉に、眉間のしわがきつくなった。

「これ、ひとりかくれんぼなんです」




 なんでこんなことに。思いながら、リビングのソファの上で大判のブランケットに全身を隠しながら小さくため息を吐く。

 ソファに座って単語帳をめくっていると「ちゃんと隠れてください」と怒られたのだ。受験生なのに、時間を無駄に浪費している。


 暗いリビングにつけっぱなしのテレビの明かりが煌々としている。それをブランケットの布目から感じ取れる。


 妹の友達。中学生なのに、なんだか逆らうのが怖いなと思ってしまった。

 落ち着き払った態度、薄っすら笑った笑み、なのに目の奥は笑ってない。

 中学生にしては大人びて見えるが、顔立ちのせいだろうか。

 細面に、目は切れ長で瞳は小さめ。決して不美人ではないが、派手さもなかった。大人になって垢抜ければ、それなりに彼氏でもできるだろう。



 ひとりかくれんぼ。それはネット上で肝試し的に伝聞されているまじないの一種。夏だから、それをやってみたくなったとしても、おかしくはない。

 だが、他人の家でやるのはどうかと思うのだ。

「自分の家でやりなよ」

 遠回しに言うのも面倒なので、はっきり言ってやった。

「うちは親が厳しいんです」

 はい、親。伝家の宝刀的に言われると困ってしまう。

「なら、諦めなよ」

 確かに我が家は現在親が不在なので、そういう許可がいらないように思ったのだろう。しかし、兄はここにいるのだ。自分は許可を出したくない。


「私、いじめられてるんです」

 はい、いじめ。伝家の宝刀が二本目だ。

「ひとりかくれんぼをやって、それを動画にとって来いと命令されてるんです」

 無視しなよ。思うが、笑っていない目の奥が、どこか怒りをたたえているように見えてしまったのだ。

 気づけば言葉を飲み込んで、場に流されてしまっている。




 このまま寝ようかな。時間を無為に消費するうちに、そんな考えに至った。その矢先。


 キシッ


 と床板がきしむ音が聞こえたのだ。

 あれ? 誰か動いた? 妹達はどこに隠れたっけ。

 考えを巡らせている間にも、キシ、キシ、と床の上を移動する音は聞こえている。

 確か、自ら移動するには塩水を口に含むのがルールだった。塩水を用意するのが面倒で傍らには塩分を補給できる清涼飲料水を忍ばせている。

 あ、これペットボトル開封したら音が出るぞ。

 事前に開けておかなかったというミスに気づいて、詰んだ気分になる。


 ミシッ


 床を踏む音が、少しこもったものに変わった。リビングのソファとテーブル周りにはラグが敷いてある。その上を踏んだのだ。

 何かがこっちに近づいている。

 ブランケットの隙間から覗きたい。しかし、それを見られてしまったら?

 見られたのが妹達であれば、とがめられるだけで済む。

 けど、そうじゃなかったら。


 何かがすぐ近くにいる。そして、じっとこちらを見ている。ソファの側に立って、こちらを見下ろしている。

 なんだろう。とても圧を感じる。

 この状況を打開したいのに、指一つ動かせない。いつの間にか、呼吸も止めてしまっていた。苦しい。早くなんとかしたい。


 どうしようどうしようどうしようどうしよう。




「たっだいまーーーー!」

「お邪魔しまーーーーーーす!」

 クソデカボイスが唐突に響き渡った。最悪の展開だ。


 ギシ、ギシ、ギシギシ!

 妙にでかい足音とともに、圧を感じさせていた何かが去った。

 慌ててペットボトルを開封して、飲料を口に含んだ。




「あっ! なにあれ! 人形!」

「動いてるやん! 何? リモコン?」

 緊張感のないやり取りが聞こえ続けている。マジで人形が動いているらしい。声の主は、兄とその友人である。

「包丁持ってるよ! 怖!」

 怖いと言いながら、楽しそうにゲラゲラ笑っている。どう考えても酔っ払いである。


「これさあ、もしかしてあれちゃうん。ひとりかくれんぼ」

「それなにー?」

 何と尋ねている方が兄だ。ネットミームにはまったく詳しくない兄である。


「ぬいぐるみとかくれんぼするねん。まず最初に自分が鬼になるんや」

「よし! 俺が鬼だ!」

 兄の友人はサブカルが割と好きらしく、解説ができている。それに合わせて兄が宣言している。

「で、隠しといたぬいぐるみを見つけて刃物でまずぬいぐるみを刺すんや」


「みーーーつけたーーーーー!」


 ザン!

