第六話 花嫁は運命の君の姿を夢中に見る
六之一
かつて南天大陸は、
旻は農耕に適した広大な土地を有していたが、領内に流れるのは湖沼に至る中流以下の河川ばかりで、海に至る大河には恵まれなかった。なおかつ
時を同じくして、旻は北岸の海賊衆のひとり
当代の島主・
「見ればみるほど、その黒い顔が本物とは未だに信じがたい。そなたほど全身漆黒を纏う者は、天下広しといえどもそうはいまい」
島主の謁見の間で、上座に座る上紐朗の声には、純粋な驚愕の響きがあった。中背ながらがっしりとした体つきを揺すらせて、上紐朗は己の潮焼けした褐色の肌を棚に上げながら、闇充の見目を指摘する。
闇充にしてみれば異形を驚かれるのは今さらのことで、気にするほどのことでもない。ただ上紐朗の場合、船で全国から訪れる人々を散々に見尽くしてきたからだろう。闇充の黒々とした顔を見て驚きはするものの、口調に蔑みはない。
好奇心を素直に口にする彼の態度は、闇充にとって不快なものではなかった。
「畏れいります。この
「なるほど。そなたは異形であることをわきまえて、伝手を広げるのに役立てているのだな。そういうしたたかな考え方は、
上紐朗は太い首を上下して、大きな口の端に笑みを浮かべた。この青年島主は会談の当初から、闇充には比較的好意的に思えた。これなら交渉の先行きも明るいかもしれない。
「島主様、そこで話をお戻ししますが、造船工房の件はいかがでしょう」
それこそが、闇充がわざわざ鱗を訪れた目的であった。
闇充は主人・
そこで彼らは、旻の海運の拠点である鱗に、新たな造船拠点を新造することを思いついたのだ。
闇充が上紐朗の元を訪れたのは、造船工房の建築の許可を求めるためであった。
「造船工房の新設は、鱗にも十分な見返りがございます。人々には多くの職を提供し、またそこで培われた技術は、今後の鱗の造船にも役立つこと間違いありません。もし島主様がお望みであれば、後々工房を丸ごとお引き渡し致しましょう」
闇充の申し出は、破格であった。新たな造船技術を工房ごと引き渡すなど、まともな算段があれば口に出せるものではない。
「聞けば聞くほど、儂には益しかないように思える。だがそこまで譲歩する、そなたの意図が汲めん」
上紐朗は率直に訝しがった。彼の不審も当然のことであろうと、闇充は用意していた答えを口にする。
「これは商いではないからです。言ってみれば、我が主・
「ふむ、そこまで多くの人々を巻き込んでの酔狂か。儂のように島主という立場には、いっそ羨ましいほどだ」
地位には果たすべき責任が伴う。そこは闇充がいた渺も南天も変わらない。島主が漏らした感想に偽りは感じられなかった。
「そなたたちの酔狂に、儂も大いに共感する。また申す通り、鱗にも多大な恩恵があるだろう。この地に造船工房を設けること、認めるに
だが闇充の申し出を無条件に呑み込むほど、島主も素朴ではない。上紐朗は「ただしその前に、ひとつ頼みがある」とつけ加えることを忘れなかった。
「手前にできることであれば、なんでもお申しつけください」
上紐朗からなんらか条件をつけられることは、当然想定内である。
「これはまだ内々の話なのだが、儂は近々、旻王家に縁ある者を室に迎えるつもりだ」
「それはそれは、おめでとうございます」
闇充は白々しく祝辞を口にした。上紐朗が旻王家に働きかけて姻戚を結ぼうとしていることは、鱗を訪れる前から既に調査済みであった。相手は王家の分家筋の娘、
ところが闇充の祝辞を聞いて、上紐朗は俄に太い眉根を下げた。
「それがだな。王家も関係者も認めてくださったのだが、肝心の花嫁がうんと言わぬ」
「それはまた。何故でしょう」
つい訊き返してしまったのは、後から考えれば闇充の迂闊であった。上紐朗は精悍な顔つきに似合わぬ自嘲を浮かべる。
「鱗などという辺鄙な土地の、しかも海賊を出自とする島主の元に嫁ぐなど、耐えられぬということなのだろう」
自虐混じりに打ち明けられても、なんと答えてよいものか。闇充が無言のまま判断に迷っているところに、上紐朗はずいと顔を突き出した。
「儂如き鱗の島主には、
「花嫁の、説得ですか?」
「そうだ。見事成し遂げた暁には、鱗の好きな土地に造船工房を築くことを許そう」
上紐朗の出した条件は、闇充の予想からはるかに外れたところにあった。だがここで彼の頼みを断れば、造船工房の建設はまた一から練り直しとなるだろう。
当惑を胸の内に抑え込みながら、闇充は上紐朗が出した条件に頷くしかなかった。
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