第四話 多嘉螺は耀を訪ね神官と龍を語らう

四之一

 旧年を送り、新たな年を迎える祝いを、神獣安眠祈願祭という。

 その名が示す通り、本来は新年に際して神獣がいつまでも安らかに眠り続けることを祈る、厳かにして静粛な儀式である。だが歳月を経て多くの人々に祝われる内に、いつしか南天北天を問わず、一年で最も賑やかしい祭事となった。

 今では毎年、全国各地の廟堂で祈願祭が催されている。中でも神獣信仰の聖地である耀ようの祈願祭は最も格式が高いとされ、訪れる参詣客も多い。

「今年の祈願祭は、耀ようで迎えようと思う」

 多嘉螺たからがそう告げたのは、年の瀬が押し迫り、りょうの城市にもちらほらと初雪が舞い始めた折りのことだ。彼女の前に淹れ立ての茶を満たした茶杯を差し出しつつ、如朦じょもうが言った。

「耀はここより南とはいえ、標高が高いから寒いですよ」

「年寄り臭いことを言うな。なんでも今年は、げんの使者が白野びゃくや人を伴うという噂なのだ。これは見逃せんだろう」

 茶杯を両手に抱えながら、多嘉螺の声音には軽い興奮がある。

 白野とは、北天の大国・玄よりもさらに北、天まで届きそうな山々の奥に広がるという一帯の総称だ。

 頂上から麓まで雪に覆われる様から大銀嶺と称される山の向こうに、果たしてどのような世界があるものか、そこにどのような人が棲まうのか。未だ正体を知る者は無い、未踏の地である。ただ陸続きの玄であれば、交流まではいかずとも、白野についてなんらか知る者がいても不思議ではない。

 しかし玄の使者が白野人を祈願祭に伴うとなると、一足飛びに現実味を帯びる。珍し物好きな多嘉螺がいかにも食いつきそうな話だ。

「その噂、いったいどこで仕入れられたのですか」

 如朦に尋ねられて、多嘉螺は茶を啜っていたおもてを上げた。

単慶たんけい殿だ。先日、呂酸りょさんの店に立ち寄った際にばったり鉢合わせてな。そこで彼から聞いた」

 単慶の名前を聞いて、如朦は納得した。

 単慶は、稜の宮城に仕える、由緒正しい単家の若者だ。最近は貴人の嗜みとして稀覯品蒐集にも手を染めているらしく、多嘉螺とはその縁で知り合ったと聞く。

 多嘉螺は同好の士である単慶をこの屋敷に何度か招いてるから、如朦も彼とは面識があった。名門出身らしく見栄えから気質まで品の良い青年だが、とりわけ多嘉螺の横顔を眺める際にしばしば見せた、陶然とした表情が記憶に残っている。

「単慶殿はこの度、耀の祈願祭に派遣される、陛下の名代の一員に選ばれたそうだ」

「ほう。お若いのに大したものですね」

「で、名代は何名か随行者を連れていけるのだが、私に是非とお声掛けいただいた」

「それはそれは」

 如朦は口元につい微笑を浮かべた。

 ここは単慶の努力が実るかどうか、傍から行く末を眺めさせてもらうのが、分をわきまえた振る舞いというものだろう。多嘉螺はいかに応ずるつもりか、いずれにせよ如朦が口出しすることではない。

「畏まりました。屋敷の留守はお任せください」

 耀の祈願祭を心ゆくまで堪能できるよう、そう告げたつもりの如朦に、多嘉螺がきょとんとした顔を見せた。

「何を言ってる。そなたも一緒だ」

「私もですか?」

 如朦が驚いた声を上げると、多嘉螺は目の端から視線だけを寄越しながら、口角をくいと上げた。

「安心しろ。単慶殿にはもちろん伝えてある」

 単慶の申し出の裏にあるものは、多嘉螺も当然察しているだろうに。あからさまに気づかぬ素振りをされる若者に、如朦はさすがに申し訳なく思った。

「何しろ私には初めての耀だ。名にし負う古都がどれほどのものか、それだけでも興味が湧くというもの」

 多嘉螺は今から待ちきれぬというように目を細めつつ、ふと何か気づいたという顔で如朦を見返した。

「そなたは久しぶりになるか。懐かしかろう」

 すると如朦は細い目を一瞬だけ軽く見開いたが、その顔はすぐにいつもの穏やかな表情に取って代わった。

「随分と昔のことになります。今はもう、すっかり見違えていることでしょう」


 ***


 びんの都・りょうの眼前を流れる紅河こうがを南にさらに遡れば、そこは万年雪を冠した山々が所狭しとひしめく山岳地帯となる。本流は複雑に入り組んだ谷間のひとつを流れてるが、途中の川沿いにぽっかりと開けた場所があった。

