第9話 魔物
「昨日の夜に酒場で聞いたんですけどね。ここから東に1日程度行った所にある森に珍しい動物がいたそうですよ。近いのでとりあえず見に行ってみませんか?」
翌日、目覚めたばかりの私が朝の挨拶をするよりも早く、ハクアは楽しそうに話し出した。寝起きで頭がぼんやりしていた私はとりあえずで頷いてしまったが、実際彼の提案は私にとっては有り難いものだった。
しかし、この人はなぜ当事者である私よりも乗り気なのだろうか。あと、1日掛けていく場所を決して近いとは思わないのだけれど。魔法使いがみんなハクアのような体育会系だったら嫌だな。
そして、必要最低限の準備を整えた私達は早々にブルームの町を発った。
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目的の森に辿り着いたのはブルームの町を出発した3日後のことだった。
何が「1日で着く」だ。やはりハクアの距離感はおかしい。まぁ、私が足を引っ張ってしまったのが半分以上原因であるのであまり彼を責めることはできない。
そして森に着いてからそろそろ丸1日が経とうしていた。私達は森にいるらしい珍しい動物を求めて探索しているが、未だにその痕跡さえ見つけられていない。
私達の進む方向の右手側に森の木々が開けた場所が見えた。そこでは何かの動物数頭が草を食んでいる。
「あれは何ですか?」
「あれは……グラウスですね。珍しい動物ではないですよ。大抵の森にはいる動物です。よく群れで行動します。あとは……彼らは美味しいです」
「あの、詳しくないなら無理に解説しなくてもいいですよ」
「あ、はい」
そのグラウスというのはイノシシに似た動物だった。但し、似ているのはそのフォルムだけ。私は前世で実物のイノシシを見たことはないけれどきっと彼らよりは小柄だろう。なんせ彼らは軽自動車くらいの大きさがあるのだ。
「食べたいですか? 狩りましょうか?」
「え? う〜ん」
私がグラウスをじっと眺めていたのでハクアはそう思ったようだ。確かに美味しいと言われると食べてみたい気はする。しかし、食べたいから狩る、とは随分とワイルドな話だ。前世では考えられなかった思考だ。
突然、グラウス達が騒ぎ始めた。何事だろうと思っていると、黒い影がグラウスの1匹に飛びかかった。悲鳴のような鳴き声を上がる。鳴き声は間もなく途絶えた。
「まずいですね。逃げますよ」
「え?」
私は状況が全く把握出来ていなかった。目の前で起きたのは野生動物同士のやりとりだ。その光景自体も私にとって衝撃的だったけれど、弱肉強食の結果だと理解できる。ただ、その黒い影はなぜか異質なものに感じられた。
グラウスを貪り食っている黒い影がこちらを向いたように見えた。
「走ってください!」
「え、ええ!?」
急に走れと言われても困る。しかも森の中は木の根等の足を取られる物が多くて走り難い。とてもハクアに付いて行ける気がしない。
「すいません、ちょっと抱えますね。舌を噛まないように口はしっかりと閉じていてください」
言うやハクアは私を小脇に抱えると急加速で走り出した。やっぱりこの人はすごい。視界も足元も悪い森の中をこんな速さで移動できるなんて。
しかし、尚背後からは足音が聞こえてくる。遠ざかるどことか寧ろ近づいてさえいる。荒い息遣いが聞こえてくる気がする。
「森の中で逃げ切るのは難しそうですね」
ハクアが足を止めて振り返る。私達を追いかけていたそいつは10m程の近くまで迫っていた。黒毛の細長い狐とでも言えばいいだろうか。大きさは先程のグラウスよりも小さいが人のサイズよりは断然大きい。
「あなたに恨みは全くありませんが、襲ってくる相手に対して差し出す命を僕たちは持ち合わせていませんので迎撃させてもらいますよ」
ハクアはそいつに向かって左手を向けた。
「《魔弾》」
手の平くらいの大きさの青白く光る球が5発すごい速さで飛んでいく。3発が命中するも一瞬怯んだ程度で、黒い狐は依然とこちらへ突進してくる。
「全然効いてませんね。では、《炎羅》」
