六之二

「というわけで、闇充あんじゅうもほとほと困り果てているそうです」

 呂酸りょさんから一連の経緯を報されて、多嘉螺たからは心底呆れた顔を浮かべた。

「己に嫁がせるべく、花嫁を説き伏せろとは。りんの島主は、よほど臆面がないと見える」

 多嘉螺の酷評に、傍らの如朦じょもうがあえてという具合に口を挟む。

「しかし闇充様の文によれば、上紐朗じょうちゅうろう様とは裏表のない、気持ちの良い人物とも取れませんか」

「それにしても限度があろう」

 如朦の言葉を、多嘉螺は一蹴した。

「造船工房を拒む口実と言われた方が、まだ頷けるわ」

「なるほどと言いたいところですが、可能性は薄いでしょうな。鱗の島主が前々から王家との繋がりを欲しているのは、皆が知るところ。花嫁さえその気になれば念願が叶うという機会ですから、藁をも掴みたい島主の本心かと」

 呂酸の指摘は妥当だったから、多嘉螺はふんと鼻を鳴らして横を向いた。視線の先には、中庭の池の畔に植わる、桃の木々が並んでいる。

 枝の先には蕾がいくつも連なって、もう間もなく芽吹こうとする様子が春の訪れを予感させた。珍品奇品に埋もれたこの離れの一室から、戸を開け放って庭を眺めるには、ちょうど良い頃合いである。

 今日呂酸が多嘉螺の屋敷を訪れたのは、闇充の故郷・びょうを目指す船造りの進捗状況の報告のためだ。何しろ多嘉螺は船造りに少なからぬ額を出資している。協力者たる彼女への定期報告は、呂酸の義務であった。

「上紐家は海賊上がりということで、どうしても稜の宮城からは低く見られがち。そこで王族を娶り、家格の権威付けを狙っています」

 そして鱗は今や、内海を支配する商業国家・いつに次ぐ、海運の要である。その鱗を繋ぎ止めるためなら、旻王家も上紐家との絆が深まることを歓迎するだろう。

 つまり今回の婚姻は、多くの人々にとって益があるということだ。ただひとり、当事者である花嫁ひとりを除いて。

「その花嫁とは、どういう女性なのだ」

枢智貴璃すうちきり様ですか。私も人づてに聞いただけですが」

 呂酸によれば、枢智貴璃とは宮城の奥深くで大事に育てられた、ひと言で言えば深窓の令嬢。宮城の外を出歩くことも稀で、ましてや稜の城外に顔を出すなど数えるほどしかないという。

 そんな箱入り娘が、よりにもよって稜からはるか離れた鱗の、それも海賊上がりの島主の元へ嫁げと言われれば、全力で拒否されても仕方ないというものであった。

「貴璃様ご自身は王家の姫君らしい、素直で明るい御方と聞きますが」

「傍から聞くだけでも、いかにも不釣り合いだな。島主は王家と縁を持ちたいのであって、別にその姫君に執心というわけでもないだろう。他に候補はないのか」

「それが、ちょうど適齢の姫君が、貴璃様しかいらっしゃいません」

 多嘉螺が言うようなことは、とうに検討済みだろう。呂酸はため息混じりに答えてから、さらに言い足した。

「上紐朗様は来月、桃園の会に合わせて稜に上られるそうです。闇充の文には、それまでになんとかならないかとありますな」

「桃園の会といえば貴璃様も当然出席されるだろうから、それが目当てか」

「左様です。そこで多嘉螺様には、ひとつお願いがございます」

 脇息に凭れたままきょとんとした多嘉螺に向かって、呂酸は両膝をにじり寄らせた。

「貴璃様が上紐朗様に心を開かれる術などないか、多嘉螺様には何か良きお知恵はございませんでしょうか?」

 呂酸の申し出を聞いて、多嘉螺は文字通り目を丸くする。

「なぜ私に訊く?」

「多嘉螺様ほどの方であれば、男女の心の機微にも当然通じてらっしゃるでしょう。恥ずかしながらこの呂酸、宮城に効く顔は持ち合わせても、深窓の令嬢を説く術には甚だ心許なく。ここは才色を兼ね備えた貴人たる多嘉螺様のお知恵を、是非とも拝借したいのです」

 おもてを伏せる呂酸の頭を、多嘉螺は何度も目をしばたたかせながら見返している。

 そして彼女の傍らで如朦が口元を手で覆う様は、どう見ても噴き出しそうなところを堪えている仕草であった。


 ***


「笑いすぎだ、如朦じょもう

 多嘉螺たからに横目で睨まれても、くつくつという忍び笑いがやまない。如朦は目尻の涙を拭う素振りまで見せながら、多嘉螺の顔を見返した。

「これでも呂酸りょさん様がお帰りになるまで我慢したのですよ」

「恩着せがましく言うな。まったく失礼な奴だ」

「多嘉螺様こそ、なんとかしてみせようなどと安請け合いされて。本当に大丈夫ですか」

 ようやく笑声を収めた如朦が、それでも笑みの抜けきれない顔で尋ねた。

「ああまで言われては仕方なかろう」

 多嘉螺は肩をすくめるほかない。

「それに島主の嫁取りが上手くいかねば、闇充あんじゅうの船造りも遠のくというなら、他人事ではない」

「それはその通りですが」

 船造りに多大な出資をしているという点で、多嘉螺もまた当事者のひとりである。確実な見返りを求めるとは言わないが、出資先が困るというなら相談に乗らないわけにもいかなかった。

「しかし天下の呂大人の目まで欺くとは、さすがは多嘉螺様」

「別に進んで欺いたつもりはないぞ」

「そうは言いましても、多嘉螺様が男女の機微どころか、男性については童女にも及ばぬとは、まさか呂酸様も想像できますまい」

 そう言う如朦の口元から、再び笑みが漏れる。彼がここまで声を出して笑うのは珍しい。ただ彼を笑わせる理由が理由だから、多嘉螺としては面白くない顔しかできなかった。

「私が童女程度かどうかなどどうでも良いのだ。私が望めば、必ずかなうのだろう? 他ならぬそなたが、そう言い切ったのだぞ」

 多嘉螺が八つ当たり気味に問い詰めると、如朦はおもむろに穏やかな面持ちを取り戻し、静かな口調で断言した。

「無論です。多嘉螺様が真に望まれるのであれば、その願いは必ずやかないましょう」

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