六之四
王の居城たる王宮を中心に、各種の行政機関や軍本営に練兵場、また膨大な物資や資料を保管する倉庫類はもちろんのこと、王族の居住区画からいくつもの大庭園まで、全てをひっくるめて宮城という。
およそ庶人には縁のない別世界であるが、中に棲まう王族貴人も、その広大な敷地内を隅々まで知り尽くす者は少ない。
そのせいもあるだろう。王族が庶人に身をやつして宮城外に出るための通路や、外部の人間が宮城内でこっそり落ち合うための秘密の間が存在するなどという噂が、まことしやかに囁かれている。
「しかし、まさか本当にそんな隠し部屋があるとは、思いもよりませんでした」
隠し部屋というものの、
宮城の一角を占める竹林の、そのまた片隅にひっそりと設けられた庵が、噂の隠し部屋の正体であった。
「この竹林は、祖父の代から我が家が管理しています。この庵は、たまの息抜きのためにと父が建てさせたそうです」
多嘉螺の向かい、上座に座するのは、色とりどりの刺繍が施された綿入りの袍を羽織る、線の細い少女。左右の二つ髷に仕立て上げられた黒髪には、金の簪が控えめに飾られている。人目を忍んで来たはずだから、これでも落ち着いた装いのつもりなのだろうが、内から滲み出る気品は隠しようもない。
「多嘉螺様は龍神道に通じ、また夢見に長けた御方であると伺っております。是非私の夢についてご意見を賜りたく、こうしてご足労いただきました」
玲瓏とした姫の声音に言われて、多嘉螺は神妙な顔で頷いてみせた。
「私如きが畏れ多いことではございますが、夢に悩まされると仰せであれば、憚りながらこの多嘉螺の領分にございます。まずは姫様を悩ますという夢について、お聞かせいただきとう存じます」
「悩まされるというほど大袈裟なことではないのです」
枢智貴璃は袖で口元を隠しつつ小さく笑いながら、夢の内訳について語り出した。
「私が見る夢には、よく決まった人物が現れます」
宮城で生まれ育った枢智貴璃が見る夢は、やはり宮城の内を舞台にすることが多いという。夢の中で彼女は、豪奢な王宮でかくれんぼをしたり、中庭を駆け回ったり、桃の木によじ登ろうとしたりしていた。
「いつもおとなしくしていなさいと躾けられていた、その反動でしょうか。夢の中の私は、随分とお転婆なのです」
夢を語る枢智貴璃の笑顔は、年相応の少女らしい。王族の姫として厳しく教育されてきただろう彼女が、夢の中でぐらいは羽目を外したくなる気分は、多嘉螺にも伝わった。
「そんな具合に夢の中で遊び回る私に、常に寄り添う人影がありました。多分、私よりもひと回りほど年嵩。私がどんなに好き勝手に振る舞っても、いついかなる時も一緒。でも思うところは率直に口にされる様な、快活な御方。彼は一向に名乗ろうとしないから、私は勝手に夢中の君と呼んでおりました」
なるほど、と多嘉螺は口に出さず頷いた。どこまでも枢智貴璃を見守り続けるだけでなく、彼女に対しても裏表のない存在。それがこの姫にとっての夢中の君か。
枢智貴璃が宮中で目にする男といえば、それこそ単慶の様に優雅な振る舞いが板についた殿方ばかりだろう。周りには礼儀を繕うことに長じた男ばかり。そして自身も堅苦しいしきたりの遵守を強いられてきた彼女が、その対極にありそうな男性に憧憬を抱いても不思議ではない。
宮中で生まれ育った籠の鳥が、小さな胸の内に理想の男性像を育んできた様を想像する。多嘉螺には微笑ましいと同時に、少なからぬ羨望が胸の内に湧く。
「でも不思議なことに、夢から醒めると、私はいつもあの御方のお顔を忘れてしまうのです。夢の中ではあんなに何度も、はっきりと目にしているはずなのに。その度に、私は自分がこれほど情の薄い女なのかと嫌気がさすのです」
それは無理からぬことだと、多嘉螺は考える。
結局のところ枢智貴璃の夢中の君とは、彼女の憧れが高じて夢の中に象られた、言うなれば
「ご安心ください、姫様」
ひと通り語り終えたと見える枢智貴璃に向かって、多嘉螺は恭しく口を開いた。
「自己嫌悪に陥る必要は何もございません。夢中の君とは、いずれ姫様が巡り会うに違いない殿方が、
「でも肝心のお顔がわからないようでは、いざ出会った際に気づくこともできないのではないでしょうか」
不安げに訊き返す枢智貴璃に、多嘉螺は心配無用とばかりに微笑んでみせた。
「見目に覚えがなくとも、彼の人となりについて、姫様は十分すぎるほどご存知のはず」
「それはもちろんです。何しろ物心ついて以来、何度も夢の中で共にしてきたのですから」
「では、あとは
もっともらしい口上を述べながら、多嘉螺は部屋の隅を飾る龍神像に目を向けた。
「それにしても聞くにつけ、夢中の君とは龍神を連想させます。気儘に振る舞いつつ天上からこの世を見下ろす龍神と、姫様にも遠慮なく、だがどこまでも共する夢中の君。どこか似通うところがあるように思えてなりません」
さすがにこじつけが過ぎるだろうか。だが多嘉螺の言に、枢智貴璃は、まるでついに真実を知ったかの如く目を見開いた。
「言われてみればごもっともです。夢中の君とは、もしや龍神様の遣いなのでしょうか」
「そこまではなんとも。ですがたとえば――」
多嘉螺は龍神像から目を外すと、既に彼女の言葉を疑う素振りもない姫君に向かって、意味深な視線を投げかけた。
「――龍神の棲まうところ、海や河に縁のある方であれば、夢中の君の面影があるやもしれません」
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