四之二

 びんの使節団が耀よう入りしたのは、神獣安眠祈願祭の二日前のことである。まず宿所へと案内された一行には、到着早々大事な仕事があった。全国津々浦々の廟堂に務める神官たちを、遍く束ねる夢望宮むぼうきゅうの長――太上だじょう神官への拝謁である。

「太上神官猊下げいかといえば、かつてはこの世の至上の人とも呼ばれた方でしょう。そのような方に、私ごときが拝謁など賜ってもよいものか」

 使節団が太上神官に拝謁する最中、多嘉螺たからは観光がてら、参詣客に湧く耀の城中に繰り出すつもりであった。

 ところが単慶たんけいから共に拝謁することを促されて、その上に如朦じょもうにも「猊下のご尊顔を拝し奉るなど、稀なる幸甚ですよ」と快く送り出されてしまって、いきなり腹積もりが狂わされてしまった。

 夢望宮の長い廊下を歩きながら、なおも往生際の悪い多嘉螺の言い分に、単慶は声を立てずに笑った。

「それは旻が南天を治むる以前、耀の天下だった頃の話でしょう。当代の猊下はまつりごととは無縁です」

 現在の耀は、国家としての体裁こそ保たれているが、実際には旻という強国の庇護下にある一都市に過ぎない。自然、太上神官とは、神獣信仰の象徴的な存在へと性格を変えている。

「その手にまつりごとを預かった太上神官といえば、百年ほど前の超魏ちょうぎ太上が最後ですね」

「超魏太上?」

「歴代の太上神官でも五指に入るとされる賢人ですよ。超魏太上は、かの枢智蓮娥すうちれんが女王の説得を容れて、耀の城市を無血開城された方です。当時の太上神官にはなかなか難しい決断だったでしょう。ですがその英断のお陰で、耀は今もこうして昔の面影を残したまま、神獣信仰の中心であり続けています」

 旻は耀を征服して、南天一の大国となった。つまり超魏とは旻に屈した太上神官なのだが、その潔い降伏ぶりがかえって評価されているという。征服した側の旻人から見た都合の良い解釈であろうが、一面の真理といえなくもない。

「もっとも超魏太上といえば、賢人である以上に興味深い伝説がございます」

 単慶の物言いは、さも面白げな話題とばかりに匂わせて、多嘉螺の好奇心を敏感に刺激する。彼女はそれまでの気怠げな表情から一変して、単慶に艶然とした笑みを投げかけた。

「私がその手の話に目が無いことを知って、勿体をつけられるとは。単慶殿も意地が悪い」

「これは失礼。いや、私も夢望宮の知人づてに聞いた話ですが」

 端正な顔に慌てるような素振りを見せて、単慶はことさら声をひそめて告げた。

「超魏太上はかつて、神獣の現身うつせみにお会いしたことがあるという伝説が、この耀ではまことしやかに囁かれているそうです」


 ***


 太上神官への拝謁には、多嘉螺たからが予想した以上の時間を要した。

 耀ようの神獣安眠祈願祭に参詣するのは、びんだけではない。げんさんもまた王の名代を寄越し、商人が統べる内海の雄国・いつからは頭領衆の顔役が自ら訪れていた。

 ほかにも各都市の代表なりその名代なりが数多く参詣し、そういった公式な使節たちが、太上神官との拝謁のために列を成す。しかも拝謁順は、夢望宮に到着した順なのだ。

 耀は各国各都市を平等に扱うという建前を掲げているから、たとえ庇護者たる旻王の名代であっても、その順番が繰り上がることはない。

 多嘉螺が当代の太上神官の皺くちゃの顔を拝し終える頃には、既にとっぷりと陽が暮れ落ちて、昏い空には星々が瞬き始めていた。

「もうこんな刻限になってしまったではないか」

 宿所に戻った多嘉螺が、疲れ果てた顔でぼやいた。が、如朦じょもうは涼しい顔で受け流す。

「天下の太上神官猊下との拝謁がかなったのですから、それぐらいの労は当然でしょう」

「まあよい。祈願祭目前であれば、街明かりが消えるにはまだ間があろう。耀の夜を楽しみに参るぞ」

「この後は各国の使節団を招いた宴席が用意されていますよ」

「私はただの随伴者だぞ。そんな大仰なものに参加する謂われがない」

「既に単慶たんけい様からお誘いを頂いております。ありがたいことに私までご相伴を許されました。もし欠席するようなら、単慶様のお顔に泥を塗ることになりますよ」

 そこで自分ひとりが誘われたのであれば多嘉螺は構わず辞退しただろうに、如朦まで招待されれば否とも言えない。

 おそらくそこまで見透かされた上での、単慶らしい行き届いた配慮である。

「年始までは我慢なさってください。その後に祭を楽しむいとまぐらいはあるでしょう」

 それに、と如朦が言い足した。

「今宵の宴席には、噂の白野びゃくや人も同席されるのではありませんか」

「――そうであった!」

 それまでひそめられていた多嘉螺の眉間が、如朦の言葉を聞いた途端にぱっと開いた。

 未だ謎めいた白野人をこの目で見るためならば、宴席の煩わしさなどささいなことではないか。わざわざ耀まで赴いた本来の目的を忘れるとは、迂闊にも程がある。

 先ほどまでの億劫そうな表情などどこへやら、多嘉螺の顔中に待ちきれないという笑みが広がる。その横顔を眺めながら、如朦が小さく苦笑を浮かべた。

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