第47話~魔王の娘の初彼氏~


 その日、屋宮やみや真央まおは講義終わりに落ち合い、喫茶ノワールに来ていた。大学で顔を合わせる事は度々あったが、ゆっくりと腰を据えて話をするのは、お昼寝商事の会議室での一件以来だった。


「はぁ~、疲れた……」


 真央は行儀悪くテーブルに突っ伏しながら、深いため息をつく。


「お疲れ。そんなに”バイト”は大変なのか?」


「大変というか、思ってたのと違うと言うか。悪魔や魔物の事件って、日本では思ったより少ないみたいで、ほとんど事務作業ばっかり」


 水族館での戦闘から数週間経っていた。結局真央はこの世界に留まる道を選び、お昼寝商事の使い魔として働いている。何でも、ベルフェゴールの娘が野放しになっている人間界に、屋宮を置いていくのは心配だという理由らしい。


「でも、先週は講義休んで東北の魔物掃討作戦に参加したんだろ?」


 真央はパタパタと手を振る。


「私と理子りこの力で瞬殺。戦闘より移動の方が疲れたわ。それで、帰ってから報告書を作って翌日の営業回りの資料を用意して……ほんと、人使いの荒い連中だわ」


「それはそれは……」


 魔王の娘をアルバイトという建前で雇い、事務仕事でこき使うとは、お昼寝商事の連中も中々に命知らずな事をする。


「ちゃんと給料とかもらえてるのか?」


「それぐらいは当然よ。給与面はかなり好待遇だから、安心してちょうだい」


 どうやら血も涙もない悪魔という訳ではなさそうだ。いや、悪魔は真央の方なのだけれど。


「よかった。あの契約書で力を縛られてるみたいだから、その弱みで酷い扱い受けてたら、俺が怒鳴り込みに行ってる所だったよ」


「あー、それも安心して。あの程度の契約だったら、破っても大したペナルティにはならないわ。精々、一週間のあいだ全身筋肉痛になるぐらいね」


「……生死に関わるとか言ってなかったか?」


「言葉のあやよ」


「なるほど?」


 その事実をお昼寝商事の連中は知っているのだろうか。


「だから、あの契約で眷属を作る事は禁止されてるけど、一週間の休みが貰えれば勝手に作ってもいいわけよ。屋宮君、夏休みに入ったら私の眷属になりましょうよ」


「はぁ? 眷属って……それになったらどうなるんだ?」


「色々あるわよ。マナを操れるようになるから魔法が使えるし、体も丈夫になるわ。あと、寿命が無くなるから、ずっと一緒に居られるよ?」


「……考えておくよ」


 魅力的な話に思えるが、それは人間を止めるという事だ。屋宮には家族も居るし、人間としての将来もある。そう簡単に真央の眷属になって、普通ではない生活に身を投じるには覚悟がいる。


「それより、ここにバイトを探している苦学生が居るんだが、そんなに給料が良いなら仕事を手伝ってやろうか?」


「あー、良いわね。土御門つちみかどは私に肩入れする人が増えて嫌がりそうだけど、鈴瀬すずせ芦屋あしやは喜びそう。今度話してみるわ」


「……芦屋が? 絶対に文句を言うのはアイツだろ」


「文句は言うわ、間違いなく。でも、案外あの人、面倒見はいいのよ。悪いのは態度だけで、仕事のフォローや気遣いはそつないの。ツンデレってやつよ」


「中年オヤジのパワハラツンデレとか、勘弁してくれよ」


「まったくね。しかも、あの見た目と性格で愛妻家で、しかも子煩悩らしいから笑えるわ。携帯端末のロック画面が家族写真なんだけど、華奢で儚げな美人の奥さんと、十二才の娘さんが映ってたの。見た目からは絶対にあの子に、芦屋の遺伝子は入ってるとは思えないぐらい、可愛い娘さんだったわ」


 屋宮は想像できなかったが、どうやら真央は芦屋の事を思いのほか気に入っているらしい。確かに、今までの態度や見た目からは、家庭の話とのギャップがありすぎて、僅かにだが親しみを感じる。


