六之三

 城中を吹き抜ける風に、温みを感じる。

 春の兆しがそこかしこに訪れつつあるりょうの城中を、多嘉螺たから如朦じょもうは連れだって歩いていた。目指す先は、宮城でも知らぬ者はない、今をときめく青年官僚・単慶たんけいの屋敷である。

 先日の耀ようの神獣安眠祈願祭に招かれた礼に、手元の逸品を寄贈するため――というのは、もちろん名目だ。宮中で要職を務める単慶であれば、枢智貴璃すうちきりについて人柄なり詳しく知るだろうと見込んでの訪問であった。

「それにしても年明けからこちら、城中には随分と見慣れぬものが増えた」

 ゆるゆると都の大路を歩きながら何気なく辺りを見渡せば、大店の店頭や民家の軒先、共同井戸の屋根の上など、あちこちに飾られる像が目に入る。大きさも姿形も様々な像は、いずれも『神』を象ったものだという。

「私たちが耀を訪れている間に、稜では変怪へんげを神と呼ばわるようになったらしい。知っていたか、如朦」

「いえ、私も驚いております」

 先ほども、通り過ぎた店先に据え置かれた隠銭徒いんせんとの木像を見て、如朦は興味深げに細い目を凝らしていた。

「ただ、変怪を神像に象り拝めば、災いを退けて福を招くという思想は、似たような話を聞いた覚えがあります」

「ほう」

「ですがどこで聞いたものか、今ひとつ覚えが定かでない。もしやすると、夢に見た記憶やもしれません」

 如朦が呟くと、半歩先を歩いていた多嘉螺の足が、ぴたりと止まった。

「それは我らの暮らす、この常夢とこゆめの世を指すのか。それともそなたがこの世で眠りにつく間に見る夢か」

 肩越しに振り返りながら、多嘉螺のくっきりとした黒いまなこが、如朦を見返している。問うような視線に気づいて、如朦は小さく笑い返した。

「紛らわしい物言いをしてしまいました。常夢の世に現身うつせみとして顕現する私が、眠る間に目にするものを、果たして夢と呼ぶべきか否か。いずれにせよ、曖昧な記憶です」

 如朦の穏やかな笑顔は、安心を誘う。彼の正体を知る多嘉螺であればなおさらだ。

 だがこの時の多嘉螺は胸の奥に、これまでに経験のない、微かな落ち着かなさがあるように感じた。

「単慶殿の屋敷に着いたら、そなたは戻って良いぞ。帰りの付き添いは、単慶殿の家人にお願いする」

 如朦の言葉に頷くでもなく、多嘉螺はそれだけを口にすると、ただぷいと前を向いてしまった。


 ***


 単慶たんけいの屋敷を訪れた多嘉螺たからが客間に通されると、そこに待ち受けるのは、ずらりと陳列された数多の神像たちであった。

「昨今の都に出回る神像が、果たしてどれほどあるものかと思い立ち、つい色々と買い集めてしまいました」

 単慶が指差す先には、多嘉螺にも馴染みの深い変怪へんげ――もとい神と思われるものから、何を象ったのかもよくわからない奇天烈な像まで、まさしく千差万別。都で流行り始めてから一年も経ていないだろうに、よくもまあこれだけ様々な神像が、雨後の筍の如く生えてきたものだ。

「世の中にこれほど神が溢れていたとは、私も驚きました。中でも人気があるものといえば、やはりこれ」

 単慶が多嘉螺の前に差し出したのは、おそらく太い丸太から彫りだしたのだろう、長い身体をねじらせながら天に昇ろうとする、龍の木像であった。その凶相といい神々しさといい、よほど腕のある彫り師の作と思われる。かつて揖申いしんが描いた龍には及ばないものの、目の前の像には多嘉螺も思わず息を呑む迫力があった。

