第8話 前世持ち

「図書館に行きたいです」

 しかしブルームの町には図書館がなかった。その代わり町に数件だけある古本屋の内の1件に連れて来てもらった。

「では僕は少し用事を済ませてきます。ここでしばらく時間を潰していてください」

 そう言うと、ハクアは私を置いてそそくさとどこかへ行ってしまった。

 1人残された私はとりあえず古本屋の中の様子をこっそりと窺ってみた。店内は狭く、人1人が通れるだけの通路の両脇が本棚になっていて、天井までぎっしりと本が詰め込まれている。通路の1番奥では店主と思しきおじいさんが本を読んでいる。

 恐る恐る店内に入ると、下を向いていたおじいさんが本を閉じてこちらを見た。

「いらっしゃい。おや、お嬢ちゃんみたいな小さなお客さんが来るのは久しぶりだ」

「お邪魔します。あの……動物の図鑑はありますか?」

 それが私がここに来た理由だ。ハクアはネコを知らなかった。だけど、それはハクアが知らなかっただけかもしれないじゃないか。それを確かめたかったのだ。

「うん? うちにあったかなぁ。ちょっと待っててくれ」

 おじいさんは椅子から立ち上がると、近くの棚を見渡し、本の山を退け、あちこちと探してくれた。店内に埃が舞い上がる。

 なかなか本は見つからず、「無ければいいです」と私が言い掛けたとき、おじいさんは一際大きな本の山の下から1冊の本を取り上げた。

「おお! あった、あった。これなんてどうだい?」

 おじいさんが持ってきてくれたのは随分と薄い動物図鑑だった。

「中を見てもいいですか?」

「ああ、もちろんだ」

 その本は図鑑というよりも子供向けの動物の絵本だった。恐らくこの世界でメジャーな動物達が絵と共に紹介されている。イヌ、ウサギ、ネズミ、ヒツジ、ウシ、ブタ、と私の知っている動物達が載っている。中には私の知らない動物もいる。だけど、やっぱりネコがいない。さらにライオンやトラと言ったネコ科動物もいない。

「すいません。もう少し大人向けの動物図鑑はありませんか?」

 子供向けの絵本だからネコが載っていない可能性もある。

「おお。お嬢ちゃんはなかなかに勉強家だな。それならここだ」

 おじいさんは近くの棚の1番上の段から1冊の本を取り出し渡してくれた。

「ありがとうございます」

「その本は重いからな。そこに座ってゆっくり読むといい」

 そう言って、おじいさんは店の一角に置かれたサイドテーブルと椅子を指差した。私はお言葉に甘えさせてもらうことにした。

 結局、本格的な図鑑にもネコは載っていなかった。

 ネコ以外の動物にはあまり興味がなかったので、落胆しながら手持ち無沙汰に図鑑をペラペラと捲り眺めていると進化の系統樹について書かれている箇所を見つけた。

 確か、前世の世界ではネコとイヌは共通の祖先を持っていたんじゃなかっただろうか。名前は……忘れた。その動物は元々森に住んでいて、住む場所を草原に移したのがイヌの祖先、森に残ったのがネコの祖先になったんだったような。……違っただろうか。

 さて、異世界の動物の進化においては……イヌの系統樹を根本まで辿ってもネコの存在は確認できなかった。進化の面でもネコの存在は否定されてしまった。

「何か面白い本でもありましたか?」

 急に声を掛けられ、びっくりして振り返るとハクアがいた。

「はい。興味深い内容でした。全然面白くはなかったですが」

 得られたのはやはりネコが存在しないという結果だったのだ。面白いわけがない。

「あなたは本当に面白い表現をしますね」

 ハクアはおじいさんに声を掛けた。

「ご店主、あの本はおいくらですか?」

「え?」

「ああ、お嬢ちゃんのお父さんかい。そうだな。お嬢ちゃんはその歳で難しい本を読めて偉いからな。少しオマケしてやろう。銅貨1枚でどうだい?」

「ありがとうございます。ではそれでお願いします」

「いいんですか?」

「はい。折角なのでプレゼントしますよ」

「良かったな、お嬢ちゃん」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。いや〜本を買うなんて久しぶりです」