炎がカーテンのように進行方向を遮るが、黒い狐は意に介さずそれを突破する。
「ああ、やっぱり炎は怖がりませんか。ううん、仕方ありませんね」
もはや飛び掛かってきてもおかしくない距離まで近づいた黒い狐、ハクアは左手の人差し指を立てると空を撫でるように振る。
「《斬空》」
音もなく、黒い狐の右前足が切り飛ばされる。バランスを崩したそいつは転倒する。しかし、すぐさま自らの血溜まりからと立ち上がると警戒しつつこちらを睨みつけてくる。
対してハクアは再び左手の人差し指を立てると首を切るジェスチャーを見せた。
「前足だけではなく首も切り落としてあげましょうか?」
聞いたことのない冷たい声だった。私さえもぞっとした。
動物に言葉が通じる訳はない。それでも威圧感というか殺気のようなものは伝わるようだ。黒い狐は3本足でひょこひょこと歩きながら逃げていった。
「ふぅ」
「い、今の黒い動物は何ですか!?」
「あれは動物じゃありません。あれは魔物ですよ」
「魔物?」
「おや? 魔物を知りませんか。ふむ」
ハクアは意外そうな反応だった。
「魔物は動物とは異なる生物ですよ。動物とは身体の構造からして違う点がありますが、最も大きな違いはその肉体が魔力で構成されている点です。ああ、ちょうどいいタイミングですね。ほら、あれを見てください」
それは先程の動物、じゃなくて、魔物の切り落とされた右前足だった。……見ていて気持ちの良いものじゃない。そう思っていると、それは地面に出来た血溜まりとともに砂粒が舞い上がるように宙へと溶け消えた。
「!?」
「今のが魔物の肉体の末路です。魔力が切れ保持できなくなった魔物の肉体は拡散し空気中に溶け消えます。一方で動物の肉体はあの通り」
ハクアが指し示すのは遠くに微かに見えるグラウスの死骸だ。変わらずそこに存在する。それが普通だ。魔物という存在が私の常識からかけ離れていた。
「その驚き様だとあなたは魔物の存在を知らなかったみたいですね。となると、あなたが前世で住んでいたのは魔物が発生しない土地だったかもしれませんね」
「そうですね」
理解が追いついていない私は生返事を返す。
「あの。魔物と動物は他に何か違いはないんですか?」
「そうですね。一見した見た目に大きな違いはないと思います。動物かと思っていたら魔物だったなんてことはよくあります。ですが、魔物には1つ大きな特徴があります。それは積極的に動物へ襲いかかることです。なぜだか分かりますか?」
確かに先程の魔物も私達に襲いかかってきた。
「分かりません」
「少しは頭を使って考えるように」
「う~ん。性格が獰猛だから?」
「ぶぶーっ。そういう個体差によるものではなく、種族としての理由です」
「うーん。……降参です」
「まぁいいでしょう。あなたはウル・タウル機関を知っていますか?」
「はい。魔力炉や魔力杯と言った魔力を生成・貯蔵する仮想体内器官の総称です」
「正解です。教科書に載っているような模範解答ですね」
実際その通り。『学びの家』での詰め込み教育の結果だ。
「魔物という生物はこのウル・タウル機関の1つである魔力炉を持っていません。なので動物のように自ら魔素を取り込んで魔力を生成することができない。しかし、彼らの肉体は魔力で構成されていて、魔力が切れれば先程のように肉体が崩壊してしまいます。生命維持のため彼らには常に魔力が必要なのです。では彼らはどうやって魔力を得るのでしょうか?」
ハクアの話を聞いて嫌な想像が浮かんだ。
「魔物が動物を襲う理由ってもしかして……」
「ええ。あなたの想像通り、動物の肉体ごと魔力を取り込むためですよ。彼らにとって動物全般は捕食対象なんです」
先程、黒い狐の魔物から感じた異質さが少し理解できた。あれは生物として私達と異なる存在なんだ。そして、あれは私達を完全に餌として見ていた。あいつの赤く光る目を思い出すと背筋が震えてきた。
今更だけど、もしかしてこの世界はかなり危険なのではないだろうか。
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