四之四

 兆薫ちょうくん多嘉螺たからを見る目は、参詣客を迎える神官のものではなかった。それは己の正義を拠り所に罪人を糾弾しようという、少なからぬ非難を込めた眼差しであった。

 彼は最初から、多嘉螺を詰問するつもりだったのだ。

「もしや白野びゃくや人の噂をねじ曲げて伝えたのは、兆薫様のご意向でしたか」

 多嘉螺が問うと、兆薫は分厚い顎肉を掌で撫でながら、微かに口の端を吊り上げた。

「珍奇に目が無いというのなら、白野人の噂を聞けば、きっと耀ようまでお越しいただけるだろうと踏んでのこと。さすが噂に違わぬ好事家でらっしゃる」

「これは、まんまと一杯食わされました」

 兆薫の仕掛けに見事釣り上げられたと種明かしされて、さすがに多嘉螺も面白くない。半ば伏せられた瞼の下から放たれたのは、常の胡乱げな眼差しではなく、冷ややかな眼光であった。

夢望宮むぼうきゅうの神官ともあろう御方が、まさか私ごとき小娘相手に、かように姑息な策を弄するとは」

「こ、姑息だと」

 思わず言い返した兆薫の目と、多嘉螺の掬い上げるような目が合った。

 それまで背筋を伸ばして座していた多嘉螺は、いつの間にかしなを作るかのように足を崩している。心持ち身体を傾けて、上目遣いに兆薫の顔を窺う視線は、刺すように鋭い。

「私に用向きがあるというなら、堂々呼び出せば良いだけのこと。兆薫様は何故、白野人という餌を吊してまで私を招き寄せたのですか」

「多嘉螺様。いかに無礼講とはいえ、言葉が過ぎるのではありませんか」

「どうやら兆薫様は、そのわけを口にできぬ様子。では私が代わりに申し上げましょう」

 そう言うと多嘉螺はおもむろに自ら杯に酒を注ぎ、くいとひと息に呷ってみせた。

 婦人らしからぬ気っぷの良い飲みっぷりに、兆薫ら神官たちも、単慶たんけいまでもが目を丸くする。彼らの顔を見比べつつ、多嘉螺は酒精混じりの吐息をほうと吐き出した。

「夢望宮の名で私を呼び出せば、龍を崇める邪教とやらが存在することを公に認めることになってしまう。邪教の存在はあくまで噂の内に取り潰しておきたい。おおかたそのような目論見でしょう」

 多嘉螺が言い放っても、兆薫は口元を引き結んだまま答えない。

 彼の背後では、神官たちが互いに顔を見合わせながら、ひそひそと囁き合っている。だがその程度の声は、宴の賑やかな声に容易に掻き消されてしまう。

 彼らが多嘉螺を取り囲むのは、このやり取りを周囲から隠す意味もあるのだろう。

「このまま私が邪教の企みとやらを認めぬなら、秘かにこの身を攫って始末しようとでもお考えか。なるほど、無礼講の最中であれば耳目も集めない。所詮随伴の身に過ぎぬ私のことなど、誰も気にとめないでしょう」

「何を仰いますか」

 彼女の言葉に異を唱えたのは、色をなした単慶であった。

「そのような狼藉、この単慶が許しません」

 頼もしい言葉を聞いて、多嘉螺は思わず口の端を弛ませた。

 単慶という青年の心意気は、おそらく信用しても良い。だが一方で、彼はびん王の名代、使節団の一員でもある。夢望宮がどこまで本気かはわかりかねるが、仮に彼らから圧力をかけられた場合はどうなるか。単慶個人が許さずとも、無用な騒ぎを忌避しようとて、旻の使節団が彼に妥協を強いる可能性はありえる――そこまで考えて、多嘉螺は自分が少々先走ってしまったことに気がついた。

 実際のところ、兆薫は警告以上は考えていまい。でなければこのような宴席の場で脅しにかかるなど、いくらなんでも軽率すぎる。少々の脅し文句で締め上げれば恐れをなすだろうという、その程度の目算だったろう。

 だが多嘉螺は畏れいるどころか、まるで兆薫たちを非道な輩とばかりにあげつらい、あげく単慶まで彼女に加勢する始末。最早彼らとしては、多嘉螺を何らかの形で思い知らせなければ、引くに引けないに違いない。その証拠に、つい先刻までは余裕を湛えていたはずの兆薫の顔が、今や茹で上がったように真っ赤に震えている。

 そこまで兆薫を追い詰めて、多嘉螺としては十分に溜飲が下がったのだが、さてこの後をどうすべきかといえばなんの考えもない。ここで大声でも張り上げて衆目を集めるなりすれば、この場は乗り切れるだろう。だが明日以降、というよりも今後、耀からは出入禁止を言い渡されるかもしれない。

 神獣の眠る地底湖を祀るという最古の城市・耀には、未だ見たこともない珍品奇品が多く秘されていると聞く。その耀から閉め出されるのは、多嘉螺としても甚だ都合が悪い。

 多嘉螺が惚けた顔で打開策を探り、兆薫は歯を軋らせながら全身を震わせ、単慶はいつでも両者に割って入るよう片膝を立てて構えている。

 三者の間に流れる剣呑な沈黙を打ち破ったのは、多嘉螺の傍らから、不意に聞こえた声であった。

 周囲を喧噪が埋め尽くすはずの宴席にあって、その声は極めて静かだというのに、どういうわけかよく通って聞こえた。

「あの変怪へんげに龍という名を与えたのは、私です」

 多嘉螺も、兆薫も単慶も、一斉に声の主に顔を向ける。

 視線の先には、彼らを穏やかに見返す如朦じょもうの顔があった。



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