「件の少女」

低迷アクション

第1話

 あれは、忘れもしない、1945年…終戦間近の夏の事だったと思う。当時の私はと言うと、満州で働いていた“N”と“佐竹元関東軍中尉”(こちらは名前をだしても問題ないだろうと判断した)と共に、日本の兵庫県A市に“脱走兵”として、逃れていた。


理由は日本の明らかすぎる“敗戦”を知ったからだ。Nと私は戦場の地図を作る測量会社に勤務していた。地図を作る傍らで、明らかに敵国占領地の地域が増えていく現実を充分過ぎる程に理解し、関東軍から渡されていた通行証と“負傷兵”である中尉を説得し、医療従事者として、上手く本土に帰還する事に成功していた。


私達が本土の土を踏む頃、ソ連が不可侵協定を破り、残った者達(軍は真っ先に逃げた)にどういった事を行ったかは歴史が記しているので、ここでは省く。


何故、兵庫県か?と言う理由は、中尉の郷里が近い事と、脱走の罪(最も、当時の混乱では大本営に余裕は無いと考えたが、念には念を入れた)を考慮し、東京に戻る事は出来なかったからだ。


3度の大空襲で壊滅した神戸と比べ、A市の被害は、まだましな方だった…


と言っても、あちこちで灰と煤、モノの焼ける異臭が立ち込めた市内は戦場と大差なく、私達のような“余所者”が身を潜ませるには、もってこいの土地…


そんな、夏のある夕暮れ時、今夜のねぐらを思案する我々に、中尉が提案した事から、物語は始まる…



 「今夜、とゆうより、当面の我々の住まいだが“幽霊屋敷”はどうだ?」


カーキ色の軍服から、包帯を覗かせた(配給品は切れたから、そろそろ替えを用意する必要もあった)佐竹中尉の説明はいつもと変わらず自身ありげな口調…信用できる提案のようだ。


年齢は恐らく20代、整った顔立ちだが、軍に入隊する前から色々と問題を起こしていたようであり、実際は懲罰大隊の指揮官だったようだ。


勿論、当時の私達には聞く事もできなかったが…


「幽霊屋敷?面白そうですね!」


ちょび髭、チビのNが鼻をヒク付かせ、笑い声を上げる。ここぞと言う所の機転が利き、動きも早い。山師(鉱脈や金などを見つける人、詐欺師の意味合いにも使われる)になるため、満州に単身乗り込んできた度胸は伊達ではない。


「ありがとう、その分だと“T”(私の呼称)も賛成そうだな。自分がまだ、子供時代に、ここらで遊んでいた頃からある立派な屋敷だ。住んでいた人は、もう亡くなっているが、屋敷は残っている。多分、まだ焼けてない。早速、行こう」


