七之四

 ――万人が見るという夢の世界、私も一度は見てみたいものだ――

 自身には夢見が能わずと知ってから、多嘉螺たからはかえって夢への憧れを増した。夢とはいかなるものかも知らなければ、彼女もそこまで焦がれることはなかっただろう。だが彼女がその目で見聞きするこの世どころか、彼女自身までもが、すべて如朦じょもううつつで眠りに陥る中に生み出したものと、ほかならぬ如朦がそうと教えたのだ。

 多嘉螺が己でも夢を見たいと口ずさむことを、如朦にはとどめられなかった。

「眠りの中に夢を見ることがかなわなくとも、この世には夢にも勝る珍しきものに満ち溢れております」

「そこまで言うなら、私の前にその珍しきものを見せてみろ」

 城中を歩いて見せる最中、多嘉螺がそう言って拗ねるので、如朦は苦笑で応じた。

「それは無理難題ですね。珍しきものとは、滅多に目にかかれないからこそ珍しいのであって」

「何も見知らぬ景色を持ってこいとは言わん。たとえばそなたがこの前聞かせた、いつで食したという美味なる魚。あれを食わせてみせよ」

「あれは冬の内海で獲れる魚でして、しかも乙からりょうまでは船でも相当の日数がかかりますから、食わせろと申されましても……」

 如朦が困り顔で目を逸らすと、ちょうどその視線の先に市場の屋台の群れがある。何気なく目に入った景色を眺める内、如朦の目は屋台のひとつに釘付けになった。

 おそらく今朝方、紅河こうがで獲れた鮮魚が並べられている店先に、多嘉螺が望んだ乙の美味なる魚が紛れていたのである。

 この魚はどうしたのかと尋ねる如朦に、屋台の亭主は自慢げに答えた。

「たまにあるんだよ、内海から紅河に迷い込んだまま棲みついちまう奴が。あんた、運がいいぜ。俺だって紅河で獲れたこいつを仕入れたのは、今までも数えるほどだ」

 そこで如朦は魚を買いつけて、多嘉螺は望み通りに美味を味わえたことで機嫌を直した。その一度きりであれば偶然で済ませたであろう。

 だがこうしたことは一度や二度では終わらなかった。

 多嘉螺がげんの御影石の輝きに思いを馳せると、数日後たまたま城内で道に迷った玄の貴人を案内して、その礼としていくつかの御影石を頂戴した。さんの壺が纏うという独特の趣きを夢想すれば、日を置かずして御影石を探し求めていた商人に出会った。彼には屋敷の御影石のひとつを都合する代わりに、燦の壺を譲られた。

「多嘉螺様は夢見の代わりに、この常夢とこゆめの世に望みをかなえる、希有な異能の持ち主ということでしょう」

 偶然が何度も繰り返されれば、それは必然というほかない。多嘉螺が立て続けに幸運に浴するという偶然は、彼女が生まれながらに身に備えるものとしか思えなかった。

 それは常夢とこゆめの世を永らく眺め続けてきた如朦が、望んでも決して得ることのなかった、この世を思うままにする力であった。


 ***


 宰師さいしという官職がある。先代びん王・枢智黎すうちれいが晩年になって設けた、数多いる官僚の筆頭を指す。

 当代の旻王・枢智子恩すうちしおんは枢智黎の孫に当たり、即位した時もまだ十六歳と若かった。そこで枢智子恩が経験を積むまでは代わって国政を担い、自らまつりごとを手がけるようになればその傍で補佐するという重要な役割が、宰師には求められた。宰師の権限は極めて強大で、任ぜられる人次第では王を蔑ろにし、国をほしいままにしようとしてもおかしくない。

 枢智黎が宰師に任じたのは、傳碩でんせきという男であった。

 傳碩は万事に有能だったが、根が小人であった。彼の場合の小人とは、性根が卑しいとか目先の利を追うとかではなく、心配性、臆病という向きである。傳碩は間違っても王を軽んじたり、国を我がものにしようなど、畏れ多くてとても考えられない性質たちであった。だからこそ宰師に任じられたのだということを、彼は十分に心得ていた。