「そうなんですか?」

「はい。僕は本があまり好きではないので」

 魔法使いは本が好きというイメージがあったので以外だった。

「ほら、本は重くて嵩張るから旅をしていると持ち歩くには不便なんですよ」



 私達は宿に入った後、早めの夕食を宿の食堂で取り終え、客も疎らだったのでそのまま食堂に居座った。ハクアはカップでお茶を飲んでいる。私は買ってもらった動物図鑑をじっくりと読み直していた。

「ところで」

 図鑑を読んでいる私を窺っていたハクアが唐突に話し掛けてきた。

「あなたは前世持ちではないですか?」

「!」

 私は驚いてハクアを凝視した。

 どうして気が付いたんだ?。……歳に見合わない態度や行動をしていたかもしれない。前世の記憶を持っているとどうなるのだろう。珍しいからと売られてしまうのだろうか?

「そんなに警戒しないでください。別に取って喰おうとか言う話ではないですよ」

「はぁ」

「前世の記憶を持っている人は珍しいですが、言ってしまえば前世の記憶を持っているだけ、ですからね。ほとんどの人にとっては、それがどうした、だと思いますよ。酒場に行けば話の種になってお酒を1杯位奢ってもらえるかもしれませんね。まぁ、その程度です」

 なるほど。言われてみればその通りかもしれない。

「あの、前世持ちをどう思いますか?」

「そうですね。僕は単純に羨ましいと思います」

「どうしてですか?」

「え? だって楽しそうじゃないですか」

 そのあまりにも子供っぽい、ともすれば頭の悪い答えに私は笑ってしまった。

「ふっ」

 私はほっとしていた。そういえば、ハクアの質問に答えていない。そう思って彼の顔を見るとにこにこと笑っている。どうも私のあからさまな態度の変化で、私が答えずとも察したようだ。恥ずかしくて顔が熱くなる。

「それでですね。何でこんな話を始めたかなのですが、昨夜の話の続きをしようと思いまして」

 ハクアは真面目な顔になって続けた。

「これから何をしたいかと聞いたとき、あなたは『ネコに会いたい』と言いました。あのときはそのまま有耶無耶になってしまいましたが、察するにネコというのは動物なのですね?」

 私は動物図鑑をぱたんと閉じた。

「はい」

「僕はネコとやらを知らないですし、図鑑にさえも載っていない……」

「……みたいです」

「なるほど。恐らく、ネコとは非常にマイナーな動物なんでしょう。生息域が限られた珍しい固有種かもしれませんね」

 こちらの世界ではそうみたいですね。前世の世界ではドメジャーでしたよ。2大ペットの一角ですから。

「どうです。本格的にネコを探してみませんか? それはあなたの前世を見つける手がかりになるかもしれません。折角の前世持ちなんですから存分に満喫しない手はないでしょう。昨夜も言いましたが、僕はできる限りは協力します」

 私が前世で住んでいたのはこことは別の世界だから絶対に見つかりませんよ。なんてことは言えるわけがない。けれど今の私にやりたいことはネコ探ししか思い付かない。ただ、1つ思うことがある。

「どうして。どうしてあなたは私にそこまで親切にしてくれるんですか?」

 私の質問にハクアはキョトンとして一瞬考えた。

「うーん。僕が親切とか、優しいと思うようならこの話は断ってもらった方がいいですよ。断ったところであなたをここで放り出すようなことはしませんから。適切な町の養護施設まで送り届けるくらいはやります。その程度の良識は僕でも持ち合わせていますよ。それで質問の答えですが、僕はただ楽しいことが好きなだけで、あなたの前世探しが面白そうと感じたから関わりたいだけです」

 ああ、この人は清々しいまでに自分勝手だな。その明け透けさには騙されていたとしても許してしまいそうだ。こんな奴を信じた自分が間抜けだったと笑いながら。

 私の心は決まった。

「はい。探してみたいです」

 私はこの異世界でネコを見つけたい。

「よろしくお願いします」

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