第六話 花嫁は運命の君の姿を夢中に見る

六之一

 かつて南天大陸は、紅河こうがが流れる西方を耀ようが、東方をびんが、南をさんが治める、三国鼎立の時代が長かった。

 旻は農耕に適した広大な土地を有していたが、領内に流れるのは湖沼に至る中流以下の河川ばかりで、海に至る大河には恵まれなかった。なおかつ東外海とうげかいに面した東岸は海菖かいしょうという蛮族に占められ、内海に面した北岸は海賊衆たちの根城とされ、水運に頼ることができなかった。旻が耀を征服した最大の動機は、紅河という水運の大動脈を欲したためである。

 時を同じくして、旻は北岸の海賊衆のひとり上紐譲じょうちゅうじょうを懐柔し、ついに海に面した土地を手に入れた。上紐譲は旻の風下に立つ代わりに、北岸から程近いところにあるりんという島嶼群の支配を許された。上紐家は島主という肩書を得て、今も鱗に君臨している。

 当代の島主・上紐朗じょうちゅうろうは、上紐譲から数えて四代目に当たる、青年といって良い年頃だ。鱗の島々の中でも最大の島の、小高い丘の上に建つ島主の館で、闇充あんじゅうはその上紐朗と今まさに対面していた。

「見ればみるほど、その黒い顔が本物とは未だに信じがたい。そなたほど全身漆黒を纏う者は、天下広しといえどもそうはいまい」

 島主の謁見の間で、上座に座る上紐朗の声には、純粋な驚愕の響きがあった。中背ながらがっしりとした体つきを揺すらせて、上紐朗は己の潮焼けした褐色の肌を棚に上げながら、闇充の見目を指摘する。

 闇充にしてみれば異形を驚かれるのは今さらのことで、気にするほどのことでもない。ただ上紐朗の場合、船で全国から訪れる人々を散々に見尽くしてきたからだろう。闇充の黒々とした顔を見て驚きはするものの、口調に蔑みはない。

 好奇心を素直に口にする彼の態度は、闇充にとって不快なものではなかった。

「畏れいります。このなりなので、都でも目立つこと目立つこと。ただひと目見れば忘れられることがありませんので、知己を増やすには助かっております」

「なるほど。そなたは異形であることをわきまえて、伝手を広げるのに役立てているのだな。そういうしたたかな考え方は、わしも好きだ」

 上紐朗は太い首を上下して、大きな口の端に笑みを浮かべた。この青年島主は会談の当初から、闇充には比較的好意的に思えた。これなら交渉の先行きも明るいかもしれない。

「島主様、そこで話をお戻ししますが、造船工房の件はいかがでしょう」

 それこそが、闇充がわざわざ鱗を訪れた目的であった。

 闇充は主人・呂酸りょさんと共に、彼の故郷・びょうに渡る巨大船の建造を目指している。そのためには南天北天の従来の船ではなく、闇充が持つ故郷の知識を活かした造船が必要と考えた。だが新規の造船工房を設けるとなると、稜の川港は既に手狭で入り込む余地がない。それに紅河がいくら大河といっても、新型の巨大船を浮かべるには水深に不安がある。

 そこで彼らは、旻の海運の拠点である鱗に、新たな造船拠点を新造することを思いついたのだ。

 闇充が上紐朗の元を訪れたのは、造船工房の建築の許可を求めるためであった。

「造船工房の新設は、鱗にも十分な見返りがございます。人々には多くの職を提供し、またそこで培われた技術は、今後の鱗の造船にも役立つこと間違いありません。もし島主様がお望みであれば、後々工房を丸ごとお引き渡し致しましょう」

 闇充の申し出は、破格であった。新たな造船技術を工房ごと引き渡すなど、まともな算段があれば口に出せるものではない。

「聞けば聞くほど、儂には益しかないように思える。だがそこまで譲歩する、そなたの意図が汲めん」

 上紐朗は率直に訝しがった。彼の不審も当然のことであろうと、闇充は用意していた答えを口にする。

「これは商いではないからです。言ってみれば、我が主・呂酸りょさんの酔狂。呂酸は海の向こうにあるはずの我が故郷・渺を目指すことに、今後を賭するつもりでおります。そして彼の酔狂に興味を示された方々からも、多くのご協力を頂いております」

「ふむ、そこまで多くの人々を巻き込んでの酔狂か。儂のように島主という立場には、いっそ羨ましいほどだ」

 地位には果たすべき責任が伴う。そこは闇充がいた渺も南天も変わらない。島主が漏らした感想に偽りは感じられなかった。

「そなたたちの酔狂に、儂も大いに共感する。また申す通り、鱗にも多大な恩恵があるだろう。この地に造船工房を設けること、認めるにやぶさかではない」

 だが闇充の申し出を無条件に呑み込むほど、島主も素朴ではない。上紐朗は「ただしその前に、ひとつ頼みがある」とつけ加えることを忘れなかった。

「手前にできることであれば、なんでもお申しつけください」

 上紐朗からなんらか条件をつけられることは、当然想定内である。おもてを伏せながら闇充は恭しく用向きを尋ね、上紐朗がにやりと笑う。

「これはまだ内々の話なのだが、儂は近々、旻王家に縁ある者を室に迎えるつもりだ」

「それはそれは、おめでとうございます」

 闇充は白々しく祝辞を口にした。上紐朗が旻王家に働きかけて姻戚を結ぼうとしていることは、鱗を訪れる前から既に調査済みであった。相手は王家の分家筋の娘、枢智貴璃すうちきりと聞いている。

 ところが闇充の祝辞を聞いて、上紐朗は俄に太い眉根を下げた。

「それがだな。王家も関係者も認めてくださったのだが、肝心の花嫁がうんと言わぬ」

「それはまた。何故でしょう」

 つい訊き返してしまったのは、後から考えれば闇充の迂闊であった。上紐朗は精悍な顔つきに似合わぬ自嘲を浮かべる。

「鱗などという辺鄙な土地の、しかも海賊を出自とする島主の元に嫁ぐなど、耐えられぬということなのだろう」

 自虐混じりに打ち明けられても、なんと答えてよいものか。闇充が無言のまま判断に迷っているところに、上紐朗はずいと顔を突き出した。

「儂如き鱗の島主には、りょうに格段の伝手はない。一方で呂家は稜どころか旻でも屈指の大商家。きっと儂にも及ばぬ王家の伝手もあろう。そこでそなたには、花嫁が儂の元に嫁ぐよう、なんとか説き伏せてもらいたいのだ」

「花嫁の、説得ですか?」

「そうだ。見事成し遂げた暁には、鱗の好きな土地に造船工房を築くことを許そう」

 上紐朗の出した条件は、闇充の予想からはるかに外れたところにあった。だがここで彼の頼みを断れば、造船工房の建設はまた一から練り直しとなるだろう。

 当惑を胸の内に抑え込みながら、闇充は上紐朗が出した条件に頷くしかなかった。

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