 傳碩は枢智子恩の即位後、精力的に国政を率い、また王の教育も熱心に務めた。彼の胸中にあるのは、可能な限り早く枢智子恩を一人前に育て上げて、早々にこの重責から解放されたいという思いであった。なんなら宰師という官職自体、廃されても良いと思う。傳碩と親しい者は、彼が国政を壟断しようなど有り得ないと知っているが、残念ながら宮中ではそう考えない輩が大半である。羨望と嫉妬と、隙あらば取って代わろうと企む人々の視線に晒され続ける日々は、傳碩の胃をきりきりと痛めつけた。

 だが何にも増して傳碩が胃痛に悩まされる最たる原因は、彼が仕える当代の旻王・枢智子恩にあった。

 傳碩の見る限り、枢智子恩は決して暗愚ではない。ただ性格に難があった。

 彼は即位の端からまつりごとへの情熱が乏しかった。そもそも枢智子恩に求められたのは先代の築いた前例の踏襲であったから、ならばその頃を知る廷臣に任せるのが良いと嘯いて、可能な限り政務を廷臣たちに押しつけた。それだけならまだしも、大廟堂主・沈阮ちんげんにあからさまに肩入れして、夢望宮むぼうきゅうと縁のある者たちをことごとく宮城から追いやってしまった。

 先代の枢智黎は神官をまつりごとから遠ざけたが、夢望宮は結びつきのある貴人たちを通じて、なお宮城に隠然たる影響力を振るっていた。それが枢智子恩の代になって、いわば夢望宮派の貴人はほとんど一掃されてしまった。

 もっとも今度は大廟堂派と言うべき一派が台頭したから、いずれにせよ神官勢力が蔓延ることに変わりはない。少なくとも傳碩はそう考えていたが、先日の神獣安眠祈願祭における龍神道信徒の大騒動で、状況は一変した。

 大廟堂主の沈阮は失脚し、宮城の大廟堂派も明らかに勢力が衰えた。

 龍神道を取り締まるべしという大廟堂の訴えは、傳碩には笑止ものであった。そもそも宮城は大廟堂内の出来事には口出しすべからずという、ほかならぬ神官どもが暗に要求してきた不文律があった。傳碩は先代の御世から続く不文律を盾にして、彼らの訴えに耳を貸そうとしなかった。

 結果的に夢望宮派も大廟堂派も、宮城への影響力を大いに減じたことになる。枢智黎も完全には為し得なかった神官勢力の排除が、あれよあれよと進められていく。先代と共に対策に頭を捻り続けてきた傳碩には、いささか釈然としなかった。だが歓迎すべき事態であることは認めざるを得ない。

 枢智子恩が龍神道の教母とやらを呼びつけよと命じたのは、その矢先のことである。しかも新任の大廟堂主・兆薫ちょうくんも同席させよという。

 兆薫は夢望宮が大廟堂を掌握すべく、沈阮の後任に送り込んだ神官である。その彼と龍神道の教母を引き合わせようとは、傳碩にはもう王がいったいどういうつもりなのか見当がつかない。

 そして、それ以上王の真意を斟酌することを諦めてしまった。

 王の意図がどうであれ、今現在の宮城から神官勢力が排されたのは事実である。だから今回も、たとえ王の気紛れだったとしても、きっとなんとかなってしまうに違いない。それは楽観というよりは思考停止に近かったが、彼はただ王に言われるままに粛々と準備を進めることに徹した。ちょうど桃の花が見頃であろうという王の言葉で、対面の場は屋外に設けられることになった。

 かくして宮城でも最も華美とされる桃園に集まったのは、旻王・枢智子恩と大廟堂主・兆薫、龍神道教母・齋晶さいしょう。そして宰師・傳碩の他に、急遽追加されたあとふたり。

 艶然とも浮き世離れしても見える妙齢の女性と、対照的に控えめな所作の穏やかな笑みを湛えた青年。

 六名が一堂に会したのは、桃園に咲き誇る桃の花も盛りの、春うららかな日のことであった。

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