 紅河に面した一方を除く、三方を山に囲まれたこの盆地こそ、神獣信仰の聖地・耀ようである。

 ちらほらと雪が舞う川港から上陸すると、行く手に望むのは、左右に聳える山を塞ぐような堅牢な城壁だ。その上に立つ三階建ての巨大な城楼は、かつてこの城市が嶺陽れいようと呼ばれ、耀という名が南天北天を支配する一大国家を指した頃からあるという。

「ということは、少なくとも百年以上前からああして聳えているというわけか」

 旻の使節団を乗せた馬車の一群が城門の番所で手続のために停まると、多嘉螺たからは簾を上げて仰ぎ見た。屋根の上にうっすらと白いものが積もる城楼は、まるで人々を睥睨するかのようにこちらを見下ろしている。

 言われてみれば、長年の歴史を重ねてきた建造物ならではの風格が感じられる。

「もちろん途中で何度も補修されているでしょう。しかし私が以前見た時と同じ、立派な城楼であることに変わりありません」

「そなたが言うなら間違いないな」

 如朦じょもうの言葉に多嘉螺が頷くと同時に、馬車が城門をくぐった。

 耀の城内は、広い大路が中央を貫いている。左右には数多くの店が軒を連ねているところは、稜と同様だ。その合間はこの時期、全国から祈願祭の参詣に訪れた客で埋め尽くされて、盛況といえる。だが雑然とした喧噪に満ちた稜に比べると、誰もが神妙な面持ちに見えるのは、耀という土地柄が醸し出す厳かな空気に触れるからだろうか。

 旻の使節団の馬車たちが城内に現れると、大路を賑わす人々は神官たちによって左右に追いやられた。その間を、馬車はゆっくりと直進していく。

 大路の突き当たりには、遠目からもよく見える、巨大な門があった。

 多くの参詣客を迎えるためだろう、何本もの太い柱に支えられた幅広の門がでんと構えている。その奥に広がるのが、神獣の眠る地底湖の上に建てられたという耀の祭殿、夢望宮むぼうきゅうだ。

 門を入り、白砂利が敷かれた大きな広場を突っ切って、使節団の馬車たちは正面に構える本殿の前に停車した。

 敷地内にいくつも聳える複層階の建屋たちに比べると、本殿は巨大ではあるが、地上一層のみという簡素な造りだ。だが地下には五層の建物も収まるほどの深い穴があり、底には神獣が眠りについているとされる地底湖が水を張るという。

 地底湖の上に蓋をするように建てられたこの本殿こそが、夢望宮の本体と言って良い。

「旻王陛下の名代の皆様には、遠いところをはるばる、ようこそおいでくださいました」

 一行を出迎えたのは兆薫ちょうくんという、恰幅の良い中年の神官であった。紫一色に染められたはおりから、彼が高位にあるということがわかる。

「兆薫様こそ、わざわざお出迎えいただき恐縮です。旻王・枢智子恩すうちしおんの名代を代表してこの単慶たんけい、篤く御礼申し上げます」

 両手を前に翳してその間におもてを埋めながら礼を返したのが、使節団の一員に名を連ねる単慶である。

 すらりとした長身に涼やかな目元の彼は、見目だけでなく所作も優雅で、さすが育ちの良さに裏づけられた気品を備えている。「宮中で単慶殿を見かけると、女官どもが黄色い声で騒ぐだけでなく、男まで見惚れるそうだ」と、多嘉螺が如朦に耳打ちした。

 馬車を降りた使節団は、本殿の脇に聳える複層階の建屋に案内された。各国の公式な使節団には、夢望宮内に専用の宿所が用意されている。

 兆薫の手引きによって、単慶ら一行がぞろぞろと建屋に向かう。その後を追おうとした多嘉螺は、傍らに如朦の姿がないことに気がついた。

 背後を振り返ると、馬車の傍らで如朦が本殿を眺めている。

 本殿の正面は、何枚もの板戸に固く閉ざされている。その手前には広々とした桟敷が迫り出していた。祈願祭当日には桟敷を舞台に見立てて、広場に集まる参詣客を相手にした演し物が演じられるはずだ。

 長い南天の歴史において、本殿の催しは絶えず繰り返されてきた、それ自体が積み上げられてきた歴史に欠かせない営みであった。

 本殿を見つめる如朦は、細い眉を微かにひそめ、まるで少し眩しいとでもいうように目を細めている。

 その横顔を目にして、多嘉螺はすぐさま彼に声をかけようとはしなかった。

 彼女もまた、如朦の姿を黙って眺めていた。

 やがて多嘉螺の視線に気づいたのか、如朦が申し訳なさそうに頭を下げる。

「つい見入ってしまいました。ささ、置いてけぼりとならぬうちに、単慶様たちに追いつきましょう」

 如朦に促されて、多嘉螺は無言で頷きながら、彼の後に続いた。

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