「逆に土御門は、顔は悪くないけど性格が嫌味ったらしくて女性にモテないらしいの。この前の東北遠征の時も、道中の新幹線で婚活パーティーでの失敗談を披露してて、理子と一緒に笑いが止まらなかったわ」


「へぇ、ちゃんとお昼寝商事の連中とも仲良くできてるんだな」


「成り行きみたいなものよ。どうせ一緒に仕事をすることになったんだから、いがみ合ってても仕方が無いしね。ママの事も悪さをしないなら見逃してくれるみたいだし、案外悪くない選択だったかもしれないわ」


「そうか、よかったな」


 会話の間ができて、空になったアイスコーヒーのグラスに残された氷が、溶けてカランと音を立てる。


「なあ、真央」


「ん、なあに?」


「俺たち、付き合わないか?」


「はあ??」


 真央は驚きのあまり立ち上がり、座っていた椅子が音を立てて倒れる。


「な、な、なにを言い出すのよ!?」


「だってあの時、真央が別れようって言ってから何もなかっただろ。だから、俺たちの関係ってどうなってるのか分からなくって……」


「えぇ……いや、実際そうだけどさ。ほら、雰囲気とかで察しなさいよ」


「雰囲気って何だよ」


「だから、私がこの世界に残るって言った時点で、普通分かるでしょ」


「分かんねえよ。だからちゃんと答えを聞かせろ。はい、いいえ、どっち?」


 真央は「もう!」と苛立ちつつ、倒れた椅子を立て直して座り、髪を弄りながら答えた。


「……私の事を魔王の娘だって分かった上で、それでも付き合ってくれるのなら、よろしくおねがいするわ」


 屋宮は喜びのあまり、おもわずガッツポーズをする。


 喫茶店の入り口の扉が勢いよく開き、入店を知らせるベルが鳴る。店員の挨拶も無視して、慌てた様子の二人組がバタバタと足音を立てて近づく。


「真央さん、やっぱりここに居ましたか!」


「どうして携帯に電話しても繋がらないんだろうね?」


 それは鈴瀬と理子だった。二人とも私服姿で、鈴瀬のプライベートな姿は新鮮に感じる。


「どうしてって……屋宮君と会うのに邪魔が入らないよう、携帯の電源を切っておいたのよ。それより、せっかくいい感じだったのに、また邪魔をするのかしら?」


 真央は二人を睨むが、構わず鈴瀬が話を始める。


「市内で悪魔の仕業と思われる事件が発生してます。魔物も複数確認されてまして、芦屋さんと土御門さんが交戦中です。真央さんも一緒に来てください!」


「剣君、ごめんね。彼女さんちょっと借りるよ」


 真央はため息をつきつつ、ハンドバッグを持ち財布を取り出そうとする。


「いいよ。ここは払っておくから、行ってこいよ」


「……ありがとう。埋め合わせは今度するから」


 三人は慌ただしく店を後にした。残された屋宮は自分のコーヒーを飲み干す。


 真央と復縁する事はできたが、彼女が魔王の娘である以上、こんな形で厄介ごとに振り回される機会は度々訪れるだろう。


 けれども、そんな彼女を人間の立場から支える事はできるはずだ。戦う力はなくとも、真央に戻るべき日常を用意する事はできる。真央が屋宮との関係を維持したいと思ってくれるうちは、自分にも周りにも無茶な事はしないだろう。


 それは自分にしかできない事だとは思わない。いつか真央は、自分とは別の誰かと手を取り合う日が来るかもしれない。


 けれども屋宮は魔王の娘の初彼氏なのだ。彼女が生きる永遠の中で、初恋が色鮮やかなものとして記憶に残すことが出来るのは屋宮だけだ。


 例え振り回されようとも、そんな日常が少しでも長く、そしてより良い時間であることを。屋宮はそんな思いで、今度の週末に真央をどこかに誘おうと思考を巡らすのであった。

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魔王の娘の初彼氏 秋村 和霞 @nodoka_akimura

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