五之三

 南天北天の各地には、神獣信仰に基づいた廟堂が数多ある。その頂点に立つのが耀よう夢望宮むぼうきゅうだが、いくつかの大都市には、夢望宮にも匹敵する規模の廟堂が建立されている。中でもびんの都・りょうの廟堂は、唯一『大廟堂』の名を冠し、他の廟堂とは一線を画す存在だ。

 そして大廟堂の堂主たる大廟堂主の座もまた、序列の上では夢望宮の太上神官に次ぐ地位とされる。

 当代の大廟堂主は、名を沈阮ちんげんという。

 稜で生まれ育った彼は、大廟堂の神官だった父に倣って同じ道に進んだ。いわば生粋の大廟堂主である沈阮は、誰よりも大廟堂を誇り、いずれ夢望宮以上の地位に押し上げるという野心を抱えていた。そのために彼は、旻王・枢智子恩すうちしおんに擦り寄ることも厭わなかった。

 沈阮は大廟堂主となる前から宮城に出入りし、まだ王太子だった頃の枢智子恩に近づいた。彼は王太子の教育を任される傍らで、さりげなく夢望宮の悪評を吹聴し続けた。いわく、夢望宮は先代旻王・枢智黎すうちれいの御代ではおとなしく服していたが、枢智子恩が即位すればきっと実権の回復を目論むだろう、と。

 沈阮の囁きが効を奏したのだろうか。その後に旻王となった枢智子恩は、先代に比べれば明らかに夢望宮と距離を取るようになった。王の振る舞いにほくそ笑みながら、沈阮は大廟堂の内でも着実に権力を掌握し、数年前にはついに大廟堂主に就任した。

 大廟堂主として若い旻王を意のままに操りながら、やがて神獣信仰の頂点の座を夢望宮から奪い取る。彼が枢智子恩に吹き込んだ内容は、実のところ彼自身の自己紹介といって良かった。そして今のところ、全てが彼の企み通りに進行している。

 その彼にとって思わぬ想定外が、足下の稜の城内で生じていた。

「なんだ、その像は」

 その日、大廟堂主の執務室に向かっていた沈阮は、擦れ違い様に廊下の端で頭を下げる若い神官に尋ねた。若い神官は両手の内に、一寸ばかりの鯉に似た木像を抱えていた。

「これは市場で入手しました、井魚せいぎょの像です」

「井魚?」

 井魚といえば、変怪へんげの類いではないか。そのような木像など、何故わざわざ買い求めたのか。

「ここのところ、どうも境内の井戸に濁りが多く。井戸の神である井魚の像を飾れば水が澄むと聞き、試しにと思いまして」

「井魚の像など初めて見た。それ以前に、神という呼称からして初耳だ」

「ご存知ありませんか。変怪を像に象り神と呼べば、彼奴きゃつらのもたらす災いを防ぎ福を受け取れると、市井ではもっぱらの噂です」

 沈阮がさらに何人かに尋ねたところ、どうやら変怪ならぬ神の像は、稜の城内で秘かに広まりつつあるという。もっとも変怪を模した像が流行ろうと、大廟堂の誰もさして気にも留めないらしい。

 だが沈阮は、これが見過ごしてはいけない事態であると、持ち前の勘が告げた。

 沈阮はその日の内に、城中に出回る神と称される変怪の像を、集められるだけ集めさせた。やがて彼の前に持ち寄られた像は、ざっと見ただけでも二十種類以上。もっとも大きさは様々、また同じ変怪を象ったと言うわりには、似ても似つかぬものも少なくない。

「これらの像は、誰が彫っておる」

 沈阮が問うと、どうやら像の彫り主は特定のひとりというわけではなく、おそらく無名の彫り師たちが小遣い稼ぎに乱造しているのだろうという。すると沈阮はしばらく考え込んだかと思えば、おもむろに顔を上げて命じた。