「中尉、そこには食い物も残ってますかね?」


「それはないな。N、ただ、我々の生活に必要なモノは多少あると思うし、この陽気で野宿じゃ、羽虫に眠るのを遮られるのも、ゴメンだからな」


「成程、しかし、何故?幽霊屋敷と?」


中尉の説明に頷きつつ、質問する私に、彼は少し笑った後、答えた。


「何でも、夜、屋敷の前を通ると、すすり泣く声や、着物姿の女の子が出るそうだ。

その子の容姿が変わっているとの噂でね」


何処にでもある怪談話…会話を止め、私達は移動を開始した…



 空襲を知らせる警報が外の闇で鳴っている。また今夜も何処かの町が焼け消え、数百、数十万の人が死ぬ。


だが、そんな事より問題なのは…


「すいません、訳あって、私は…その、ここにいる事を近所の人に言わないで下さい」


「いや、わかります。ハイ…そりゃ、訳ありでしょうよ、その頭…えっ?角…」


呆けたような顔のNに納得…私も頷く。無人だと思った屋敷には人気があった。


着物姿の似合う、女学生くらいの娘…だが、娘の頭から生えているのは…


「角?あーっ、ええーっと、ウィアード・テールズ…(この時代に流行った海外のSF、怪奇雑誌、日本にも和訳されていた)いや、鬼さんですか?」


「“くだん”だ」


「くだん?」


私の疑問に呼応したNの質問を中尉が遮る。思わず聞き返す私に、少女がおずおずと口を開く。


「牛です。この角は牛…」


「牛?あ~っ、どうりで、お胸もおっき…ゴハッ(卑猥な発言を中尉が無言かつ鉄拳で制止させる)」


目の前で申し訳なさそうに俯く、角が生えた少女と3人の無頼漢の間にしばしの沈黙が訪れる。


破ったのは中尉だった。今でも、あの瞬間は“漢らしい”評価に値すると私は思う。


少女に歩み寄り、ゆっくりと、肩に両手を載せた中尉は、顔を上げる彼女に頷く。


それは“何も言わなくてもいい”と言う合図にも聞こえ、事実、少女の頬を伝う一筋の涙が全てを証明していた。


今まで経験してきた地獄を帳消しに出来る、優しい空間が私とNの周りにも広がっていく。


ぶち壊しにするのは、いつも人間だ…


「サイレンが近くなっている。ヤバいぞ。敵機だ!」


Nが叫ぶのは、サイレンの振動音…だが、それとは別の異音が、耳を支配し始める。


(これは…)


私が動く前に、中尉が少女を庇いながら、床に伏せ…


複数の銃声が障子とガラス片を撒き散らすのは同時だった。


「こいつは、機関銃音?外国製だぞ?連合軍か?」


「違う。これはシュマイザー(ドイツ製短機関銃)恐らく、大本営の特務機関…」


「私のせいなんです。姉さまはお役目を果たした。それはあの人達が望んだ事。ある意味では……私はそれを拒んだ」


屋敷の中を、闊歩したがる、乱暴で大胆な複数の足音が迫ってきている。素早いNは近くの花瓶を構えて、準備万端…中尉は、どこからか調達した日本刀を抜く。残る私に出来る事は質問だ。


「何を、一体何を拒んだ?」


「彼等が待っていたのは、国民全てが焦土の中、陛下を守り、最後は共に滅び去る先読み…だけど、違う。この国の人達は、それほど弱くない。必ず、立ち直る。豊かな国土を取り戻す。そして、その先の世界では…」


少女が口ごもる。恐らく、隣の和室に揃ったであろう敵が弾倉を交換し、銃の遊底を引く金属音が、これから始まる狂騒の開幕を告げそうな勢い…


その前に!


「先の世界は一体どうなる?」


「陛下は只のお飾りになる」


「そりゃ、最高!」


「ああ!」


決意を固めたような少女の声に、喚声を共鳴させたNが花瓶を振り上げ、中尉が刀で隣室の境を叩き切る。完全に機先を制された敵が落とした機関銃を拾い、私も銃弾をバラ撒く。


「お前等、何者だ?その娘を庇う事は、国家の大逆、まかり通るとでも思っ…」


「黙りな。こちらは脱走兵、知ったこったちゃねぇな!」


「国を守れず、このような少女まで、国家の腐敗…ここに極まれり」


拳銃を構えた隊長格の言葉に、Nと中尉が攻撃を繰り出しながら、言葉を切り返す。


「少女?ふっ、それが人間だとでも?それは…」


「人間だ!」


中尉の咆哮と彼の刀が隊長格の胴を一閃し、少女を抱きかかえた中尉と敵の間に、まるで、最初から打ち合わせていたかのような動きで、滑り込むNと私は銃弾をお見舞いしていく。


「N、T、貴様たち…」


「行ってください!中尉、生き残ったら、後で、その子も一緒に一杯やりましょう!」


「お早く!爆撃が迫ってます」


「……‥‥スマン!」


庭に飛び出す中尉と、見送る私達の間に閃光が走ったのは、正にその時だった…



 あの爆撃と瓦礫の中で奇跡的に生き残った私とNは、その後の戦後を生き抜いた。

Nは漫画の出版社を立ち上げ、最後は結核で死んだ。


彼が発進した作品群の中には、異能者や孤独な戦士が社会の中で抗い戦い続ける物語が多くあり、Nがあの当時の体験に対する自身なりの答えを示しているように思えてならない。


中尉と少女の行方はわからなかった。生きているのかも、死んでいるのかも…


だが、一つだけ確実な事実がある。老いた私は、なかなか理解する事が難しいが、


Nも発展に一役買った“漫画文化”に、その影響が顕著に表れていると思う。

様々な獣の耳を持つ少年、少女、勿論、角が生えたのもいる。


現在の我が国、サブカルチャーの文化が育む世界に人々は憧れと癒しを求め、共生の

世界を思い描く。


この歴史の顛末に、何等かの形で彼女と中尉が関わった…そう考える私は、今夜も様々な媒体の中で存在する彼女達の姿を見つけ、あの当時に思いを馳せるのだ…(終)


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