 その他にも、数多の像の群れをよく見れば、龍神像が最も数多い。

「数多ある神々の内でもとりわけ畏れられるのが、この龍です。龍神道りゅうじんどうが広まるのも、ある意味当然というべきでしょう」

「祈願祭の騒動は私も耳にしましたが、龍神道とはそれほどまでに勢いを増しているのですか」

 多嘉螺は尋ねつつ、微に入り細に入る龍神像をほれぼれと眺める。その横顔に苦笑しながら、単慶が答えた。

「近頃では民草のみならず、宮城の貴人にも龍神道に傾倒する者が見受けられます」

「ほう、貴人にも龍神道の信者が」

「たとえば枢智貴璃すうちきり様は、そのひとりです」

 ここでその名が出てきたことに、多嘉螺たからは少なからず驚いた。が、すぐさま単慶が明かしたところによれば、彼は呂酸りょさんが多嘉螺に相談したことを、当の呂酸自身から既に聞き及んでいたのだという。

「貴璃様には、我々廷臣も頭を悩ませているのです」

 枢智貴璃が上紐朗じょうちゅうろうとの婚姻に首を縦に振らないという件は、宮城でも懸念の材料らしい。秀麗な眉目を曇らせながら、単慶たんけいは深く息を吐き出した。

「陛下はもちろん、渓口けいこう公も承諾されているというのに、当の本人ばかりが頑なに拒まれています」

 渓口公とは、枢智貴璃の父親のことである。

 当代旻びん王の血統とは数代前に分かれたが、今なお枢智の姓を名乗ることを許されているということは、代々の重鎮の家系ということだ。稜と旻の旧都・桓丘かんきゅうとを結ぶ途上にある渓口を領するため、渓口公と呼ばれている。

 もっとも公自身は稜の宮城に居を構えて、領地たる渓口の経営は代官に任せている。娘の枢智貴璃が稜で生まれ育ったのも、そういうわけであった。

「単慶殿にも、貴璃様のご心中は窺えぬということですか」

 多嘉螺たからの問いに対して、単慶は心苦しげに顎を引いた。

「これでも婦人の本心は読み解けるつもりでおりましたが。いささか思い上がっていたようです」

 単慶の優雅な立ち居振る舞いには、男女を問わず惹きつける気品がある。彼が真摯に尋ねれば、どんな婦人もつい本音をぽろりと打ち明けてしまうものだ。その単慶を持ってしても聞き出せないというのだから、枢智貴璃が上紐朗を受けつけない理由とは、よほど根深い。

「貴璃様はただ、『私には既に、夢の中に出会う運命の人がいます。夢中の君こそが、龍神様の思し召し』と仰るのみです」

「夢中の君、ですか」

 それはまた、いかにも箱入り娘が口にしそうな、憧れの男性の喩えだ。

 夢の中でしか見たことのない、うつつでは未だ会ったはずのない男性に、恋い焦がれてしまうとは。見も知らぬはずの想い人まで生み出してしまう、夢とは人間に許された特権であると、多嘉螺は思う。

「貴璃様の想い人が誰か突き止められれば、いかような手立ても取れるでしょう。ですがあのひと言だけでは、さすがに我々もどうしようもありません」

「話に聞く限り、貴璃様はほとんど宮城の外に出られたことがないのでしょう。では必然的に、宮中に出入りされているどなたかではないのですか?」

 それこそ単慶が想い人そのひとであると言われれば、誰しも納得しそうなものだ。しかし単慶は苦笑しながら、「幸か不幸か、私ではありません」と首を振った。

「しかし貴璃様と上紐朗様との婚姻に、多嘉螺様まで関わられているとは、これも何かの縁。どうでしょう、いっそ多嘉螺様から貴璃様に直接お尋ねになられてみては」

 単慶はさりげなく申し出たが、彼の提案はかなり大胆と言えよう。

 枢智貴璃は、分家とはいえ枢智姓を名乗る、王族の一員である。王家の姫君と直接口をきくなど、そんなことが可能なのか。多嘉螺が問い返すと、単慶はむしろ縋るような口振りで言った。

「おふたりの婚姻は、宮城も望むところなのです。が、何しろ我らも万策尽き果てていたところ。多嘉螺様が貴璃様のお心を動かしていただけるというなら、我らも喜んで協力いたしましょう」

 深窓の姫君について情報を聞き出すだけのつもりが、呂酸りょさんのみならず、まさか単慶にも懇願されようとは。さらなる期待を背負わされて、多嘉螺はいよいよ後に退けないということを思い知るばかりであった。

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