「大廟堂が抱える彫り師に、変怪の像を彫らせよ。ここにある以外にも、思いつく限りあらゆる変怪を像に象るのだ」

 思わぬ大廟堂主の指示に、部下が戸惑いつつも首を縦に振る。野心家の大廟堂主がいかなる思惑で像を彫らせるのか、部下には見当もつかなかった。


 ***


 りょうの城中にはいつの間にか、神と呼ばれるようになった変怪へんげの像が、当たり前に見受けられるようになっていた。

 そもそも変怪自体は、庶人の生活に馴染んだ存在であった。そこに変怪の災いを防ぎ福をもたらすというわかりやすい縁起物は、人々には思った以上に受け容れられやすかったということだろう。

 何より、変怪もとい神の像が広まることを、大廟堂は禁じようとしない。それどころか、神像に自らお墨付きを与えたのである。

「こいつは大廟堂もお認めになった、正真正銘の神像だ。ほれ、裏にはこの通り、大廟堂主様の印が入ってる」

 神像は、今や市場で都度屋台を開くような行商のみならず、店舗を構えた大店でも取り扱われるようになっていた。もっとも彼らが扱うのは、誰が彫ったかもわからないようなものではなく、大廟堂が認めた彫り師お手製の像であった。無銘の彫り師と異なり、一流の彫り師が仕上げた像は、単に工芸品と見てもその出来映えは段違いである。

 その上に大廟堂が正式に認めたという箔がつけば、値打ちも当然の如く跳ね上がった。

 沈阮は神像を取り締まるのではなく、大廟堂の管理下に置くことで、新たな収入源としたのである。

「しかし大廟堂主様。変怪を神と呼ぶなど、さすがに勝手が過ぎませぬか。夢望宮に聞こえればどのような難癖をつけられるか」

 部下の心配を、沈阮は一笑に付した。

「何を言うか。この世はおしなべて神獣の夢。世に蔓延る変怪たちもまた、神獣の夢が生み出した事象のひとつに過ぎん。つまり変怪――いや、神と呼ぶべきだな。神とは神獣の子のようなもの。神獣の子を神と尊ぶことに、なんの文句がつけられようや」

 さすが大廟堂主の座に就くだけあって、沈阮は神像を流布させるための理屈をあらかじめ用意していた。それ以外にも、たとえばびんの宮城から横槍が入らぬよう、旻王には神像で得た莫大な収入から少なくない上納金を付け届けてある。稜以外の廟堂には、神像売買のすべを教授してやっても良い。であれば彼らから抗議を受けることもないだろう。夢望宮も、耀で神像彫りに精を出せば良いのだ。

 もっとも天下一の大都市・稜を拠点とする、この大廟堂以上に財を成すことはかなわぬだろうが。

 沈阮は高笑いが止まらない。大廟堂の財を積み上げ、その財をもって旻の宮城にさらに食い込んで、大廟堂の地位を一層高みに押し上げる。いずれ稜の大廟堂こそが神獣信仰の頂点であると、夢望宮にも認めさせる。彼には長年胸中に抱き続けた野望が、ついに実現する可能性まで見えてきた。

 だが好事魔多し。大廟堂が煽ることによっていよいよ稜の隅々にまで流布した神像は、沈阮の予想以上の効果をもたらした。

 多くの神は元が変怪に過ぎないから、ありがたがられると言っても気休めのお守り程度、高が知れていた。だがただひとつ、像を彫られる度に美麗を、荘厳を極めていく神があった。その姿を目にすれば、未だ姿形も定かならぬ神獣に代わって、人々の信仰を集めるのも無理もない。そう思わせるだけの迫力と神々しさ、あるいは荒々しさを兼ね備えた変怪といえば、ただひとつ。

 今や天変地異にも勝るという、極めて珍重な変怪である龍に、神獣以上の神性を見出す人々が現れつつある。そのことに沈阮が気づくのは、今少し後のことであった。

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