 鈍い衝撃音が聞こえた。まさかと思うが、ぬいぐるみを刺したんだろうか。


 慌ててブランケットを剥いで、玄関に向かった。


「おっす! 起きた?」

 陽気に言ってる兄の手にバーベキュー用の串、それに深々とぬいぐるみが刺さっていた。包丁はその辺に落ちている。


「これ、どうすんの?」

「燃やすんだよ」

「人形を? わかった!」

 兄は片手に串刺しのぬいぐるみ、片手にいろいろ入ったビニール袋を提げて玄関を出ていった。



「何して」

「うわ、ちょ、ちょ」

 しゃべろうとして、口に飲料を含んでいたので、その辺にこぼしてしまった。




 兄の友人に話を聞くべきか、兄を追うべきか。

早よはよ拭きー」

 言われて、リビングにティッシュを取りに行く。

 リビングで女子二人と目が合った。口に塩水を含んでいるらしく、しっかりと口をつぐんでいる。しかし、目がかなり恨みがましい。

「三人でひとりかくれんぼしてたの?」

 兄の友人が問うてくる。

「そうです」

 彼女たちの代わりに答えてやる。床を拭いて戻ってくると、彼女達の口元がすっきりしていた。塩水は捨てたらしい。


「どうしてくれるんですか。もうルールとか無茶苦茶じゃないですか」

 妹の友人が、兄の友人に怒っていた。

「ルールねえ。俺はこのひとりかくれんぼのルールは意地悪だと思うなあ」

「意地悪ですか」

「そう。これって、自分で自分を呪う儀式って言われてるんやろ。正確に守ろうとするほど、その呪いにはまるんじゃないの」

「そういうもんですか?」


「律儀な性格の人間ほど、定められたルールを守ろうとする。それが守りやすいもんなら、気楽にできるけど、ひとつひとつは簡単でも細かく設定されると何かしらルールをうっかり破ってしまう。そして、うっかり破ったことを気にかければ気に掛けるほど、自分で自分を責めてしまう。そして、術中にはまりやすくなる」

「はあ……」


「俺は状況を打開できるのは、ルールを破ることに躊躇のない奴だと思うよ」

 兄の友人の説明を聞きながら、兄の現状が気になった。

 リビングのカーテンを開けて、庭を見る。


 兄は小型焚き火台の傍らで火を眺めていた。焚き火台の中では串に刺さったぬいぐるみが火であぶられている。

「何あれ」

「アウトドアとかしたいねーって言ってて、いろいろ衝動買いしたんだよ」

 なぜアウトドアグッズがあるのかの理由は説明がついた。


「もし、呪いとかが降りかかるとしても、それを受けるのは真っ先にルールを破った俺らだろうな。君らじゃない。だから、安心していいよ」

 兄の友人は妹達に向き直り、そう言った。

 妹は、それを受けて心底安心したようだった。だが、彼女は違った。怒った表情はそのままに、彼をにらんでいる。


「思惑が外れた? 誰よりもかわいそうになることで、人よりマウントをとれると思った? そういうかわいそうなことでマウントを取るのって、不健全だと思うなー」

 兄の友人の言葉に、彼女はカッと頬を染める。彼女はその場を去った。2階の妹の部屋へと駆け込んだようだ。妹が後を追う。


 兄の友人を見やる。

「そういうお年頃なんだろうね」




「いじめられてるってのは、彼女の虚言だったみたいです」

 後日、兄と兄の友人がそろって家にいたので、報告した。

「彼女達も何事もなく過ごしてるようです」

「そーかそーか、よかったな」

「僕も何もないです。そちらは?」

「ぜーんぜん、なんともないよ」

「俺もー」

 兄は飄々と日常を過ごしているし、兄の友人も元気そのものである。


「あれ、本物っぽかったけど、弱かったな」

 兄の発言はなにかおかしい。

「結局、人の方が強いんだよ。怖いのは人間の方ってね」

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