七之二

 びん王族の重鎮・渓口けいこう公の息女と、りんの青年島主の結婚は、過日盛大に祝われたという。

「それが、ことはそう単純ではありません」

 多嘉螺たからの屋敷の、珍品奇品に埋もれた離れの一室で、恰幅の良い中年男が苦々しげに眉をひそめていた。

「式の会場となった鱗の廟堂には、なんと龍神像が祀られていたというのです。なんでも枢智貴璃すうちきり様が大層執心と聞いて、島主が事前に用意させたとか。畏れ多くも王族の婚姻で、前代未聞の一大事です」

 白髪混じりの頭には慣れたはずの神官帽に代えて頭巾を被り、常ならば紫のはおりを纏って尊大な振る舞うはずが、今はせいぜい裕福なお大尽といったていで肩をすぼめている。

「それで兆薫ちょうくん様は、そのように身分を偽ってまでして、いったいぜんたい我が屋敷に何用で訪ねられたのか」

 神官の身分を隠し、庶人を装ってまでして現れた兆薫に、多嘉螺は白々とした目を向けた。

 どの面下げてという言葉を飲み込んだだけ、多嘉螺にしては控えめな態度といえよう。もっとも瞳には呆れと侮蔑が浮かぶのを隠そうともしないから、兆薫はこの部屋に足を踏み入れた瞬間から、ひたすら恐縮し続けている。

 本来なら兆薫は、このりょうでは旻王を除いて、誰に対してもへりくだる必要などないはずであった。というのも彼はつい先日、神獣安眠祈願祭で醜態を晒した沈阮ちんげんに替わって、稜の大廟堂主に就任したばかりなのだ。

 大廟堂主といえば、稜では王に次ぐ権威の持ち主である。その彼がこうして多嘉螺の屋敷で卑屈なほどの態度を見せるのは、無論わけがあるに決まっていた。

「鱗の結婚式の様子が伝わって、邪教徒たちはますます勢いづいております。真に由々しき事態と言わざるを得ません」

「兆薫様のお立場もわかりますが、邪教呼ばわりは控えられた方が良いでしょう。龍神道は枢智貴璃様のお父上、渓口公も傾倒されていると聞きます。他にも宮中で信心する方はいらっしゃるのでは」

「まさに仰る通りです。それどころか」

 多嘉螺の言葉に深々と頷いて、兆薫は大きな顔をずいと突き出した。

「あろうことか、陛下までもが話を聞いてみたいなどと仰る始末」

 兆薫の嘆きは、さすがに多嘉螺にも予想外であった。眉を跳ね上げる彼女の前で、兆薫は憤りさえ交えながら零す。

「陛下が夢望宮むぼうきゅうと距離を置かれようとしていることは承知しておりましたが、まさか龍神道などという妖しげな教義に興味を抱かれようとは。陛下は近々、龍神道の説話を聞くため、教母とやらを招くというのです」

 先代旻王・枢智黎すうちれいは夢望宮をはじめとする神官を、手厚く遇した。簒奪によって立った枢智黎は、旧来勢力も味方につけて速やかに支配を確立させる必要があったためだが、当代の枢智子恩すうちしおんにそのような遠慮はない。

 そもそも枢智子恩は、夢望宮の神官が宮城で我が物顔でいることを、どうやら好ましく思っていなかったらしい。彼が即位してからは、大廟堂の神官ばかりが偏重されてきた。

 ところが枢智子恩と昵懇だった沈阮は失脚して、夢望宮から送り込まれた兆薫が後任となった。兆薫が旻王に疎まれるのは自然な流れであったが、それにしても――

「夢望宮への当て馬にまでのし上がるとは、龍神道もたいしたものになりましたな」

 思わず多嘉螺の口を突いて出た呟きに、兆薫が恨めしげな顔を見せた。

「他人事のように仰られるな。多嘉螺様が龍神道を唱えたとは今さら言いませんが、かの変怪へんげに龍の名を与えた、その責は負うてもらわねば困る。そのためにこうして願いに参ったのです」

 そう言って、兆薫は多嘉螺の傍らに視線を向けた。

 彼の視線の先には、ひと言も口をきかぬまま、まるで眠っているかのように静かに座している如朦じょもうの姿があった。

「如朦様」

 兆薫は如朦に向き直りつつ、だがその顔を直視できない。おもてを伏せる彼のこめかみには、如朦の名を口にしただけでじっとりと汗が滲んでいる。

「この世を眺め、全てを受け容れよという超魏ちょうぎ太上だじょうの教えは、我々神官も肝に銘じております。ですが龍神道は、世のことわりいたずらに弄び、人の耳に心地よく響くようねじ曲げて憚りません。これまで正しく理を伝えるべく励んで参りました我々神官には、見過ごせるものではないのです」

 両手を床について、ほとんど平伏する兆薫の頭を、如朦の細い目が見下ろしている。その横顔を窺う多嘉螺には、彼の瞳に浮かぶ表情までは読み取れない。

「龍神道の教母とやらを招く場には、大廟堂主たる私も同席と相成りました。ですが私が何を申そうとも、陛下は聞き入れてくださりますまい」

「……陛下の御前に、私どもも参上せよと仰いますか」

 如朦の発した言葉に、兆薫はひれ伏したまま顔を上げた。亀のように滑稽な姿勢を取りながら、兆薫がおそるおそる首を上下させる度、彼の顎肉がぶるぶると震える。

彼奴きゃつらの紛いを打ち払うべく、何卒お力をお貸しくださいませ。この兆薫、恥を忍んでお願い申し上げます」

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