第10話 弟子と師匠

 黒い狐を退けた後も私達は森の探索をしばらくの間続けた。けれど一向に珍しい動物を見つけることはできない。もしかして、目撃された珍しい動物というのはさっきの黒い狐のことだったのではないか。そういう話になり、ハクアに珍しい動物の姿形を尋ねてみたところ、酔っていて聞き忘れたとのことだった。……私達は森を後にした。



 森から離れた見晴らしの良い平原で私達は野営することにした。先程の魔物が手負いで追い掛けてくる可能性もあったからだ。

 ハクアが火起こしをしている。手持ち無沙汰だった私は魔法を使ってみようと考えた。『学びの家』を出てから魔法は一度も使っていなかった。

 急に魔法を使おうと考えた理由は2つあった。1つ目は前世の記憶を思い出した今でも魔法を使うことができるのか確認すること。2つ目は先程の魔物に起因する。あのように凶悪な魔物という存在がいると知ったことで危機感を覚えたのだ。自衛手段として今の私が持ち得るのは魔法だけだった。だから少し魔法の練習をしようと思ったのだ。

「あ、あれ?」

 火起こしを終えたハクアが近づいてきた。

「タチアナ? どうかしましたか?」

「それが、その、なぜか魔法が使えなくて」

「やってみてください」

 頷くと、私は照明になる光の玉を生み出す魔法光球を使うことにした。魔力炉を起動し魔力を生成して、頭に思い浮かべた《光球》の術式へ魔力を流し込む。

「《光球》」

 しかし何も起こらなかった。

 本来なら広げた両手の間に光の玉が出現するはずなのに。私は自分の手の平をただただ眺めた。

「あなたは魔法を『学びの家』で覚えたのですか?」

「はい。魔法を使った実験もありましたので」

 あの頃は実験と勉強と魔法の訓練しかすることがなかった。

「ちょっと右手を出してください」

 言われるままに私は右手を差し出した。

「触れますね」

 ハクアは私の手を握りながら指で手の平のあちこちを押している。

「んっ」

 右手にピリっとした痛みが走った。けれど痛みは一瞬だった。ハクアはまだ手を握っている。彼の手は温かかった。

 いつまで手を握っているのだろうかと思い、ハクアの顔を覗くと、珍しく深刻そうな顔をしていた。彼は私の視線に気が付いた。

「……あなたは『学びの家』で何をされたのですか?」

「えっと、主には実験です」

「どのような?」

「どういう内容の実験だったかまでは分かりません」

「覚えているもので構いません。例えば、全身に激痛を感じるような実験はありましたか?」

「……あったと思います」

 ハクアが深い溜息を吐いた。

「はぁ、クロム。お前という奴は……」

 それは低く小さな呟きで、私には彼が何と言ったか判別できなかった。ただ、彼がひどく悲しげに見えたような気がした。

「結論から言います。あなたは魔法が使えない身体になっています」

「はぁ……え?」

 魔法が使えない?

「精密検査をしなければ詳細は分かりませんが、あなたのアルビナ回路は損傷している可能性があります。アルビナ回路が術式に魔力を流して魔法を発動するための仮想体内器官だということは知っていますよね。それが損傷しているため正常に機能せず、結果魔法が発動しないということだと思います」

 なるほど。うん? いまいち飲み込めない。

「それは……治るものなのでしょうか?」

「すいません」

「? なぜあなたが謝るんですか?」

「確かにそうですね。治るかと問われれば、今の僕には分からないとしか答えられません。僕も魔法使いですが、この手の分野には明るくありませんので。ただ、後天的にアルビナ回路が損傷することは非常に稀であると思います。体内仮想器官が傷付くということは魂に傷が付くこととほぼ同義ですから。なので損傷具合にもよりますが治療は難しいと言わざるを得ません」

「そう、ですか……」

 魔法が使えないのか。それはちょっと困ったな。

「ショック……ですよね」

「はぁ」

「……ずいぶんと淡白な反応をしますね」

「そうですか?」

 実のところ、魔法が使えないと言われても私はピンときていない。だからそれがどれほど絶望的な宣告だったとしても実感が沸かないのだ。恐らく前世では魔法なんて技術が存在していなかったからだろう。

「でもちょっと困りました。私はネコを探したいんです。旅をしていると今日みたいに魔物が襲ってくることはありますよね。魔法は自衛手段としてあてにしていたので別の何かを考えないといけません」

 さてどうしたものかと思ってハクアを見た。

 ハクアは……なんだろう、笑っている。私は何か変なことを言っただろうか?

「何と言うか。あなたは本当に面白いですね。変に前向きというか」

「なんで笑っているんですか。私は真面目な話をしているんですよ」

「そうですね、すいません。自衛手段であれば、魔法ではないですが戦う術を教えてあげることはできますよ」

「本当ですか! 護身術とかですか?」

 私は拳を握ってシャドーボクシングしてみせた。

「ゴシンジュツが何かは知りませんが。ええ、格闘術のようなものです」

 果たして私に格闘技ができるだろうか。正直自信はない。だけど頼みにしていた魔法が使えないのだから少しでも身を守る手段を覚えておきたい。

「よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

「では今日から師匠と呼ばせてもらいますね」

「師匠……ですか。少々気恥ずかしいですね」

 ハクアは照れて頭を掻いた。

「ですが、僕の弟子になるというのならビシビシ鍛えていきますよ。覚悟してくださいね」

「あの、お手柔らかにお願いします」

 ハクアのトンデモ体力を思い出して私は早速弟子入りを少し後悔するのだった。



  ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ 



 焚き火の中で木が爆ぜる。

 火花が舞い、一瞬で消える。

 静かに寝息を立てて眠るタチアナに目をやり、思いに耽る。

 さて、あなたは僕にどんな面白い光景を見せてくれるんでしょうね。

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ネコがいなけりゃ作ればいいじゃない!〜Nowhere cat in the another world〜 雨月雪陽 @ugetsu-yukiharu

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